高天原(たかまがはら)を追放された須佐之男命(すさのおのみこと)は孤独な漂泊の旅に出た。
出雲国の肥河の川上で、三人の親子が嘆き悲しんでいるので、その訳を尋ねた。
老人は大山津見神(おおやまづみのかみ)の子供で足名椎(あしなづち)、老妻は手名椎(てなづち)、
娘の名は櫛名田比売(くしなだひめ)という。
この地では毎年、八俣(やまた)の大蛇(おろち)《頭が八つある大蛇》が来て若い娘を食らうと言う。
自分達には八人の娘がいたが、みな大蛇に食われてしまい最後に残ったこの娘も食われてしまう。
それで三人で泣いているのだという。
そこで、須佐之男命は八俣の大蛇を退治するから櫛名田比売を嫁にもらう約束をし、八つの樽に酒を満
たして待っていると、大蛇は酒の匂いを嗅ぐと先を争って八つの酒樽に一つずつ頭を突っ込んで酒をむさぼり飲んだ。
大蛇がしたたか酔ったところを十挙剣(とつかのつるぎ)で斬りつけ、見事に退治することができた。
そのとき、大蛇の尾から剣が出てきた。これが三種の神器の一つ、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)だ。
大敵を退治した須佐之男命は約束どおり櫛名田比売と結婚して多くの神々を生んだ。
その六代目が大国主命(おおくにぬしのみこと)である。
昔は、深山にいる大きい蛇を山の精霊と考え、これをオロチ(山の霊)といっていた。
そして、この山の霊であるオロチの暴威によって、暴風や洪水も起こるものと考えていた。
この物語は、斐伊川が毎年のようにはんらんして、稲田を荒らし、採鉄作業を妨げるのを、この蛇の
しわざと考えた。
須佐之男命がこの蛇を切ることによって、このような洪水がなくなり、稲田の農作や
製鉄も行われるようになり、櫛名田比売は水田の守り神、つるぎの出現は製鉄の正常化を示した。