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ヒラリー物語
 (本誌2012年1〜5月号掲載)

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アメリカ、アイオワ州のヘンカシーン牧場で生産されたヘンカシーン・エム・ヒラリー・EX-94。
 彼女はエリートカウとして注目を集めるとともに、雄大なフレームと強健な肢蹄で購買者を魅了し、アメリカ国内をはじめ、カナダ、日本、フランス等に息牛を送り出した。わが国でも02年JP3H3459ドミノ、JP5H51284ヒルウード、03年にはJP3H51532ホーネツト、04年JP3H51688ハンク、そして05年JP3H52078トツプ・ドリームと次々に供用され、その遺伝能力の高さを実証したのである。
 当然、わが国には多くの受精卵が導入され、雌牛インデックスの面から見ても乳牛改良に最も影響力のある血液といえよう。中でもヘンカシーン・ヒラリー・ホワイト・メイソン・ETは卓越した生命力と繁殖力、そして遺伝能力でわが国のみならず、世界が注目する1頭となった。そんなホワイト・メイソンを中心に広がる「ヒラリー」一族を紹介しよう。彼女を飼養する北海道湧別町・五島順二氏に伺った



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(1)ホワイト・メイソンとの出会い

〜五島さんは牛飼い何代目ですか。
 
 自分が初代で、1967年、17歳の時に3頭の子牛から始まりました。元々はハッカなどを作る畑作でした。仙美里農業講習所に行っていたので、夏休みに「おれ、牛飼いやるわ」と言って子牛を3頭買ってもらったのが始まりです。だからお金になるまでの2年間は、夏は畑、冬は山仕事で、自分で馬を持って、山の木を引っ張り出してきてお金を稼いだんです。兎に角、牛を増やそうって必死でした。
 そんな時に西堀純秋さんのお父さんが基礎牛となる牛を私に持たせてくれたんです。「お前、一生懸命やっているから、一番良い牛やる」って、貸付牛のように預けてくれたんですよね。
 実際これらの牛は順調に増えていったし、乳量も1万sくらい搾っていました。当時は今より沢の奥に牧場があったんです。もっと条件の良い土地があるという事で、今の土地に移転しました。ところが、ここの土地は粘土質で良くないんです。それを知らなくて、放牧したら硝酸態窒素中毒で、2年間に15頭くらいダメにしました。持ってきた親牛が半分になってしまい、これでとても苦労したんですよ。
 ちょうどその頃、町営牧野に牛を預けていたら、ダニ熱に罹ってしまった牛がいました。わが家に戻ってからも3、4日は生きるか死ぬかでフラフラしていたのを覚えています。そんな哀れな格好をしていましたが、安平町(旧早来町)の竹田幸夫さんが西堀牧場にテルスターの娘を買いに来ていて、たまたまわが家の前を通った時に、表に放してあった牛を見て、売ってくれと言われたんです。売り物になるような状態ではないからって断ったんですが、是非にという事で、困って、農協などに相談したら、経済動物なんだから値が付いた時は売り時だというので譲ったんです。この牛が76年の全道共進会3才1等賞2席のロングフイールド・マドコン・リーガル(父マドコン)です。
 ロングフイールドは自分が牛飼いになって初めて町の共進会で一番になった牛でしたし、それから全道共進会につながるんですから思い出深い一族ですね。

〜当時ご自分で輸入牛を導入された事はあったのですか。

 輸入牛も受精卵も一切入れていません。基礎牛として買ったのは安平町の池田文平さんの赤牛でベルガール・アグロ・スーパー・レツド、母方はオールカナディアン牛だったんです。この牛はセールで広島県に売られた牛だったんですが、遠軽町の家畜商をしている東海林さんが借金の形に2産目が腹に入っている状態で広島から持ってきたものでした。たまたま私が84年の全道共進会でモードリン・クリストフアー・マドキヤツプ・コンケストを出品して2等賞になった時、友達がどうしても欲しいって言うので譲ったばかりで懐が暖かく、そのお金を持って遠軽にこの赤牛を買いに行ったんです。見てすぐに決めました。そういうのがわが家の基礎牛になっています。

〜ヒラリーの受精卵を導入したきっかけを教えて下さい。

 実は私が直接入れたわけではないんです。96年当時はモエット事業が始まっていて、町から優雌牛導入の助成金が出るという事で、西堀純秋さんが中心となって、農済の茂木さんと本間さんを含めた授精師の人たちとが検討して、海外の優良血液の導入を決めたんです。助成事業ですから結果的に農家の手出しはほとんどなかったんです。湧別町は以前から積極的に輸入牛を入れたり、基礎牛や優良遺伝子の導入にはかなり助成してくれました。
 具体的にどの牛にしようかとなった時に、当時牛のことはよく相談に乗っていただいていたジェネティクス北海道の荒井さんの勧めで、今買うなら『ヒラリー』となったようです。
 結局エム・ヒラリーの受精卵を5個買ったんです。5個全て西堀さんの牧場で移植しました。生まれたのは雌3頭と雄1頭。雌はメイソン2頭、ルドルフが1頭。1個は止まらなかったようです。
 ところが3頭の雌のうち、普通に初産分娩後、泌乳が出来たのはホワイト・メイソンだけなんです。他の娘たちは最終的に搾乳まで至らずに終わってしまいました。ルドルフの娘はウエダファームに繋がれていましたが、7、8ヵ月で流産し、その後止まらなくなってダメになった。もう1頭のメイソンは竹中牧場で飼われましたが、胎児がミイラになって、それが出せないから授精も出来ない状態になってしまいました。
 3頭の中で一番遅く97年10月20日に生まれたホワイト・メイソンですが、当時西堀牧場は初産を分娩する前頃から育成専門になっていましたから、うちで預かる事になったんです。98年の秋でした。
 西堀さんがホワイト・メイソンを持っている時は、まだはっきりとしたシンジケートにはなっていませんでした。彼女から産まれた牛を誰に預けようか、色々考えたみたいで、預かった者は何となく仲間に加わるようになって。松原さん、中谷さん、竹中さんなども一緒にやろうとなり、8名でドリーム・シンジケートを結成したのです。ホワイト・メイソンはわが家で搾っていましたが、あくまでもシンジケートの牛でした。
 自分の所有となったのはあまり正確ではないですが、家畜改良事業団の指定交配でヘラルドを交配して採卵したんです。3個の受精卵のうち1個は加藤正治さんに売って、雄は事業団に。うちでは雌が生まれました。このヘラルドで誕生した娘牛ヘンカシーン・ヒラリー・ヘラルド・ETを西堀さんに持って行って、その代替えとしてホワイト・メイソンを自分の所有としたと思います。ヘラルドは03年のゴールデンセールに出品されましたから、ホワイト・メイソンが3産目から当場の所有となったのです。


