第51回全日本登山体育大会

【2012・10・27〜11・1】

10・27・丸岡城・散策 

 27日、6時半の定刻に福井駅に着き、先輩両氏の計画で、丸岡城の散策に出かけました、日本最古の天守閣が現存するのだそうです。

 

丸岡城近く・御神木

 お城へ行く道のお寺の近くにある御神木です、タブの木だそうです。

 

切支丹灯篭

 灯篭の火袋を支える竿石に観音像に似せたマリア像が彫られ竿石の上部に膨らみをもたせて十字架をかたどっている、おそらく信徒が密かに礼拝したものと思われます〔説明書き〕

 

丸岡城

 現存する最古のお城だそうです、国指定の重要文化財です、国宝の彦根城、姫路城、松本城と比較すると少しばかりがっかりするかも知れません、町の有志によるガイドも行われています、弘前城に毛が生えた程度だと思えば納得できると思います、小さくこじんまりとしています、入城料金は300円、別館の歴史資料館にも入館できます、展示物には期待しないほうがよいです。

 

日本一短い手紙〔要領を得た〕

 ご存知だと思いますが、必要な要件だけを最も手短に述べた手紙として有名、【一筆啓上火の用心,お仙泣かすな、馬肥やせ】の碑です、本田重次が妻に送った手紙、

 筆をとって書いて申し上げる・・・・・

 

丸岡城の天守閣

 丸岡城の天守閣です、戦国時代の1576年に築城された丸岡城は国内に現存する12の天守閣の中で最古の建築様式を持つといわれています。

 

ツワブキ

 石垣の割れ目や、空き地に黄色い花を咲かせていました。

 

お静の墓〔右〕

 天正三年、丸岡城主柴田勝豊が築城の際、息子を侍に取立てられることを約束に人柱なったお静の墓、息子は侍に取立てられませんでした。

 

丸岡城の鯱

 この鯱はもともと木製銅板張りであったものを昭和15年〜17年の修理の際、石製に改めたものです、戦時中であり銅板の入手が困難で天守閣の石瓦と同質の石製に作りかえられたものですが、昭和23年6月の福井地震で落下、昭和2730年の修復の際、もと木製銅板に復元した。

 

夜の交流会

 全日本登山体育大会のです、交流会ではアンデス民謡が演奏されました、千葉駅前で演奏されている音楽です。

 

 

10・28・取立山(1,307m)

 取立山は白山連峰を間近に見るミズバショウで有名な加越国境の山〔加賀と越前の国境の山々〕、登山経験のない人でも、ミズバショウの咲く山として多くの人に知られており加越国境の山々の中では、一番ポピュラーな山となっています、秋にはナナカマドの紅葉やミヤマリンドウを楽しむことが出来ます。

 

東山いこいの森から登山口へ

 朝からうっとうしい天候でした、福井駅を定刻の7時ピッタリに出ました、33名が大型バスで東山いこいの森に向かいました、バスを降りると直ぐに雨具の着用です、駐車場の登山口までは舗装された緩い登り道です、雨に濡れた紅葉はなんともいえません、雨でなければ最高のロケーションを楽しめるのですが、33名の参加者の中に不心得者でもいるのかな?

 駐車場から舗装された林道を40分程歩くと、駐車場の登山口です。

 

落葉樹の紅葉

 私には、周囲がこのように、全山の紅葉は何年ぶり、何十年ぶりでした、針葉樹がほとんど見当たりません。

 

取立山の山頂

 取立山はミズバショウで名が知られています、この時期は観ることが出来ませんがとても登り易い山です、

 ゴロゴロした礫の道です、周囲の紅葉に目を奪われました。

 

取立山・山頂から避難小屋方面

 目の下の紅葉、真っ赤に見えるのですが雨の中なので好い写真が取れません、赤いのはナナカマドやカエデの仲間です、黄色く見えるのは、コナラ、ミズナラ、ホウ、カンバの仲間です。

こつぶり山

 計画ではこの山頂で昼食の予定であったが、降雨と強風により、避難小屋に変更になりました、クマザサ、ツゲ,イチイを除けば全て落葉広葉樹です。

 

