体験発表会

令和4年7月16日に行いました。体験発表会の様子をお知らせいたします。
今回は、会員9名と苫小牧市役所の保健師さん2名を交え11名でおこないました。
保健師の梅津さんの挨拶が有り、体験発表に入りました。
新型コロナウイルス感染のため、机の配置も距離を保つ配置にしてかつ、換気を行い、手指の消毒をして、お話しする時は、マスクを掛け たままで行い、時間も1時間一寸でお開きにしました。


体験発表を聴く皆さん
 

Aさんの発表
私が、特定疾患の膠原病(多発性筋炎)と認定されたのは1986年(昭和61年)の11月です。早いもので35年が過ぎました。幸せ なことに再発はありません。よい時も悪しき時も病気を口実に過ごしました。

症状   気がついたのは1985年の暮れより

○ 手の平がひび・あかぎれの、様に切れて血が滲む
○ 関節痛・こわばり→物を掴む・握るが痛くて出来ない
     (箸やボールペンを握れない・受話器が取れない)
○ 立ち上がりが出来ない→筋力の低下・特に大腿筋
(和式トイレがせつない)
○ 寝ても覚めても、身体を動かすと全身が痛い etc

そして徐々に体重が減っていきました。でもそれは、病気とは全く思わず、私自身も周囲の人も1985年9月に夫を事故で亡くしたの で、心労が重なり食欲が落ちたせいだと、ばかり思っていました。リウマチかな?イタイイタイ病かな?と思いつつ、初盆と一周忌を迎え る頃に、職場の人達から病院受診をしつこく勧められ、勤医協と苫小牧市立病院を受診しました。
1985年9月末    苫小牧市立病院へ検査入院(膠原病の疑い)
1985年11月中旬  北大病院へ転院

 血液検査、レントゲン、生検といろいろの検査をして、データが揃い「多発性筋炎」と確定するまで1ヶ月。そして発症の原因は著しい 環境の変化と激しいストレス。これには先生方も納得したようでした。
この1ヶ月は、ただただ「痛い、痛い」を連発し「モルヒネでもいいから、この痛みを止めて下さい」先生に頼んでいました。自己免疫疾 患で、自分で自分の筋肉組織を攻撃しているとも知らず・・・・本当に痛かった!!

 12月10日よりプレドニン60mg(ステロイド薬)からの服用・治療が始まりました。この薬、病んでいる筋肉の炎症は抑えるが、 副作用も山のようにありました。女性にとっては致命的な「ムーンフエイス」「バッファロー肩」「食欲増進」「脂肪蓄積」「体重増加」 その他色んな臓器に悪さをすると説明を受けました。でも、そんなものどうでも良かった。とりあえず、この痛みが無くなるのなら”なん でも良い”ただそれだけでした。

 治療は徐々に薬を減らすのみ。私は減量の失敗も無く順調に過ぎ、最終的に16mgで2週間、データに変化が無ければ、退院出来る事 になりました。待ちに待った退院は1987年5月の連休明けでした。

 入院中最初に言われた副作用も、まだあるの?と言うくらい、次から次へと出てきました。一番大変だったのは、免疫抑制剤による副作 用で白血球が減少した事でした。絶対安静、面会謝絶、そしてナースセンター前のいわくつきの個室に移されました。そこで1ヶ月、無事 に脱出出来ましたが、後で両親から聞いた話ですが、朝7時前に北大病院から「大変危険な状態です」と連絡を受けたので、葬式を覚悟し て向かったとの事でした。

 半年間の北大病院入院は、私にとって楽しい生活でした。35年も前のことなので、もうあの時の痛みなんて思い出せません。そしてあ れ以来その痛みは私を襲っては来ていないのです。差し入れをみんなで食す茶話会、こっそりワインで乾杯するお誕生会、看護師の目を盗 んで食べに行ったラーメン、病院の友との安否確認の年賀状も、この5・6年、訃報のハガキが多くなりました。淋しいです。副作用の多 いプレドニンですが、私にとっては魔法の薬です!! 命の薬です!!服用3日目で手が握れる・箸が持てる・ボールペンが握れる・ベッドの上で少しでもお座りが出来る。あんなに病んでいた 筋肉の痛みも薄らいで行きました。ビックリ!!でした。

