105歳になる母・介護福祉


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目次
11. 2009年03月 頭部ケガで入院処置。
10. 2008年09月 103歳・市長の表敬訪問。
9. 2007年09月 102歳・市長の表敬訪問。
8. 2006年09月 101歳・市長の表敬訪問。
7. 2006年04月 老人虐待と言う名を借りた、現場を見ない行政について。
6. 2005年09月 100歳の祝い
5. 2005年05月 肺炎入退院
4. 2005年02月 風邪
3. 2005年01月 孫2人の慰問
2. 2004年12月 クリスマス会(MOVIE)
1. 2004年10月 施設の様子
0. 2004年09月 白寿の祝い
9. 2004年09月 老人健康施設から養護老人福祉施設へ移入
8. 2004年07月 納涼祭
7. 2004年05月 怪我のリハビリ
6. 2004年03月 怪我からの退院
5. 2004年02月 大腿骨骨折入院
4. 2003年12月 老人健康施設「わか葉」に移入
3. 2003年春
2. 2002年11月からの経緯
1. 2001年10月 元気な頃
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2009年03月31日 頭部ケガで入院

31日朝、電話で、母がトイレから落ちてケガをしたと介護施設から連絡がありました。
これから病院へ行くとのことでした。私が病院へ行くと頭部のオデコに大きなガーゼが
貼ってあり、待合所で車椅子に乗り、治療の順番を待って寝ていたので安心しました。

付添の看護人が起こそうとしましたので、やめてもらいました。起きてもどの道、私が誰だか
分からないし、そっとして置くことが一番だと思いますので!!

ケガは4,5針縫うものでした。処置後、医師が頭部に現在処方されている薬のせいで
内出血の恐れがあるとのこと、1週間以内の経過観察が必要とのことで入院させました。

2008年09月04日 市長の表敬訪問を受ける

4日は私が沼津市立病院に入院していた為、出席できませんでした。

2007年09月03日 市長の表敬訪問を受ける

2006年09月05日 市長の表敬訪問を受ける

2006年03月31日 施設からの電話連絡

母が車椅子から落ちることを防止する帯が、母を拘束していることになるので、明日から帯を取るので、家族の皆様にも、そのリスクを知っててもらいたいと電話でお願いされました。施設では、厚生省からの通達でやむなく取るが、最大限、気をつけるとのことです。母はボケているので、自分が昔通り歩行ができると思っており、また、昨年の10月のようなことが起こらないように祈るほかないのでしょうか?

役人達は机の上だけで、仕事をしていて、介護の現場を見ていないと思います。母が帯も付けず、ボケもしていないのであれば、なんで施設に預けなければならないのでしょう。そこのところを、よくよく考えてもらいたいのです。すこし、話が違うかも知れませんが、先だって、新聞で話題になった安楽死についても同様だとおもいます、法律で縛るだけが行政ではないと思うのですが、私の考えが甘いのでしょうか!!

3月はイチゴ狩りにいったりで、元気に101歳を迎えてもらいたいと、せつに願っている今日この頃です。

2005年10月6日

昨日は元気に遠足に行ってきたと報告があり、午後に念のため、 CTスキャンをお願いしました。

2005年10月4日 車椅子からの転倒

明日、5日に三津シーパラダイスへ遠足に行くとのことで、お小遣いを届けに午前中に 行きました、 母は元気でしたが、今日は何かいつもより、ボケていたと息子と話しながら帰りました。

午後になって、施設から電話があり、母が転んで頭を打ったと連絡が有りました、 母はどうも車椅子から落ちた様子ですが、施設の人達は、この頃、母が車椅子から 落ちることを防止する帯をしていないで、過ごさせていたのが失敗だとさかんに謝っていました。

私は予てから、車椅子から容易に立ち上がれる状態があることに危惧をいだいており、 施設の人に大丈夫ですかと、行く度に言っていましたが、心配が現実になってしまいました。 医者に見せたところ、たいしたことが無いことがわかり、安心する。

2005年9月19日 100歳の祝い

母、八重の特別な100歳誕生日会が開かれました。 オレンジ施設で3人目になるそうです。

100歳誕生日会・MOVIE
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2005年9月12日

敬老会がオレンジで来賓多数出席の中、盛大に行われました。

2005年9月9日

市長が施設へ、御殿場市と静岡県からの100歳のお祝い記念品を持って訪れました。 記念品の中身は不明です。(12日のオレンジのお祝い会で披露する為) 母はいっしょに百一歳の菊さんとお祝いしたことで、おおいにハイになり、市長とも笑顔で応対しました

