■ ここに載ってる文章は


最初に。
このHPは、画像を楽しむサイトではなく、文章がいっぱいな、いわゆる『テキスト系』と呼ばれる分類に入るであろうサイトです。最初は、こんなに文章をいっぱい書くつもりじゃなかったのよね。そんな気はさらさらなかったの。思ったことを気の向くままに、キーボードで打ち込んでいったら、いつの間にか、こんなにたくさんページができてしまっていたというのが正直なとこ。

ページが増えるにしたがって、当初思い描いていたものからは、どんどんかけ離れていっていますが。。。まあ、それはそれで、いいのかもしれませんけれど。しかし、ここに書かれた全ての文章を読んでこんな人なんだろうって思われても結構困るところがあったりします。これら全ての文章を読んだとしても私のごくごく一部でしかないのですから。


みなさん、文章を書くのは好きですか?

私は、ある時期まで、文章を書くのはとても苦手でした。苦手というよりはむしろ、苦痛であったというほうが正しいかもしれません。

小さな頃から本が好きで、小学校に上がる前から絵本を手放さない子供で、絵本さえあれば、何時間でも1人で読みふけっているようなお子ちゃまだったのです。大きくなってもそれは変わらず、本は好き。だから、本を読むと眠くなるなんて人は、いまでも信じられないぐらいです。私なら、夜が明けるまで、読み終わるまで読んでしまうから。

だからかもしれないですが、自分の書く文章が詰まんなくって、イヤだなあって思って、学校とかでも作文や読書感想文ほど嫌いな授業はなかったのです。作文書けば、行動の記録になっちゃうし(これは、今でもあんまり変わらないかな?まあ、でも、日記は、あえてそうしてますが。)、読書感想文は、感想を盛り込めない。。。。すっごくいやでしたね。自分の書いた作文が。。。

高校3年のとき、論文の授業をとりました。ここで初めて、文章の起承転結を教えてもらって、自由気ままに書いていいんだって思ったんですね。ただし、最後にきちんと主張したいものをもってくれば。。。

目からうろこでした。それから、文章を書くことが全く苦じゃなくなりました。いろんな小論文を書いたり、書かれている文書を要約したり。覚えてみると、すごく楽しかったですね。

でも、卒業してしまうと、仕事上でも窓口だと文章を書く機会など、気がつくとほとんど無くなってしまってました。



それから、何年か年月が過ぎ、、、、何の因果か、中堅科訓練を受けることになったとき、また、文章を書かなくてはいけない立場に追い込まれました。いやがおうにも、文章は書けなくてはいけなくて、なぜかといえば、毎日、毎日、聞きたくもない特別講話を聞くと、レポートを提出しなければならなかったからです。

で、何が言いたいのかといいますと。。。。。

私のサイトを見て、すっごいまじめな人だと思ってくれる方がものすごく多いです。まあ、それはそれで、いいんですけれど。一応、まじめキャラでサイト上だけでもやっていったほうがいいのかもしれませんが。。。。

中堅科訓練を受けたことにより、私の文章作成能力は、やはり飛躍的に向上したと思っています。そして、文章を硬めにまじめっぽく書くことも難なくこなせるようになりました。まあ、これは、中堅科訓練とか中長期の訓練を受ければ必然で身につくものでしょうしねえ。

文章を書くには、それなりの訓練が必要かと思います。普通に書くのももちろんいいんでしょうが、やはり、より多くの書く練習をしていったほうがうまくなるような気がします。

そしてまた、文章は、その人の考え方とか、姿勢とか、生き方とか、教養とか、いろんなものが現れてしまうんだそうです。その人の内面が。

・・・・・。

フェイさんって、まじめな人なんですねって最近言われることが多いです。一応、まじめです。まあ、でも、書いている文章のとおりのまじめな人間だと思われたら、ちょっと困るなあ。多分、私のことをリアルで知ってる友人は笑うかも。。。

文章としてこのサイトにのせているものは、私の言葉ですけれど、けっして私全てではありません。このページを見て私を思い描いていただくのは、別になんとも思いませんけれど、決め付けるのは尚早。ここは、あくまでも、私の一面でしかないのですから。


私、自分の興味あるものにはこだわると、すっごい神経質にこだわるけど、そうでないものには、何の興味も示しませんし。ひとつのことを、まじめに考えて、うじうじ悩んでるのは性に合わないし、そういう人とは、お友達になりたくありません。自分の力で何とかしようと努める人が好きです。

掲示板においても同じスタンスで考えてます。後ろ向きな人は嫌いです。本当にほしいものは、他人が与えてくれるのを待つのではなく、自分からつかみに行かないと。待っているだけでは、自分の手元には何も残らないと思うし。まあ、それで満足できるんならそれでもいいのかもしれないけれどね。

他の人が、いかに多くの慰めや癒しを与えてはくれても、本当にほしいもの、やりたいことはやはり自分の力で掴み取らなければ、自分にとって価値がないもの。自分にとっての価値は、自分が掴み取ってこそ高まると思うので。
(2003.6.1)

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