秋山合宿 北アルプス−穂高岳−

期日  平成23年9月23日(金)〜26日(月)

コース 1日目 千葉(長野) 沢渡駐車場 上高地 横尾 槍沢キャンプ地(涸沢山荘) 2日目(A班) キャンプ場(赤岩沢小屋跡) 天狗池 南岳 大キレット 北穂高岳

   (B班)  涸沢山荘  南陵  キャンプ場 北穂高岳 涸沢ヒュッテ

3日目(A班) キャンプ場 北穂高岳 涸沢岳 穂高岳山荘 奥穂高岳 徳沢ロッジ       (B班)  涸沢ヒッテ 屏風のコル(パノラマコース) 奥又白池 徳沢ロッジ 

4日目 徳沢ロッジ 上高地 沢渡駐車場 千葉(長野)

メンバー 山口峯男、野口栄一、中尾ふさ子、小倉文夫、高橋英雄

 文夫さんから7月の南アルプス山行のおり、9月は槍から穂高に行きたいがと言われ、私も行きたいコースだったので即返事をした。高橋(喜)さんも当初行きたいと悟さんから聞いていたので、連絡したが行けないと小倉さんに連絡があった。槍ケ岳は最近では7年前、井上さんを含め3人で東鎌尾根を登り、穂高岳は27年前(林小百合ちゃんが高校生の時)光男さん、大山知可さん、高校生3人と登っていた。週間天気は台風15号が沖縄の辺で4〜5日停滞していてなかなか過ぎ去ってくれなかった。どうにか22日には北海道へ急速に抜けてくれたので、21日の夜小倉さんに確認の連絡をした。家族にもギリギリに山へ行くと伝えた。今度のコースは私と小倉さんはAコース、山口さん達3人はBコースを別れていくことになっていた。

 9月23日(金)  快晴

 9月1日から松本に転勤になり、朝車で来れば一回で済むのだが、準備不足のためいったん帰り、PM10時ぐらいに家を出た。沢渡の第2駐車場に12時前につき、寝酒を飲み、車の中で仮眠をしていた。AM2時頃携帯が鳴り、小倉さん達が到着した。連休のため駐車の車は大幅に増えていた。山口さんが私の方に乗り、毛布と寝袋に入り6時発のバス又はタクシーに乗り込むことになった。釜トンネルは5時からゲートが開き通行出来るようである。明るくなった4時半に起こされ、タクシーに5人(4000円)で乗り込んだ。土日祭日は観光バスが入ると渋滞を起こすと言うことで上高地への乗り入れは禁止されていた。上高地の駐車場はシャトルバスとタクシーだけで空いていた。しかし、沢渡の駐車場はどこも満員で、上高地は人であふれていた。カッパ橋で朝飯とトイレを済ませている間も登山者が切れ間無く登っていた。台風の影響で前半の連休の人も後半の連休に入ったり、山ガール人気でブームなのかとも考えた。小倉さんも「こんなに混んでいるのは初めてだ」と言うほど人の切れ目が無く入山していた。

 カッパ橋を6時に出発して横尾山荘に10時10分に着いた。途中山口さんが下りになると捻挫した部分が痛いようで、山へ行ける状態ではなかった。仕方なく山口さんは横尾に留まって、下山する3日目の25日の14時に徳沢園で再会することになった。他の2人は予定通り北穂高岳とパノラマコースに行くことになった。登山者はまだ切れ目無く入山していた。映画「岳」人気も加わり上高地に集中したのではと,後で考えた。ここからは車道から登山道に変わり、道幅が狭くなった。槍沢は槍ヶ岳を見ながら登れるのかなと思われるが、深い谷のため槍沢ロッジの辺りでしか見られなかった。槍沢ロッジに1時に着いた。ロッジは7年前に雪崩で被害を受けたようだが、今回はしっかり営業していた。テント場はここから30分ほどのババ平の手前辺りで、この山荘で管理していた。手続きをして水場近くの場所に3人用の今年購入したmont−bellのテントを張った。2人で使うにはコンパクトで軽く使い易かった。昼寝をした後、夕飯の石狩鍋を作り始めた。いつも量が多くなってしまうので、やや控えめにした。天気図は電波が弱いため聞き取りにくく、天気は良いだろうと止めにして、ビールと麦焼酎(3年貯蔵の田苑)で早めの宴会になった。

 9月24日(土)  快晴

 朝起きるとパイプで引かれた水場が出なくなっていた。昨夜は満天の星空のもと放射冷却によりマイナス2〜3゜になつたのだろう。3シーズンの寝袋の中では寒かったわけである。我々はタンクに水を入れていたため不自由は無かった。朝食を済ませ、辺りが明るくなるまで待って5時50分に出発した。狭いキャンプ場は満員で50張りぐらいはあった。キャンプ場外の槍沢の河原にも40張りぐらい張られていた。昨日の混雑を考えれば、山小屋・テント場はどこも超満員の状態なのだろう。今日のコース(8:15)は天狗の庭から南岳を通って、北穂高岳のテント場である。1時間30分で槍沢の分岐に着いた。ほとんどの人は槍ヶ岳方面に向かうのだが、左に曲がる人は3組ほどあった。その内のスタイルの良い二人連れの女性の後に付いて行くと、厚い氷の張った沢に出た。ここに来てやっと大きな槍の穂先が望まれた。

