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テツチエ物語
 (本誌2011年1〜5月号掲載)

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 1994年、1頭の牛がショウリングに登場、いきなり経産リザーブチャンピオンを獲得した。「YKT・テツチエ・アマンダ」、彼女を見て、誰もが乳房の良い、乳用性に溢れたショウカウだと思っていただろう。しかし、彼女はそれだけには留まらなかった。次の産でショウリングに立ちながら乳量2万sを搾り、その後も次々と2万sを突破、まさにスーパーカウとして活躍、最終的には生涯乳量で国内最高記録を樹立した。そして彼女の娘テツチエ・グルーブは母を超える泌乳を示し、1乳期でのわが国最高乳量を記録。この母娘をはじめ、多くの娘牛がスーパーカウとして乳牛史に記録を残した、北海道帯広市・杉浦尚牧場の「テツチエ」ファミリーの足跡をたどってみよう。


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(1)ショウリングでヒロインに

〜アマンダを生み出した「テツチエ」の血液は昔から杉浦牧場に繋養されていたのですか。
 
1代、2代遡ると輸入牛とかいう牛ではないんです。
元祖は1959(昭34)年生まれのテツチエ・インペリアル・ロベルという牛で、牛飼いを始めた父が近所の宮浦牧場から初妊で購入したものなので、60年頃に導入したのではないかな。うちでは最初からいる一族なんです。たからアマンダが生まれるまでは爆発的に増えもせず、細々と続いていたんです。
 父が祖父から経営を継ぐ時期は冷害が続いて大変だったらしく、この冷害対策として牛飼いを始めたそうです。毎年冷害で泣かされて、このままでは駄目だということで、有畜をやって堆肥を畑に戻すことによって収量を安定させるという指導もあったようです。私が小さい頃はまだ牛と畑の両方やっていましたから。
 元祖牛を宮浦牧場から買った時の話を父に聞くと、面白いことを言っていました。牛飼いを始めて1頭目の牛が全然メスを産まなくて、2頭目の牛が欲しくて宮浦牧場にいたテツチエを売って欲しいと言ったんだそうです。そうしたら、お前みたいな若造にこの牛はまだ早いって言われて、すんなりとは売ってもらえなかったそうです。それで何回も通ったのです。
 本牛は初代本登録なので、定かではないのですが、遡れば町村農場から導入された牛らしいということで、値も張ったようです。お金もないので5万か10万を農協に借りようとしたそうですが、なかなか貸してくれなくて、やっと借金の見通しを付けて、宮浦さんに通い続けた挙げ句、ようやく売ってもらった牛だそうです。白い牛だったって。宮浦さんは今は酪農はやめていますが、グルーブが日本記録になった時、地元で祝賀会をやってくれて、隠居している宮浦さんも招待したら、ものすごく喜んでくれてね。そんな縁というか、運命みたいなものもあるように思います。
 アマンダからはETを含め、大きく広がりを見せていますが、それ以前に枝分かれした一族も残っています。91年の全道共進会1等賞2席のテツチエ・ルーシーはアマンダの母ロクシーの妹。他にアマンダの妹からも続いています。




アマンダの母 YKT・テツチエ・ロクシー


〜アマンダは元祖牛から何代目ですか。
 
 
7代目です。アマンダが生まれたのが1990(平2)年。当時は改良雑誌や海外の話題でも輸入精液のウオークウエイ・チーフ・マークがとても騒がれた頃で、何としてもチーフ・マークの種が欲しかった。しかし、なかなか入手困難でした。やっと入ったと思っても、配給で1本しかもらえなかったんです。そのとき4万円くらいしたのかな。これじゃETもできないし、仕方がなく、その時ショウに使っていた若牛のテツチエ・ロクシーにつけたんです。それで生まれたのがアマンダです。
 テツチエ・ロクシーは未経産の時はショウに使っていました。その母のエンペラーもショウに使っていたんです。あまり勝てはしなかったけどね。
 母牛テツチエ・ロクシーは父がロクソンということもあり、ゴツくてすごく力強い感じの牛でした。その意味でも、掛け合わせとしては合っていたんだと思います。
 アマンダも未経産の時はやっぱりちょっとゴツい感じがしたからショウには使わなかった。ただ、印象に残っているのは、兎に角よく食べる牛だったってこと。いつでも乾草を腹がパンパンになるまで食べている牛でしたね。この食欲は一族の特徴でもあると思います。もちろんうちの飼い方は、若牛の時に腹を作ることに気を使っているつもりなんですが、テツチエ・ファミリーは食べるという能力が強いのかなと思います。その中でもアマンダはすぐ食滞になっちゃうほど食べ過ぎてしまう牛でした。



