ARARA -19
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どる
雲景のあららARARA
あなたがです。
2010年12月14日
あららARARA  美の決断をこどもに習う



過日のいけばな子供教室で、花ものを一人に5本づつ配った。
数人のこどもが4本しか使っていない。
はた、と迷った。
いけるまえに、「自分で考えて自由に活けなさい」と言った。

「5本あるけど、4本でいいの ?」
良いとはっきりと肯いた子供の顔を見て、手出しをする事を止めた。

中国の文人画には 「四君子」 とか 「四愛」 などの謎語画題があります。
四君子は、春夏秋冬の 「蘭」 「竹」 「菊」 「梅」 の四種を、高潔な君主にたとえています。

四愛は、 「蘭」 「蓮」 「菊」 「梅」 の四種の愛すべきものです。
長谷川等伯の作品には、「四愛図座屏」 が描かれています。
小原流の 「文人調いけばな」では、画題に応じて4種類の花材をいけます。

子供は活けていく過程において、四本の花の配列に、子供なりの美の完結を感じ取った
のでしょう。良いと肯いた子供の顔に迷いはなかった。

「四」の文字を「死」という言葉に関連づけてしまったのは、日本人特有の悲壮感から
発生しているように思えてなりません。あまりに短絡すぎる。
いつかは誰にでも訪れる別れは、辛くて悲しいことですが、人が懸命に生きた生涯を、
深く記憶に留めて、讃えたい。

「し」 と読む漢字はその他にもいろいろあります。
「詩」 「視」 「志」 「師」 「私」 「氏」 「士」 「思」 「支」 「詞」・・・などなど、
好ましい漢字が沢山ある。

いけばなはプラス思考の美術ですから、マイナス思考のこじつけはやめたほうが良い。
「四」が「死」であるのならば、四角い器も使えない。
四角い家に住むのは、怖ろしい。部屋は、四辺の壁で区切られている。
四方正面のいけばなが、死方正面になってしまったら、あらら、とんでもない。

せめて、「四」は「詩」に変換してほしい。活ける行為は、花を歌いあげることでもあるから、
4本で美しければ、それは「詩」の調べに通じる。

「四」の文字に連なって、「九」の文字も日本では「苦」になると嫌われています。
ところが、中国には九月九日の重陽の節句があります。
奇数の吉が重なるからおめでたい日になるのだそうだ。

重陽の節句では、真綿を菊の花にかぶせ、朝露にぬれたその綿で顔を拭うと美人に
なる言われる。それならば・・・と、若い頃にひそかに試してみたけれども、結果は沈黙・・・。
九月九日を、苦月苦日にこじつけたら、おめでたいその日に顔が歪んでしまいます。

大人が作りあげてしまった禁忌に、こどもから強烈なパンチをくらったような目まいを覚える。いけばなの古書にはいろいろな禁忌が書かれていますが、現代では疑問に思うことが多い。
否定的な発想は、自由な美の発展を妨げる。
他の言語の国にたいしても説得力がない。

ただし、「四」と「九」は、現代でも、世間一般のお祝いには、避けたほうが賢明でしょう。
日本の慣わしは、場によっては、ご注意、ご注意。

矛盾だらけの論理を、どのように対処しましょうか ?
づく