 発症から35年・再発せずに元気で過ごせたのは、周りの人達との巡り合わせ、繋がりがあっての事と思います。
 苫小牧市立病院の初診時の先生が、アレルギー専門の先生で、北大病院への転院も知らないうちに決まっていた。その時の主治医が現在 沖病院に勤務している。最初から知っているので、より一層心強い。
 職場も先生(ドクター)から「職場復帰は無理」と言われたので、退職を申し出た所、「ご主人を亡くしたばかりなのに、職場まで無く なったら、病気と闘う気力が無くなるので、机は空けておくので、絶対ここに戻って来るという気持ちを持って、ゆっくり入院して治して おいで」と言ってくれました。そのお陰で1年間はパート時間で、その後は満勤で63歳まで勤めました。更に仕事をしながら、土・日は 着付けのアルバイトをし、冬はスキーに行ったり、旅行に行ったり。本当に35年前に拾った命だから。好き勝手にわがまま一杯、生きて やろうと!と思っています、あとどの位生きるのでしようね~、コワイ!!ね。

 ハスカップの会との出会いは、患者会を作ると言う話があってその会に参加しているうちに、1989年(平成元年)7月9日に発足し て、その時から会員になりました。


Bさんの発表 「肝臓の難病のお話し」

これまでの経過
 2001年頃、疲れやすく、身体のあちこちが痒かったので、PTAの茶話会でその話をしたら「ああ歳のせいだね、歳を取ると肌が乾 いて痒くなったり、疲れ易くなるよ」と言われたりした。当時毎年1回健康診断を受けていました。健康診断で肝機能に異常があり要検査 となっていたが、別に気にもせず、3年くらいそのままにしていた、どこも悪くないし、ただ疲れるのでドリンク剤を飲んで、ガマンをし ていました。
 運転免許の更新で写真を撮ったら、遺影のような写真でいやだなと思いその時に、健康診断で何か書かれていたことを思いだして、勤医 協病院を受診しました。診断結果を言われた時に先生から「あなたは特殊な病気かも知れないけれど、肝臓の生体検査をやらなければ解り ません。検査は王子総合病院で出来ます。このままでは、あなたは5年・10年後に必ず、肝臓癌かもしくはそれよりも重篤な病気に罹 り、死期が近くなるでしょう」と言われて「すぐ受診しますので、紹介状を書いてください」と御願いしました。
 2003年王子病院で一日入院して、生体肝検査を受けた結果、原発性胆汁性肝硬変と診断されてミトコンドリアの値が擬陽性となり、 保健所に特定疾患の申請をして、2004年1月に認定書が届きました。その後、毎月採血をして肝機能の検査をしています。2007年 王子病院の担当の先生が替わる時に、「数値が安定しているなら、ホームドクターでも良いけれど、それではシャクなので、主なる病院は 王子病院にしなさい」といわれずうっと王子病院です。  2012年頃歯の治療で抜歯をしたら、顔が腫れ血も止まらないので、王子病院に行ったら先生に叱られた。血小板が異常に少ない状態 で、脾臓の働きが悪くなっていたのでした。脾臓にいく血管を別のところにつなぎ、脾臓に流れる血流を止める、肝動脈塞栓術を行いまし た。この手術を受けるときに担当医から「お身内の方が集合なら、生体肝移植の話をしましょう」と言ってくれました。その時に提供者 は、血縁関係の2親等までと言われて、母と弟と話を聞きに行きました、3人の息子達は誰が適応出来るか解らないので、話が煮詰まって からと言うことで、その時は終わりました。先生から生体肝移植の話を聞いて母が、「私では、だめ」と言ったら、年齢が多すぎで無理と 言われ、次に弟が手を上げたのですが、あなたは太りすぎで、駄目と言われました、酒・たばこを飲む人も駄目です、もしやるとしたら半 年間の禁酒・禁煙が必要とのことでした。とりあえず、・・・・・・やめました。

現在の状態
   肝臓の数値(主なもの)
     アルブミン
     A/G
     総ビリルビン
     直接ビリルビン
     AST(GOT)
     ALT(GPT)
     ALP(IF)
     コリンエステラーゼ
     γ-GTP
     血小板
     注)肝動脈塞栓術の前は30位でした
    治療薬
     ウルソ
     グリチロン
     ツムラの漢方薬   足の吊り防止
     ベザトールSR
     ニコラジン     痒み防止
     ネキンシューム   胃酸の調節
     酸化マグネシューム錠
     レミッチ      痒み止め、痒くてどうしようも無いときに使用
生活で気を付けていること
疲れない程度の軽い運動をしています
(疲れすぎは良くない)
日光浴 ビタミンDが不足するので良く骨折をする
市販の薬・ドリンク剤は駄目、病院で処方した薬以外は全部駄目です
これからの展望
 この病気は生体肝移植が、ベストですが色々制約があります。2021年ビリルビンの値が悪いので、北大の移植の先生に移植の話を聞 いた時に、「患者の年齢は65歳がリミットです」と言われて、「エッと言いました」それ以上の年齢では術後のメリットが出ないとのこ とです。金額的な負担も、大変なので生体肝移植は断念しました。家が1軒建つくらいの金額でした。これからは、病気と旨く付合いなが ら、楽しい人生を過ごしていきたいと思っています。

