馴れ初め





 「つまんない……」


 うららかな午後のひととき。

 ソフィーは食卓に頬づえをつきながら、そう呟いた。


 なんとなく部屋の中を視線だけで見渡してみる。

 目に映るのは、午前中にソフィーが掃除をしてきれいになった棚やら壁ばかり。


 ふぅ…と小さく溜息をつく。

 
 ハウルは居ない。

 朝早くから急用があるとかで出て行ったきりだ。

 その上、出掛けに今日は花屋を閉店にすると言い出した。
 
 理由を聞いてはみたが、いつもと同様上手く話をそらされて教えてはくれなかった。


 マイケルも居ない。

 ハウルが居ないのをいいことに、マーサにでも会いにいったのだろう。

 その証拠に、出かけるときに真っ赤なバラの花束を手に持っていた。


 そして、あまつさえカルシファーまでもが居ない。

 外は雨なんて降りそうも無いほどのいい天気だ。きっと散歩にでも行ったのだろう。


 「つまんない……」


 再びソフィーはそう呟き、ゆっくりと目を閉じて見せた。

 そこは物音一つ無い、痛いくらいの静寂で。


 「一人……かぁ」


 そんな自分の言葉に、チクリと胸が痛む。


 この城に来てから、早一年。

 本当に色々なことがあって、毎日が充実していて、賑やかで、時間がたつのがあっという間だった。


 思えば、まだ帽子屋で働いていた頃。

 ハウルと出会う前。

 一人という状況は、決して珍しくはなかった。


 帽子を作りながらの店番。

 聞こえる音といったら、外の通りのざわめきと自分の布縫いの音だけ。

 話し相手は、自分の作り上げた色とりどりの帽子。

 
 いつも、同じ毎日。

 いつも、一人。
 

 だから、こんな事は日常茶飯事だったはずなのに。

 もう慣れっこのはずだったのに。


 それなのに。


 「………さみしい」


 ポツリ、と口にする。

 と同時に、ソフィーはゆっくりと机に伏してみせた。

 頬に何かが伝っていくのを感じる。


 こんな自分、ガラじゃない。

 でも。確かに感じている、この気持ち。

 
 そう。「つまらない」じゃない。

 「さみしい」んだ。私。


 以前はなかったこの気持ち。

 一人が「さみしい」というこの気持ち。


 この気持ちを教えてくれたのは、この動く城での生活。

 マイケルにカルシファー。  


 そして。

 そして、誰よりも大切な――――――


 「ハウル………」


 と、ソフィーが小さくその名を呼んだ。

 瞬間。


 「なんだい?ソフィー」

 「?!!」
 

 聞こえるはずの無い返答に、ソフィーは思わず思いきり顔をあげてみせた。

 するとそこには、今の今まで気配すら感じなかったハウルが立っていて。


 「な…なん……」


 口をパクパクさせながら驚きの表情を見せているソフィーに、ハウルはゆっくりと近づいた。

 そして、ソフィーの頬に向かってそっと手を伸ばす。


 「僕の大切なソフィー。何を泣いているんだい?」

 「え?あ……っ」


 ソフィーはその言葉に自分が泣いていたことを思い出し、あわてて洋服の袖で涙をぬぐった。

 そして笑ってみせる。


 「なんでもないの。なんでも。気にしないで」

 「ふうん?」


 そんな苦し紛れの言い訳に苦笑いを浮かべたソフィーに対し、いまいち納得していなさそうなハウルだったが、とりあえずそう相槌をうった。

 そんなハウルを見て、ソフィーが気まずそうにうつむいた瞬間。


 「おいで、ソフィー」
 
 「え?えぇっ?!」


 そう言ったと同時に、ハウルはソフィーの手を掴んで城の入り口へと向かって歩き出した。


 「ちょ…っちょっと、ハウル?!」


 しかしハウルは、そんなソフィーの抗議の声に耳をかす気配もない。

 仕方なくソフィーは一つ溜息をついて、おとなしくハウルに着いていくことにした。


 扉の把手の下は黄色い面。

 つながる場所は―――――――ソフィーのよく知っている、がやがや町の街並み。


 「え………?」


 しかし、扉を開けてソフィーの目の前に広がったがやがや町は、いつもよりずっと活気づいていた。


 溢れかえるほどの人並み。

 赤や黄色の色とりどりの花々。

 きれいな洋服に身をまとった人たち。


 「あ……!」


 その様子を見て、ソフィーは小さくそう声を上げた。


 そう。そうだった。

 今日はあの日だ。

 一年前、ハウルと初めて会った―――――


 「五月祭だよ、ソフィー」


 そう耳元で聞こえる、今ではもう聞きなれたその声に、ソフィーはゆっくりと振り向いた。


 目の前には、今では見慣れたハウルの笑顔があって。

 胸が、熱くなる。


 「一年前、確か君はぼくの誘いを断って逃げてしまったよね」


 そんなハウルの言葉にソフィーは少し驚いた顔をして。

 対するハウルは、少々イタズラめいた表情を見せた。


 「だって、あの時はあなたのこと何も知らなかったんだもの」


 そう言って、二人は顔を近づけてクスリと笑いあってみせた。 

 お互いの髪が、風に吹かれて頬に触れる。
 

 「でも思えば、あの日が私達のはじまりの日だったのね」


 そう言いながら、ソフィーは頬にあたるハウルの髪がくすぐったかったのか、目を細めて見せた。

 そんなソフィーのしぐさに、ハウルが優しく微笑んだかと思うと。


 短く―――――口付けをした。


 「さぁ行こう、ソフィー。今日は仕事を全部終わらせてきたんだ。花屋も休業。去年の分も、今日はずっと一緒にいよう」


 そんなハウルの言葉に、ソフィーは本当に嬉しそうにうなずいてみせた。



 空は晴れて。

 たくさんの花々の優しい香りが、町中に溢れかえる。


 ハウルとソフィーは、手を繋ぎながら町並みへと歩き出した。