風邪ひきの役得?





 「頭痛い………」


 そう口にするやいなや、ソフィーは床を拭く手をとめて、頭の右側をおさえてみせた。

 
 朝はまだ調子がよかったのに、昼前から少しずつ痛み出したこの頭。

 今ではズキズキと痛みに波があるほどだ。


 「風邪でもひいたのかしら…?」


 そう言って床に座り込んだ姿勢のまま、額に手を移動する。


 少し、熱っぽい気がする。

 そういえば身体のふしぶしも痛いし。

 昼前からの頭痛のせいか、頭もボーっとする。


 「もう、やっかいね」


 自分の身体に向かってそう言葉を発した後、ソフィーは一度深呼吸をした。

 拭きかけの床に置かれた雑巾へと、視線を動かす。


 今日はまだやらなきゃいけないことが沢山ある。


 まず部屋の床拭きを全部終わらせて、壁のスス取りもやってしまいたい。

 洗濯をして、晩御飯のしたくをして。

 そうそう。お風呂の掃除もしなきゃ。


 あげれば、きりがない。


 そう。要はゆっくりと座り込んでいる暇など無いのだ。


 ソフィーはそのことを確認してから、両手に重心をかけて立ち上がろうとした―――――瞬間。


 一瞬だけ目の前が真っ暗になって、視界がゆがんだ。

 かと思うと、自分の体重が一気に無くなったかのような錯覚に陥る。


 ―――――――倒れる!!


 そう思い、板間に打ち付けられることを覚悟したソフィーはギュッと固く目をつぶった。


 「………?」


 しかし、いつまでたっても来るはずの衝撃はなく、かわりに二本の腕がソフィーをしっかりと支えていた。

 ふわり、と柔らかい香りがソフィーの鼻をくすぐる。

 それは今ではソフィーにとって、とても安心の出来る香りで。


 「ハウル……?」

 
 いまだハッキリとしない意識の中、ソフィーは香りだけを頼りに、その人物の名前を呼んだ。

 すると、その人物は答えるかわりにソフィーの額に手をあてた。

 ひんやりとした手がとても心地よくて、思わずソフィーは安心したように小さく溜息をつく。


 そして、ソフィーはその人物の顔を見ようと目を開けた。

 そこには、想像してた通りの険しい表情をしたハウルの顔があって。


 「ひどい熱じゃないか、ソフィー!働きすぎも、たいがいにしないと!!」


 そう言うやいなや、ハウルはソフィーの身体を軽々と抱き上げた。

 対するソフィーは、ハウルの突然の行動に小さく悲鳴を上げる。


 「ちょっ、ハウル!大丈夫よ。自分ひとりで歩ける」

 「何言ってるんだ。そんな赤い顔をして、一人で歩けるわけないだろ?」


 そう言ったハウルはソフィーの言葉には耳もかさずに、抱き上げた体勢のままベッドのある部屋へと歩き出した。

 対するソフィーは、体勢上ハウルの胸のあたりに顔を埋める形になってしまい、どうも落ち着かない。 


 どきん。

 どきん。


 心臓の音が、やけにうるさく聞こえる。

 この音は、私のもの?それともハウルの?

 
 ゆらゆらと揺られながら、ソフィーは頬を赤らめたまま、そっと目を閉じた。

 すると、ベッドについたのだろうかハウルがソフィーを静かに下ろしてくれる。

 そしてそのままベッドに寝かせてくれた。


 「ありがとう、ハウル」     

 「どういたしまして、ソフィー」  


 そんな何気ないやりとりに、ソフィーは嬉しそうに笑って見せた。

 ハウルも、そんなソフィーの様子を見て笑い返す。


 何だか、凄く幸せ。

 こんなに幸せだと、後からバチがあたりそうね。


 ソフィーがそんなことを夢うつつに考えていると、ハウルはもう一度額に手をあててきた。

 
 「この熱じゃ、今日明日は仕事するのは無理そうだな。あとで薬を調合して持ってきてきてあげるよ。たまにはゆっくりと休めばいいさ」

 「……うん」
 

 そんなハウルの言葉に、ソフィーは微笑みながら返答した。


 やらなきゃいけないことは沢山ある。

 でも、それ以上にハウルが自分を心配してくれたことが嬉しくて。 


 たまには体調を崩すのも悪くないかもね。


 ソフィーはそんなことを考えながら、すっかり安心しきって眠りに落ちたのだった。



 後日談ではあるが。


 たった二日間、ソフィーが掃除をしなかっただけで、部屋中足の踏み場も無いほど散らかった状態になり。

 それを見たソフィーが、もう熱なんてしばらく出さなくていいと固く心に誓ったという。