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スイートネス物語 (本誌2013年1〜4月号掲載)

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 1995年度のMOET事業により北海道内には多くのエリートカウの受精卵が導入された。この中でいち早くこの事業に取り組み、着実に成果を上げてきたのが道北の歌登町(現在は枝幸町に合併)の酪農家達である。その中心となって活動してきた小椋義則牧場では「スイートネス」という国内トップクラスのインデックス・ファミリーを構築し、種雄牛、種雌牛を通じてわが国改良界に多大な影響力を持つまでになった。そんな「スイートネス」ファミリーの足跡を辿ってみよう。

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(1)スイートネス誕生

□義則さんはゼロから牧場を始めたということですが、その経緯を教えて下さい。

 公社のリース事業の話があって、当時高校生の弟も将来は牛屋をやりたいと言うので、82年のリース事業第1号でここに入植し、30頭繋ぎで牧場を始めたんです。当初はこの牧場を弟に任せて、自分は実家に戻るつもりでしたが、このまま続けることになり、実家は弟に譲ることにしたのです。
 大樹の育成牧場から半分と、地元の農家から適当に牛を集めました。最初はまず搾ることだと思い、牛を選ぶ余裕なんてなかったですね。
 実習先の恵庭市・福屋牧場から親に買ってもらった牛で、81年の前橋全共父系牛群にも出た「ハニー」の娘が1頭だけ由緒正しい牛でした。高い牛でしたので親には感謝しています。
 ところが自分は技術も何もないから、牛をすぐにダメにしてしまいました。30頭入れて1年目に15頭はいなくなりました。それに当時はチャレンジフィーディングとか言って、どんどん餌を食わせて乳を搾る時期で、普及員などと一緒になってがむしゃらに挑戦しました。とりあえず乳は搾れましたね。92年から牛群乳量は1万s超えています。でも牛への負担も相当だった思います。ミルカー掛けて搾られてる最中に寝ちゃう牛がいたくらいですよ。随分勉強代を払ったかも知れませんが、共済金も掛けていたからね。
 福屋牧場で実習した当時は乳牛改良については何も知らなかった。もちろん共進会なんて初めての体験でした。親方に埃をとるのに毛ブラシを持ってきてと言われて、私は気を遣って勝手に水で濡らして渡してしまい、出陳寸前の牛をベチャベチャにしてしまったこともありました。
 でも、自分で酪農を続ける中で搾りだけじゃなく、ショウの世界にも興味が出てきました。82年には近所から買ってきたマリナーの娘を全道共進会に初出品しました。成牛クラス2等賞でした。91年には道北共進会でミステイ・マツクスの娘がクレセントミード牧場のオーナーの審査でジュニアチャンピオンに、全道では2等賞1席でした。その後99年にスーパーサイアーの娘で初めて1等賞入賞、05年の栃木全共ではチヤンピオンの娘で優等賞に入賞と、ショウリングで活躍したいという思いを実現できました。


□94年には2万s牛も出ていますね。

 94年に搾ったマリー・ゴールドね。バリアント・ゴールドの娘で、稚内市の米沢さんが酪農を止める時に買った牛です。この2万s牛の前にプロフイツトで18,199kg搾って、宗谷管内の最高乳量を出したことがあるんですよ。この経験があったので2万sも無事搾ることが出来たんでしょう。
 共進会でも搾りでも思ったように実績を作ることが出来ましたね。今思うと怖いくらい順調でした。