〜アマンダを最初にショウに出したのは経産になってからですか。

 
 2才の時に少しショウに引っ張りましたが、丸い感じがあったから、あまり勝てなかったんです。当時としてはシャープで切れのある牛でないとショウでは通用しなかったので、自分としても気合いは入っていなかったんです。ただ乳房の良さには自信がありました。十勝授精所の山口さんがうちに来られた時に、こんなに乳房が良いのに、なんで使わないのって言われて。それならと本格的に使い始めました。3才になって春の南十勝BWでは7番目くらい。十勝BWでは2番目になって、全道BWに持って行ったんです。ただ、その時は他にカウントとか、期待の高いショウカウがいましたから、自分の中ではアマンダはメインには思っていなかったんです。
 北海道BWの審査員はライルヘイブン牧場のフィッシモンズ氏でした。最初は私自身もさして期待していなかったので、なんでこんなに自分の牛をジロジロ見るのかなと思ったのです。そうしたらいきなりポンとあげて3才シニアクラス1位でしょ。
 びっくりしているうちに、チャンピオン戦では成牛クラスのヨシノフアーム・エコー・ミストと3才シニアのアマンダ、そして同クラス2位で次の年の千葉全共で名誉賞になったビーマン・クレイタス・レボリユーシヨンの3頭が引き出されたんです。自分は舞い上がっちゃっているものだから通訳を通じて、審査員から「ナンザンしているか」と聞かれて、2産していますと答えるところを「難産はしていません」と答えてしまったんです。結局は成牛のエコー・ミストがチャンピオンになって、アマンダはリザーブでした。アマンダはノーマークだったし、外野もそこまでフィーバーするとは思ってなかった。その頃は近くの佐川さんのプライミーが4才くらいで、評判が良くて大騒ぎされていた時でした。この時は勝てなかったんですが、繋留所ではアマンダの横に繋いであって、みんなプライミーを見るけど、アマンダは誰も見てなかったんですよ。すごい牛が揃っていた時代ですね。



94年北海道BWショウでリザーブチャンピオンとなった
YKT・テツチエ・アマンダ(3才時)


〜当時杉浦牧場ではカウント・クロスというショウカウが活躍していましたね。

 
 カウントには色々教えてもらいました。全道共進会は5回も出ていますし、千葉全共まで連れて行った時には、多回検定クラスで1番高齢の牛だったんです。この牛は大学卒業して引っ張り始めて、ずっと成牛まで、自分の中で完結した牛でした。だから売って欲しいという話があった時も、絶対売りたくないと突っぱねました。逆にアマンダを売る話があった時には心が揺れました。
 アマンダ本牛は150p以上はありましたが、ショウカウとしてはそんなに大きな牛ではなかった。今考えると、機能的というか、最近使われている言葉の「乳用強健性」というものを具現化した走りみたいな感じだったのかと思います。審査員のフィッシモンズ氏も乳房はもちろん、乳用特質をすごく評価してくれたのを覚えています。秋の全道共進会では1等賞5席でした。
 次の3産目もショウに出し続けましたが、本当に乳が出るなと思っていたんです。初産14,000sで、ショウに使っていた2産目も18,000sでした。もう1産したらもっと乳が出るだろうなとは思いました。しかし、今なら絶対しないでしょうが、当時はショウが好きで、それしか頭になかったから、アマンダでもショウに引き続けたんです。3産目も全道共進会まで駒を進めて1等賞5席、残念ながら全共までは進めませんでした。