元祖牛
ヘンカシーン エム ヒラリー ET
 EX-94-GMD-DOM
8.0 365 M19,228-F780-4.1%-P3.6%
父 カリーズエム ホリデー ET


わが国のヒラリーを代表する1頭となった
ヘンカシーン ヒラリー ホワイト メイソン ET
 
91点  97年10月20日
5.10 365 M23,302-F984-4.2%-P3.3%
父 シヨアマー メイソン ET
(3才時2産目の写真)

〜メイソンの様な牛を管理するのは気を遣いますね。

 今考えると、受精卵から誕生した時点で西堀さんで子牛たちが行き来しているのは見ていたのですが、あまり大した興味も持っていなかったのです。どちらかというと共進会に夢中になっていた時期でしたから、インデックス牛というのはあまり頭にありませんでした。それにこういう高能力牛を持ったら大変だというのも分かっていましたから。
 たまたまはらみで佐呂間町から買ってきたナイトの娘ミユーチユアル・インター・ナイトが93年に3産目で5才型年検の乳脂量日本記録を立てたんです。あの牛で高能力牛を管理する苦労を経験済みだったので、こういう牛ってあんまり持ちたくないというか、本音では敬遠してたのです。
 ミユーチユアルはBWショウに一度連れて行った事もあるし、体格得点も足が悪いながら87点もらいました。乳量は15,000s止まりでしたが、ちゃんと管理すれば2万s搾れた牛だったと思います。あの頃は管理する知識もなかったからね。でも、ミユーチユアルの経験があったから、そんなに面食らうような事はなく済みましたが、兎に角、メイソンの食い込みの良さには驚かされました。

〜西堀さんもそんな五島さんだから預けたんですね。

 その辺はよく分かりませんが、私が牛好きだってのはよく知っていますからね。西堀さんが本当に期待していたのはルドルフの娘だったんです。メイソンは体型、ルドルフは能力って理解していましたから。このルドルフの娘には随分テコ入れしたかったみたいでした。もう一頭のメイソンも未経産時にはショウに引っ張った事もある程、体型は良かったんです。未経産時はホワイトが一番小さかったんですよ。骨はきれいなんだけれど、牛は小さいし、ちょっと短く感じましたね。ところが、初産分娩後ものすごく牛が変わりました。産む前はただ深さがあるだけだった牛が分娩したら長さが出てきて、高さも出てすっかり変わったんだよね。初産83点、2産目の時には後肢が直飛気味だという事で、点数がなかなかもらえなかったんですが、その後順調に点数を積み重ねて、6才でEXになって、7才では91点もらったんですから。分からないものです。
 でも、この牛のお陰で牛舎を離れる事がなかなか出来なくなったのも事実です。


五島牧場で93年にF量日本記録を記した
ミユーチユアル インター ナイト 87点。
この牛の経験がヒラリーの管理につながった。

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(2)2万s牛ホワイト・メイソンと息牛

 五島牧場で初産を迎えたホワイト・メイソン。その年検成績はM14,819sに達した。体格も83点と初産としては上々の得点。2産目には年検M19,598sと2万sに迫る記録を見せ、3産目にはついに10検M20,725sと2万s牛の仲間入り、年検ではさらに乳量を23,302sまで伸ばした。体格得点も90点を獲得するなど、その潜在能力を見事に開花させたのである。
 そして彼女の何よりも他を圧倒しているのが、このような高能力を示しているのにもかかわらず、14才を過ぎた今も現役で泌乳を続け、しかもインデックスがトップクラスから外れていないという点であろう。01年春に公表されたNTPでは+1059、74位で初登場。その後も順位を上げ、04年には2位、05年にはついに1位に躍り出た。07年3期まで11期連続で1位を守り、その後は彼女の娘などにトップは譲るものの11年3期まで常にトップ100入りしている。もちろん彼女のような牛は他に例を見ない。


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〜初産を搾って、すぐに手応えはありましたか。

 もちろん。エッ!これはただ者ではないと思いました。初産を産んでいきなり全開で泌乳したんです。最初からそれまでの自分の牛とは違うようなという感覚がありました。だから手抜きは出来ないなと覚悟したんです。それからは共進会等も少しセーブして、彼女に集中しました。初産で15,000s近く搾って、2産目は順調にいけば2万s搾れるのではないかって言われましたが、ちょっと足りなかった。でもこの2産目で彼女の本当の力を見せつけられた気がします。だからこちらも構えて、共済の獣医さんとも常に一緒に、どう扱えば彼女の能力をフルに発揮できるかだけを考えました。
 彼女は非常に頭の良い牛で、自分でストレスやプレッシャーがかかってきた時には、ある程度表現して見せてくれるんです。餌は兎に角馬鹿みたいに食べるんですが、調子が悪い時には何となく態度で見せるんです。それに搾乳中は人が離れたら呼ぶので、離れられないのです。
 突然足が腫れたりするが、すぐ治る腫れ方をするし、乳房炎になっても、すぐ治る。自分で治す力みたいなものを持っているようです。そしてそのような兆候を見せることで、自分には限界だから、何とかして欲しいというサインを送るのだと思うんです。
 これは相当神経を使わないといけないなということで、昼夜問わず常にホワイト・メイソンのことが自分の頭の中にあり、全然よそ見出来なくなりました。極端な話、寝ていてもあの牛のことが頭から離れなくなったのです。朝、牛舎に行くのが気持ち悪くなるくらいですよ、死んでるんじゃないかとか。そんな恐怖感がありました。だから本音ではこれはとんでもない牛を預かっちゃったなと思いましたね。
 ここは沢の中だから浜風も届かないので、夏場は結構暑いんです。2、3産目は2万s近い乳量を搾ったので、かなり負担も大きかったようで、熱射病になってしまいました。足先の蹄まで赤くなるほどでした。点滴をずっと打ちっ放しとか、夕方になったら体に水をかけてやりました。それでも食い込みは落ちないし、乳は出るんですよ。このままではマズイということで、3産目には昼も搾って1日3回搾乳にして、少しでも彼女の負担を軽くしてあげました。そのせいか無事に2万sを搾ることが出来ました。
 こんな牛だから、周りの皆さんも協力してくれたんです。嬉しかったですね。3回搾乳にした時も集乳ローリーの運転手さんがうちを一番最後にして、12時頃集乳に来てくれたんです。お陰で11時過ぎに搾乳すれば間に合いました。もちろん朝はホワイト・メイソンを一番最初に搾って、その後に他の牛の搾乳です。
 家族みんながメイソン中心で振り回された感じでしたね。まさかこんな牛になるとは思ってなかったし、毎回驚きの連続でした。

