飯南町有間野地区から旧宮川村へ抜ける峠道の麓にかつてあった、「高山村」の跡地を訪れる。
地元でも「秘境」と呼ばれる集落跡である。
国道166号線から登ること約30分。
旧宮川村への境の手前から10分ほど
西に下ると、日のあたる小さな平地に出くわす。
林業関係者だろうか、すでに軽トラの先客がいた。
「今でも材の手入れをしてくれている方がいるんやな。ありがたいことや」
と同行していただいた松阪市文化財保護委員の高尾先生が感嘆される。
今は植林された杉の木で、うっそうとした林になっているが、ここは大正時代まで村人が住んでいた集落である。
早速村内に進入。
あちらこちらに石垣の跡がある。
かなり規模が大きいものが、斜面に沿って幾構も現れる。
城郭とまではいかないが、この上部に家屋があったとすると、かなり大きな屋敷だったと思われる。
村内には里の道跡もしっかり残っており、高尾先生によると明治以降子どもたちはここから現在の有間野小学校まで通っていたとのこと。
現在のような車社会では想像しがたい話である。
村のはずれのほうにひっそりと墓石が4つ残っていた。
「安政」の元号が見られる。
廃村とともに無縁となったのだろうか。
しかし、なぜかあまり物悲しくは感じられない。
逆に当時の人々の生活感が、一瞬であるがその場を過ぎったようで、たしかにここに村があったことを実感させられた。
ときおり目にする瓦は、ほとんどは苔むしていて、時間の経過がくっきり目に見えるようだ。
「ここらに井戸があったはずなんやけどなぁ」と高尾先生が鎌を片手に草いきれの中を進む。
先生の記憶通りかまど状の井戸跡が現れる。すでに砂が堆積していて、水は枯れていた。
井戸があり墓があり、屋敷の石積みがあるわけだから、あとお寺や鎮守の杜もあったに違いない。
飯南町史によれば、村には不動さんや地蔵さんもあり、祭りも盛大に行われていたという。
山手側を往くと、樹齢百年近い切り株が密集している。このあたりは瓦も集中している。
石仏やがないか注意深く周辺を調べるが、はっきりしたものはない。
すべて移設したのだろうか。
かろうじて、地蔵さんが鎮座していたであろうかという感じの、台座のような石積みを視る。
さらに上に行くと、村を囲むように低い石積みが周辺を囲んでいる。これが2km続くという、猪垣というものだろうか。
それにしても杉の木々の散乱のしかたがひどく、当時の面影はほとんどない。
でも、心の中で木立を取り払い、当時の様子を想像すると、子どもたちの歓声や、ご先祖様の供養の祭りに賑わう村の姿が脳裏に浮かんでくる。
現代では忘れ去られてしまった、心の豊かさに恵まれた旧高山村の一端を垣間見た気がした。
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そのほかの写真
(07/06/05)
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