名   前  ?。
住んでいる所  福島県郡山市
誕 生 日  昭和 ? 年代4月生まれ。

好きなスポーツ

 野球の観戦(高校野球)。運動はどちらかと言えば苦手。小学校時代は、帰宅後の草野球がスポーツ。

趣味・特技

パソコン、写真(初心者)、ドライブ(写真撮影)、飾り棚の作成、庭造り(庭木や花の手入れ)「素人ですが自分の家の庭を作成中」。

PC環境

パソコン工房(Windows10)・富士通ノート(Windows7)

 

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   今年の3月11日2時46分、東日本大震災からまる2年がたちました。震災で倒壊した建物の撤去にはぼ終わって新しい建物が建ち始めましたが、福島県郡山市でも放射能の問題はまだ解決していません。以前高い数値のなかで生活しています。3月11日2時46分の震災時には福島県郡山市も震災に見舞われ、震度6弱の大きな揺れを体験しました。私は街中の「うすい」デパートに買い物に出かけていました。買い物が終わり鉄骨使用の駐車場3階いました。もう数メートルで車に、突然の大きなゆれ最初に1分間位揺れ、数秒たち約2分間位の大きな揺れが再び襲ってきました。隣のビルの壁には大きな亀裂が。数メートル離れたビルの4階部分のビルの壁が道路に落ちたり、映画に出てくる1シーンのようでした。本震が終わっても大きな余震がしばらく駐車場に留まり家に帰る準備をし、駐車場を出て一路家路に。家に着くまでは家の心配ばかりしながら車を運転し家に着きました。家は原型をとどめていましたが、家に居た家族の者はかなりの恐怖感におびえていました。家の中に入ると家具や品物は考えて居たより倒壊していませんでした。その後数週間後に原発が水素爆発しヨウ素、セシウム134・137が飛散したとかの情報が飛び込んで来ました。本震後は余震におびえながら飲料水・食料品の確保にお店に並びながら買い物に出かけて居ました。私の家は何とか水道は半日くらいの断水ですんでいたので、そのてんは恵まれていました。その時出来るだけ外に出ないですんだら放射能を少しでも少なくすることが出来たと思いました。今にして思えば福島県に、原子力発電所が身近にある事を良く理解していなくて、知識を得ていませんでした。知識が無かった為にテレビ・ラジオ等のコメンテーターの言葉に惑わされました。知識が無いと不安が倍増しますね。それにしてもテレビに出ているコメンテーターが放射能に無知?なのに、良くいい加減な事が言えたと思いました。一番は自分が無知だった事が反省点だったのですが。「絶対安全」と言う文字は言葉の中で文字で現実には、有り得ない事が分かりました。まだ身近な人の亡骸が見つかって居ない方が沢おいでに成ります。一刻も早く探している方の所に帰る事をお祈りしています。後は生まれ故郷に早く帰れますように。 

 春、桜の季節に。今年も桜が人々の心を癒してくれますように。

 

 私はこんな雰囲気の人です。O型でいい加減な処は有りますが、他人には少し頑固?の様に思われて居る所はあるようです。自分は、自分の物と他人の物が区別出来ない人が一番嫌いです。人から見ればとっつき難い人ですね。でも私は信念を持っていない人は余り好きではないです。