巡回時代(特定局)怒涛の一年目

研修所から出ると、本格的な窓口業務が待ってます。今までは、お客さん扱いだったものが一転して、突如窓口に放り込まれます。なーんにも知らない、ど素人が座るわけです。現場の空気を吸いながら、現場で仕事を覚えていくのです。国立の研修所から帰ってきてから1月間、訓練局でお世話になりました。
 特定局での仕事を覚える順番は、「郵便⇒貯金⇒保険」の順が一般的だと思います。

最初は、失敗の連続。今だからこそ思うけど郵便は、非常におくが深い。。。貯金、保険もいろいろな規定規則・商品があるけれど、郵便が一番覚えていくと楽しい気がするな。
 
まず、最初に窓口に座る前、窓口のすぐ後ろ総務主任席に座らされ日付印を打つ練習をしました。切手消印に使ってる棒状の日付印、正式名称「棒状通信日付印(ぼうじょうつうしんにっぷいん)」。最初、まっすぐ押すことができません。先輩たちはあんなに簡単そうに押してるのに。。。書留のバーコード貼付機もリズミカルには程遠いレベルでしか押せないの。仕事はじめる前、願書を出しにきたとき見た局員さんは、とてもリズミカルに軽やかにやっていたのになぜ押せない??(T_T)

・・・そんな私も、数ヶ月(?)でリズミカルにたたけるようになりましたけどね。日付印押すのって、結構難しいのよ。コツがいるんです。ちなみに、これは、「公印」。なくすとかなり重い処分がされるそうです。

そうそう、ここでひとつ。スカートが長くて、仕事しづらいので20センチぐらい短く折ってまつっちゃいました。だって、先輩たちのスカートもとっても短いしいいかなっと。。。制服には、正常着用義務が服務規程で定められているからね。本当はこんなことはしてはいけないんだろう、多分。。。制服って貸与だし。でも、今は、制服着てないし、総務課は窓口事務服着ちゃいけないし、支給もないしね。制服があるってことは、ありがたいことなんだとつくづく感じます。たとえそれがどんなデザインだったとしてもね。今なんて、全部自前。服代おくれ〜っ。

訓練局は、12局ある局の中でも郵便の忙しさは、下から1・2を争うところ・・・。
はっきりいて、郵便に関しては暇。住宅街だから、貯金・保険の窓口は忙しいけど。
貯金保険共用端末(そのころはCTMU型)が2台あったし。この局、郵便の取り集めが4便あるんだけど、1便での“有償郵袋なし”とかもあったりして。。。。でも、印紙がよく売れるのと非常に規定規則に忠実なところだったので、細かいことをいろいろと教えていただくことができました。

ここの職員数は、局長含め6人。
場所は、高級住宅街。

もし、強盗に入るなら、郵便局を狙うより、お隣のおうちに入ったほうがいいんでは?というようなエリア。何も知らない素人だった私の仕事の基本は、ここで培われました。最初の巡回局の思い出は非常に強いです。最初に覚えた仕事のやり方はとても重要ですね。

ここで、一ヶ月を過ごし、次の訓練局に移るのですが、この訓練局での最後の日、フレッシュマンノートに職員皆さんで寄せ書きをしてくださいました。見て、ちょっと涙が出ました。今でも、このページを開くと、あのころの記憶が鮮やかに蘇ります。ここの局では、切手箱を持つことはありませんでした。郵便の引き受け専門窓口に座っていました。


5月半ばから6月半ばまでを2局目の訓練局で過ごしました。ここは、8人局。前の局より、ちょっと忙しさがアップ。すごくやり方が違うので、戸惑うことばかり。。。たくさんの失敗、数え切れないほどの迷惑をここでもかけてしまいました。

ここで、初めて切手箱を持ちました。
私の持った切手箱は、常備額300万。切手は、非常にデリケート。切り方にも気を使います。基本的には縦列を基準に必要枚数を切り離して売っていくんですが、最初は力加減を誤って、損傷してしまうこともしばしば・・・。

「一度ミシン目を折ってから切るのよ」

と教えられてからは、そんなことも少なくなりましたが、新人の私には、そういった切手を売る人の常識(?)も目からうろこなのでした。切手箱をはじめて持つと同時に補充請求もここで初めて教えてもらいました。

そのころは、まだ、全て手書き。切手計算も電卓による手計算でした。

電卓を打つのに慣れていない私には、お金の受払いひとつとってもすごく大変で、頭の中は大パニック。ましてや、ぐったり疲れた5時(郵便窓口終了時間)から始まる切手計算などは、拷問に等しいと感じるほどでした。

また、新人のころって切手箱があわないもんなんです。そのうち、誤差は0になり切手計算が快感に変わるんですか。(いっぺんで計算が合ったときなんて、とっても気持ちがいもんですよ。まあ、切手箱は合って当然のことですがね。)

 ここでは、かもメールの販売初日を〈初〉体験。はがきを数えるのって難しいんですよ〜。きれいに広げられないの。一枚売り間違えれば、その日の切手計算で合わなくなってしまうわけですよ。。。はじめのうち、この、はがき数えには泣かされましたねぇ。

そして、6月中旬から、とうとう巡回勤務が始まります。2局目の訓練局でも最終日、フレッシュマンノートに皆さんで寄せ書きをしてくれました。ここでも、うるうるしそうになりました。  

