試験を受けた動機と合格まで
小学校・中学校共に区立の学校に通い、ちょうど不況の風が吹き始めたころ某都立高を卒業しました。平成○年3月4日のことでした。そこから遡ること2年前高2の春のことです。

私の通う高校で進路説明会が開かれました。と同時に「希望調書を提出するようにと」言われ何にも考えていなかった私は、途方にくれました。私の通っていた高校は、都立の普通高校で偏差値も誇れるレベルではないし、進学率もとっても低い。でも、自由で私服OKで楽しい学校でした。ここで、まったりとした3年間を過ごしたわけですがもう、今年いっぱいで廃校になってしまいます。都立高校の統廃合のためです。

話が脱線しました。。。元に戻しますね。

『自分が将来何をやりたいのか』

このとき初めて意識しました。
何がやりたいんだろう・・・??
自分自身に問い掛けました。
今まで考えたこともなかったから、結構大変です。

よーく考えないといけないんだってことはよくわかるのですがなかなか答えは出てきません。

友人は、タカラジェンヌを目指し、毎日せっせとレッスンに通っていました。
もう一人の子は、福祉の方面に進学することを決めました。
ある子は、美術の専門学校へ
ある子は、保母を目指していたし
ある子は、看護婦を目指し
みなそれぞれに自分の進路を決めたようでした。

私は、といえば・・・。
小さなころからのあこがれである「婦警さん」になりたかったことを思い出し婦人警察官になるためにはどうしたらいいかを考え始めました。でもね、決めるのがちょっと遅かったようです。柔道も剣道もやったこと無し。試験には、漢字のテストもあったからね〜。(漢字が大の苦手)まあ、そのことについては、後ほど触れることにします。

婦人警察官初級職採用試験は、地方公務員初級採用試験に分類されます。試験の内容は、婦人警察官初級職採用試験では

教養試験
論作文
漢字
上記の3つの他
2次試験に進むと更に
クレペリン性格検査

があります。教養試験の内容は、他の公務員試験と共通する部分も多く、試験を受ける人は、そのほとんどが、日にちが重ならない限りいくつかの公務員試験を受験しているようです。私も、その中の一人で『国家公務員第V種郵政事務A採用試験』を受けることにしました。

国家V種を受けようと思った動機は、本命と試験の内容がほぼ同じだったからですが

 なんで、その中でも郵政Aを受けたかって言うと、行政試験の方は、候補者名簿に載っても(合格しても)その後、自分で採ってもらえるように面接の約束とかをしたりしないといけなかったから。試験受かってから、採用まで面接の繰り返しなんていやだったし。。。しかも、行政Aは倍率も高い!!郵政Bは、不規則勤務だから嫌だったからです。

話を元に戻します。

高2の春、進路を決めたのはいいのですがこれといった勉強もせず、のほほ〜んと毎日を過ごしておりました。今から思えば、こいつほんとによく受かったなって感じるくらいね。

高2の秋 
公務員希望者が、放課後教室にて進路指導の先生のお膳立による公務員模試を受けました。結果はボーダーラインで、勉強しないと受かんないぞってレベルでした。このころバブルはとっくにはじけてましたし、公務員人気が高まりつつあった時代です。

こんな結果が出たので少しは勉強しなければ・・・と、思い立ち通信講座に申し込むことにしました。高3の春でした。

公務員試験の公式問題については、全て非公開。持ち帰りができないため、専門学校などのが教育機関が受験者から集めた情報を元に編纂し出版しています。実際に本試験を受けたものの感想としては『実務教育出版』のものが、一番、実際の出題問題に近かったですね。先生から進められ割引もあったので、実務教育出版の地方初級公務員通信講座を受講することとしました。受講料は、3万2千円だったかな。両親から出してもらえるような雰囲気じゃなかったからそれまでにバイトで稼いだ分を使うことにしました。私は高校時代はバイトに明け暮れていたのでした。今より、よっぽど裕福な生活をしていたように思います。

勤め始めるとさ、保険証とかのお金やら、積立金やら、税金やら、、、、なんだかんだともってかれ、気づいたときには、ほとんど使えるお金がない!!!何てことも。バイトをしていた高校時代のほうが、よっぽど財布にお金が入ってましたね〜。でもって、そのころの家は姉2人が短大に通っていて、そこの学校の教材とかをやたら買わせる学校で、ものすごく物入りでした。母親がお金の工面とか、そういったことでとても大変なのを見ていたので早く自立したいなという思いが強かったように思います。

希望すればもちろん大学にも行かせてもらえたと思います。学校のほうからも、指定校推薦がもらえたでしょう。成績は、そこそこよかったんです。まあ、そんなこともあり、バイト代を充てることにして申し込みをしたわけです。振込みから、2週間もすると教材が届きました。でもね、通信教育って意志の力が重要なんだな-ってすごく思いました。

山と積まれた教材をみてもう、やる気がなくなりました。どこから手をつけようか・・・。(-_-;)

『まあ、明日からでいいや。』

そうして、教材は4月から6月の間ほおっておかれたのでした。
(>_<)