写真をクリックすると拡大されます

2005年7月16日

今日も御殿場は霧で蒸し暑い、施設の冷房状態をチェックしに行く。 もし、暑ければ、夏物の衣料にしようと、妻が持って出かけました。 冷房が入っていて、母はアンダーシャツとパジャマの上着を着て、靴と靴下を着けていました。 それでも、手足が冷たいので、夏物衣料は持って、帰りました。

2005年6月25日

妻が、母の髪をカットすると言うので出かけました。今日も元気でした。

2005年5月24日 肺炎入退院

虎ノ門病院を退院してからの母は、この頃大分食欲が出てきたようで、前の通り皆さんと一緒に 過ごしています。一安心です。

2005年5月15日

今日は息子が洗濯物を回収する目的で、一人徒歩で夕方見舞いに行く。 5時ごろ、沢山の汚れていない物も全部持って帰宅する(本人の運動の為には良いことかも) しかし、明日の母の着替えが無いと困るので、再び、息子と自動車で病院へ行く ことになった。

母はちょうど夕食を自分で元気に摂っていたので、私が声をかけると食べなくなると いけないので、そのまま帰宅しました。(昨日、一昨日は寝ていました、熱も無くなり 元気そうです、一安心です。)

2005年5月12日

昨日の点滴が効いたのか、今朝は5時ごろ起きて、熱が下がり、 意識がはっきりしたので、さかんに私にすまないと手を合わせるので、 母にそんなまねをされると、私としては当然のことをしているだけなのに、 そんな母があわれでした。

母としては息子にトイレにつれて行ってもらったり、着替えをさせたりしたことが 苦痛なのかもしれません。 (そんな時はボケていてもらいたいと思います) 朝食は7割位食べましたので、ちょっと安心しました。10時ごろ大部屋に移り、3回目の 点滴を受ける。 母は点滴中でしたが6人部屋なので、看護婦に、他人のオムツを交換するので 部屋を出て下さいと言われ、看護婦に後を頼み、病院を出ました。

2005年5月11日

施設から電話があり、虎ノ門病院へ入院することになったので、入院手続きに 行って貰いたいとのこと。 直ぐに行くと、今日は個室なので付添いが必要ですと言われました。自分に付添いが できるか、ちょっと不安があった。

母の昼食も終り(母はあまり食欲がなく、1割位しか、食べなかったが)、 1回目の抗生物質の点滴も終り、3時ごろになり担当医から病状の説明を受ける。 CTスキャンでは肺に白い影があり、そこが肺炎を起こしているとのこと、また、尿検査 でも細菌が有り尿路炎もあるとのことでした。その他の所見は血液検査の結果を見ないと 解らないとのことです。

夕食も食欲が無く1割程度しか食べませんでした、2回目の点滴は血管に上手く針が入らなくて 大変でしたが母は痛いとちょっと言うだけで我慢してくれました。母は針が入っている方の 手を無意識に動かしてしまうので、私がついている時はいいのですが、大部屋に移ってからが ちょっと心配です。 母は寝たり起きたりの繰り返しでした、咳がでると直ぐに苦しくなり起きてしまう見たいです。 (この現象は翌日私が帰るまで続いていました)

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2005年4月9日 PM14:00頃

施設から、電話があり、まだ熱があるので掛かり付けの病院へ行ってもらえ ないかという相談がありましたが、土曜日の午後の為、休診なので、施設の 侍医である虎ノ門病院で受診してもらうことにしました。 夕方、連絡があり、入院する必要はないとのことで安心しました。 薬湯だけで大丈夫のようです。

2005年4月7日

姉、恭と私3人で出かけるとベツトでめずらしく寝ていました。 職員の方の説明では今朝方、熱があったのことです、でも、10時の検温では 下がりましたと言っていたので、母も眠そうなので早々に退出しました。 姉がわざわざ遠くから出かけてきたのに申し訳ない事をしました。

2005年4月2日

妻が、母の髪をカットすると言うので出かけました。元気でしたが、 少しまたボケが進んだ感じを受けました。

2005年2月23日

今週の始に施設へ電話しようとしていたが、連絡がなかったので、こちらも 忘れていた(親不孝かな!いろいろ事情が有りまして!、電話が) 今日現在、連絡がないのは熱も下がり多分元気になったと思います。 明日電話して確認するつもりです。

2005年2月18日 風邪

養護施設からAM8:50電話があり、母が37.5度の熱があるので、どうしますか と訊いてきました。病院で治療してもらうことで了解をもらいました。 AM9:20ごろ再度、電話があり、周りの人達が下痢を起しているので、 母を、私が病院へつれて行き、治療してもらいたいと言ってきました、 それではと出かける事にしましたが、私一人では、母を動かすのが大変なので、 息子にも手伝ってもらうため、寝ていた息子を起し、二人で養護施設へ AM10:00頃に行きました。

