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日本の神話

そして日本に伝わっている神話の絵本を、まるで童話のように読んで聞かされた。
子供心に日本は神様が創りたまえし神国と思っていた。戦争に勝つためには民族主義の教育が不可欠だったのだろうが、愛国心とは別のもののように思う。
時が経つとつらい戦争の思い出も「神社」と一緒になって甘い郷愁に変わるのは私だけだろうか?

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日本の国土を創生した神々

天岩戸(あまのいわと)

大国主命(おおくにぬしのみこと)と因幡(いなば)の白兎

大蛇退治

 
日本の国土を創生した神々

太古の昔、混沌としていた天地がやっとおぼろげながら分かれたとき、高天原(たかまがはら) 《天上界》に天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)をはじめとする五柱(いゆはしら)の神が 生まれた。

これらの神々は国土創生の基礎固めをしたため、「別天津神」(ことあまつかみ)といわれ、 特別な神として敬われている。

神世七代までに、世界のおおよその姿はできあがった。
しかし、いまだ完全ではなかったので別天津神たち一同は、イザナギノミコト(伊邪那岐の命)とイザナミノミコト(伊邪那美の命)に世界を完成するよう命じた。

そこで、二人が国造りに励み、大八島国(おおやしろのくに)《日本列島》ができあがった。


このように、古代人は、この世の物はすべて神が作り成したものと考え、逆に、自然界のあらゆる 現象や物(山川草木など)に、神霊が宿っていると信じていたのである。



天岩戸(あまのいわと)

イザナギノミコトが黄泉国(よみのくに)《死者の国》の穢れを祓うために禊をしたときに、 三貴子(みはしらのうずみのみこ)が誕生した。

すなわち、左の目を洗っているときに生まれた神が天照大御神(あまてらすおおみかみ)で、 右の目を洗っているときに生まれたのが月読命(つきよみのみこと)で、 最後に鼻を洗っているときに生まれた神が須佐之男命(すさのおのみこと)である。

父のイザナギは、姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)には高天原を、次の兄の月読命には夜の国を、 そしてスサノオには海原を治めるように命じた。

二人は父の命に従ったが、須佐之男命(すさのおのみこと)は従わず、なきわめくばかりだった。
あげくのはてには、数々の狼藉を働きはじめ、しまいには天衣を織る神聖なはたやに皮を剥いだ馬を投げ込むという暴挙に出た。

これに激怒した天照大御神は、天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまう。世の中は真っ暗になり、悪神がはびこりだした。

そこで八百万(やおろず)の神が天照大御神を岩戸から引き出す作戦を練り、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が裸で、今で云うストリップをはじめると、 天照大御神はよく見ようと体を少し岩戸の外へ乗り出した。

その時、待ち受けていた天手力男命(あめのたじからおのみこと)が、 天照大御神の手を取って外へ連れ出し、すかさず布刀玉命(ふとだまのみこと)が、 岩戸の前に注連縄をはりめぐらして再び中に入れないようにした。

世の中に明るさが戻った。この時の天宇受売命の舞は神楽の起原とされ、今日のお多福面の神である。



この物語は、天照大御神が天地(日本国)の統治者であることを述べようとしたものである。

このため、須佐之男命をやんちゃ者として海の国を統治する地位から追放しただけでなく、乱暴をはたらいた者として高天原から追放した。

いかにも悪神であったかのように説いているが、須佐之男命は武勇にすぐれた英雄であり、八俣(やまた)の大蛇(おろち)退治がそれを立証している。

古代には国や豪族などの重大事にあたっては、最上位にある神が、各族(氏)の長を集めて会議を開き、事を決定していた。
出雲の国譲り以前には高天原の神にとっては出雲族は強敵でその恐怖心が天岩戸の伝説となった。



大国主命(おおくにぬしのみこと)と因幡(いなば)の白兎

大国主命(おおくにぬしのみこと)と因幡(いなば)の白兎 大国主命は須佐之男命の六代目の孫で、八十神(やそがみ)《八十柱の神》といわれるほど多くの兄弟がおり、大国主命はそのいちばん末の弟だった。

あるとき、因幡国(鳥取県東部)に八上比売(やがみひめ)という美しい娘がいることを知った八十神は、そろって求婚の旅に出る。

兄弟の荷物を持たされて大きな袋を担いだ大国主命は、兄弟たちに遅れてついていった。 八十神が気多の岬にさしかかると、一匹の白兎が皮を剥がされ赤裸になって泣いていた。

