計画じょうず |
太陽が真上に来たころ。 花屋の客足がいったん途絶えたので、ソフィーは一度店を閉め家の掃除をしようと考えた。 右手にはホウキ。 左手には雑巾。 戦闘態勢はバッチリである。 ソフィーはその戦闘態勢をフルに活用すべく、壁に床、水周りを一気に掃除し始めた。 マイケルが靴のまま歩いたのだろう、足跡を消して。 今朝卵を焼いたときに焦がしてしまったフライパンのコゲを、必死に削り取る。 窓も綺麗にふいて。 見ると、暖炉にもススがたまり始めている。 その暖炉を掃除しようと手を入れた時、カルシファーが抗議の声を上げていたような気がするが、今はあえて無視をした。 「こんなもんかしら」 結果。 二時間後には居間も暖炉もピカピカになって。 ソフィーは小さく溜息をついた。 しかし。ソフィーには、まだ一箇所だけ手をつけていない所があったのだ。 そう。 ハウルの部屋である。 一緒に住み出してから、ソフィーは何度かハウルの居ない隙を見計らって掃除をしようと試みた。 しかし、相手はインガリー国一の魔法使い。 始めてから5分と経たずうちに、自分の部屋をいじられているのを感じ取れるのか、どこへ出掛けていても戻ってきてしまうのだ。 ―――――――今日こそは!! ソフィーは赤がね色の長い髪の毛を、もう一度固く一つの三つ編みに縛りなおした。 よし。 気合は十分。 それに、今日はちょっとした作戦があるのだ。 「今日は何をする気さ?」 そんなソフィーの気合に気がついたのか、カルシファーが興味ありげに暖炉から顔をのぞかせた。 ソフィーはバケツとモップを持って、自信ありげな足取りで階段を一歩ずつ上りながら、カルシファーに振り向いて頷く。 「魔法に対抗できるのは、魔法だけってことよ」 「はぁ?」 ソフィーの言っている意味がよく分からないカルシファーは、とりあえずそう返答してから、再び暖炉の奥へと落ち着いた。 「ようは、ハウルに掃除をしているのが、ばれなければいいのよ」 そう言いながら、ソフィーはハウルの部屋の前に立ちはだかってみせた。 扉の取手に手をかける。 カチャリ、と小さく音がして扉はゆっくりと開いた。 今となっては見慣れたハウルの部屋。 まだここへ来たばかりの頃は、部屋の中へ入れてももらえなかったのに、今はソフィーが勝手に部屋の中に入っても、ハウルは何も言わない。 むしろ、ハウルが部屋にいる時は微笑みながら招き入れてくれる。 そして一緒に世間話をするのが日課だ。 そのことに、ソフィーは嬉しいような恥ずかしいような不思議な気持ちにかられて、あわててコホンと小さく咳払いをしてみせた。 「……でも、部屋の中を掃除しようとすると、あいかわらずイヤな顔をするんだけどね」 ソフィーはそう呟いてクスクスと笑って見せた。 そして、部屋へと向き直る。 バケツとモップを、一度床へ置いて。 ぐるり、と部屋を一通り見渡してみせた。 そう。 ハウルはきっと魔法の力を使って、私が掃除しているのを遠くにいても感じ取れようにしているはず。 なら私だって、まだまだ新米だけど魔法を使って気づかせないようにすればいいのよ。 ソフィーは部屋の入り口にたって、目を閉じた。 ゆっくりと空気を肺の中に入れる。 「いい?今からこの部屋を掃除するわ。ハウルにはばれないように。ハウルに気づかれないように掃除をするの。分かった?協力してちょうだいね」 話しかけた相手は、もちろんハウルの「部屋自体」。 自分の「話しかけたものに命を吹き込む」といった魔法には、まだまだ疑り深いものがあったけれど、とりあえず今は信じて試してみる。 きっと上手くいけば、命を吹き込まれたこの部屋が、結界を張るなりなんなり協力をしてくれるだろう、遠くにいるハウルに気づかれずに掃除が出来るはず。 そう考えたソフィーは、祈った。 心を込めて祈って、話しかけて。 「………そろそろ大丈夫かしら?」 幾分か部屋に話しかけたところで、ソフィーはゆっくりと片目を開けてみた。 すると。 「いい考えだね、ソフィー。ぼくとしたことが、危うく部屋中をいじくりまわされるところだったよ」 「きゃっ!!」 突然背後から声が聞こえてきて、あわててソフィーは振り向いた。 そこには、壁に肘をつき寄りかかった体勢でこちらを見ているハウルの姿があって。 微かに、ハウルの耳についている緑色の飾りが揺れる。 「でもね、ソフィー。その方法は、ぼくがしばらく家へは帰ってこないことを確認してからやるべきだったね。たまたま家に帰ってきたら、このザマだもんなぁ」 「ハ…っハウル?!いつからそこに?」 驚きと気まずさに、複雑な表情をしているソフィーを見て、ハウルは思わず笑ってしまいそうになるが、何とかこらえて言葉を続ける。 「ついさっきさ、お節介なソフィー。部屋の掃除はしなくていいと何度言えば分かるんだい?」 そんなハウルの言葉に、ソフィーは微かに唇を尖らせてみせる。 「だって……、汚いままだと気持ち悪いでしょ?ホコリっぽくて身体にもよくないし。