95年全道共進会の5才級で1等賞に入賞したアマンダ。
この産で最初の2万sを達成した


〜3産目で2万s搾って、管理には相当気を遣われたのですね。

 
 自分としては当時は日本記録ということは気にしていなかった。今でも基本的には記録のためにという考えはないんです。記録云々というのは、後から付いてくることだと思っています。
 アマンダが2万s搾る前に、検定で日量70sとか出た牛がいました。自分も帯広畜産大を出て、餌のことなど色々勉強してきたつもりでした。実際餌を工夫したり、添加物を加えたり、値段の高いもの使ったり、当時は色々やったんです。乳が出てる牛がいたら餌の回数を増やしたり色々手をかけたんだけど、必ず失敗したんです。だから、それが本当じゃないんだなと感じて、アマンダに関しては他の牛と同様にストールに繋いで搾りました。スタンチョンをタイにするとか、牛床を伸ばすことはしましたが、基本的には他の牛と同じように繋いで飼っていました。独房には晩年に1、2回入れただけだと思いますね。



アマンダと同時期に杉浦牧場のショウカウとして活躍した
YKT・カウント・クロス・92点

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(2)記録ずくめのアマンダとグルーブ

 ショウリングに立ちながら、乳量2万sを突破するという偉業を達成したアマンダ。その高能力は1乳期に留まらなかった。4産目M25,667sは97年当時、わが国乳量最高記録。続く5産目はM27,099sで自らの記録を更新した。さらにこの産で体格得点も93点に格付けされている。その後も6産目M26,065s、7産目M24,571sと2万sを続け、12才5月8産目まで6産連続乳量2万s、最終的に生涯乳量は4,080日-M215,218s-F7,946sという未到の記録を樹立したのである。生涯乳量20万sを超えた記録は世界的に見ても数少ない。

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〜何度も搾乳の様子を拝見させて頂きましたが、確かにアマンダは最盛期でもストールに他の牛と一緒に繋がれて搾乳されていましたね。
 

 アマンダは他の牛と同様に特別飼いはしないで搾っていました。今でもそうですが、例えば採卵するとか目的がある場合を除いて特別管理はしません。記録を狙うために、授精しないで長く搾れば乳が出るから伸ばすとか、あえてその牛だけ特別に独房で管理するとか、そういうことは1回もしたことはないし、今もするつもりはありません。あくまでも自分の牛群の中で、同じスタイルで飼っている牛じゃないと意味がないし、1頭だけ特別な牛を持つことによって、その牛を管理するための労力が家族の大きな負担になりますから。今のスタイルの中で最大限できることをやるだけです。
 もちろんアマンダは並はずれた乳量が出たので、規定の量の餌では体が維持できないから、1回の給与量を多くはしていましたが、給与回数を何回にも分けたりとかはしていないです。ビリビリに気を遣っていた牛ではないのです。かえって、娘のグルーブの方がとても気を遣ったと思います。
 今だから笑い話で済みますが、アマンダが3才くらいの時にはまだ日中は放牧していたです。朝起きてみたら、明らかに脱出した跡があるんです。自分でスタンチョン開けること覚えて、夜こっそり放牧場に出ていたんですね。朝になったら知らん顔して、自分のところでパンパンの腹して寝ているですよ。そういうことが何回かあったんです。朝牛舎に行くと通り道に糞が点々と落ちているんだから。
 それに牛自体に強さがありました。最初は骨も荒いし、ちょっとゴツいかなって感じの牛だったけど、5産目で93点をもらった頃には、本当に成熟して「枯れている」という表現がぴったりの牛になっていました。若い頃は肩が厚い牛で丸いという印象だったのが、後半ではキ甲部が尖るような感じに枯れてきたんです。そういうところを北海道BW時にフィッシモンズ氏は、牛本来の乳用強健性を持っているということで評価してくれたんじゃないかと思っています。