車椅子から立ち上げる時、私が抱っこをしましたが重いのに驚きました、職員が 今朝も食事を全部食べたと行っていましたが本当だと感じました。

病院へ連れて行き、診察してもらい、インフルエンザの検査はマイナス、点滴も 受けましたが、針の刺した所が悪く、腕を曲げると液が落ちませんので、その都度、 息子と私で、注意しながら終了しました。

 

施設に戻ったのはPM12:15頃でした。朝、バスで出かけた、その他の患者さんは 5,6名いましたが、どうしたのかな! 母が1番、軽そうなので安心しました。 病院の先生も2,3日すれば良くなると言っていました。

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2005年2月12日

母は今日も風邪もひかず、元気でした。妻と1月ぶりにアオキで ゼリーを買って出かけました。頭の毛を整えるくらに切った後、 ゼリーを美味しく上手に食べる

後、満100歳まで2ヶ月です。

2005年1月17日

母は今日も元気に過ごしていました。

2005年1月4日

三島大社へ夫婦で初詣に出かけました。帰りにプリンを買って会いに行きました。 今年は100歳でおめでとうと言いましたが、本人には実感が無いようです。 家内の母親がまだ健在でいると思っているので、その話をしましたが、 我々はこの頃,母が何も言っても否定しないようにしています。

2005年1月2日 孫2人の慰問

息子(恭)と娘(晶)が新年の挨拶へ行った。本人達の名前は直ぐに言えたので、
喜んで報告してくれたが、我々夫婦の名前は言えなかったとのことである。

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2004年12月22日  クリスマス会(MOVIE) 

11時55分:クリスマス会に行く。
会場は1階で、母はすでに2階から移動していた。
母の横と前に準備されていた席に、座りました。
(入所者以外の出席は我々二人だけでした、さびしい!!!)
職員多数とデイケアーの人達を加えて12時から始まりました。
12時:理事長挨拶
12時15分:会食開始
13時頃から:地元のフラダンス愛好者による演技をみる
13時半頃から:クリスマス・ソングをみんなでオルガンの伴奏で歌う
14時:散会して車椅子の人達から2階へ帰る、我々も帰りました。

クリスマス会
クリスマス会・MOVIE
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2004年12月7日

12月の誕生会には私1人で参加する。
22日に行われる予定のクリスマス会には息子と2人で参加する予定です。

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2004年12月6日

妻と2人で面会に行く、母は施設に慣れてきたのか、元気に昨日は 沼津へ行ったと言っていました。 新しい変化としては、5人室から2人室に移りました。

2004年11月7日

妻と2人で、母の髪を切りに行く。面会室は片付いてきれいになっていた。

2004年10月23日 施設の様子

息子と面会に行く。面会室がだんだん物置化して、乱雑になってきた。 面会人が富Xの場合少ないのかも!!

2004年10月12日

御殿場市から送られてきたインフルエンザの予防接種の割引券を富Xに届ける。 母と面会し、話し相手をしながら、様子を見る。

2004年10月7日

姉と2人で面会に行く。八重さんは姉が持参したケーキをおいしそうに食する。      母のアルバムへ

2004年9月25日

姉が母の為に作った、拘束用具といえない、安全のためのものである (車椅子からの転落を予防するための物) 2着が郵送されてきたので、届けに行く。

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2004年9月19日 白寿の祝い

白寿の祝をするために富Xへ3人で出かける。 川島田婦人会から午前中に贈られた、白寿のちゃんちゃんこを着て、 喜んでいる八重さん。

    母のアルバムへ

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2004年9月17日

母の拘束用具といえない(車椅子からの転落を予防するための物)の サンプルを姉のところに郵送して、2着作成してもらうことにしました。 姉がミシン掛けを得意としていることを忘れていました。 明日、手縫いの一着ができたので、八重さんに喜んでもらえると思うので 富Xへ出かける予定です。

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2004年9月16日

午前中, 無事にわか葉から富Xへの引越しが完了しましたが、 1つ心配事ができました。わか葉で自動車に乗せる時、八重さんがちょっ と私たちが油断した隙に車椅子から立って少し歩いたことです。 歩く事は子供としては、ありがたい事ですが、また、骨折して八重さんが イタイ、イタイと泣くことは避けて欲しいのです。