兎が助けを請うと、八十神は、海水を浴び、小高い丘の上に横たわって風に当たっていれば自然に治ると、兎をからかって嘘を教えた。

兎は言われたとおりにした。 そのため、風に当たって皮膚がひび割れ、ますます痛みがひどくなって苦しんでいた。

ちょうどそこに大国主命が遅れてやって来て、兎が苦しんでいる訳を尋ねた。
兎は隠岐島に住んでいた私は、本土に渡ってみたいと思いましたが、渡る手段がありません。そこで、一計を案じて海のワニザメをだまし、「私の兎族と、君のワニザメ族と、 どちらが多いか一つ比べっこをしよう」と持ちかけました。

するとワニザメは私の言葉を真に受けて、隠岐島から対岸の気多の岬まで仲間を一列に並ばせました。
私はワニザメの背中の上を飛びながら、数えるふりをして渡ってきました。

そして渡り終わろうとしたときに『うまいこと、だましてやったぞ。私は対岸へ渡りたかったのだ!』 とつい思わず言ってしまいました。

その途端、いちばん最後に並んでいたワニザメが私に襲いかかって、このとおり皮を剥がれてしまったのです。
そこで、先に通りかかった八十神に助けを求めてその教えに従ったところ、ますますひどくなってしまいました。 」と答えた。これを聞いた大国主命は兎を憐れみ、すぐに真水で体をよく洗って、蒲の穂綿にくるまるようにと教えた。

兎は、教えられたとおりにしたところ、傷は見る間に治ってもとのような美しい姿になった。


喜んだ兎は大国主命に、「八十神は決して八上比売を射止めることはできません。
今は大きな袋を担いで下働きをなさっていますが、あなたこそが八上比売をめとるのに相応しい方でございます」と言った。

果たして兎の言葉どおり八上比売は八十神たちのプロポーズをことごとく断り、大国主命との結婚を誓う。

八十神たちはこれに激怒して、大国主命を殺そうとする。
しかし、最後には大国主命が勝利し、八上比売を娶って豊葦原中国の王、すなわち国津神の代表となったのである。

八十神とは、大国主命の腹違いの多くの兄弟を言い、大国主命に対抗する豪族である。

大国主命は、末子として生まれ、慈愛深い神であったので、八十神から常々ねたまれていたが、妻争いのことから彼らの恨みをかい、数々の迫害を受けた。

しかし、大国主命は白兎によって象徴される部族に救いの手をさしのべ、その部族は恩を感じて命の国土経営を手伝った と言うのがこの物語である。



大 蛇 退 治

高天原(たかまがはら)を追放された須佐之男命(すさのおのみこと)は孤独な漂泊の旅に出た。
出雲国の肥河の川上で、三人の親子が嘆き悲しんでいるので、その訳を尋ねた。

老人は大山津見神(おおやまづみのかみ)の子供で足名椎(あしなづち)、老妻は手名椎(てなづち)、 娘の名は櫛名田比売(くしなだひめ)という。

この地では毎年、八俣(やまた)の大蛇(おろち)《頭が八つある大蛇》が来て若い娘を食らうと言う。
自分達には八人の娘がいたが、みな大蛇に食われてしまい最後に残ったこの娘も食われてしまう。
それで三人で泣いているのだという。

そこで、須佐之男命は八俣の大蛇を退治するから櫛名田比売を嫁にもらう約束をし、八つの樽に酒を満 たして待っていると、大蛇は酒の匂いを嗅ぐと先を争って八つの酒樽に一つずつ頭を突っ込んで酒をむさぼり飲んだ。

大蛇がしたたか酔ったところを十挙剣(とつかのつるぎ)で斬りつけ、見事に退治することができた。
そのとき、大蛇の尾から剣が出てきた。これが三種の神器の一つ、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)だ。
大敵を退治した須佐之男命は約束どおり櫛名田比売と結婚して多くの神々を生んだ。
その六代目が大国主命(おおくにぬしのみこと)である。


昔は、深山にいる大きい蛇を山の精霊と考え、これをオロチ(山の霊)といっていた。
そして、この山の霊であるオロチの暴威によって、暴風や洪水も起こるものと考えていた。

この物語は、斐伊川が毎年のようにはんらんして、稲田を荒らし、採鉄作業を妨げるのを、この蛇の しわざと考えた。

須佐之男命がこの蛇を切ることによって、このような洪水がなくなり、稲田の農作や 製鉄も行われるようになり、櫛名田比売は水田の守り神、つるぎの出現は製鉄の正常化を示した。


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