□MOET事業に取り組んでいった経緯は

 この歌登地区は宗谷管内では気候が良い方なので、遅くまでイモやビートなどの換金作物を作っていたために、酪農は後進地だったんです。それで先輩達7戸が、まず猿払村の乳検に加入して、80年頃に歌登乳検組合を作り、乳牛改良と意識改革に取り組んだのです。おかげで乳量的にはここ20年近く管内トップの成績になっています。
 しかし、歌登にはこれといった核になる牛はいませんでした。昔は猿払村には木村さんのコバ・コマンダーや須藤さんのセジス・ドン・ローヤル・ホープといった名牛がいましたし、今は豊富町に佐藤牧場の「ハーゲン」や栗城牧場の「アポロ」がショウで全国的に名を売っていますよね。歌登にそんな牛はいなかったのです。でもかえってそれが良かったのかも知れない。核となる牛がいなかったからこそ思い切って受精卵に取り組めたし、インデックス牛を生み出そうという意識も高まったのでしょう。この歌登の名を全国に広めたのは何と言ってもインデックスだと思いますから。
 歌登は89年から受精卵事業を始めています。初期の採卵や移植の時は技術者も馴れていないので試験的な採卵でしたから無料だったのですが、メンバーが20人くらいに膨れ上がり、結局その後の飲み食いに余計お金が掛かったのを記憶しています。それでも滞ることなく続けてきました。
 MOET事業は95年から最後の99年まで毎年4、5セットずつは導入していたと思います。この時も先生達に北米では10ヵ月未満の牛でもバージンフラッシュしている、そうして改良速度を速めていくんだよと教えられたので、私達は真面目に実行しました。他の地区では未経産で採卵したら止まらなくなるとか、何年か経ったら乳房がおかしくなるとか聞きましたが、少し時間のかかった牛は中に1、2頭いましたが、止まらなくなった牛はいなかったですね。それよりもバージンで採ることの意味が重要だということも、ある程度理解していたと思うんです。少しでも、1日でも早くその血液を増やすことになるのですから。
 結果としてうちのスイートネス、弟孝則牧場のベツツイ、内田牧場のジユリエツトとマークイス、細川牧場のテンプル・メーカー、澤田牧場のシヤーレツテイとバンビ、藤山牧場のヒラリー、そして門馬牧場のブランデイなど、日本のトップクラスのインデックス牛を繋ぐことが出来ています。
 


小椋牧場に誕生したスイートネスとベツツイ。コナントエーカースJY・ブローカーというメジャーな種雄牛を生み出したスイートネス・ファミリーから、父マスコツトで誕生したオムラフアーム・スイートネス・ET(85点)は、初産10検M14,447s-F527s-3.6%で2才型乳量8位、2産目もM16,235sの高能力を示した。インデックスも期待通りで、NTP100傑には99年-Uで第52位に登場、02年-Tでは33位まで上昇している。一方全米トップクラスのインデックスで注目されたプライセス・メルウード・ベツツイ(EX-91)にパトロンで誕生したオムラフアーム・ベツツイ・ET(85点)も初産13,065s、03年-Uで24位に登場。小椋牧場のインデックス戦略はこうして口火を切った。


□最初はスイートネスとベツツイの2系統を繋いでいましたね。

 うちには95年度事業のスイートネスと翌年の事業でベツツイの卵を入れました。スイートネスは種牛のコナントエーカースJY・ブローカーを知っていたから選んだのです。ほかに血液などはよく分からなかったし、母のビーエス・シモナはEX-93、その母マーク・スイートはVG-89で、尻がおかしな牛だなという程度の印象でした。一方、プライセス・メルウード・ベチーは当時高インデックス・ファミリーとして話題でした。
 受精卵は6卵ずつ貰って、スイートネスは97年1月末に生まれたオムラフアーム・スイートネス・ET1頭のみ、ベツツイは同じ年の11月に2頭生まれて、1頭は弟に分けました。
 スイートネスは何とか生まれた1頭ですし、特別な牛だという意識は大きかったと思います。それに真冬に生まれたので、こんな特別な牛をうちのボロ施設ではどこで飼えば良いのか真剣に悩んだ末に、ちょうどブロックのタワーサイロが使わずに空いていたので、この中で飼うことにしたのです。カウハッチのように隔離されているから衛生的にもベストだし、寒さも防げるから一石二鳥だと思いました。
 サイロの深さは2b以上で、ハシゴを掛けて毎日哺乳したり餌を与えたりしたのです。寝ワラを積み重ねていけば、ちょうど良い大きさになった頃には地面の高さまでになり、牛を出せるかなと思っていたんですよ。ところがワラはいくら入れても下の方が発酵して沈んでしまうので、床の高さはほとんど変わりませんでした。
 結局6ヵ月目にコンパクト乾草を積んで階段状にして、何とか出しました。この時ようやく日の目を見たんです。
 同じ年の秋に生まれたベツツイは逆に特別飼いした記憶はないですね。兎に角スイートネスはうちの汚い牛達と一緒に飼うのはまずいだろうと思ったのです。
 スイートネスは大事にし過ぎたせいもあり、細い小さな牛で、見た目にはあまり良い牛にはならなかったですね。父がマスコツトというのも影響しているのかも知れないね。
 それでも初産から当時2才型では第8位の高乳量を見せてくれたんです。インデックスも52位で登場し、02年には33位まで順位を上げました。
 一方、ベツツイがNTP100傑に登場したのは03年で24位。弟孝則のホープランド・ベツツイは01年に92位で登場し、04年に2番目まで上がっています。当初は2本立てで増やしていって、と思っていましたが、弟に譲ったベツツイの方が本牛も良かったし、成績もリードされていたので、ベツツイは弟に任せて、自分はスイートネス1本でいこうと考えました。