そこで、富Xに着いた時、ケアーマネジャーにそのことを、話して、ある 程度、拘束(車椅子から自力で立上がりをして、転落することを予防する ため)して頂きたいとお願いしたところ、始めのうちは 厚生省の通達により、拘束はできないとの一点張りでしたが、最終的には ある程度、折れて頂き、当面は我家がわか葉で使用していた拘束用具(車 椅子からの転落を予防するための物)を作り、それを使用することで合意 しました。(施設長さんの口利、その他により)

しかし。厚生省も矛盾した通達を出していると思います。 なぜか、特別養護老人福祉施設にはリハビリの施設も無いし、リハビリを 行う人もいないのです(国がもっと福祉予算を付けるべきです)。 このような現状で、左大腿骨を骨折した、99歳の老人が一人で転倒せず、 まともに骨折もせず歩くことができるでしょうか。

特別養護老人福祉施設や老人健康施設にこのような通達を出す前に、福祉国家 日本、老人を大切にする国家であれば、このような施設にもっと予算をつけ て、国税を出すべきです、それでこそ、我々国民は安心して老後を送れるし、 年金などでこのような施設がもっと多くできれば、安心して、加入できるし、 我々国民の税(消費税その他の税金)が生きるのです。

役人はなにを見て、このような通達を出すか、ただ、日本の介護費用を増大 させない為、出しているとしか思えません。 施設の説明では拘束すると、ボケの進捗が早くなるとのことですが、私には 納得できない理由です。(役人は自分に都合の良い理由だけは採用する) 体、有っての頭か、頭、有っての体か、どちらも大切なのです。もし、拘束 がダメなら、リハビリがあってしかるべきです。(脳の活性化と健康な体を 取戻す為、かなり無理があると思う)

午後にわか葉へもう一度行き、そして拘束用具(車椅子からの転落を予防する ための物)を我家で作る為の雛形として、一つ貸していただきました。 これを持って帰りました。妻に手縫いで作ってもらうため、 (市販品がない、厚生省の通達により、ヤデスネ)

途中で再度、富Xに用事もありましたので、八重さんに買った折り紙を持って、 行きました。午前中に隣の人が楽しそうに折り紙を折っていたのを見て、 八重さんに訊いたところ、興味がありそうなので。

八重さんは風呂あがりで元気にしていました。隣の椅子に座っている人は87歳 母と丁度一回り違う巳年の正子さんでした。

わか葉と違う拘束用具を富Xが探しくれて、それを着けていました。一安心です。

富Xとわか葉の違うところ、差入れのおやつは自由です。なにを食べさせたか、 事後報告すればOKとのことです。 富Xの廊下の壁に、敬老会の記念写真が高齢順にきれいに 貼ってありました。それによると最高年齢100歳でした。 八重さんはこの施設では多分2番目の高齢者になるはずです。すばらしい!

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2004年9月10日

富Xからの返事があり、入所日が9月16日に決まりました。

2004年9月9日

今日の静岡新聞から、静岡県の100歳以上の長寿者番付が掲載されていた。 それによると、100歳以上は688名、男:女=5:1で、最高年齢は112歳 の女性で、全国でも2位だそうです。 母は99歳ですから、来年は総理大臣から、何か記念品を頂ける事が書いてあり ました。 今年の「敬老の日」には、母の替わりに、私が白寿のお祝いの記念品を受取り に近くの公民館に行かなければなりません。(市のお祝いなので)

2004年9月8日

御殿場虎ノ門病院、付属の老人健康保険施設、あすなろから電話があり、 かねて申込んでいた、順番が来たので入所が可能になったとの事です。 なんでしょうかね!(富Xからの返事により、考えなければ ならない、とりあえず1WEEK待ってもらうことにした。)

2004年9月3日

私&母(八重)と富Xの看護婦&ケアーマネジャーがわか葉 において、母と面接する。入所決定結果は9月8日以後になる予定。

2004年9月1日

わか葉(老人健康保険施設)から⇒特別養護老人福祉施設富X へ健康診断書を提出。 (特別養護老人福祉施設富Xから面接通知の連絡を待つ) 午後に電話連絡あり、

9月3日(金)

午前10時に、 私&母(八重)と富Xの看護婦&ケアーマネジャーがわか葉 において、母と面接する予定の通知がありました。

母は今日も、一昨日もわか葉で元気に過ごしていました。(わか葉に行った ついでに母の様子を見る)