〜日々の管理ではすごく気を遣われましたね。

 搾乳でも自分だけの拘りかも知れませんが、ライナーもこの牛専用、パルセーターもこの牛専用と拘りを持って管理しています。パルセーター一つにしても違うものだとリズムが違うので乳房炎になりやすいような気がしたので。自分が拘った分、妻や娘にはストレスをかけてしまったかも知れませんね。
 栄養管理も気を遣いました。餌はサイレージが1日60s、配合18s、乾草は食い放題でしたが、粗飼料と配合だけでは補えないものがあるので、良いというものは色々混ぜて食べさせました。18sも配合を食わせているから下痢に近いような軟便にはなりますが、全然問題なかったですね。もちろん毎日サプリメントや整腸剤などは欠かせなかった。そんな餌も全て平らげてしまう牛だから、ものすごい腹になるんです。どう見てもガスが溜まっていると思って獣医さんを呼んだら、単なる食わせ過ぎだって言われました。
 それだけ食べても食滞とか起こしたことはないのです。逆に食べていないと落ち着かないらしく、鳴くんですよ。
 配合入れたカートをノロノロ押して行くと、いきなり頭で抑えつけて、頭を上げることなくそのまま食べてしまいます。あのFRPのカートを2、3個バリッ!って、割られてしまいましたからね。

〜繁殖も順調なんですね。

 本牛はこれまでに7産しています。自然分娩で産まれているのはデイマンドとダーハムの2頭。最後に分娩したのは10年の5月。死産でした。帝王切開した時に子宮が癒着し、子牛が回転しなかった。結局逆子で出した時は駄目でした。雌でしたが結構いい牛だったのでもったいなかったです。
 採卵は初産分娩前のバージンフラッシュはテスク・テリーで。この受精卵で誕生したのがトツプ・ドリームです。その後ヘラルドでやって、セプテンバーでも何回か採りました。ETに対しての反応も悪くなかった。
 先日、鳥取県から何人か見に来られて、メイソンの雌がとれたら再来年買いに来ますからという注文を受けたんです。補助金の関係もあって、はらみの状態でないと買えないらしく、今年種付けて雌だったら、その牛がはらみになっている再来年買いに来るという、気の長い話でした。もちろん約束は出来ませんから一応お断りしましたが、メイソンを見て「元気だね」と、すごく喜んでくれました。メイソンの与えるインパクトは強いようで、見に来られた方々はすごく印象に残っているようですね。
 新潟県の農業総合研究所にはデイマンドのセプテンバーによる娘を繋いで貰っていますが、ここの中川邦昭技師はいろんな発表会に出席する時は必ず写真を持って行って、多くの人にメイソンの写真を見せて歩いたみたいですよ。彼のお陰で皆さんに広げてもらったみたいで感謝しています。本州の人でも多くの方が、すごく興味を持ってくれたようですね。


05年にホワイト・メイソンの息牛で初の供用牛となった
JP3H52078ヘンカシーン・トツプ・ドリーム・ET
(父テスク・テリー)

 2万s牛となったホワイト・メイソンに新たな勲章が加わった。それは息牛トツプ・ドリームがbPの成績で供用されたことである。
 トツプ・ドリームはテスク・テリーによりバージンフラッシュで誕生。ジェネティクス北海道が後代検定にかけていた。ホワイト・メイソンの兄弟牛ヒルウード(JP5H51284、父ベルウード)、ホーネツト(JP3H51532、父ルドルフ)、ドミノ(JP3H03459、父ドンビネーター)などがすでにNTP上位で活躍していたことからその期待値は高かった。実際05年2月の成績でNTP第1位で登場、乳量、SNF量、P量も1位と、圧倒的な生産性の高さを見せつけたのである。
 その後もヘラルドによる息牛スター・ドリーム(JP5H52225)が06年5月、16位で登場。娘デマンドにエア・マグナによる孫息牛マグナ(JP3H52938)が08年2期成績で15位、そして昨年2月には孫娘ストーマテイツク・ヒラリーの息牛ゴールド・ドリーム(JP3H53959)が第3位で登場、ゴールドウインの息牛としてはトップの成績で人気種雄牛となっている。



06年に供用された
JP5H52225ヘンカシーン・スター・ドリーム・ET
(父ヘラルド)


娘デイマンドにエア・マグナで08年に供用された
JP3H52938ヘンカシーン・ヒラリー・エア・マグナ・ET。

〜トツプ・ドリームが出たことで一層注目が集まりましたね。

 分娩前、西堀牧場にいた時にバージンでテスク・テリーで採卵し、誕生した牛です。05年2月に成績が出た時はシンジケートを作っていたので仲間でお祝いしました。名前どおり成績はトップで公表されましたが、牛は西堀牧場が生産されましたし、自分は本牛には直接関わっていないので、あまり印象はなかったですね。種牛自体も最初はそんなに人気にならなかったようですが、後になってフリーストール牛舎に合うということで、引き合いが出てきたようですね。
 自分が手をかけたというのではマグナの印象は強かったですね。普通は生後3ヵ月ほどで授精所に持って行ってもらうのですが、この牛は生後6ヵ月まで飼育を頼まれたんです。ただ、雄は手を離れてしまうので、あまり実感はないですね。供用されて、個々の酪農家さんが喜んでくれるのであればそれはそれで嬉しいですよ。