小椋牧場を中心とする歌登の酪農家が
シンジケートで導入したフレーランド・ウエンデイ・リー(90点)は
03年の全道共進会でシニア3才1等賞4席の成績を収めた。



元祖 オムラフアーム・スイートネス・ET(85点)
2.1 365 M17,068-F628-3.7-P3.3  TP+1430
3.4 305 M16,235-F567-3.5-P3.2 (02-U 第33位)
4.7 305 M16,164-F562-3.5-P3.% 父:マスコツト



オムラフアーム・ベツツイ・ET(86点)
3.2 305 M16,297 F645 4.0% P3.0%
父:パトロン



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(2)ダーハムを掛けたことが吉に

  99年スイートネスのNTP52位でスタートしたインデックスは、上位100傑には01年にセルシアスの娘セルシネス、02年ルドルフの娘ルフネス、03年にはアーロンの娘アローネスと娘達が次々と登場してくる。03年にはセルシネス第9位、アローネス第12位、そしてルフネスが3位にまで上昇している。中でもルフネスは02年第6位で登場してから10年まで9年間トップ100に留まっていた。
 孫娘達、いわゆる第3世代は03年セルシネスの娘スイートネス・ボンド(父エアロ・ボンド)が03年最上位85位に始まり、ルフネスの娘スウイーテイー・ダーハム(父ダーハム)が04年6位。同じく06年にはフインリーによる3姉妹スイーテイー・カトリーヌが16位(09年には12位まで上昇)、スイーテイー・メグが17位、そしてスイーテイー・ジユリアが36位。セルシアスのミスター・シツプスによる娘は06年70位に付けた。
 第4世代ではスウイーテイー・ダーハムのBW・マーシヤルによる娘スイーテイー・マーシヤルが06年14位、モーテイーによる娘スイーテイー・モーが07年5位、彼女の全姉妹スイーテイー・フオーは08年に第2位まで上り詰めた。また、スイーテイー・メグのミスター・サムによる娘スイーテイー・マリンチヤンは08年41位、トイストーリーの娘メグ・ストーリーとライアン・ストーリーは09年にそれぞれ37位、50位、サタイアによる娘メグ・サタイアは11年68位。スイーテイー・カトリーヌのミスター・サムによる娘スイーテイー・シー・ストーリーが42位、トイストーリーの娘ドヌーブ・ストーリーとカトリーヌ・ストーリーは09年にそれぞれ34位、40位となっている。
 第5世代になると、スイーテイー・フオーのルーによる娘スイーテイー・エー・ルーが10年61位、ボルトンの娘スイーテイー・フオートンが11年24位。スイーテイー・モーのゴールドウインによる娘スイート・メモリーが58位、シドニーによる娘ゴールデン・モーは12年92位。
 現在は第6世代まで進んでおり、スイート・メモリーのエス・テンプターによる娘SS・メモリーが12年86位に付けている。
 特に06年から10年の間は常に10頭近い牛が食い込んでいる。また、歌登としてみると05年頃からは常時20頭前後のインデックスカウをトップ100に送り込んでいる。なお、12年8月公表のものでは29頭も名を連ねている。

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オムラフアーム・ルフネス・ET(90点)は
スイートネスの本流を築き上げた。



セルシアスによる娘オムラフアーム・セルシネス・ET(85点)。

□最初はベツツイの方が勢いがあった印象でしたが。

 たしかにスイートネスが良くなったのは、ダーハムをくぐってからで、段々体型が良くなっていった。元祖スイートネスにしろ、90点を貰ったルフネスでさえ、体型的には決して褒められるものではなかった。
 それに比べて、ベツツイの方は体型は86点でしたが、乳器は90点付いたほど良かったのです。自分はセルシアスで、弟の方はテスク・テリーなどで娘を取りましたが、どの娘も乳器は素晴らしかった。でもインデックスは思ったように上がらなかったんです。それに体も丸くて細かった。自分は共進会にも興味があったので、この血液からはショウに使えるような牛は出てこないなと感じました。ただし、何産しても乳器は崩れなかったですね。フリーストールの牛舎やロボット搾乳など、今の時代には合っている牛かも知れないですね。
 弟の牛の方が体型も良く、成績も高かったので、弟はこのファミリーで勝負したいというのです。兄弟喧嘩はしたくなかったので、ベツツイは弟に任せて、自分はスイートネスに賭けてみようと思いました。