滝谷の大滝

 大滝近くはトラロープがフィックスされています、岩が雨で濡れて滑りやすいです、林道終点駐車場まではゆっくり、20分程です、今日一日雨に濡れてしまいました。

 

10・29・日野山(795m)

 日野山は越前市と南越前町の境界にそびえている、718年に泰澄大師により開山された越前五山の一つで小健山(オタケヤマ)とも越前富士ともいわれる、万葉の歌人や紫式部の歌にも詠まれています、継体天皇が皇子だったころこの山に登り,かがり火を焚きながら一夜をすごし、御来光を拝したと伝えられる、現在も7月の第三土曜に夜間登山をして日の出を拝する慣わしがある。

 

日野神社口

 私達は日野山神社側から登りました、

日野山神社の祭神は継体天皇とその子、安閑・宣化両天皇の3社であるが、これは継体天皇の得を慕って祀られたものといわれています。

 

焼餅石

 焼餅とは昔この地方で、クズ米に菜の干したものを混ぜてついた餅を焼いたものに、よく似ているところから名付けられたようです。

 

石の唐戸

 昔、この中平吹の里に館を構えていた僧兵、佐々生光林坊が追われてこの洞穴に隠れたと伝えられています。

 

弁慶の三枚切り

 昔、武蔵坊弁慶がこの山に登り、この石を三枚に切って力を試したと伝えられています。

 

日野山山頂

 日野山山頂です、左が野口先輩、右は金沢先輩です、山頂には立派な祠が祀られています、山頂からは東西南北の展望は素晴らしいです、明日登る予定の冠山、能郷白山が確認できました。

 

比丘尼ころがし

 

 比丘尼ころがしは大比丘尼と小比丘尼に別れています、ロープがフィックスされていますが、一枚岩状で足がかりが乏しく非常に滑りやすくなっています、大小をあわせると300bを超えます、写真で見るとフラットに見えますがそうではありません。

 雨が降ると厄介な存在です、落ち葉も濡れると滑り手に負えなくなるので慎重に下りたいものです。

 

大比丘尼の説明板

 昔このお山は女人禁制で、女子は登山が出来ませんでした、たまたま尼僧〔比丘尼〕がこの掟に反して登山をしたところ、ここで山の神のお怒りに触れ転げ落ちたのでこの名が生まれたと伝えられています、そう書かれています、登山道は日野山神社からは巻き道と古道〔ほぼ直線状〕があり、巻き道は時間が掛かります、大・小比丘尼は古道になります。

 

 

10・30・冠山(1257m)

 冠山は山名の由来が烏帽子冠であることに誰もが納得する姿をしている、福井・岐阜県境の冠峠から眺めると烏帽子の先端が空を突き上げるような容姿を見せる、思わず納得してしまう、森林文化協会ほかが選定した【21世紀へ残したい日本の百選】に選定されています。

 

冠峠の先輩達

 今日の予報は雨でしたがどうやら半日ほどはもつようです、ここにいると自分達まで色付いてしまったような感覚に陥ります、不思議な世界です。

 冠山にはこの標識、揖斐川源流・冠山のある方向に登ります。

 

冠峠付近からの冠山

 紅葉した樹林の向こうに小さな烏帽子状に見えるのが冠山です、見渡す限りの赤い世界です。

 

冠山

地図上の1156bの位置から冠山です、全山赤く色付いているのが分かります、色付いていないのはクマザサ(ネマガリタケ)です、山頂直下には鎖場が二箇所あり、雨に濡れると手ごわくなります。

 

冠山の山頂

 冠山山頂でくつろぐ、両先輩です、周囲にはこの山より高い山がありますが、この山が一番姿が好いようです、鎖場もあり、スリルもあるので人気があるようです。

 

冠山山頂

 

 冠山の山頂は狭く、岐阜県側(南側)が切れ落ちていますので注意が必要になります、私達だけの静かな山頂を味わうことが出来ました、周囲は真赤な世界です。

 

登山道脇の紅葉

 先々週の大樺沢より数段すばらしい紅葉を味わうことが出来ました、移動するのが惜しい位です、故・八代先輩、故・御園生氏〔みっチャン〕や市川さん(クニチャン)達とテントの中に落ち葉を一杯入れてガサガサさせて寝たことが思い出されました、体が埋まるほど集めて寝たのでした。