2004年8月30日

特別養護老人福祉施設富Xから電話があり、かねて申込んでいた (申込みは2003年初頭に行いました) 順番が来たので入所のための健康診断書を提出してもらいたいと要請がありました。 電話は朝の7時半ごろでした。私はまだ寝ていたのですが、電話で起され、 朝早くなので、また、母に何かあったのか、ちょっと不安のまま、受話器をとり 富Xからだと知り安心しましたが、富Xのケアーマネジャーは朝早くから働いて いて大変な仕事をしているなと感じました。 世の中では介護保険の不正請求だとか、騒がれていますが、そのような、一部の 人達のため、大多数のまじめに働いている人の気持ちが傷つけられていることは、 遺憾なことです。)

特別養護老人福祉施設富X(有期入所でない施設) から⇒わか葉へ健康診断書用紙を持って行く。 (我家からさらに近くなる、御殿場市にある)

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納涼祭

2004年7月24日

  この頃の高温傾向にある中、納涼祭が行われて、暑さで老人達(私も含めて)は
大丈夫かと、危惧を持ちながら息子と参加しました。
15時35分:
わか葉到着。受付を済ませ、母の居場所を聞いたところ、日なたに母を含めて
皆さん、麦わら帽子をかぶり、沖縄民謡の太鼓を聴いていました。
その後、理事長さんの挨拶があり、スケジュールは進んでいきました。
15時40分:
日陰を見つけて移動しました。(母よりだらしが無いのですが、私がダウンしそうなので)
母いわく、ここは風があって気持ちがいい。(チョット、近くで行っていた鉄板焼きの油が)       

16時30分頃:
日が陰って過し良くなる(阿波踊りを母は知らなかった、昔、明治生まれの
人達はテレビもなかった時代に育ったので、記憶の中に盆踊りは有っても東京生まれの
母には阿波踊りの記憶は無いのかもしれない。)
17時05分:
施設長の富田医師が閉会の挨拶をして、納涼祭は無事終了しました。
17時10分:
3階のいつもの母がいる、テレビの前につれていきました。その後、母が汗をかいて
いるということで、着替えさせてもらいたいという、施設の人の言葉で居室に連れて
行き、着替えを出してくれたので、息子と二人で着替えさせました。

(男二人の着替えの手伝いは、母が、はずかしく、いやがるかと思いましたが、
私の杞憂でした。息子と私には、母が家にいたとき、このような経験はない
事なので、良い経験になりました)
17時30分:
夕食が始まり、家族の人達も少なくなったので帰宅することにしました。

納涼祭で母が喜んでいたこと;
  盆踊りで炭鉱節を手拍子をとり歌ってたこと、そのなかで、上記の写真のように施設の
人との温かい会話ができたこと。(写真の中で、手だけでスイマセン、施設の人へ)
母いわく、若葉町の人達がいないわね!そうだね!息子と苦笑い。(東京都新宿区若葉町の事)

私の愚痴、もう少し涼しい季節にイベントを考えてもらいたい。(年寄り主体の)
例えば、閉鎖的と言われるかもしれないが、午前中 に施設の人、ボランティアの学生、そして、
入居者とその家族だけで、普段、入居者がやっている、ゲームをやるとか、外から招いた
ボランティアの盆踊り等を見せ、あるいは参加できる入居者にあらかじめ踊りを教えておく
とかして参加させ、入居者主体のイベントにできればいいと思います、(その他カラオケ等々)
その後、家族ともども昼食をとり散会する等ですが、あくまで、これは私、個人の愚痴です。
(誤解かもしれませんが、確かに、施設のある地域の人達の理解を得るのも大切だと思いますが)


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母のリハビリ

2004年5月25日

  母のリハビリを見せてもらう。平行棒に?まり、立ち歩きする。スバラシイ!!
この後、施設長、事務長、看護婦さんと私でこのHPに関するざっくばらんな
意見の交換をしました。

このHPは私的な見解を述べているもので、このHPを読んで、おかしい事や
質問等があればどしどし、読者諸氏が掲示板に書き込んでもらいたい。
私が間違っていることが多いと思いますので、その時は訂正して、お詫びします。
又、施設等に疑問のある方は、施設に問い合わせてください。

2004年5月24日

  わか葉から電話をもらう、一瞬、母に何か有ったのか不安がよぎる。
ケヤー計画の説明であると言うので、安心する。

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母の入退院
2004年3月18日

風雨強気中、退院し、わか葉へ移送しました。

2004年3月17日

虎ノ門を3月18日に退院予定。

2004年3月15日

私の病気で前田脳神経外科へ3度目の診察を受けに行き、その帰り隣の、母の所へ行くと
ナースステーションに車椅子で居ましたので、部屋に連れ帰り、昨日、東京で買った、
京土産のワラビ餅を食べさせました。うまいと言い、喜んでいました。

2004年3月14日

私達が20年前住んでいた、新宿区若葉町の家へ行く。
母が現在、居る場所がわか葉で、御殿場に来て20年、その前、過去70数年間、
住んでいたのが若葉町、なにかの偶然か!!!  

