八代さん追悼山行(横浜隊の記録)

 

メンバー:渡部健とその仲間たち(稗田、粕尾)

期日20121019日(金)~21(日)

コース:広河原⇒大樺沢二俣⇒北岳肩ノ小屋⇒北岳山頂⇒北岳肩ノ小屋(泊)⇒白根御池小屋⇒広河原

 

はじめに

 近所のママバレ仲間と丹沢や箱根辺りの低山などに登ったりしていたが、この夏は、青木湖山荘を利用して、栂池から白馬乗鞍まで行ってきた。そんな中で、今度北岳に行くんだと話したところ、ぜひ連れてってくれということになり、今回の山行となった。しかしながら、ママさんたちは日曜日に試合があったりで行けなくなり、結局、その御主人(稗田さん)とその会社の後輩(粕尾さん)の男3人となった。この3人のグループを横浜隊と呼ぶことにする。

 

横浜から芦安へ1019日)

 横浜隊は初心者の隊であるので、できるだけ楽をして、北岳山頂を目指すことにした。そのため、前日の朝に車で横浜を出発し、芦安の南アルプス温泉ロッジに一泊することにした。芦安は、昔は、広河原に入るために、通り過ぎるだけであったが、今回は、南アルプス芦安山岳館を見学できた。この山岳館は、たいへん充実しており、山に興味がある人ならば、1日いても見飽きないくらいであろうと思われる。温泉ロッジでは、宿泊棟の1部屋をあてがわれ、ゆっくりとくつろぐことができた。夕食もうまかった。

 

広河原から北岳へ1020日)

 朝もまだ暗い5時過ぎに、温泉ロッジ前の駐車場を、ジャンボタクシーに乗り込み出発した。夜叉神山荘前にゲートがあり、5時半に開くとのことで、しばらく待機した。このゲートから先は、環境保護のための寄付金として、一人100円とられる。帰りも同じようにとられるので、通行税のようなものと思われる。自家用車が入れるのは、このゲートの手前までである。

 6時半頃吊り橋を渡り、広河原山荘の横を通って登り始めた。しばらく行くと白根御池小屋への分岐に着き、我々横浜隊は、本隊と別れ、大樺沢コースをとった。北岳バットレスが見上げる度に大きくなり、どんどん高度をかせげた。大樺沢二俣から小太郎尾根の分岐への道をとった。高度が上がるにつれ、地蔵岳のオベリスクが姿を現してきた。このオベリスクを見るといつも、八代さんと二人で行った冬の鳳凰三山の山行を思い出す。学位取得の記念だということで連れて行ってもらったのである。小太郎尾根の分岐に出ると、甲斐駒ケ岳と仙丈ケ岳の眺望が突然開けた。ここからは、23日前に降った雪が所々に残っていた。北岳肩ノ小屋には、12時前に着いた。広河原から休憩も含めて、約5時間で歩いたことになる。今日一日、快晴であった。それほど急いだ訳でもないので、コースタイムは随分あまく見積もっているようだ。この日は、北岳山頂を往復し、肩ノ小屋に泊まることにした。

 肩ノ小屋にはテントも張られており、小屋泊まりは少ないだろうと思っていたが、その後、続々と登山者が入って来て、最終的に30数名になった。私は食事付の山小屋に泊まったことがなかったので、始めての経験であったが、あの水の乏しい稜線の小屋で、よく何十人もの食事を用意し、かたづけることができるものだと感心した。ご飯とみそ汁はお代わり自由であり、飛ぶように茶碗と御椀が行き交っていた。配膳と給仕をするのは、二人の女の子であり、小屋の物資と同じく、ヘリコプターで運ばれてきたという話である。明るい笑顔が印象的であった。缶ビールが500円で飲め、良心的であると感じた。

日が沈む頃になると、稜線の西側は晴れているのに、風が稜線を越えたところでガスとなった。肩ノ小屋の前に立ち、東側を見ると、ブロッケンが現われていた。自分の影の回りに虹色の光輪が二重に見えた。ブロッケンは自分のものしか見えないようである。肩ノ小屋は、ブロッケンの名所であるそうだ。

小屋の寝床には、一人当たり7枚の毛布が用意されており、それらを敷布団と掛け布団として使うようになっていた。明け方は、結構寒かった。トイレが小屋の外にあるのが、不便であった。空を見上げると、天の川が望めた。明日も、快晴であることを約束しているようであった。

 

下山1021日)

小屋で朝飯を食べ、6時半頃、下山を開始した。本隊と逢うために白根御池小屋を目指した。どの辺で逢えるかな、などと話しながら下っていると、女の単独登山者が登って来た。それが、なんと悦っちゃんであった。7時半頃、小太郎尾根の分岐から少し下ったところであった。かなりのハイペースであり、意気込みが感じられた。それからまた5分くらい下ったところで、悟さんを始め、喜久さん、長野さん、八代直也さんの本隊に出逢った。山頂付近は雪があるが、普通に登れることを告げて、本隊と分かれた。本隊はかなりのペースで登っており、バテない限り山頂に辿りつくのではないかと思われた。

 白根御池は、上から見ると、箱庭のような佇まいである。静かで別世界のようであった。テント場に着くと、鉄っちゃんと山口さんがテントの撤収をしているところであった。井上さんもテントから出てきて、みんなで記念撮影した。

 我々は広河原に下り、11時頃、ジャンボタクシーに乗り込み、芦安に向かった。横浜に着いたのは、渋滞のせいもあり、4時過ぎであった。

 

その後のおまけ

 日のあるうちに横浜に着いたので、それでは一杯やろうということで、稗田亭に集まることになった。ママバレ仲間も打ち上げの一次会が終わり(試合には負けた)、集まってきた。山の写真を見ながらしゃべっていると、時間の経つのが早い。今度は、どこそこに行こうと、ママバレ仲間は元気である。感心する。また連れだされるのかと、少々面倒ではあるが、遊んでくれるだけ有り難く思うべきか。寝床に入ったのは、12時を回っていた。北岳肩ノ小屋でぴゅーぴゅーと風に吹かれ、最後は酔い潰れた長い1日であった。

 

左から粕尾さん        稗田さん        渡部(健)さん

記:渡部健