少しだけでも整理したほうがいいと思うわ」 「あいにく僕は、今の部屋の具合が気に入ってるんだ」 「私は気にくわないの!」 ついに部屋の入り口で言い争いを始めた二人に、階下にいるカルシファーは緑色の炎をちらつかせながら「またか……」とぼやいてみせる。 しかし口喧嘩はいつものことであり、大して興味もなさそうにカルシファーは溜息をついてみせた。 対するハウルとソフィーはいまだ口論を続けていて。 ハウルはいたって冷静な口調なのだが、ソフィーはそうはいかない。 そして、喧嘩の最後を締めくくるのは、だいたいソフィーのこの台詞。 「もういいわよ!!」 そう言ってソフィーはハウルの横を通り過ぎて、わざとらしく大きな音を立てて階段を下りた。 そんなソフィーを見て、ハウルはやれやれといった様子で部屋の前で肩をすくめてみせる。 そして居間へ降りたソフィーは、暖炉の前に置いてある椅子に座り込んだ。 カルシファーのパチパチといった火燃の音以外、しばらくの沈黙が流れて。 「…………」 カルシファーが覗き込んできているのだろう、ほんのりと顔に温かい空気を感じる。 「う………っ」 次の瞬間、ソフィーは微かに嗚咽をもらした。 それは、聞こえるか聞こえないか位の声量で。 そして、洋服のすそで目元をぬぐい始めた。 驚いたのは、カルシファーである。 思わず暖炉から身を乗り出して、慰めに入る。 「な…っ泣くことないって。喧嘩なんていつものことだろう?ハウルだって気にしてやいないさ」 そんなカルシファーの言葉に、ソフィーは小さく首を振ってみせた。 「ソフィー?」 もちろん、そんなソフィーを見て驚いたのはカルシファーだけではない。 まさか泣いているとは思わなかったハウルは、ソフィーの様子を見て、急いで階段を降りてきた。 「ソフィー…?」 もう一度、名前を呼ぶ。 そして、一向に顔を上げる様子のないソフィーの肩に、ハウルは優しく手をのせた。 するとソフィーは、そんなハウルの手から逃れるように身をよじる。 それは、まるでハウルに触られたくないといった様子さえ伺えて。 「………!」 正直、ハウルはショックだった。 表情には出さないが、確実に自分の鼓動が早まっているのを感じる。 と、同時に。 本当に大切な人に拒絶されるということは、こんなにも辛いことなのかということを一瞬にして痛感する。 「…………」 そんなにきつい言い方をしたつもりはない。 こんな喧嘩なんて、いつものこと。 しかし。実際にソフィーがこうして目の目で泣いている。 ソフィーの気持ちを感じて取ってやれなかったのだろうか。 自分のとった態度が、ソフィーを傷つけてしまったのだろうか。 ハウルは、青の双眸を静かに細めてみせた。 色々と頭の中で、自分の取った態度や言葉を思い巡らせて見る。 思い巡らせて。 結果。 「………ごめんよ、ソフィー。言い方がきつすぎた」 静かな声で、そう告げた。 すると、そんなハウルの言葉にソフィーがピクリと反応する。 そして僅かだが、伏せた顔を上げた。 そんなソフィーの様子を見て、ハウルはもう一度肩に手を伸ばす。 また拒絶されるのではないか。 そんな不安に駆られながら。 優しく。それでいて、ぎこちなく。 ソフィーの肩に、手が触れる。 今度は――――――拒絶されなかった。 ソフィーは身じろぎすることなく、ハウルの手を受け入れてくれて。 そのことに、ハウルは胸中で安堵の溜息をつく。 そして、優しく呟いた。 「………ソフィー。機嫌、なおしてくれないかい?」 すると、以外にもソフィーは、肩に乗っているハウルの手に顔を微かに摺り寄せて。 ゆっくりと顔を、上げた。 「…………あれ?」 まず頓狂な声を出したのはカルシファーである。 思わず、ソフィーの顔を覗き込む。 「泣いて……ない?」 そんなカルシファーの言葉に、ハウルは一瞬考えて、すぐさまソフィーの顔へと視線を向ける。 するとそこには、イタズラめいた様に微笑むソフィーの笑顔があって。 「いいわ、ハウル。許してあげる。そのかわり、掃除させてくれるわよね」 そう言ったかと思うと、ソフィーは嬉しそうに椅子を立つ。 そして、そのまま二階へ向かう階段へと向かった。 手には、ちゃっかりとバケツとモップを持っており。 途中ソフィーは、両手がふさがったままの状態で、ハウルの頬に軽く口づけをした。 「……………」 後に残るは、未だによく状況を理解出来ていないハウルとカルシファー。 パタパタと階段を上る軽快な足音を背後で聞きながら、ハウルはやられたと言わんばかりに、自嘲気味に笑って見せた。 「ソフィーの方が、一枚上手だったみたいだね」 カルシファーのイヤミそうな笑いを含めた言い方に、思わずハウルは溜息をついた。 そして、ちょうど自分の部屋に位置するあたりの天井を見上げて、呟く。 「ま、いいさ。ソフィーが笑ってくれてるのならね」 「ふぅん」 そう言って、ハウルはまだ微かに残る頬の感触に微笑んで見せた。 外は晴れ。 ソフィーにとっては、まさに絶好の掃除日和だった。 |