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「遠藤的」野球論その1 「考え方でどうにでもなる!それが野球!」


技術が優れていても、それを実行する土台(体)がしっかりしていなければならないんだ。
逆に、その体がしっかりしていても、眼で読み取る情報がずれていれば結果は出ないだろう。

野球とは、眼でとらえた情報を、自分の持っている技術で、自分の体を使って行うもの。
しかし、その方法が間違っているならば、絶対にいい結果など出やしない・・・

そう、トータル的にコントロールする力・・・考え方(心)が一番重要なんだ。
考え方に重きをおくか、はたまた技術に重きをおくか。

どちらがよいのか?
君はどう考える?

ボクの16年の社会人経験から言わせてもらう。そして断言する!

考え方でどうにでもなる!それが野球!

である。その重要なキーポイントになるのは次の3つである!

 @ 
「相手の立場になって考える」 (相手の精神状態は、今どうなっているのか)

 A 
「自分有利に考える」 (常にプラス思考で考える)

 B 
「物事は正面から見ない!いろいろな角度から考える」 (物事を側面や背面から見る癖をつける)

プロ野球選手のような技術や身体能力がなくても結果は残せる。考え方ひとつでだ!
君はどう思う?35歳のオジサンのたわ言と片付けるかは、君次第だ!







「遠藤的」野球論その2 「良い選手 と 悪い選手の違いを考える」



良い選手と悪い選手の違いって何だろう?

良い選手というのは、自分を知ってる選手と置き換えることも出来る。「自分を知ってる」ということは、自分の良いときの状態(投げ方・打ち方)をわかってるということである。

逆に言えば、良い状態がわかってるのだから悪い状態になっても、どの部分が悪いのかがわかる。するとその対処方法もすぐわかり「スランプ」といわれる期間が短くて済むのである。

悪い選手というのは、本当の自分を知らない選手である。良い結果を残せた時でも、なぜそういった結果が残せたのかわからない。また、調子を崩してもどこが悪いのか判断できずに「スランプ」といわれる期間からなかなか抜け出せない。

じゃ、どうすれば「良い選手」に近づけるか・・・。

自分の形というものをしっかり作り、その形をしっかり覚えることである。

現役中、自分の良かった時の(打ってる時の)バッティングフォームをビデオで撮っておいて、調子崩したら何度も見返してイメージしていた。また悪い時のフォームをビデオで撮影し、照らし合わせ「悪い点」をチェックしていた。ほとんどの選手は、良い時に関して「なぜ良いか」考えないものだ。もったいない。

NTT16年を終えてみて、通算打率は3割4分1厘だ。この打率を残せたのも、そういった「自分の形」があり、考え方がマッチしていたからだ。

良い時にこそ深く考える・・・これがコツ!

調子が良い時に何も考えないで過ごせば、落ちるのは早い。また落ちればなかなか這い上がって来れない。プロの選手は、守備に関してもビデオを上手く活用している。例えば、捕球体勢を横から前からと撮影しておき、自分が思ってるギャップをビデオを見て確認する。意外に、自分のイメージと現実は違うものである。

良い時に、鼻を伸ばして踏ん反りかえってる君!

是非、遠藤的野球理論を参考にして「良い選手」「波のない選手」を目指して欲しい!







「遠藤的」野球論その3 「試合で活躍する為の練習」


試合で思うように結果が出せない選手は沢山いると思う。

練習の結果と試合の結果がイコールになるように、指導者は創意工夫する。
例えば、バッティングでは
「シートバッティング」(試合形式)を多く取り入れたり、「紅白戦」をしたり・・・。
ピッチングでは極力ブルペンを減らし、
「バッティング投手」「シートバッティングでの登板」を取り入れたり・・・。
また、ブルペンでの投球もより
「試合的感覚」にする為に、打者をつけたりカウントを意識しての投球を繰り返す。
打者も活きた球を体感する為に、ブルペンに足を運び目をならす。
練習を組み立てたり考えたりする立場の指導者は、いつも考えるものだ。

そこで、実際に
「プレーする選手」はどういった意識で取り組んでるのだろう?