昨年ゴールドウインの1息牛として登場した
JP3H53959・ヘンカシーン・ゴールド・ドリーム。
母はストーマテイツク・ヒラリー。


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(3)五島牧場のホワイト・メイソンの娘たち

 五島牧場におけるホワイト・メイソンの娘たちの成績を見てみよう。長女デイマンド(父デイマンド)は88点、3才年検M19,376s-F854sと2万sに迫る成績。2女メイソン・ダーハムは91点、2才年検M16,328s-F586s。孫娘たちもいずれも初産から乳量14,000sを超える高能力を示し、中でもデマンドのジエスロによる娘ヒラリー・プリンセスは90点を獲得し、3頭目のEXとなっている。
 ホワイト・メイソンが10年間上位に君臨するNTP上位100傑を見ても、娘や孫娘たちもホワイト・メイソンに優るとも劣らない活躍を見せている。デイマンドのハーシエルによる娘デイ・ハーシエル(89点)は04年に8位で登場し、07年には1位まで上り詰めた。メイソン・ダーハムは05年に2位で登場、06年にはホワイト・メイソン、メイソン・ダーハム、そしてデイ・ハーシエルの順でトップ3を独占した。ヒラリー・プリンセスは07年に10位ではじまり、10年には3位に。デイ・ハーシエルのストーマテイツクによる娘ストーマテイツク・ヒラリー(89点)は07年に22位から、翌年には5位に。このストーマテイツク・ヒラリーのブリツツによる娘ブリツツ・ヒラリーは08年26位、10年には5位に。同じくルーによる娘マーシヤル・トエイン(84点)は10年に10位。ヒラリー・プリンセスのドレークによる娘モナリザ(89点)は10年に30位。また、ブリツツ・ヒラリーのエアレイドによる娘ホワイト・エア・ブリツツ(84点)は11年に17位となっている。

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〜娘たちはホワイト・メイソンに似たものをもっていますか。

 長女デイマンドは初産でハーシエルの娘を産んで、ハーシエルも初産でストーマテイツクの娘を産んでくれたので、おかげで一族がトントンと増えていった印象です。
 どの牛もメイソンに似て、兎に角食べる。サイズはそんなに突出していないのですが、肋の張りは全然違います。買ってもらった牛も、皆さん持って行って驚くのは、食い込みが違うところですね。佐呂間町の惣田和雄さんにハーシエルのスーパーによる孫娘が行っていますが、食い込みの良さに兎に角驚いてます。
 デイマンドは体が長くて温厚な牛で、すごく扱いやすい牛でした。飼っていて楽でしたね。
 それに引き換え、2女ダーハムはきかん気が強いですね。入り口の一番最初にいますが、人が前を通るだけで騒ぎます。勿論ミルカーをかけるのも一苦労という時もあり、ヘルパーさん泣かせの牛でした。10才を過ぎた最近はようやく温和しくなりましたが。これはダーハムの血液の問題でしょうかね。
 どうしてダーハムを選んだのかとよく訪ねられますが、やっぱり良い牛を作りたかったからです。あの頃はダーハムはタイプがとても良いと評判でしたが、娘牛もそんなに出ていなかったので、確信はなかったのです。しかし、体型なら絶対ダーハムだって思ったんです。まさか性格がこんなになるとは思っていなかったんだよね。みんなにも何でインデックス牛にダーハムなんてと言われましたよ。でも、3、4年してダーハムが人気になったでしょ。思わずニンマリでしたね。
 ファミリーを見回してもどっちかというと神経質な方ですね。極端な牛はダーハムぐらいですが。日頃どの牛もこまめに接触しているせいか、そんなにうるさいのはいなかったですね。ただ、ほとんどの牛が直検されるのを嫌がりますね。


ホワイト・メイソンの長女として誕生した
ヘンカシーン・ヒラリー・デイマンド・88点
(父デイマンド)


ちょっと気性の荒い2女
ヘンカシーン・ヒラリー・メイソン・ダーハム・91点
(父ダーハム)

〜種を選ぶ時に最優先されるのは。

 私はどちらかというと、直感みたいなものを重視しますね。だからダーハムもタイプ重視で選んだんです。ヒラリーには今でも拘って付けているつもりですが、結果的にそれらがインデックスを維持しながらつながっていると思います。おかげで種牛の契約も入っています。勿論、授精師さんをはじめ、多くの方々に情報をもらっているからなんですよ。特に受精卵の移植等に関しては本間家畜人工授精所にお世話になっているのですが、本間さんが「絶対これだ」って決めてくるので、今はほとんど任せています。
 もうメイソンは五島の牛を超えてみんなの牛になっていると思うし、みんなに世話になってここまでの成績を残せてきています。今のうちに、もう少し後継牛を増やしてもいいのかなと思うんです。自分で管理しなくても、誰か欲しいっていう人に譲ってもいいから、そういう牛を作るのも自分の義務なんだろうなって思うんですよ。彼女が元気なうちに何とか増やしたい。それに集大成というか、最後に彼女を超えるくらいの後継牛を作りたいですね。

〜高能力を維持しながら牛を長生きさせるのは大変でしょうね。

 デイマンドは6才くらいで、心筋梗塞で眠るようにして死んでいった。自分のベッドで様子が変だということで急きょ土間に移したんです。そのまますーっと息を引き取りました。穏やかな性格だけに、穏やかな死に方をしたかなという感じでした。
 デイ・ハーシエルの娘ストーマテイツクは大腸菌の影響もあったんですが、雄牛を分娩した時に、産子があまりにも大きかったために、神経を圧迫したようで、何日か経った後に、足がナックルになってしまい、治療しましたが結局ダメだった。ドイツのランスロツトの種でしたが、本当はその種は採卵する予定で預かった種だったのです。
 どの牛も初産、2産でどっと乳を出してしまうので、その影響があるんでしょうね。モナリザも3産分娩後に神経をやられて立てなくなり、7才を前に廃用になりました。期待していただけに、その期待が逆にモナリザのストレスとなって溜まったのかな。
 そんな中でホワイト・メイソンやダーハムなどは、それに負けないだけの強さがある。デイ・ハーシエルはちょっと骨が綺麗なだけに弱い感じもありましたが、ジエスロによる妹プリンセスはパワーがあります。
 実はデイ・ハーシエルは3産目の春、4月後半に雪が降った時ですが、お客さんが見に来るって言うんで、牛を洗おうと通路を歩かせた時に滑って股が裂けちゃった。結局次の日には動けなくなってしまって、表の土の上に寝かせて、周りを囲って寒さをしのいでいたら2ヵ月経ってようやく復活、分娩までこぎ着けました。腹に双子が入っていたので、産んで軽くなったことも影響したようですが、毎日立たせたり寝かしたり大変でした。農協の人が畳を運んできてくれたり、獣医さんが必死になって点滴してくれたり、メイソンつながりで皆に本当にお世話になっていますね。うちでは獣医さんが来た時点で「これは大事な牛?」と聞いてから治療が始まる。大事でない牛でも、ちゃんと搾らなきゃいけない牛だから「大事じゃないけれど大事な牛なんだよ」って答えると、ここは何もかも大事なのか、と笑われます。
 他にもこんなことがありました。プリンセスは採卵するまでモーテイーの子だと思っていたんです。自分はモーテイーが好きで、何とか頼んで付けてもらったつもりでいました。ところが1才になって採卵のための血液検査したら違ったんです。授精師さんの手違いで実際はジエスロ付けていた。慌てたというか、がっかりしました。先にジエスロの娘が1頭生まれていたんですが、あまり良くなくて、悪いイメージしかなかったものですから。何で選りに選ってジエスロだったんだろうと。ジェネティクス北海道さんは大喜びでしたがね。でも母のデイマンドに似たんでしょうね、この牛は非常に人なつっこい、優しい牛なんです。しかも90点までもらってしまいました。