 

見事な紅葉

 写真の撮り方がまずくて上手く表現できません、見渡す限りが色付いていました、赤や黄色、橙色の国に来たようです。

 

道路わきの地蔵様〔冠峠〕

 冠山登山口の反対側に祀られています、木造です、赤い頭巾を被っています、この地蔵様の脇を登ると金草岳方面です。

 

登山口で昼食

 冠山を登ってきてから昼食にしました、昨夜の残り物の赤飯とカップヌードルでした、大変美味しく頂けました。

 

 

10・31・能郷白山(1617m)

 能郷白山は真名川の源流に位置し雄大な山容を誇示する、福井・岐阜県境稜線の最高峰です、日本海と太平洋の分水嶺にもなっています、福井県内では数少ない一等三角点の山の一つで、頂上付近にはニッコウキスゲやシモツケソウなどの高山植物が群生している、この山の開山は泰澄大師といわれています、頂上には熊野白山権現社が祀られています。

ストレッチの先輩

 温見峠(ぬくみとうげ)に着くと、肌寒く、手がかじかんでしまいました、先輩達が体をほぐしています、道路も朝方の雨で濡れています。

 登山するよりこの峠から周囲を撮影をするだけの人の方が多いようです。

 

1492mのコブより岐阜県側

 急登であると、どの案内書にも書かれていなかったので取り付いてびっくりでした、部分的には北岳へ向かう白根御池までの登山道を急にしたようです、登山道はこちらの方が手入れされて、良いのですがフィックスロープが三箇所ほどあります、上部は泥、半ピート状になっていて雨だとぬかるんでひどい状態になります、かなり急登なので時間を掛けて登ることです。

 

能郷白山の山頂

 一等三角点前での野口、金沢先輩。

 

もう一つ能郷白山の頂上

 一等三角点のある頂上より、数分歩くともう一つの山頂です、熊野白山権現社が祀られています、その裏手に掲げられていた標識(能郷白山)です、どう見ても一等三角点が埋設されている方が高いように思われます。

 

熊野白山権現社

 どう見ても、こっちの方がが見晴らしがよいのでこちらに集まるようです、能郷谷からの登山道もハッキリと確認できます、登山案内書は能郷谷からの物も見られます、能郷谷は名桜の薄墨桜で知られています、一度は観てみたい桜です。

 

一等三角点から熊野白山権現社

 平地状、いや細長い台地状の方がしっくりする、頂上付近からは360度の見渡す限りの展望が利きます、中央付近に見えるのが熊野白山権現社です。

 

温見峠方面の紅葉

 

 どうですか、この紅葉は、一本だけ杉が生えています、頂上付近のダケカンバの葉はほぼ散っていました、ナナカマドも同じく落ちています。

 

 

 

11・01・赤兎山

 赤兎山は福井県と石川県の県境にあり白山国立公園の南西部に位置しています、山の形がうさぎのように丸みを帯びているため赤兎山と呼ばれるようになったのではないかという説があります。

 山頂からは、白山や荒島岳、経ヶ岳,大長山などの素晴らしい展望が望めます。

 

小原峠・赤兎山登山口

 赤兎山に登るべく、一昨年荒島岳に登る際に宿泊した勝原(かどはら)の民宿、林湊(はやしみなと)に30日の夕方予約の電話を入れました、安くて親切、食事も美味しかった、それが宿泊の理由です(5500円です)。

 民宿には昨日の14時半前に着きました、入浴をして昨日の残り物のビールを飲んで食事でした、想像していた通りの田舎料理でしたが、金沢、野口先輩は料理を食べきれず残してしまいました、健啖家の野口さんでさえ食べ切れませんでした。

 昨夕の天気予報では,今日の天候は芳しくない予報でした、風は30b近くで、雨の予報でした、それでも朝食は五時にお願いをしてあったので、予定通り朝食をいただき、六時前に林湊を出発して小原峠に向かいました、小原部落で入山料一人300円を支払い小原峠に向かうも大雨に会い、登山は中止にしました、小原部落では300円を返却してくれました、私達が自分で行動を中止したのに返却をしてくれました、いかにも田舎の人の素朴さを感じさせてくれました。