さて、部会の採用時訓練や国立での新規採用基礎訓練で知り合った同期たちは、この間次々と固定配置になっています。私は、というと・・・・。

まず、私が採用されたときに巡回職員として昨年4月採用の先輩が1名、7月採用の先輩が3名おりました。そして私が入って巡回職員が合計5名となりました。部会の巡回定員は、4名です。前々年採用時、退職等もありたくさん採用し前年でも、結構な人数を採用したそうで、なぜ、私がこの部会にこの年たった一名、採用となったのかはいまだに謎です。まあ、とにかくそんなわけで、私が局に決まるのは、どんなにがんばっても順位が先の先輩たちが固定になってからなのです。また、ここ数年で、大幅に人の入れ替えがあったようで、すぐ空きが出る。。。というような見通しはありませんでした。

というわけで、順番は当分まわってきそうにありません。一週間ごとに局を移動しながら郵便の窓口に座り、毎日毎日郵便の受付や切手売りをしていきます。郵便の窓口が嫌いなわけでは決してないのです。逆に、奥が深いので、知れば知るほど楽しくなってくるのです。

しかし、違う部会の同期の友人たちは、どんどん固定配属されていきます。あせります、はっきり言って。。。私たちの同期は、連絡会採用が計32名とそれまでの年に比べて異常に少なく(約半分)絆もとても固い(?)のです。よく呑み会をします。そんなとき、話題は、やはり仕事の悩みとか業務のわかんないことだとかを話したり聞いたりするのですが固定配置になった子達は、貯金や保険の話題で盛り上がるんですね。

特定局の全部がそうだとは言いませんが、私のいたところは、固定配置にならなければ貯金・保険の窓口には座らせてもらえませんでした。まあ、郵便に比べて、貯金保険はミスをするとあまりにも額がでかいっていうのがあるからでしょうね。

だから、同期の呑み会に行くたんびに
貯金や保険ができてうらやましいなという思い
自分がいまだ巡回していて郵便しか知らないというあせり
局に決まれば、自分のロッカーがもてるのにとか
毎週電卓や制服、靴等の七つ道具を持って各局を渡り歩く生活、
どんなに郵便に関して詳しかろうとも固定配置にならなければ、
訓練生扱いで一人前とは扱ってもらえない

という思いが強くなるばかりでした。

自分の力でどうにかできるものでもないし。。。悩み深く、あせりも強くなるばかり・・・。そんなこんなで、時は過ぎていきます。時の流れと共に、仕事の流れもスムーズになりました。


11月だったでしょうか・・・。
そして私はまだ巡回。
一週間ごとの巡回生活でいろんな局をまわってました。

私のいた部会は、局員が12名の局から5名の局までよりどり(?)みどり。郵便の業務収入(年)の目標で言えば、7億円のところから4000万円ぐらいのところまで、もっと具体的に言えば、一日あたりの郵便の引き受けや切手等の収入が常時500万ぐらいあるところと10万円ぐらいのところまで非常に落差がありました。住宅街とオフィス街が混在している場所だったからです。

久しぶりに、訓練局に戻ってきました。
なつかしの我が家に戻った感じです。
この8ヶ月の間に、私もずいぶん成長させていただきました。
ここの局は前にも書いたとおり住宅街にある局です。

この局ではめったにくることのない100個以上の「小包別納」を持ち込んだお客様がいらっしゃいました。

内容は一律に同じで、地域が違うだけ。
数は多いけど、私としてはたいしたことがない
と感じる引き受けでしたので、黙々と、一人で片付けておりました。

先輩たちは非常に驚いてました。まあ、そうでしょうねぇ。

私がどんなにできなかったかを知っている人たちですもの。しかも、自分たちでもあたふたしてしまうようなものをさっさか終わらせてしまえるだけに成長したのですから。いつもは、厳しいというより一言一言がとげのある局長代理にも、お褒めの言葉をいただいて私はご機嫌でした。(^o^)丿

ああ、でも部会内のある局では、これぐらいできないと役に立たないといわれてしまうのですよ。何しろ、私が入ったころは、バブルがはじけてましたから郵便物数も減ってましたけど、それでも、この時期の郵便窓口には常時5〜6人体制で、切手売りの人一人を除いてみんなが小包別納(しかも100単位)を受けてることもざらでしたから。

女だから、、って手伝ってもらえるなどと思ったら大間違い。当時の内国小包は12キロまででしたからたいしたことないけど、外国小包20キロ(10個以上)の別納を引き受けたときは、腰が痛くて泣きそうでした。当然、最後まで一人で引き受けましたよ。あれは、つらかったな。

特定局なのになぜこんなに混むの・・・。(T_T)

でも、それが普通だったので、特に疑問ももたず日々は過ぎていきました。その間、腰痛を患い入院する先輩とかもいましたがね。。。。

巡回は、大変だけど気楽ですし楽しいです。これは、固定になってからはじめて気づくことですけどね・・・。(^_^)/行く先々の局で、先輩方に、呑み・ボーリング・ビリヤード・お食事などに誘っていただきました。一年目だけの特権ですね。(^o^)丿ほとんど全部ご馳走していただきました。

採用されてから一年間の間にいろんなことがありました。

もう、1年が過ぎようとしています。巡回職員は現在3名です。なんで巡回の先輩が2人減ったかっていうと、1人は同じ連絡会の違う部会へ行ったからです。先にも書きましたが、部会の巡回定員は4名です。今まで一人多かったんです。部会長も何とかしたかったんでしょうね。巡回順位の一番上の先輩から順番に話を持っていったようです。そして、最後に私のところにもその話が持ってこられました。私のところにもその話が持ってこられたとき、この部会に残りたいって意思を部会長に伝えました。

そして、数日が過ぎ先輩の一人が部会を異動しました。そして、巡回順位4人目となりました。でも、空きはできそうにありません。そのすぐあと、1名分の空きが出ました。でも、部会内の欠員はひとつしです。巡回順位3番目となりました。

(2002.9.10改訂)