2004年3月9日
姉夫婦が見舞いに来る。 

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2004年3月2日

家内と二人で見舞いに行く。
昼食を終えたところで、全部残さずにきれいに食べていました。
母のこの食欲では、後10年は大丈夫そうです。ここ虎ノ門病院は付添いさんが
沢山いて、食事が終わると「歯磨きしましょう」とか、母にとっては
ここに居た方が良いのかもしれません。前のベットのおばあちゃんは全部ゼリー
食を口に運んで食べさせてもらっていました、大変な時間がかかるだろうと
思います、事実、この時間で半分以上、残っていました。

2004年2月28日

AM09:30  わか葉のケヤーマネジャー、田中さんから電話があり、後どの位、入院するのか?
問合せが有りました。(後1ヶ月位かな)
PM14:30  家内と二人で見舞いに行く。私は今日、英男(私の兄)に成りました。

2004年2月21日

家内と二人で見舞いに行く。
ベットはもぬけの殻であった、ナースステーションに車椅子でいました。
部屋に連れ帰って、テレビを点けたら、笑福亭仁鶴の落語の放映中で、
母は「仁鶴は前と変わっていないわね」と言っていた。

2004年2月14日

息子と二人で見舞いに行く。
点滴の針を刺す最中で、痛がっていた。両手が点滴の後で、紫色になり、
痛々しいです。骨折は忘れている。

2004年2月11日

家内と二人で見舞いに行く。
母は元気に昼食の最中であった、部屋の他の住人は食事が済んでいるが、
看護士が来たら、母は残すのは勿体無いと言い、悠然と食べている。
昨日まで心配したのが嘘のようである。足腰も痛がらず、すこぶる元気である。
多分、朝、着替えたのか、浴衣からパジャマになっていた。

2004年2月10日

PM13:00 虎ノ門整形外科病院へ姉、家内、長女、私と4人で行く。
母の前に手術室へ入った人の身内の話:
年齢は母より1歳下の97歳、女性、2度目の手術。前回の大腿骨骨折の
手術は成功し、順調に回復していたが、リハビリ中に転倒骨折した。
母のリハビリが手術の前から心配である。
PM19:00 手術が終わり、回復室へ移動する。
PM20:20 担当医河合先生から手術の結果を母、家内、私と3人で聞く。
母はいたって元気そうである。母は先生にお礼の言葉などをかける。
母にオヤスミを言って帰宅する。夜中に麻酔が切れて痛がらなければ良いが!
リハビリの話しが先生の口から早速、出ました、さあ、どうしましょうか? 
車椅子生活でもいいかな!

母の手術 大腿骨骨折入院

2004年2月10日

PM13:00 虎ノ門整形外科病院へ姉、家内、長女、私と4人で行く。
母の前に手術室へ入った人の身内の話:
年齢は母より1歳下の97歳、女性、2度目の手術。前回の大腿骨骨折の
手術は成功し、順調に回復していたが、リハビリ中に転倒骨折した。
母のリハビリが手術の前から心配である。
PM19:00 手術が終わり、回復室へ移動する。
PM20:20 担当医、河合先生から手術の結果を母、家内、私と3人で聞く。
母はいたって元気そうである。母は先生にお礼の言葉などをかける。
母にオヤスミを言って帰宅する。夜中に麻酔が切れて痛がらなければ良いが!
リハビリの話しが先生の口から早速、出ました、さあ、どうしましょうか?
  車椅子生活でもいいかな!

入院

2004年2月9日

虎ノ門整形外科病院へ家内と行く。
主治医の河合先生から、明日の手術方法、合併症、リスク等の話しを聞く。
98歳ということで、かなりのリスクがあるみたいです。
手術しても、しなくても、もう神頼みしか無いみたいです。

明日の手術がうまくいくように三島大社へ病気治癒のお参りに行く。 

2004年2月8日

家内と私で見舞いに行く。母は穏やかに寝ていたので、声をかけず、様子を見て
洗濯物の浴衣とタオルを持って帰る。ベットから上半身、上に傾けてありました。

2004年02月7日

  PM13:30 私、家内、息子、3人で見舞いに虎ノ門病院へ行く。
母はベットから降りようと、もがいていた、なんでと聞くとトイレへ
行きたいと言う。母は昨日骨折したことを忘れていた。排便と排尿のことを
何度も家内と私で説明したが、その時は解るが直ぐに忘れて、又、トイレへ行きたい
と言う。洗濯の下着を持って帰る。