デイマンドの娘でNTP第1位となった
ヘンカシーン・ヒラリー・デイ・ハーシエル・89点
(父ハーシエル)


種を取り違えて誕生したデイマンドの娘
ヘンカシーン・ヒラリー・プリンセス・90点
(父ジエスロ)

〜この一族の乳房炎など病気に対する抵抗力はどうです。

 乳房炎にはなりますが、すぐに治るんです。ダーハムも3本がSAに冒されましたが、治してから出ていません。とても乳房炎に明るい獣医さんがいたので、SAだって恐ろしくなかったですね。この獣医さんは色々な薬と量を試行錯誤しながら、次々と奥の手を出してくるんです。ヒラリーはインデックスカウだから、乳が出なきゃならない。だから乳房炎になっても10〜15日で完治させる方法というのを考えました。それでないと乳量を落とす結果となりますから。だからいかに早く治して、元の乳量に戻すかということを考えたんです。
 もう5年以上前になりますが、ヨーネが出たんです。5H52225スター・ドリームが種雄牛になって表彰されたのが06年、その翌年です。牛の力と周りの皆さんの協力のおかげで、1年で正常化出来ました。ただし、授精所は雄牛を生体では持って行けないというので、受精卵のみとなったのが残念です。でも、娘や受精卵を買ってもらった各地の牧場から喜びの便りが届くのがとても嬉しいですね。


高インデックスを受け継ぐ6代目
ヘンカシーン・ホワイト・エア・ブリツツ・ET・84点
(父エアレイド)


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(4)他牧場での娘たちの活躍

  ホワイト・メイソンの娘たちは湧別町内はもとより、日本各地で高能力を発揮している。NTP100傑リストに顔を見せている娘たちをピックアップしてみよう。
 03年のゴールデンセールで兵庫県洲本市・中野牧場に移動したヘラルドによる娘ヘンカシーン・ヒラリー・ヘラルド・ET(81点)が04年のNTP第22位で登場、湧別町・加藤正治牧場のフルシスターであるアツドランド・ヒラリー・フアースト・レデイ・ET(80点、)も50位に付け、翌年にはそれぞれ14位、29位にランクアップした。07年にはフアースト・レデイのチヤンピオンによる娘アツドランド・ヒラリー・レデイス・チヤンピオン(84点)が45位、モーテイーによる娘アツドランド・ヒラリー・メリツサ・ET(83点)が80位に。
 07年後半には湧別町・潟Vーレークで誕生したデイ・ハーシエルのボリヴアーによる娘ヘンカシーン・ヒラリー・オリーブ・ET(87点)が6位で登場、翌年には第1位となり注目を集めた。シーレークではこの他に、オリーブのトイストーリーによる娘シーレーク・ヒラリー・デイ・オリーブ・ストーリー(85点)が10年に9位、現在7位にアップ。デイマンドのボルトンによる娘シーレーク・プレミアム・ヒラリー・ET(88点)は10年8位で登場し3位に、さらにブリツツ・ヒラリーのジエツト・ストリームによる娘ヘンカシーン・デイジー・ジエツト・モリー・ET(83点)は17位から5位へ順位を上げている。
 同じく湧別町・松原貢牧場ではデイ・ハーシエルのレギーによる娘ヘンカシーン・ヒラリー・レギー・ET(84点)が08年100位、フルシスターのヒラリー・レンジ・ET(82点)が30位から翌年は12位にアップ。その後もレギーのトイストーリーによる娘ヘンカシーン・レギー・トイストーリー・ET(85点)が29位。レンジのバクスターによる娘ヘンカシーン・バクスター・レギー(86点)は25位、ゴールドウインによる娘ヘンカシーン・ヒラリー・ゴールド・ET(83点)は11位と高インデックス牛を生み出している。また、潟Eエダファームではホワイト・メイソンの末娘ウエダフアーム・ヒラリー・ホワイト・ストーム・ET(84点、父セプテンバー)が09年66位、オリーブの娘ヘンカシーン・UF・オリーブ・エアレイド・ET(83点、父エアレイド)は現在38位と、湧別町内だけでも高インデックス牛は枚挙にいとまがない。
 他に道内では枝幸町・藤山牧場にもデイ・ハーシエルの受精卵から娘が誕生しており、エツチエフ・ヒラリー・チエリー・ガール・ET(84点、父モデスト)は09年35位、その後24位までアップ。訓子府町・ホクレン畜産技術実証センターではオリーブの娘ホクレン・ヒラリー・トイス・オリーブ・ET(82点、父トイストーリー)が38位。そして士幌町・山岸均牧場のブリツツ・ヒラリーのジエツト・ストリームによる娘TLM・ジエツト・ヒラリーが10位にまで順位を上げ、一躍注目される存在となっている。
 府県では新潟県三条市・県畜産研究センターが導入したデイマンドの娘ヘンカシーン・セプテンバー・メイソン(83点、父セプテンバー)が09年84位。そして宮崎県えびの市・前原和明牧場ではデイ・ハーシエルの娘ヘンカシーン・ストーマテイツク・デイ・ジヤスミン・ET(87点、父ストーマテイツク)が18位、デイマンドの娘ヘンカシーン・プロント・ホワイト(85点、父プロント)は70位まで上昇している。
 実際に飼養している牧場の声を拾ってみた。