□スイートネスは最初ルドルフで採卵していますね。

 ルドルフでバージンフラッシュし、この娘はみんなで分けたんです。弟や町内の田辺谷牧場、大分県国東市・今村牧場にも。うちに残したルドルフの娘はルフネス1頭だけでした。
 大分に行った牛が体型的には1番良い牛だったんです。ちょうど計画交配のために当時LIAJの高橋茂さんが来て、分娩前でしたが、見てもらおうと思って起こしたんですが、その時乳頭を踏んでしまったんです。血統は良いけれど、これじゃあ良い成績は出ないよと言ったのに、どうしても欲しいというので譲りました。残念ながら娘はいないようですが、息牛は本交用に利用したみたいです。
 わが家に1頭だけ残したのがルフネスで90点まで貰いました。体型的にはルドルフそのものでしたが、そこそこのポテンシャルがあるんだなと実感しましたね。でも、ちゃんとショウに使えるのではないかと思い始めたのが、彼女のダーハムの娘達からですね。ただし、スイートネスの特徴である前躯が低く、尻が高いという特徴からはなかなか抜け出せないでいます。
 他のスイートネスの娘では、セルシアスの娘セルシネスやアーロンの娘アローネスもインデックスはトップ10に迫るものでしたし、成績は安定していました。それなりに子出しも良かったですね。しかし、ここはルフネス、そしてスウイーテイー・ダーハムの流れで勝負しようと思いました。


ルドルフによる娘オムラフアーム・ルドネス・ET(85点)は
町内の田辺谷牧場へ。


□スウイーテイー・ダーハムは初産85点ですが、その後は?

 なかなか次が止まらなくて、やっと止まって、分娩間近という時にベッドの上で寝たまま死んでいたんです。分娩間隔も空いて肉も付いていたから、心筋梗塞みたいなものだったのでしょうか。2才で85点貰って、乳量も初産から13,000s近い数字だったので、これは凄いことになるぞと期待していたのですが。
 写真を撮った時は自分が不在で、農協の担当者とマガジン社の小川さんとで雨の中コンクリートの上で撮ったんですよね。小川さんにはそれまでに色んな牛の写真を撮って頂きましたが、初めて「良い牛だね」と褒めてもらった牛でした。スイートネスを大きく変えてくれた牛です。

スイートネスの転機となった牛
オムラフアーム・スウイーテイー・ダーハム・ETは初産85点。


□インデックス牛にダーハムを掛けるのは抵抗なかったですか。

 その頃はインデックス牛の計画交配にはダーハムなんて全然使われていなかった。だから農協の担当者からは、何考えてるんだと怒られましたね。高橋茂さんには苦笑いされました。
 何故使ったかって聞かれてもあまり良く分からなかった、というのが真相かな。流行りだったのもあるし。まだダーハムだったから良かったので、チヤールズを使ってたらアウトだったかも知れない。
 でも、今となってはこの間違いが幸いしたと思います。エリートカウでダーハムをくぐった血液なんてなかなかいなかったですから。その後ヒラリーでも出て来ましたよね。体型は確実に良くなりましたよ。それにインデックスも03年から05年にかけてはルフネスに次いで常時トップ10入りしていました。


□ダーハムの娘にはBW・マーシヤルとモーテイー等がいますね。

 長女がBW・マーシヤルの娘スイーテイー・マーシヤルです。彼女は2万kgも搾りました。娘はウインスターやカリプソなどいましたが、どれも残していないのです。
 モーテイーによる娘はスイーテイー・フオーとスイーテイー・モー、この2頭は良さそうだぞと思い、伸ばしていったんです。
 うちでは繋げる頭数も決まっています。その中で自分は系統の枝からこれはという流れを、1本か2本に絞り込むようにしています。例えばルフネスの子なら1番いい牛1頭を決めて、その娘の中から1番良い牛の娘をまた増やしていく。横に広げるよりも縦に進めることを重視しました。何故なら改良速度を早めるためです。ルフネスの次には、ダーハムが来て、モーテイーですね。フオーとモーの2頭からはゴールドウインとボルトンで。今はこの流れが主流になっています。
 実際にこれだけスイートネスが増えてきたら、主流の牛でしかインデックスの戦いが出来ないんです。幅広く考えないで、搾り込んで勝負しようとしています。
 だから、何産も搾ろうとか、長く牛舎に置いておくことはなかったですね。他から見ると短命と見られるかも知れません。あまり意図的にやっている訳でもないのですが、辛抱というか、我慢はしなかったですね。