〜実際8産中、6産も続けて2万s搾って、しっかり分娩してという強さがありましたよね。晩年は採卵に終始したのですか。
 
 8産目の2万s搾った後は、危ないと思って産ませませんでした。05年と06年の2回、全農ETセンターに連れて行くなど、採卵に専念しました。採卵でも1度に何十個も採れる牛ではなかったので、回数は多くしました。最後は全農で肩を痛めて寝起きが難しくなり07年6月に16才と9ヵ月で生涯を全うしました。長命でした。
 チーフ・マークの種はその後3本ぐらい手に入れましたが、残念ながら雌はとれませんでした。今振り返ってみると、「瓢箪から駒」みたいな話ですが、本当に色んなこと教えてもらった牛ですね。
 実際に売ってくれという話もありました。アマンダが3才で道BWのリザーブをとった時に、全共対策で岡山から購買に来たんです。当時は周りでも高額で牛が動いていましたが、自分はそんな牛を売った経験もなかったし、分からないので、十勝人工授精所の吉川社長に相談したんです。吉川さんから「仮に400万円なら売ってもいいと思うが、それ以下の金額なら売るべきじゃない。なぜならこの牛1頭から娘を沢山とって、素晴らしいファミリーを作ることができる。そうしたら今後もっと多くの金が産まれる可能性がある」って言われました。
 父にも相談すると、経営は気にしなくていいから、売りたくないんなら売らなくていいって。それで断ったんです。父には感謝しているし、自分が父の立場で同じことを言えるか分からないですね。
 アマンダは山口さんが掘り出してくれ、吉川さんがこの時そういう言葉をくれたのと、十勝家畜人工授精所の方々や地域の人たちにはとてもお世話になっています。仮に売っていたらどうなっていたでしょうね。その代わり長女は未経産時に高知県に売ってしまいました。



10才時、2万s4回目を達成した時のアマンダ

 アマンダの偉業とあわせて今もわが国最高乳量記録ホルダーとして君臨しているのが彼女の娘テツチエ・グルーブ(89点)である。彼女はアマンダの4女としてダスターにより97年に誕生、2産目でM22,989s、3産目M26,108s、そして4産目ではM29,527sという3万sに迫る驚異の乳量記録を樹立、現在もこの記録を超える牛は現れていない。


〜どの娘牛も高能力を見せていますね。
 娘はプライオリテイによる長女アール・ソアー、エアロスターによる2女エオリア、ルドルフによる3女シヤルル、そしてダスターによる4女グルーブと続いて、自然分娩が6頭、ETを含めると20頭ぐらい誕生しました。
 アマンダは2産目で長女のアール・ソアーを産んだ後、早く娘が欲しくて採卵したんです。採卵するとドナーには負担がかかり乳量が減ると言われたので、負担の少ないシングルフラッシュにしました。種はエアロスターを使ったんですが、1個も採れなかった。駄目だったんだなと思ってたら、その後発情がピタッとこなくて。実際には卵管から卵が降りてくるのが通常より遅いみたいで、それがとまってたんですね。この時生まれたのが2女エオリアです。
 どうもこのファミリーにはその癖があるようで、他の娘たちもかなり採卵していますが、同じようなことがあります。グルーブの娘で、ブレツトによるクーリアがそうです。彼女も未経産時から多くの種牛契約が入ったのでバージンフラッシュで採卵したんですが、すごく発情が良くて反応も良いのに1個も採れなくて。その後ピタッと発情が来なくなるんです。あれっ!と思ってみたら、とまってるんですよ。でもフラッシュかけて1個も採れないのに、とまっちゃったら大変でしょ。すぐエコーで診てもらって、三つ子以上だったら堕とそうと思ったんだけど、双子だって言われのでそのまま産ませました。8ヵ月くらいで早産してしまったので、初産の時は張り付いたような乳房だった。だからクーリアはあんまり大成しないで、成績も残せなかった。それならショウカウに戻してみようかなってチヤンピオンを付けて生まれたのが全道共進会に出場し92点までもらったスターシアなんです。彼女は生まれた時から、これは良い!と思ってショウで引っ張っていたんだけれど、あんまり最初は評価してくれなかったね。
 エオリアはM17,902s、3女のシヤルルはM18,500sで2万sまでは届かなかったが、母に負けず乳は出たんです。でも、アマンダのような強さはなかったかな。見た目にはシヤルルはとてもアマンダに似ていた。アマンダを一回りスケールを小さくしたような牛だったと思います。ただ、母ほどは乳房が良くなかったんですが。