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10年後半にはNTP24位にランクされた
エツチエフ・ヒラリー・チエリー・ガール・ET・84点 
北海道枝幸町・藤山祐介牧場


10年初期にNTP38位にランクした
ホクレン・ヒラリー・トイス・オリーブ・ET・82点 
北海道訓子府町・ホクレン畜産技術実証センター


湧別町 慨EA-LAKE 加藤智行氏

 自分が牛に興味を持てるようにと西堀さんがオリーブとエレガンスの未経産牛を売ってくれたのがヒラリーとのつきあいのはじまりです。オリーブは他の牛より体長はありましたが、他にこれといった特徴はなく、ヒラリーってこんなものかと思いました。でも乳房付けたらそのパワーにビックリしました。2産目には2万s近く泌乳し、08年、09年のNTPも1と、期待以上の働きを見せてくれました。他にも受精卵や生体で血液を導入していますが、出だしはどれもそんなに変わらないですが、ヒラリーは後半落ちないんです。採卵しても落ちることはないですね。その後モエット事業でデイマンドのボルトンによる卵を買ってプレミアム・ヒラリーが生まれ、五島さんから直接ブリツツ・ヒラリーのジエツト・ストリームによる娘デイジー・ジエツト・モリーを買っています。オリーブとジエツト・モリーは増えていますが、プレミアム・ヒラリーはまだ娘1頭だけなので、もうちょっと増やしたいですね。自分がまだ勉強不足で大したことは出来ないんですが、ヒラリーを扱うきっかけを与えてくれた西堀さんと五島さんには感謝しています。


08、09年のNTPでNo.1の座についた
ヘンカシーン・ヒラリー・オリーブ・ET・87点 
北海道湧別町・鰍rEA-LAKE


NTP3位まで上昇している
シーレーク・プレミアム・ヒラリー・ET・88点 
北海道湧別町・鰍rEA-LAKE

湧別町 加藤正治牧場

 メイソンのヘラルドによる娘フアースト・レデイはまだ現役でいます。娘はチヤンピオン、モーテイー、ブリツツで取りましたが、中でもチヤンピオンの娘レデイス・チヤンピオンはTMRだけで、トップドレスなしの管理状態で、2万s出たんですから、その力は本物だと感じました。うちには他にもデリアやエボニーなどいろんな血液を導入しているので、ヒラリーだけ特別扱いしているわけではないのですが、その中でもこのチヤンピオンの娘は特別でした。しかもピークは69sまでですが、乳期が長いんです。うちや五島さんだけでなく、同じ湧別町の中でもみんなその力を実感していると思います。ただ、フアースト・レデイはやや乳房が大きめなので、乳器の良くなる改良を心がけており、どうしてもインデックス重視のかけあわせにはなりません。インデックス重視ならもっとインデックスが上がってくるのかな。


この他湧別町には松原貢牧場のデイ・ハーシエルのレギーによる娘が2頭いるが「ヒラリーはいずれも餌の食い込みが良く、乳量も多く、繁殖が悪くなることはない。他の輸入の血液も導入しているが、乳量では圧倒的にヒラリーに敵わない」という感想だ。
 では湧別町以外の牧場はどうだろうか。五島牧場と親交が深い宮崎県えびの市・前原牧場に伺った。


宮崎県えびの市・前原和明牧場

 08年のゴールデンセールに出品される予定だったジヤスミンの購買を考えていました。当時NTP1のデイ・ハーシエルの娘で、フルシスターのストーマテイツク・ヒラリーの能力と体型から、間違いないと思っていました。しかし、セールは欠場となったので、どうしても欲しくてTAICの山口部長を通じて、何とか購入することが出来ました。実際に搾ってみると「搾る」というより、「出してくれる」という印象の牛です。平均で11,500sくらい搾っているわが家の牛群ですが、その中でジヤスミンは初産とは思えないフレームと力強い乳器から、14,000sほど(口蹄疫のため正確な検定成績が出ていない)搾っています。
 そんなヒラリーに惚れ込んだので、デイマンドの娘ホワイトとダーハムの娘プロミスも五島さんにお願いして譲っていただきました。実際に五島牧場を訪ねて、メイソン、ダーハム、プリンセス、ブリツツなどを見せて貰いました。中でもダーハムは91点の体型と質感もとてもよく見えました。しかし、娘は1頭だけしかいないのに五島さんが譲ってくれるというのでビックリしました。結果としてヒラリーを3頭導入したのです。ホワイトは初産85点、年検16,540s。プロミスは初産84点、年検15,838sで、ショウに引いても通用するような肋の幅、開張は目を見張るものがあります。今はそれぞれ1頭ずつの娘とブリツツ・ヒラリーのET娘が生まれたので、全部で7頭になっています。「よく食べ、よく働く」ヒラリーとの出会いは五島さんご夫妻と知り合える機会を作ってくれましたし、うちの基礎牛となっていくでしょう。「夢」と「希望」の持てる牛達です。今後もAI事業体の協力を仰ぎながら、改良を進めていきたいと思います。



現在NTP18位につけている
ヘンカシーン・ストーマテイツク・デイ・ジヤスミン・ET・87点 
宮崎県えびの市・前原和明牧場


インデックスで確かな地位を築き上げたヒラリーだが、共進会も嫌いでなかった五島牧場としては、ショウタイプの改良に興味はなかったのだろうか。

〜常にインデックス重視の改良を心がけていますね。

 そうです。授精所や購買される方の要望はあくまでもインデックスなんです。ハーシエルが初産分娩して、うちで初めての2才85点になった。これはと思ってショウに引っ張ろうと思っていたら、GHの藤田さんから「あくまでもインデックスだよ」って念を押されたんです。ただ、インデックスの血液って不思議だなと思うのが、1ヵ月くらい経ったら急に乳房が大きくなってきたの。乳量もドーッと出だして、これはやっぱりショウに向かないなと思って、ショウは辞めたんです。最終的には残念な乳房になったんだけれど、体の作りは素晴らしく、遠目にもきれいな牛でした。