 茶話会の報告

 9月10日 茶話会を行いました。
6名の会員と苫小牧市の保健師さん2名も参加して合計8名でお話しをしました。会員の話を皆で聴く形で話が進みました、その中でSさ んのお話を紹介します。

Sさんのお話
 Sさんの夫は、パーキンソン病で介護度3となった時点で、自宅療養が難しくなり病院への入院を希望したが、3ヶ月待って、2021 年11月札幌北祐会病院に入院しました。認知症が酷い状態です。
 2022年1月13日に面会したが、随分やつれていた。帰り際に写真を撮ったのが最後に会った時です。この病院も、今年7月に入院 期限が過ぎているので、今次の病院探している。病院で探してくれた次の病院をネットで調べたら、口コミが悪くてケアマネージャーに相 談したら「贅沢は言えないよ」と言われました。その病院の先生と面談したときに、凄く、上から目線で入院したら胃瘻を開けて、パーキ ンソンの薬をやめる方向です、と言われました。寝たきりにさせられるのかと思い、入院手続きはせずに帰りました。
 毎月4時頃に理学療法士から、連絡が入り状態を報告してくれます。認知症で、ガサゴソと動くので拘束をしなければならない状態で す。他の病院で、その様な患者を受け入れる所は無い様です。行き先が無くて、北祐会病院から追い出されるのではと、心配しています。 電話をしても夫とは話が出来ません。看護師から様子を聴くだけです。何時でも行ける、苫小牧市内でどこか探せないかなと思っていま す。でも自宅で、自分一人で、看るのは不可能で、息子さんも交代勤務のため、なかなか協力が難しい状態です。どうしたらいいか困っ ています。
そのようなSさんに、会員や保健師からいろいろな意見・助言が有りました。 介護度が上がれば引き取ってくれるところも有るようです。市の包括支援センターに相談する方法も有リます。 結局Sさんからケアマネージャー、病院の相談員などに積極的に話をする方向で進んで行こうとなりました。  
                                  


 事務局からのお知らせ

 皆様へのお願い(イオン黄色いレシートキャンペーンについて)毎月11日に、イオン苫小牧店で買い物をすると、黄色いレシートが発 行されます。そのレシートを店内に設置された「苫小牧難病患者・家族友の会」のポストに入れていただくと、買い物の金額の1%が、苫 小牧難病患者・家族友の会に贈呈される、仕組みになっております。それは当会の貴重な、外部からの財源になっていますので、イオンで の買い物の際には、ご協力いただけますよう、宜しくお願いいたします。皆様のお友達にもご協力をお勧め下さい。               

 会員の動き

特に有りません
(会員総数 42名  患者会員 27名  家族会員 9名  賛助会員6名)

 編集後記

 朝晩めっきり寒くなり、ストーブが恋しい季節になりました。新型コロナウイルス感染は大分収まりましたが、これから寒さに向かう季 節、インフルエンザも虎視眈々と狙っている様です。そんな中で暮らしている会員の皆様、如何お過ごしでしょうか。風邪など引いていま せんか、無理をしないで、美味しい物を食べて、のんびりと過ごしましょう。  さて、今号では体験発表会特集として、Aさんの「難病に罹って」と、Bさんの「肝臓の難病の話」を掲載いたしました。二人とも非常 に元気に活動されていますが、凄い難病を背負っているのだなと改めて想い、尊敬の念さえ覚えました。これからも元気でお過ごしくださ い。

 10月1日イオン黄色いレシートキャンペーンで、フエリーターミナルへ行く道路脇のゴミ拾いをしました。事務局とC運営委員が参加 しました。  

    次回の例会は医療講演会です。苫小牧市の出前講座を聴きます。
       皆に知って欲しい!心の健康 健康支援課
         しっかり貯筋!転倒防止 介護福祉課
                参加して転ばぬ先の杖 よお~く考えましょう
                                            事務局

会報は、個人情報保護のために写真にはぼかしを入れ、名前は単純にアルファベットにしています。                                       


LastUpdate:2022-5-31 H.O Allrightreserver.