自分探しの神社めぐり

私の母が由仁神社の一人娘だったせいか、私のDNAが神社めぐりを指せたのかもしれない。
神社めぐりでは日が暮れると写真撮影が出来ず、宿泊費用がかさみ民宿や素泊まりホテルを利用したが、宿代の倹約が必須の条件となり、車中泊は神社めぐりで覚えた貴重な体験となった。

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自分探しの神社めぐり


後期高齢者を迎えた今の私は、生活の基盤の確立や子供達の独立、墓の建立など男としての勤めをやり終え、人生究極の目的を探す時期にきている事を感じる。
人生究極の目的を探すヒントになる本「男のための自分さがし」を見つけた。この本の中では人間も生物なので本能の導くまま正直に生きる事が幸福に繋がると書いている。
生物は自分の遺伝子を子供を通じて残そうとする恋愛、結婚、子供誕生の喜び、人間は本能に忠実に生きる事で幸福を味わう。だが、男は単なる「遺伝子の運び屋」だけではないはずだ。
私の神社めぐりルートで一つだけ行っていなかった。士幌→音更→幕別→本別→足寄→陸別→置戸→留辺蘂のルート(青線)で車中泊による「自分探しの旅」をした。











「自分探し」とは「私が生きる意味」を探すことで、親に感謝されながら親が逝った事や4人の孫に恵まれ、御先祖に恩返しができた事などは、私にとって「意味のある人生」であり伴侶に恵まれた事も「幸福な人生」だと言える。

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