 これまで山に入ると圧倒的に中高年登山者が多かったが、今回は山ガールと言われる若い人、スカートをはいたりの衣装が華やいだ人、そして原色の衣服を着た男女が多い様に感じられた。私が山に入りだした昭和50年代は大学の山岳部、ワンゲル部そして若い人が多かった山岳会と若者が中心であったような気がする。形は変わっているが良い傾向だと思われる。

 1時間ほどで天狗原に着いた。ここから見る槍ヶ岳は天狗池に逆さ槍が映り、よく知られていた。快晴の中、画面の暗い携帯電話のカメラで見事すばらしい写真が撮れた。ここから3時間ほどで3032mの南岳に着いた。そばに赤い屋根の南岳小屋があり、泊まり客の少ない小屋の様である。岐阜県側からは右俣谷の槍平小屋からも入れる。ここからが大キレットである。大切戸、A沢のコル、飛騨泣きと呼ばれる場所を鉄ばしご・クサリが架けられ岩登りの連続である。初心者には厳しいと思われる。南岳から見ると登れる場所があるのかと思われるほど岩が切り立っていた。私たちの先はヘルメットをかぶった30歳くらいの単独の女性である。前後して登っている男性は昨夜槍ケ岳山荘のテント場にキャンプしようとしたが、満員で殺生ヒュッテのテント場に移動したようである。単独で荷物があるため、かなりきつそうに歩いていた。天気が良いため、落石にだけ気を付ければ岩が滑らないので難所も危なくなく歩けた。2時間でA沢のコル、1時間40分で北穂高小屋に着き時間はPM15:30であった。気がかりなのは狭いキャンプサイトが空いているかだった。売店の受付で聞くとテントが張れると言われ14番目だった。水を5g(1000円)と缶ビール500ccを購入して、頂上にも寄らずテント場に向かった。全体で20張りぐらいしか張れない斜面のきつい、10分ほど下がった登山道の脇であった。石で平に積まれた2人用テントの広さの場所を、石を積んで何とか3人用のテントが張れた。地形的に風などを避け、安全な場所はもっと下の方で草が茂っている辺りかなと、後で写真を見て感じられた。テントの中はゴツゴツしていたがほぼ平らであった。今晩のメニューはチンジャオロースである。ビール、赤ワイン、麦・芋焼酎と安全に登れたことに感謝して、2日目の宴会になった。当初の予定はここから下山して涸沢ヒュッテ、屏風の頭(パノラマコース)を通り、徳沢園2時に山口会長と合流することになっていた。ここまで来れば天気も良さそうなのでコースを変更して奥穂まで行こうと言う事になった。

 9月25日(日)  快晴

 昨夜の酒の飲み過ぎで、2日酔いで頭が痛い。しかしゴツゴツした床でも、おかげでぐっすり眠れた。毎回料理の量が多くなってしまうので、昨夜はピーマンと竹の子を半分だけ使い、残りの竹の子と御飯を入れたラーメンにした。テントをたたみ7時前に出発した。北穂の頂上で記念写真を撮り360゜の景観を楽しんだ。富士山も良く見えた。

 私が岡谷に住んでいた頃、蚕糸・昆虫研究所の女性職員が北穂の下山塗中滑落して死んでしまったことがあった。子育てが終わり山を始めて間もない頃であったと思われる。鎖と鉄ハシゴはある程度整備されているが、岩場の登りにある程度慣れていないと初心者は無理なように感じられた。また、風・雨によっては条件が更に厳しくなると思われる。落石とバランスに気を付け、ドーム、最低コル、D沢のコルを通り、涸沢岳そして穂高岳山荘に10時に到着した。27年ぶりの穂高山荘、ヘリポート・テントサイト、赤い屋根の小屋、外の休憩場所そして風力発電と良く整備された小屋である。まだ時間が早いので奥穂高岳の頂上とジャンダルムまで足を延ばそうとナップザックに細引きや水を入れ、小屋の荷物置き場にザックを置かしてもらって出かけた。最初の鎖と鉄バシゴを登ると後は普通の登山道であった。3190mの頂上に11時に到着して記念撮影を撮った。天気はこれまでは快晴であったが、ガスがかかり始めた。ジャンダルムまで足を延ばそうと向かったが、途中ザイルで確保していかないと危険であると思われる箇所があり、引き返すことにした。穂高岳山荘に戻り850円の本格的なラーメンを食べ11時30分に下山を始めた。徳沢園まで5時間の行程、予定通り16時40分に到着した。北壁の宿「徳沢園」のフロントで山口さん達はと尋ねると、「ここは満員で徳沢ロッジにいます」と女性従業員に言われ、中尾さんからの言付けを渡された。「外来入浴が8時まで可能で、部屋番号は北尾根」と記されていた。公衆電話で連絡を取り、テントを設営してロッジに向かった。

 ちょうど夕飯前で部屋に入れてもらい、ビールで無事下山したことに感謝して乾杯した。 

                    (記:高橋(英))