「頭の中が・・・」



 シンポジウム「あらたな地域支援サービスを考える」に、シンポジストとして、参加しました。
 このような経験のないぼくが、トップバッター。
 いつも、緊張感がないと言われるぼくですが、考えていたことが一瞬にして、消えてなくなりました。
 原稿を読もうにも、墨字も点字も読めないぼくです。
 点字が読めるようになっていたらと、反省しました。
 でも、言いたかったことは、言えたと思います(伝わったかどうかは、別ですが・・・)
 いろいろ勉強になったし、よい経験をさせてもらいました。

ぼくの言いたかったこと

 中途視覚障害者です。
 視覚障害者にも、全盲の方や弱視と呼ばれる方がいますが、私は弱視です。
 弱視にも視力障害・視野欠損・色覚障害など、いろんな見え方があります。
 私は、左眼は見えていません。
 右眼は、視力0.01 視野80%欠損 色はなく、白と黒の世界です。
 医者から告知を受けて11年目、白杖をもって2年目の視覚障害の初心者です。
 こんなふうにしゃべれるようになるまでに、2年近くかかりました。
 その頃は、人と合うのも嫌で、出かけることもほとんどしませんでした。
自分では、息をしているだけ、何のために生きてるのかな? なんて考えていた時期もあります。
 でも、いまは最高に楽しいです。
 私が見えにくくなって、見えてきたものがあります。
 それは、人のやさしさです。
うわべのやさしさや、やさしさの押し売り、同情、そして、何気ないやさしさです。
 困っているときに、さりげなく声をかけられると、うれしくて涙が出そうになります。
 私は、健常者の頃、他人のやさしさを(いけないことなんでしょうけど)あまり感じていませんでした。
 でもいまは強く感じるようになったし、感謝の気持ちも強くなっていると思います。
 私がいま、気をつけていることがあります。
    うまく言えないんですけど、「障害者だから、仕方ないね」って、なるべく言われないようにしようと、思っていることです。
 って言いながら、私はずるくて、ぐうたらだから、直ぐ回りの人にいろんなことを頼んでしまいます。
 それから、視覚障害者イコール点字っていうイメージはありませんか。
 私は点字は読めません(胸を張っては言えませんが・・・)
 もちろん、墨字といわれる、新聞の文字も本の文字も、ルーペや拡大読書器がないと読めません。
 でも、私は電子文字 パソコンがあります。
 読むというより、聞くといったほうが正しいかもしれません。
 視覚障害とパソコンって、ミスマッチのように思われるかもしれませんが、いまや視覚障害者にとって、パソコンは必需品です。
 文字を書いたり読んだりするばかりでなく、パソコンによって、いろんな方々と知り合うことが出来ましたし、いろんな情報が手に入るようになりました。
 だから、私の世界は、今ものすごく広がっています。
 と言っても、不自由を感じていないわけではありません。
   時間はかかりますし、手助けをしてもらわないと出来ないこともあります。
 たとえば、トイレ。
 トイレは暗いものみたいに、どこのトイレも暗いです。
 障害者トイレ ってありますが、車椅子をお使いの方専用みたいですよね。
 もう少し明るいトイレがあるとうれしいですね。
 それから、点字ブロックも駅前に、ほんの少しありますが、もっと増やしてほしいとは言いませんが、歩道のない道路では、両サイドの白線があると、うれしいですね。
 ハード面も大切なんですが、どうにもならないことがあります。
 ソフト面(心)はどうにでもなります。
 相手の立場にたって、やさしい心をもってほしいと思います。
 不自由は感じていますが、足も手も耳も心も健康です。
 視覚障害になってから、たくさんの心やさしい方々と知り合えることが出来ました。  幸せ者だと思っています。
 それから、視覚障害者PCネットワーク「猫の手」なんですが、パソコンの楽しさを、いっしょに味わえる人を、募集しています。
 同じように思っている方、興味はあるんだけどと考えている方、ぜひ一報ください。



戻る