「鎌倉あじさいの季節に」

 「明月院(めいげついん)」は、JR北鎌倉駅から約10分 臨済宗の「建長寺」の寺院・5代執権「北条時頼」が「最明寺」を建立し、8代執権時宗が「禅興寺」に改めた。明治期に「禅興寺」は廃絶され、首位の塔頭(たっちゅう)であった。「明月院」だけが残った。昭和40年代にあじさいの挿し木を始めた事をきに「あじさい」の名所に。

  「北鎌倉」の駅を降り、あじさいの季節は前の人の後をついていくと、自然と「明月院」にたどりつきます。

 鎌倉の、小さな山に囲まれた所を「谷戸(やと)」と言うそうです。

 あじさい寺、「明月院」も小さい山に囲まれた「谷戸(やと)」の奥に有ります。

 鎌倉の「谷戸(やと)」にはほとんどといって良いほど武士が作ったお寺があります。緑豊かで清らかな水が湧き出る、静寂な風が流れる「谷戸(やと)」。

 「谷戸(やと)」の所には、必ずと言っても過言でない「やぐら」が有ります。

 「明月院」の庭は 狭くて 傾斜した「谷戸(やと)」の地形を巧みに利用してつくられています。庭の小道は迷路のように入り組んでいますが狭さを感じられません。視野が開けたその先には岩をくりぬいた「やぐら」がありました。

 鎌倉には「やぐら」といわれる独特の横穴式墳墓が見られます。

 これは鎌倉の地は山が多く、平地がとても少なかったので、鎌倉時代の武士や僧が山の岩肌に洞穴を掘ってお墓を造っていたからです。

 鎌倉の地形の特徴は、丘陵にひだのように刻まれた谷間、「谷戸(やと)」にあります。現在、鎌倉で人が住んでいる場所の多くは、谷戸の底の平地に当たり、緑地が残されているのは、尾根や斜面林の部分です。また鎌倉の寺の殆どが谷戸(やと)と呼ばれる、低い山々の間の谷に多いことからも、鎌倉に平地が少ないことがわかります。

 鎌倉の寺院の中には必ずと言っても良いくらい「庭園」が有ります。

 北鎌倉の駅の改札口を出ると、「明月院」のプラカードが。近づいてプラカードを良く見ると「明月院」最後尾の文字が。え〜ここは、円覚寺の入り口ですよ。 北鎌倉駅から列に並んで少しずつ進むこと何分だろうか。普通は10分くらいで着く距離なのに。

 「明月院」の入り口 「総門」にようやくたどり着いたかと思いましたが、園内の中も人であふれて居ました。あきらめて人の流れに沿って「あじさい」を眺めるしかないですね。前の人の後を着いて行くだけです。入り口は2ヶ所、「総門」と「茶茶橋」を渡り「北条時宗」のお墓の有る方向への入り口が。

 私は「北条時宗」の墓所が有る方を選びました。「北条時宗」墓所の入り口付近を通りようやく 「桂橋」に。「桂橋」から振り返ると入り口付近はご覧の通りの人の波。   参道も人で埋め尽くされていました。私は2ヶ所あるうちの1番左側を登る事にしました。メインの参道を歩きたかったのですが、少しでも人を避けて。

 「明月院」に咲く「あじさい」。  上の写真をクリックすると別ウィンドウに写真(あじさい)が開きます。

 「明月院」に咲く「あじさい」。「がくあじさい」あじさいの元に成った花だそうです。この花から品種改良されて色々な品種が生まれたそうです。

 「明月院」に咲く「あじさい」。

 「明月院」に咲く「あじさい」。

 花のお寺「明月院」・「やぐら」昔はお墓として使われて居たようです。

 「花想い地蔵」。あじさいの季節の花が。冬には南天の花が。

 「瓶の井(つるべのい)」。鎌倉には有名な井戸が十井有るそうです。その中の一つ。、  「明月院本堂(方丈)」前 人・人でした。歩くのもままならない。 上の写真をクリックすると別ウィンドウに写真(竹林と参道)が開きます。
 今回は、初めて本堂裏の「後庭園」を見ることに。拝観料は500円でした。 上の写真をクリックすると別ウィンドウに写真(癒しの窓)が開きます。  「本堂後庭園」。
  「赤地蔵」。 本堂後庭園から眺める「癒しの窓」。   明月院前。帰り道、 「明月院」参拝客が延々と北鎌倉駅前まで続いていました。
 「明月院」

 アジサイの青 アントシアニンとアルミニュウム。
 酸性の土壌は土の中のアルミニュウムをとかし、アジサイの根から吸収しやすくする。するとアントシアニンと色を安定させる。補助しきそが結びつき青色となる。赤色のアントシアニンは青になれなかった、アジサイだそうです(アルミニュウム不足で)。では同じ株から違う色の花が咲くのはなぜか?。一般的に日本の土壌は酸性と言われている。その度合いはバラツキがある。安定した酸性でなければ、アジサイの根はアルミニュウムを吸収できず、青い花をさかせる事ができないそうです。土壌の酸性度はPH6.5だとか。

 これらの事を踏まえて、明月院では土壌改良しながら「明月院ブルー」の花を維持しているようです。