PM16:00 虎ノ門から電話があり、9日のAM10時に手術の説明をするのでと来院依頼があった

母の事故、怪我

2004年2月06日

AM09:00 わか葉より、電話で、母が今朝6時頃、他人の部屋に入室して、そこの入居者に
突き倒され、その後、疼痛を訴えているとの報告で、これから隣接の東名裾野病院
へ行き診察を受けるので、直ぐ来て欲しいとのことでした。
ケヤーマネジャーの田中さんは「スイマセン」と謝る。

AM10:00 わか葉へいくと、まだ母はベットに横たわっており、移動ベット
(ストレッチャ)に移す作業をするところであった。
ストレッチャに移すとき、母は大変、痛がって、見るのが辛いほどでした。
看護婦の杉山さんが付き添い、東名裾野病院へ5分間位で移動が終わると、
1時間位病院ロビーで待たされました。

その間の母との会話:

私 「どこが痛いの」?
母 「何時も世話になって申し訳ない、裕子さんにもよろしく」
私 「そんなことはいいよ、どのくらい痛いの」?
母 「自動車には気をつけて、帰ってね」
私 「大丈夫なの」?
母はそうこうしている間に、眠ってしまい、少し安心する。
施設長の冨田医師が来て「スイマセン」と謝る。

AM11:00 レントゲン撮影に入る、中から悲鳴とも聞こえる母の痛がる、声が聞こえる。
又、その後、1時間位ロビーで待たされました。

  その間に看護婦の杉山さんと世間話をしていた時、平成17年ごろにわか葉系列の
特別養護老人ホームが裾野市の茶畑に開設するとの情報を得たので、
早速、ケアー Mの田中さんに入所依頼をした。

PM12:00 東海大から派遣された、整形外科医師より、左大腿骨折との説明が図を描きなが
ら、説明を受けました。東名裾野病院では手術設備がないので、御殿場冨士病院で
手術を受けるとの説明があり、「98歳の高齢なので大丈夫ですか」と質問したところ
医師は、「100歳以上の人でも、この手術をおこなっている」と回答した。
その後、施設長の冨田医師が来て、御殿場、虎ノ門整形外科にしか、空室がないので、
虎ノ門整形外科病院で手術すると報告した。

PM12:15 救急車のストレッチャに移す作業を看護婦さんの指示で行い、移送する。

PM12:40  虎ノ門整形外科病院へいき、ロビーでまた、1時間位待ったあと、
救急室のドアが開 き、看護婦の杉山さんとケヤーMの田中さんに付き添われた母が出てきました。
この後、病室の準備が出来るまで、点滴処置室みたいなところで1時間位待たされ、
その後、又、レントゲン撮影をおこないました。

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PM14:00  202号室に移動し、又、ストレッチャからベットへ母の体の移動が
行われました。母が「もう何もしないでと悲鳴を発しても、お構いなく
慣れた手つきで、看護婦は左足のけん引を行う処置と、排尿の管を取り
付ける処置を行いました。

PM14:10  看護婦、杉山さん、ケヤーM田中さんと運転手の三人が帰りました。

PM14:30  1時帰宅して、入院同意書と手術同意書に署名、捺印して、家内と二人で、
又、 虎ノ門病院へ行きました。(浴衣2枚持参して)手術は2月10日です。

PM15:30  帰宅。

事故の問題点:

1.常日頃、部屋を間違えていたので、前回、姉と二人で見舞いに行った時は部屋の入り
口に母の名前が大きな紙に書かれて、掲示されていたが、事故前日に行った家内と息子
からの報告にも名前の書いた紙が無くなっていた。事故当日、私も無いことを確認した。

2.看護婦とケヤーMにその事(名前が大きな紙に書かれていた掲示が無くなっていた)を
質問したところ、入居者の誰かが取って、破いてしまうとのこと。

3.入居者の部屋の表示が「3丁目5番地」で入居者の名前が小さく表示されている。
ボケ病棟なので、大きな表示に変えればいいと思う。
でも、ボケてるとやはり分らないかもしれません。

4. 後で分かったことですが、この大腿骨骨折は年よりが寝たきりなる最大の原因だとの
ことです。


母の新しい綺麗な入居先

2003年12月

 老人保健施設 わか葉にて、2004年9月19日、白寿を迎える。
2003年11月2日 裾野に新しくできた、わか葉(介護老人健康施設⇒入所期間が有る) に入所しました。
新築で、すばらしく、きれいな所です。
  自宅からも近くなり安心して、あずけられます。 今後このような施設が多く
できればいいなと思います。
この頃の母の状態:1日の寝ている時間が長くなりました。だんだん赤ん坊に
近づくみたいです。

2003年10月29日

夢の樹の郷を退所しました。

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最高齢 98歳表彰(夢の樹の郷、所長のインタビューの模様)

母のアルバムへ

10月8日

裾野市に11月開所される予定のわか葉の紹介書を渡辺整形で書いてもらい
提出する。 入所決定は10月15日すぎか?