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(5)世界の24頭に選ばれたメイソン

 採卵のことも考慮して、2年に1産のペースで分娩を重ねてきたホワイト・メイソン。2010年5月に12才6月で7産目を分娩した。この産でも年検M15,054sと年齢による衰えを全く感じさせない能力を見せてくれた。そんな彼女に、この年の秋ヨーロッパから思いもしなかった嬉しい連絡が届いた。ホルスタイン・インターナショナル誌が主催するグローバル・カウ・オブ・ザ・イヤー2010で、メイソンが世界の24頭にノミネートされたというものだった。最終的にカウ・オブ・ザ・イヤーには世界的な人気種雄牛スノーマンを輩出したドイツのエルザが選ばれメイソンは惜しくも頂上を極めることは叶わなかった。しかし、これまでに選ばれてきたジプシー・グランド、ベイラー・トウワインなど、世界に名を馳せている名牛に肩を並べることになったのは紛れもない事実である。ところが飼い主の五島さんはこの吉報を病院のベットの聞くこととなった。足首を骨折し、長期入院を余儀なくされていたからである。

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〜グローバル・カウ・オブ・ザ・イヤーにノミネートされて、ホワイト・メイソンは五島さんの牛というよりは、日本を代表する牛となりましたね。

 まるで他人事のようでした。ちょうど足を折って入院中の病院で聞いて「エー?!」って。家族も私が入院中だからバタバタしていた最中のことでしたから。世界中の牛の記事を扱う雑誌で、うちのメイソンが選ばれ、しかも日本の牛が選ばれたのは初めてということで。英語の記事を訳してもらって、ようやく理解したような状態でした。
 光栄だなと思っていたら、農協や共済でも話題になり、昨年は湧別町の文化功労賞を頂きました。
 私が入院していて何ヵ月も牛舎から離れていたのに、12才を過ぎた今乳期だって、M15,000s出してるんだからね。だから自分がやっていたのは何だったのかなと思って。その分家族に負担をかけたのでしょうが。
 日本だけでなく世界の牛として見られるようになりましたからね。高齢ですし、もう止まらないから肉にしようって言っても、簡単には出来ないですよね。こうなったら死ぬまで面倒をみないといけないでしょう。
 実際、本間さんや武田先生も、もう諦めて体外受精しましょうと言うんです。でも、自分としては抵抗があるんです。まだ本牛が元気ですからね。それに本来、この牛は搾ってなんぼの牛ですから。何とか受胎させようと挑戦しています。採算は度外視ですよ。彼女は2年に1産という考えで養ってきましたから、そのペースを崩さないでいたいですね。
 以前ショウで大活躍したウインナー・シユープリーム・エスコートの晩年を見に行ったとき思ったのは「あの雄大だった牛があんなにも小さく縮んでしまうのか」ということでした。あれからするとメイソンはまだまだ若く、元気ですよ。




HI誌2010年9月号のグローバル・カウ・オブ・ザ・イヤーに
ノミネートされたホワイト・メイソン

〜これまで分娩等で大きなトラブルはなかったのですか。
 
 メイソンは08年にブルーブラツドの息牛を産んだ時は帝王切開だったんです。娘の夫が獣医をしているのですが、メイソンの分娩時には何故か当番だったり、家にいたりするものですから助かったんですよ。この帝王切開の時も、前産の死産の時もちょうど診てくれました。不思議とそういうのを呼び込むというか、分かっていて産むみたいです。一番危機を感じたのはこの帝王切開の時で流石にダメかなと思いました。メイソン自体が訴えているのを、自分がなかなか読み取れなかったのでしょう。
 メイソンのような頭の良い牛は体に異常があるのが自分で分かっているんです。この時メイソンには産道に動脈瘤ができていたんです。だから自ら体の中で流産させようと思ったようです。でも、それが流れなかった。私達が気づいたのは獣医さんが繁殖検診していた時です。それでも私は受胎を維持させたんです。産道だから破裂してもさほど問題ないと思っていました。しかし、メイソンは自分を守るために胎児を落とす気になったんだね。次の段階に入って、分娩が近くなっても頚管が開かなかった。これはやっぱり牛自身が分娩を怖がっているのだと思ったので、帝王切開で出したんです。ところが次の年になったら動脈瘤は固まって破裂しない堅さになっていました。
 なんか不思議な牛なんです。言葉とかそういうもので言い表せないような、魔物じゃないかってくらい凄いものを持っている牛だなと思います。その後も顎が腫れてきたから、もしかしたら変な病気かなと思って検査してみたら、なんでもなかったり。非常にドキドキハラハラさせられっぱなしです。
 一族ではハーシエルが4産目の時にカラスに突かれたのか自分で踏んだのか、太い乳静脈から血を吹き出していたんです。指で押さえても止まらなかった。蕁麻疹も出ていたので、すぐに獣医に連絡して、別の牛から輸血して、何とか助かりました。起立不能になって寝ている時も、みんな畳持ってきてくれたとか、応援してくれて、助かる牛っていうのは、そういう時にちゃんと人を呼んだりするんだよね。
 自分が長期入院をしていた間も地域の人たちがみんなで助けてくれました。ヒラリーのことは、地域で知らない人がいないだけに、みんなが心配してくれたんです。
 逆に弱いというか、死ぬ牛っていうのは、間に合わないものです。私が入院中に、宮崎県の前原さんの娘さんが手伝いに来てくれていて、妻が東京に用事が出来たので、彼女やヘルパーに任せて2日家を空けたんです。空港で「ブリツツがメスを産んだよ」って連絡もらって、「良かった、後よろしくね」って言って出発したそうです。他のカルシウムを打つのに獣医さんを呼んだりしてもらいました。妻は次の日遅くに帰ってきて、ブリツツ大丈夫って聞いたら、大丈夫ですって言うので、そこで見に行けば良かったのでしょうが、時間も遅かったので見に行かなかった。朝ヘルパーの人が飛んできて、倒れてるー!って。みんなで一斉に牛舎に行ったら、もう手遅れ状態だったようです。夜に見に行っていればという後悔からか、妻も入院中の自分に言い出しづらかったようで、すぐに教えてくれなかったんです。結局前原さんからの連絡で知ることになりました。
 06年スター・ドリームが供用牛となって、家畜改良事業団の種雄牛生産者の表彰の時にも、ヘルパーさんだけには任せられないので、自分は出席しないで、家内と娘を行かせました。やっぱり不安でメイソン1人にしておけないんですよ。何かあって残された人に文句言っても遅いじゃないですか。だから、それだったら自分は行かないで、ちゃんと面倒みるって。それなら納得いくので。
 これだけ一族が増えましたが、本元はメイソンなんです。だからこの牛が生きている間は最後まで面倒みようと思います。自慢の牛でありながら、凄く素敵なパートナーっていう感覚です。
 妻には私がメイソンにばかりへばり付いているので仕事が進まないと怒られてばかりですが。