□繁殖面では、これだけ受精卵が順調に採れているので、悪くはないですね。

 分娩間隔でいくと採卵した分延びています。バージンフラッシュでは問題ないのですが、搾った後でのコンディションをコントロールするのは難しいですね。自分にはこのコンディションをコントロール出来るような技術もないですし、採卵の後の受胎率はかなり落ちているのではないかな。それでダメにした牛も結構います。止まったとしても、分娩の時に太り過ぎておかしくなったとか。でも、別にその牛に拘らないで、その牛のET娘牛達から良いのが出ればいいと思っていましたから、執着はしなかったですね。

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(3)雄も雌も常に上位に

 歌登地区全体でインデックスに取り組んできた成果は実を結び、昨年12月公表のNTP上位100傑に32頭のエリートカウが名を連ねている。この中でスイートネスも06年にはルフネスがNTP第2位、ダーハムが8位、08年にはフオーが2位と、常に上位に位置し、多い時では9頭もの名をみる。

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□99年にスイートネスがNTP52位に始まり、常に上位に付けていますね。

 体審でも共進会でも自分の名前が載るというのは凄く嬉しいことですよね。すぐにみんなに連絡しました。
 当初はインデックスの見方もよく分からなかったし、そこに名前が載っているということが、どれだけの値のものなのかも理解していなかった。その後娘や孫娘が続けて何頭も出てくるようになったし、内田牧場のジユリエツトも同じ時期に出てきたので、折角ならTOP100傑を歌登で3分の1くらい占めてやろうか、という気持ちになっていたのです。
 04年頃には20頭以上、昨年12月のTOP100にはうちのスイートの他に内田牧場のジユリエツトやプロフイツト、澤田牧場のバンビやシヤーレツテイ、そしてみんなで新たに導入したブランデイなどで、計32頭が載りました。本当に3分の1を占めましたね。
 今は景気が悪いせいか、なかなか受精卵移植やエリートカウの繁殖には手を出せない人が多いですよね。自分は10万円掛けて11万円回収出来るならやるべきだと思いますが、10万円掛けること自体がダメだという時代ですからね。おかげで私達は助かっています。授精所も後代検定にかける雄牛を集めるのが大変だって言っていますから。

□歌登全体でインデックスに取り組んでいるのですね。

 90年代から一丸となって取り組んできた成果ですね。弟や内田牧場、藤山牧場、澤田牧場、そして門馬牧場など、歌登から多くのエリートカウが出てきている。よくみんなで話し合いますが、自分は性格的にタイミングを逃したくないタイプだから、どうしても話し合いの中心になってしまう。私は牛も受精卵も値が付いたらすぐ売ってしまうんです。
スイートネスは歌登地区でも、藤山牧場にはダーハムのチヤンピオンによる受精卵からスウイート・ハニー(82点)が11年に22位で登場し、今は彼女のボルトンによる娘2頭ハート(84点)とフアーストラブ(86点)が上位に付けていますからね。

□インデックスをどのように捉えていますか。

 数字を見ているのが楽しいですね。あとは、どういう掛け合わせをすれば、100傑中の何%を歌登の牛達で占めることができるか。よく仲間内ではオセロゲームをしているようだねと言っています。こことここを掴んだらここまで上がるぞと。
 ここは気候条件は決して良くない。仮に十勝でまともにインデックス牛で勝負されたら敵わないだろうなと思います。本州から牛を買いに来た人達からよく言われるのが、こんなシャーベットみたいなサイレージを食わせてどうするのって。確かに冬になったらサイレージは凍ってしまい、シャーベット状態ですからね。しかし、この悪い環境の中でもちゃんとスイートネスが成績を出すというのは、強い牛なんです。箱入り娘で育てたものを他に持っていっても大きな牛群の中では通用しないことが多いですよね。県の試験場はその辺が分かっているから、外で飼っているような、環境の悪い牛を喜んで持っていきます。