高3になってから2月に1度公務員模擬試験を受けていました。結果は、散々です。だって勉強してないんですから、点数を取れるはずがありませんね・・・。(..)でも、結構いい線いってたんですよ。でも、本試験が近くなってきたら周りの方々のレベルが上がったのかどんどん成績が落ちていきさすがの私も焦りだしました。

こりゃあ、やばいぞ

何か対策をたてなくては。ああこまった、どうしよう。このままでは、キリギリスになってしまう。


夏期講習に通うことにしました。
実務教育出版の夏期講座です。
基礎講座
直前答練
この2つを受講しました。

“ 受講料約8万円 ”

これも、バイト代から捻出しました。東中野にあるその教室まで、一ヶ月の定期を購入し一日8時間月曜から金曜日まで、7月の終わりから8月中旬まで通いました。8時には家を出て19時に帰宅。毎日くたくたでした。でもね、自分のバイト代で通ってるって頭があるから

絶対元を取ってやる

って意気込みがあったんでしょうね。そんな私に母親は、夏休み中ずっとお弁当を作ってくれました。ありがたいことです。全ての講義が終了しました。しかし、私のレベルはまだまだ合格点に達しません。

どうすればいい?
なにをしたら覚えられる?
時間はないの。

そんなときは、問題集を解いていくしかありませんよね。一番効率がいいと思います。

その日から、朝8時から夜の12時まで、ご飯とトイレとお風呂以外は全てやらずに、テスト形式で問題を解き、答え合わせをし、間違えたものについては全ての問題をノートに書き出しノートには、間違えた点や正しい答を書き加え、自分の弱点を見つけ出し、わからないところをつぶしていきました。

たぶん一日あたりの勉強時間は10時間毎日毎日・・・・。二学期が始まるまで続けました。

今から思うと、このときの私は、今までの人生の中で一番勉強をしていた気がします。知識がどんどん頭の中に入ってきて勉強するのが楽しかったな。中堅科時代もものすごくたくさんの勉強をしたけれど、このときほど、すさまじい勉強の仕方ではなかったかも。


新学期が始まりました。私の通っている高校では、9月に文化祭が開かれます。高校最後の文化祭。ただし、文化祭2日目は大本命の試験日でもあります。文化祭の準備で、毎日7時8時まで学校に残ることも多くなりました。でも、やれることはやったと思って、あせりはしません。模擬でもかなりの高得点をあげられるようになってきました。

でも、やはり、あせりはせずとも、緊張感はどんどん高まっていきます。絶対に受かれるという保証はどこにもないのです。そしてまた、年に一度しかチャンスがない。現実逃避がしたくて、1000ピースのジグソウを作り始めてしまいました。

平成○年9月の第2週(だったと思う)、国家V種を受けました。適正試験の問題の傾向が、今までと全く違っていてあせりました。

3週目
婦人警察官初級試験を受けました。

この試験では、当日中に一次試験の結果が発表されました。60人いる部屋で一次を通過できたのは、私ともう一人の2人でした。番号を読みあげられたとき一瞬自分の番号だとは思えなくて、番号をもう一度確認してしまったほどです。

その後、一次通過者は、大講堂に集められ翌日の2次試験の説明をされました。

翌日は、身体測定、視力・聴力などなどを測り、漢字・クレペリン適性検査・集団面接・個別面接、を行いました。2日に渡る試験でぐったりしまし。面接では、意地の悪い質問になきそうになりました。その日から、最終合格の通知がくるまでに、地元の警察官の人が面接調査に3回ほど家にきました。

平成○年10月
婦人警察官採用試験二次合格との通知が来て喜ぶ、しかし、最終審査にて不合格、との通知が来る。

1次受かって、2次受かって、3次で落とされたときには悔しくって、悲しくって、泣いてしまいましたね〜。その年の婦人警察官採用試験の受験者数は、実質で1800人、一次試験通過者が180名、採用予定は40名と非常に狭き門でした。続いて、郵政局から1次合格のはがきが届きました。私には、もうあとがありませんでした。この試験にかけるしか。。。

10月下旬、東京郵政局講堂にて二次面接。

面接の準備もばっちり。でも、意地悪な質問もがんがん飛び出してきます。

でも、あせりません。
これは、私の本命の試験ではないのです。
受からないのならしょうがない、
自然体で勝負しよう。
そう思って臨んだのがよかったのでしょう。

婦人警察官の試験に落ちてしまったことは悲しかったけれど、悲嘆にくれつつも、気を取り直し、現実の状況に対応したのがよかったのでしょう。

平成○年11月、葉書で合格通知をいただきました。
国家公務員試験には
運良く新卒で合格することができました。


確か、その前の年から、受験倍率がうなぎのぼりになりはじめ、一緒に受けた友達は全滅でした。一人だけ受かってしまって、嬉しいけど素直に喜べませんでした。(>。<)今年の試験の倍率は当時と比べ物にならないぐらいすごかったんだろうな。最近、採用されたとき18歳って人がほとんどいません。
(2002.9.10改訂)