 

雨の中の紅葉

 

 

 雨の中の紅葉です、日差しがあれば素晴らしい紅葉を楽しめるのに残念ながら止む気配が一向にありませんでした、道が狭く対向車があったらどうなるの、そんな心配をしながらの走行でした、乗っていてもビクビクでした。

 

福井県立恐竜博物館

 

 昨日から今日が雨であったら中止して恐竜博物館に行こうと話し合っていたので躊躇することなく変更してしまいました、金沢先輩の話によると幕張メッセの恐竜博より規模も大きく面白いといっていました、私も楽しく観ることが出来ました、9時の開館です、70歳以上の人は、入館料金は無料です、私だけ入館料500円を払うことになりました。

 残念でした !

 

平泉寺・白山神社

 今の平泉寺(へいせんじ)は町名であってお寺の名前ではありません、平泉寺にある白山神社です。

平泉寺は白山(2702b)の登拝口に開かれた山岳寺院である,創建は養老元年(717年)とされ白山を開山した泰澄大師により開かれたと伝えられます、古代から中世後期には、白山信仰の拠点寺院として大きな宗教勢力となった、最盛期には四十八社、三十六堂、六千の坊院(僧侶の住居)が寺内に存在し、寺領は九万石・九万貫に達したという、しかし、天正2年(1574年)に一向一揆との戦いに敗れて全山消失した、間もなく中心伽藍は再興されたが、六千坊と呼ばれた多数の坊院は再興されることなく山林や田畑の下に埋もれた、そして、明治初年の神仏分離令により、平泉寺が廃止されて、白山神社となりました。

平成元年度から始まった発掘調査では、白山神社境内から数百b離れた場所からも中世の平泉寺に関連した建物跡や遺跡が見つかり、かつての境内が東西1.2`、南北1.0`の広範囲にわたることが分かり、これらの貴重な歴史的遺産を保護し、後世に伝えていくために、平成9年にはかつての境内のほぼ全域約200fが国の史跡に指定されました。

また、平泉寺の背後の尾根上には白山山頂への登拝道である白山禅定道(越前禅定道)がある、この道沿いには今も多くの旧跡が残されている。

 

常夜灯

 石造りの常夜灯は歴史を感じさせます、山門前にはおばあさん達が店を開いて野菜などを売っていました。

 

泰澄大師の廟

 泰澄大師の御廟です、廟にしては質素な造りです。

 

平泉寺・白山神社の石畳

 長い石畳です、苔むしています、静寂感に溢れています。

 

白山神社の本殿

 焼失する前にはこのような本殿が三つ並んでいたのだそうです、今は一つの本殿しか祀られていません。

 参道の左右は杉の林で林床は苔むしていて、手入れも行き届いています。

 

 

参道

 参道は大きな杉の林の中につけられています、樹林の中なので日差しも感じられません、林床は苔むしています。

 

名勝・玄成院庭園

 小さな庭園です、枯山水造の庭園です、京都の寺院の庭園を想像すると検討違いになります、鑑賞料金は50円です、素朴な造りです。

 

岩屋観世音

 

 崖に彫られているのかと思いましたがどうも検討違いのようです、本殿の上部の大きな岩に生えている樹木・御神木としてあがめられているのだそうです、平日でもあり、訪れる参拝者は私達三人だけのようです、境内は静寂そのものでした、雨でなければ上の御神木まで行きたいと思ったのですが、道の手入れも悪く雨具をつけなければ着衣が濡れるので止めにしました。

 

杉の大木

 町指定の天然記念物、岩屋の大スギです、樹齢は500年位だそうです。

 

夫婦杉(めおとすぎ)

一本の杉が根元で二つに分かれています,寄せ植えのようにもみえます ?

 

御神木

 中央上部に見えるのが御神木が生えている岩です、数本生えているようです

 

重要文化財・中村家の住宅

 国指定の重要文化財です、人は住んでいません,週3日程度見学できます、重要文化財を想像すると当てが外れます、これが重要文化財なの ? 中村家は大庄屋を務めていたそうです。

〈2012.11.05・ 山口 峯雄〉