□レシピエント牛を確保するのは大変ですか。

 そうですね。限られた頭数の中でやり繰りしなければならないので、借り腹はスイートネス以外の牛だけでは間に合わない。今本流となっているダーハム、モーテイー、ボルトン、そしてプラネツトの流れに絞り込んでいますから、同じスイートネスでもこの流れから外れたものは、初産は搾って2産は受け牛になるとか、最初から受け牛のものもいます。
 授精所から改良というのはスピードだと聞かされていたので、兎に角改良を早めることを優先しました。どうしても授精所は新しい遺伝子の種牛が欲しいから、そういう言い方をしますし、それに応えないといけないですからね。
 計画交配等でも農協や授精師は一生懸命サポートしてくれています。今雄牛は何が流行っているなどの情報や、入手困難な種でも手に入れてくれるとか。候補種雄牛は1日でも早く産ませないと、同じ父牛の息牛は2日目には要らないと言われるかも知れない。だから、雄の成績を1時間でも早く知りたいし、種を早く手に入れたいので旭川まで走ってくれることもあります。
 採卵は千歳のフジケンETサービスに依頼しています。年間30〜35回採卵します。良かったね、儲かったねと言われますが、沢山種牛を売ってもこういった経費も掛かっていますよ。


第4世代 ダーハムにモーテイーによる3姉妹
オムラ・スイーテイー・フオー・ET(87点)



オムラ・スイーテイー・モー・ET(83点)は2才型F量第8位


オムラ・スイーテイー・マーシヤル(83点)は3.10才(2産) M20,557s

  スイートネス・ファミリーの高いインデックスから、当然各授精所は種雄牛造成にのりだした。最初に成績が出たのはルフネスの息牛で、07年5月に公表されたBW・マーシヤルによる4H52583 CE・シヤルネスとダーハムによる0H52885 イケメン・ダンデイで、第7位と12位で登場した。同じく8月にはセルシネスのBW・マーシヤルによる息牛5H52575 リスペクト・セルシーが17位で登場、翌08年にはアローネスのジエスロによる3H52886インデイ・アローが6位で登場と、次々と新規種雄牛を送り込んでいった。

□1番最初に送り出した雄牛は。

  03年の前期にルフネスとセルシネスの息牛を購買して貰ったのが最初です。ルフネスからは十勝授精所にシヤルネスが、イケメン・ダンデイは共有で、セルシネスからは家畜改良事業団にリスペクト・セルシーがかけられ、シヤルネスとイケメンは07年5月に、セルシーは8月に上位で公表されました。
 スイートネスからの雄はいなかったので、歌登から出た雄で最初に供用されたのは内田牧場のジユリエツトから出た5H52244・ラプソデイで、1年早く06年8月に公表されています。

□シヤルネスにオムラの冠名が付いていないのは何故ですか。

   苫小牧のコーンズエコ・ファームに受精卵を持っていって移植したんです。そのCEなんです。名義は自分ですが、折角だから名前は付けさせてあげるという条件だったのです。
 イケメンが供用された時の反応は良かったようですね。父がダーハムだし、ショウタイプの娘が出て来るかなと期待していましたが、なかなか出て来ないですね。体審では89点牛や3才87点がいたりと、評価通りの好体型だと思います。
 種牛本牛の体型も良いと授精所の人も評価してくれています。リスペクトが92点、イケメンやシヤルネスも90点に格付けされていますからね。

 09年はスイートネスから新規種雄牛は供用されなかったが、10年4月にはスイーテイー・マーシヤルにフリーランスによる5H53480 パフオーマンスが7位で、11年2月にはスウイーテイー・ダーハムにマーマツクスによる5H53710 アレンジが15位、そして12年2月にはスウイーテイー・ダーハムのゴールドウインによる3H54030 アシツクスが38位で登場、これまでに7頭の種雄牛を送り出している。

□08年2月にインデイ・アローが公表されてから新規の雄牛は10年4月のパフオーマンスまで出なかったのですね。

 実は白血病の牛が出たんです。フオーにゴールドウインによる雄牛でした。同時期に生まれた雄牛が5頭いましたが、全頭検査してすぐに処分しました。今は採卵牛や販売用、受け牛等は全部検査していますから問題ないと思います。でも正直モチベーションは下がりましたね。気を付けなければならないのは、そんな時にまあいいかなと、いい加減な交配をしてしまうことです。
 その後は気を引き締めて掛け合わせを間違えないようにしました。何とかパフオーマンスの後にもアレンジ、アシツクス(90点)と新しい雄牛が出てきてくれています。
 いつかはナンバー1を目指したいですね。例えばアイオーンのように共進会の後代検定クラスで半分くらい占めれるようにね。数字上の成績はもちろんですが、評判でもね。