折角、指導者がそういった工夫をしても
「プレーする選手」の意識が低いと意味をなさない。
「感覚」は個人の頭の中でどうにでもなる。一番良いのは、前記した練習を「試合的感覚」で行うのが一番。
通常の練習でも自分の頭の中で常に
「試合を想定」して行えば、「本番に強い選手」に近づける。

指導者は言う。
「試合だと思って練習しなさい!」

けど、これを見てる諸君は本当に実行出来ているだろうか・・・。

実行出来ている選手にだけコンスタントに、「野球の神様は微笑む」だろう。






「遠藤的」野球論その4 「バント時の落とし穴」


守備側として考えると、バントの場面は「1つのアウトをくれる」という気持ちになるものだ。
そこに守備側の油断があり、逆に傷口を広げる場合が多々起こる。
先見のある相手監督なら、バントと見せかけて強行に出てくる。守備側は死に球を投げてバントをさせようとする。
打者はバスターや、通常の構えから強打する・・・。

昔、NTTが全国大会で三菱重工広島と対戦した。初回、0アウトR1塁で二番打者は現近鉄の主砲・磯部選手。
捕手遠藤は考えた。
全国大会、一回戦。手堅く来るだろう。投手も同じ考えだったと思う。通常MAX140キロを超える投手が、
初球130キロのストレートを投げた。すると、磯部選手は、左ながら左中間に2ランホームラン。
愕然とした。終盤NTTも善戦したが、二桁同士のスコアで打ち負けた。二桁得点してチームは敗退。

弱者が強者と戦う時の
「奇襲」。初回に奇襲とは上等手段である。
完全に、遠藤の頭は初回の二人の打者で壊滅状態。初回打者二人で二点取られた。打者の特徴は事前準備で研究済み
だったが、戦略は見抜けなかった。それから、俺が捕手をしてる時は同じ過ちを犯さないために、投手には、
「バント時には、低めにやらせないように全力で来い!」との指示。
他のチームだが、東京ドームで終盤そういった場面があった。北海道のチームが名古屋の競合に互角に闘っていた。
北海道の代表チームは、数十年ぶりの都市対抗出場で経験は皆無。
一緒に観戦していた選手に俺が言う。「バントして来ないぞ。強行だ。投手は死に球投げて試合は決まる・・・」
結果は、投手が気のない球を投げて痛恨の2ランを打たれる。敗戦。

死に球が来て、それを強打する。周りから見ると「強行」に見えるかもしれないが、それは違う。
球種が分かっていて、しかも真ん中に来る。社会人レベルでそんな球を打つのは簡単である。

攻める側・守る側の駆け引き・・・。目に見えない所でたくさんの駆け引きが存在する・・・。






「遠藤的」野球論その5 「全力疾走の意味」


全力疾走・・・。

観客を非常に清々しい気持ちにしてくれるものである。
しかし、実際に選手はどのような気持ちで
「全力疾走」しているのであろうか?

実際に試合に出ているプレーヤーが自分の守備位置につく時、
「観客」を意識しているのであれば大間違いだ!
第三者から見て、清々しいのは分かる。しかし、選手は、
「人の為に全力疾走をしているのではない」という事を理解しているだろうか?

全力疾走・・・それは「事前の準備」である。

各ポジションまで全力で走り、プレーボール後に「ボールを追えるキレ」を作るためである。
100%の力を常に出せるように、選手は準備をしなくてはいけない。

監督は言う。「お前ら、常にグランドに立ったら全力疾走しなさい。」その言葉の裏には、そういった意味も含まれている。
何気ない動作に必ず「意味」はある。その意味を分かって行動するか、どうか?その違いは大きい。