9月17日

夢の樹の郷との間で10月末までに退所することの口約束を交わす。

8月26日

夢の樹の郷から連絡あり判定会の結論の説明をしますので来て下さい。
8月になりあすなろから緊急「入所説明会」がありますのでと連絡があり、
でかけると、あすなろでは一度入所した人は家族の承諾がない限り退所しなくて
いいという話、夢の樹の郷とは違う、施設の状態があり驚く。

このあすなろの方針は特別養護老人福祉施設と同じである。

2003年4月19日

  夢の樹の郷(介護老人健康施設⇒入所期間が有る)入所しました。
3ヶ月の予定ですので、退所予定は7月18日ですとのこと、
まあいいかと思い、契約書を交わす。

7月になり、母の具合はボケも平行線で所内で楽しくやっているので、
このまま入所がつづくといいなと思っているが、退所予定日が近づき落ち
着かないので、夢の樹の郷へ出かけると、「すぐに出て行け」とは言わ
ないとのことひとまず安心する。

2003年早春:

御殿場虎ノ門病院、付属の介護老人健康施設|、あすなろに
入所申込をする。あと1年位、入所までかかりますよと担当者にいわれ、唖然。

それから、ケアーマネジャーに相談すると三島に新しい施設ができるので申込を
してみては言われ、申込をする。
待つこと久し、3月はじめ頃、三島の夢の樹の郷から連絡あり、入所が決まりま した、
夢のような朗報が飛び込んできました。

2002年11月からの経緯

あすなろで2002年暮れからデイ・サービスとショートステイの介護を受ける。

11月10日:

プリペイド携帯電話を購入する。私が留守のとき、何か家であったら電話
で知らせをいれてもらうため。

11月8日:

市から判定の為。聴き取り調査員がきました。おばあちゃんはあまり、外の人
と話すことが、この頃ほとんど無いので、それが嬉しくて、本人は真剣に受け答えを
するので、普段は大分、ボケているのですが、この時とばかり、いろいろなことを話
します、これでは介護保険の対象になるか、不安に思うほどでした。

いま、さし当ってやってもらいたい事は、入浴のヘルプです。後、もうすこし良くなったら
デイサービスをしてもらいたいです。

11月6日:

福祉課へいくと、申請書に記入して下さいと言われ、記入しながら話をしていると、
どちらの医師が主治医ですか、と聞かれ、医者に見せていませんというと、
それでは申請はできませんとのこと、あわてて整形医のところにいき、往診を
お願いして診てもらいました。(福祉課の人に電話で初めてなので良く解らないと、
言ったのにお役所仕事とはこんなものか思いました)

2002年11月1日:

夜中にトイレに行こうとして、本人いわく転んだそうです、それ以来トイレまで歩く度に
イタイ、イタイと悲鳴をあげています。(母は我慢強く、痛いということは滅多に言わない
人でした、眼の上からの出血も多くあり)

そこで介護保険で面倒を見てもらうつもりで、手続きをしようと、市の福祉課へ
電話しました。申請に来て下さいと言われました。

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2001年10月 元気な頃;

家の前、元気で少しボケた頃の八重さんの写真。
母は明治38年9月19日生まれ、100歳巳年です(2005年10月現在)。

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目次
11. 2009年03月 頭部ケガで入院処置。
10. 2008年09月 103歳・市長の表敬訪問。
9. 2007年09月 102歳・市長の表敬訪問。
8. 2006年09月 101歳・市長の表敬訪問。
7. 2006年04月 老人虐待と言う名を借りた、現場を見ない行政について。
6. 2005年09月 100歳の祝
5. 2005年05月 肺炎入退院
4. 2005年02月 風邪
3. 2005年01月 孫2人の慰問
2. 2004年12月 クリスマス会
1. 2004年10月 施設の様子
0. 2004年09月 白寿の祝い
9. 2004年09月 老人健康施設から養護老人福祉施設へ移入
8. 2004年07月 納涼祭
7. 2004年05月 怪我のリハビリ
6. 2004年03月 怪我からの退院
5. 2004年02月 大腿骨骨折入院
4. 2003年12月 老人健康施設「わか葉」に移入
3. 2003年春
2. 2002年11月からの経緯
1. 2001年10月 元気な頃

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