スイートネスから誕生した7頭の種雄牛達、
左からイケメン、リスペクト、シヤルネス、インデイ・アロー、
パフオーマンス、アレンジ、アシツクス


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(4)スイートネスとともに

  高インデックスに留まらず、北海道ナショナルショウなどのショウリングにも徐々に登場するようになったスイートネス。その体型に対する信頼も高まり、07年のゴールデンセールではトップセールとして評価され、大きな話題となった。購買者の愛知県豊田市・ウイス牧場の杉浦祐幸氏は、このファミリーはインデックスは勿論、体型的にも充分に期待出来ると思い購入を決意、オムラ・スイーテイー・GWを競り落としたのである。分娩後は期待通りの乳房を付け、09年の愛知県共進会では3才1位、経産最高位賞を獲得するなど、杉浦氏の目に狂いがないことを証明した。さらに、4才時には90点を獲得、乳用特質では93点を付けるほど魅力的な牛に成長していった。インデックスも09年には20位まで上昇、その後も長らく60番台に付け、昨年12月公表のものでも120位前後の成績を示していた。しかし、残念なことに昨年暮れに心臓麻痺で6才半の生涯を閉じた。採卵を予定していた直前だっただけに、とても惜しまれる結果となった。娘はルーによるWF・スウイーテイー(85点)1頭だけだったが、サンチエスによる孫娘も良い乳房を付け、期待が膨らんでいるという。

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09年愛知県共進会・経産最高位賞の
オムラ・スイーテイー・GW(90点)

□全道共進会のショウリングでもスイーテイーが見られるようになりましたね。

  07年の全道でルフネスのゴールドウインによる娘スイーテイー・GWが2等賞に入り、ゴールデンセールではトップセールで愛知県の杉浦牧場に買って貰いました。11年にはスイート・メモリーがシニア3才で2等賞、昨年はスウイーテイー・ダーハムのアレキサンダーによる孫娘ブラツク・サンダーがシニア2才で2等賞と、2年連続でスイートネスが乳房を付けて全道共進会で入賞できたんです。自分の牧場の看板には「ショウ&インデックス」と掲げていますが、まんざらでないなと思っています。能力だけに留まらず、体型も良いという証明になっていると自負しています。


□スイーテイー・GWは愛知県に移動しても活躍していますね。

  ウイス牧場に移動してから乳房を付けて、90点を貰っていますし、インデックスは前回も120位前後に付けています。昨年末に急死してしまったのが残念です。うちにはバージンでバクスターやブルーブラツドで採卵した娘が残っています。
 茨城県水戸市の仲田牧場に移動したルフネスのマジカルによる孫娘マジカヨ(82点)も初産から2産続けて12,000s以上で、NTPは120位前後となっていますし、彼女のバツカイによる娘も初産12,000sの好スタートを切っています。
 他に熊本県のファイヤードリームや家畜改良センター、新潟県畜産研究センターなど、各地に個体や受精卵で移動し、活躍してくれています。改良センターなどではしっかりした交配計画に基づいていますから、インデックスも高い牛が出ていますね。モーのボルトンによる娘JHG・スウイート・モースト・ボルトン・ET(82点)がNTP130位前後、その娘たちもTOP1000に名を連ねています。
 06年のゴールデンセールで沖縄に移動したゴールデン・ストーム(父セプテンバー)。彼女もスイーテイー・GW同様にセールに出品する前にバージンフラッシュをしていました。ボルトンによる雄が生まれて、後代検定にかけられていました。昨年成績が出て、かなり上位でしたが、運悪くBYで引っかかってしまい、供用されませんでした。能力は勿論、体型の数字もかなり良かったので、本当に残念です。