〜やはりメイソンから離れられなくなったんですね。

 ヒラリーに関しては自分のものだというより、みんなから預かっているんだっていう感覚です。みんなの代表の牛をね。だから離れられないというか、これだけのものを預かった以上は離れちゃいけないということですよ。変なところで妥協するのが嫌なので、やれるだけのことはやりたいという思いです。皆さんにお世話になって、盛り立ててもらって、自分のやることは何かといったら、彼女たちをきちんと管理することなんです。あとは、遺伝子をしっかり増やしていくこと。これが自分たちの使命だから、それ以外は皆さんが盛り立ててくれるので、まずしっかり管理して、それから遺伝子を皆さんに提供して、受け取った人たちがそれぞれの経済に繋がっていくような方向に向いていけばいいなって。だから、娘や受精卵を持って行った人がどんなに儲けようと、私はそれで良いと思っています。その経済効果を上げたことで、逆に喜ばないといけない。そんな気持ちでいます。
 昨年入院せざるを得なくて、4ヵ月そばにいて面倒をみてあげられなかったというのは、悔いが残りますね。でも、家内や娘たちが相当に神経を使ってやってくれましたから感謝しています。メイソンも分娩から半年過ぎて、ピークは過ぎていたってこともあったので、自分もうるさく指示することもなかった。たまたま12月からTMRセンターの餌に変えた時期でしたが、割とスムースに移行して、乳量も落とさないで搾ることが出来ました。
 入院中はメイソンの写真をベットの横に置いていました。本当に寂しい思いをしたのは自分の方だったのかもしれません。


ホワイト・メイソン13才時、
雄大な体格と若さに衰えは感じられない。

〜メイソンの跡を継ぐのはどの牛でしょうか。
 
 どれになるのかな。具体的にはそこまで見えていないんです。今はメイソンがいなくなるっていうのが漠然的すぎて。
 牛舎の入り口にメイソンとダーハムが繋がれていますが、この場所は変えられないんです。他のヒラリーもその牛にあった繋ぎ場所を考えています。だから移動させるのもヒラリーの場所を決めて、その他の牛はその牛たちの範囲内で回さないとダメなんです。
 どうしてもメイソンの後継を考えるとすれば、今のところはハーシエル、プリンセス、この2頭でしょうね。この2頭でもっとインパクトのある牛を作ってみたいという気持ちはあります。今はジェネティクス北海道の藤田さんとプリンセスでショウカウを作ってみたいねっていうのが共通の話題です。なんとか挑戦してやってみたいなって話はあるんですよね。

〜具体的にこの2頭には何をかけ合わせようとしていますか。


 ハーシエルもプリンセスもインデックスではピークが過ぎているので、次の世代に期待しています。インデックスはそのまま上げていきたいし、実際それらから広がっている牛たちは上がってきている。だからインデックスはそれらの牛に任せて、この2頭には今付けるとしたらタイプを優先した交配で娘をとってみたいね。

〜アメリカではヒラリーからサンチエスという好体型種雄牛が出ていますね。

 
 本家のヘンカシーン牧場もインデックスだけでなく、ショウタイプの改良にも力を入れているようです。実際にショウカウも出てきていますよね。
 ヘンカシーン牧場のオーナーのトレントさんから手紙と写真をもらいました。こんな遠くの日本で自分の牧場から出た一族が活躍していると思ったら嬉しいんでしょうね。自分のところから行った娘牛が九州は宮崎県の前原牧場で活躍していると嬉しいのと一緒でね。
 このように遺伝力を自分の手元だけにしまって置かないで、多くの牧場に広げて、そこで牛群改良を進めたり、種雄牛を通して血液が広がっていく。すると夢がどんどん広がっていくんですよね。



アイオワ州のヘンカシーン牧場から届いた手紙


2012年2月公表のNTPで37位で登場した
JP3H54336 ヘンカシーン・ジユピター・ET

〜メイソンと歩んできた14年間を振り返ると、苦労それとも喜楽?

 あっという間ですよね、夢中でやってきたので。ただもう、特急列車に乗っているみたいで。この牛についていくのがやっとの感じでした。もっと経験があれば、もっともっとこの牛のことを理解できたのかなという思いもあります。
 端から見たら、何であんなに牛に付きっきりでいないといけないのかなって思うくらい、ずっと一緒で牛から離れたことがないのですから。
 そんな自分の管理の仕方を見ているので地元でもヒラリーに興味がある人はもっといるのですが、なかなか手が出せなかったみたいです。実際に大変だということで、二の足を踏んだという話も聞いてます。
 ちょっとその辺は私も意外でした。もっと地元に提供したいという気持ちがありました。こんな牛を、自分1人で抱えちゃうのはどうかなと思ったので。新たにシンジケートを組むという方法もありましたが、逆に狭めてしまうので。地域に、湧別町全体の活性化のために、若い人たちのためにも、この遺伝子は残すべきだという思いがありました。実際町内でも、松原さんのレギーから新規供用種雄牛ジユピター
の誕生という嬉しい報告もありました。 確かに、今は輸入授精卵でも安く手に入るし、MOET事業や様々な補助事業によって、安価に世界の血液を手に入れることが出来る時代です。でも、このヒラリー一族を飼ったら絶対経済効果は上がるという自信はあります。
 町内や地元北見地区酪農家をはじめ、日本各地でヒラリーを愛してくれている牛飼い仲間たち、授精所、関係機関の方々、そして家族に支えられてメイソンも自分もここまで来ました。仮にこのメイソンがいなかったら共進会に夢中になっている普通の牛屋だったでしょうね。


ホワイト・メイソンと3人4脚で歩みを進めてきた
五島順二さんと妻の法子さん。