□今後フオー、フオートンの流れが中心となりますね。

  フオートンは今牛舎で1番中心的な存在ですね。今後は当然彼女の娘の時代になると思います。プラネツトによる娘スイーテイー・フオーネツトが今回のNTPで+4336、24位に出ましたので、この牛がメインになるでしょう。また、フオーネツトの妹で、昨年のゴールデンセールに出品したマンオーマンの娘フオーマンは鳥取県琴浦町・真山牧場で11月に初産分娩し、とても良い乳房が付いたようで、今後に大いに期待できるそうです。
 他にモーの娘で全道共進会に出品したスイート・メモリーの娘たち、SS・メモリー(父エス・テンプター)とネツト・メモリー(父プラネツト)等も分け入ってくるでしょう。
 プラネツトも肢蹄が心配されましたが、思ったより良いようです。その後は何を使えばインデックスを維持しつつ好体型を維持できるか考えなければならないですね。
 インデックスに偏って、もし体型が悪くなるのであれば、それは値のないことです。どの酪農家も体型が良くて搾りやすい牛を希望しているはずです。本来それがインデックスなのですから。



現在一族の中心となっているオムラ・フオートン・ET(89点、父ボルトン)


フオートンのプラネツトによる娘
オムラ・スイーテイー・フオーネツト・ET(83点)

□牛群全体の規模と平均能力は。

  今は65頭搾っていますが、もう15年近く変わっていません。牛群平均能力も20年前から1万s越えています。脂肪率も年間トータルで4.1%くらい。脂肪に関してはスイートネスは牛群全体から見て平均並みの成績ですね。
 一族で目立った成績としてはスイーテイー・マーシヤルとカトリーヌが2万kgを突破しています。カトリーヌは乳脂量で4才型第2位でした。インデックスもそうですが、色んな成績においてもスイートネスはなかなか1にはならないんですよ。
 自給飼料は草一本で、放牧はしていません。土地面積はある程度確保できるので、反収を上げるためにデントコーンを作る必要はないです。草だけで十分だと思います。


□今は牛群の何割がスイートネスになっていますか。
 
 牛群の半分はスイートネスです。スイートネス以外は勿論、スイートネスでも受精卵の受け牛になっていたりしますからね。
 これまでにベツツイやスイートネスを導入したことで、牛群のレベルアップは確実に図れたと思います。特にスイートネスは体型も揃ってきていますから。
 体型的な特徴としては、小ぶりで、前躯が低いので今ひとつショウでは勝ちきれませんが、最近はずいぶん良くなったと思います。だからと言ってショウタイプに偏った種雄牛を掛け合わせることはしていません。


□今後のスイートネスの展望は。
 
 細く長くですね。私の牛飼い人生の最後まで付き合ってもらわないといけないから。他に新しい血液を色々と導入していますが、思ったような成績が出てこない。環境要因などもありますが、スイートネスがいる限り、彼女たちを上回るものは出てこないでしょうね。初産で2万kg以上搾るようなことがない限りはね。
 それに、うちの規模で新しい血液を入れて広めようとなったら、それなりの勇気が要ります。15年後にスイートネスのように広がりを見せているかと言ったら、保証の限りではないし。今の牛たちを全部受け牛にして、全く違う血液を繁栄させられるかとなると、自信がないですね。
 今の受精卵技術は、一気に枝葉を増やすことも、縦の時間軸を縮めることもできます。判別精液もあるし、ゲノム技術も利用できるでしょうから、一つの血液を増やすスピードは速くなってくるでしょう。それでも、一気に新しいものに入れ替えようとなったら、そう簡単ではないですよ。
 牛飼いを始めて30年、スイートネスを導入して15年以上が経ちましたが、今からゲノム評価の最先端の精液を使って、それが雄を産んで、6年後に成績が出た時、果たして自分は現役でやっていられるのかなって考えるようになってしまった。この娘が乳房を付ける時に元気でいられるのかなって。近くでEX牛を譲って貰ったり、お世話になった須藤さんは、70才ちょっとまで牧場をやっていたから、あと15年くらいは頑張れるかも知れませんね。
 将来的にはスイートネスは徐々にインデックスから外れてきて、数字が必要とされなくなる時が来るでしょう。そうなった時には共進会に使えるような牛になっていれば良いかなって。欲張りでしょうかね。でも、自分としては一生手放せない血液です。


□宇都宮賞受賞おめでとうございます。
 
 ありがとうございます。今回この賞を受賞できたのも、スイートネスと巡り会えたお陰ですし、地元の牛飼い仲間とともに改良と受精卵移植事業に取り組んできた成果だと思います。お世話になった皆さんに心から感謝しています。勿論スイートネスにも。 (完)

宇都宮賞受賞に喜ぶ小椋義則さんと妻の尚美さん




小椋牧場のモットー「ショウ&インデックス」を刻んだ看板