〜グルーブは母を超える高乳量を示したのですね。
 グルーブは生まれた時は骨が太くて胴の長いヒョロッとした牛でしたから、母を超えるほど乳が出るとは思えなかった。でもすごくデーリイな牛に育っていったので、地元のショウにも未経産時に引いたことがあるんです。
 実際、初産搾ってみると、10検でM14,841sと思った以上に出たんです。しかも、早めに付けてしまったので、年検まで搾れなかったんです。そしたら2産目で23,000s出たんですよ。
 あんまり記録云々を意識していないので状態が良ければ早く授精するように意識しています。アマンダだって、3産から4産目の間は、まともに乾乳期間がなくて2万搾ってるんですよ。




本誌2004年4月号の表紙を飾ったグルーブ(左)とアマンダ


〜グルーブが日本最高記録となる29,527s搾った4産目、牛の状態はいかがでしたか。
 

 日量で90sをわずかに切るくらいでした。さすがにこんなに出ると気を遣います。搾乳の時もそうですが、この時のグルーブ本牛の様子がただごとではないと思いました。分娩後2ヵ月くらい経つと体がどんどん削られていくのがはっきり分かるんです。このままだと死ぬのでは思うほど、肩の後から肉が削げてくるんです。病気なのかなってくらい。でも餌はちゃんと食べているんですよ。食べた以上に体を削って乳を出しているという牛ですね。能力がありすぎて体が追いつかない。搾っていて怖いなと思いました。




日本最高乳量記録を保持している
YKT テツチエ グルーブ 89点

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(3)グルーブに続く娘たちの活躍

 日本最高乳量を記したグルーブに続き、7女ビビアン、6女パフイが2万s突破、しかも両牛ともに3回の突破である。その後グルーブの娘スクロール、シヤルルの娘シエリルが2万s、そして昨年はパフイの孫娘アイリスが2万s突破と、確固たるスーパーカウ・ファミリーを築き上げてきた。
 では個々の娘たちの成績を詳しく見てみよう。
 一族で3頭目の2万s牛となったビビアン(父ベルウード)。彼女の最初の2万sとなった05年の4才10月3産目の乳量記録は10検M20,388sで4才半型第2位(現在4位)、年検22,503sは第5位(7位)の成績。5才11月4産目は年検M22,010s、7才0月5産目年検もM24,474sと、乾乳期間はわずか1ヵ月程で3回連続の2万s突破を果たしたのである。生まれも分娩時期もほぼ同じ姉パフイ(父セルシアス)はビビアンにひと月遅れで4才11月3産で年検M22,186sと2万s突破、その後分娩間隔は少し空くものの6才9月4産年検でM20,576s、8才2月5産目はM17,900s止まりだったが、9才7月6産目で年検M20,576sと3回突破を達成した。
 07年にはグルーブの娘スクロール(父スクリーチ)が4才3月3産で10検M21,889s、年検M25,187sの成績で4才型日本記録を樹立(現在2位)するとともに、3代2万sを達成した。その後5才10月4産で10検23,520s、年検27,266s、ともに成年型乳量第3位の成績。
 ちなみに現在でも成年型乳量記録トップ10にはグルーブ、アマンダ(4記録)、スクロールの3世代で計6記録を占めている。
 09年にはシヤルル(父ルドルフ)のハーシエルによる娘シエリルが5才1月4産年検M22,562s、6才5月5産年検M22,453sと2回の2万s突破。昨年にはパフイのノマドによる孫娘アイリスが3才7月2産目で年検M21,255sと世代が進んでも高泌乳力を維持している。



10検でM2万sを2回突破したグルーブの娘
YKT・テツチエ・スクロール・ET(86)
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娘や孫娘たちにも高泌乳が継承されていますが、今採卵の中心となっているのはどの牛ですか。
 
 2万s牛で今生きているのはシエリルとアイリス、パフイ、スクロール。今1番採卵が多いのは、スクロールの娘でインデックスの高いアイリス・ET(父アーウイン)ですね。初産でM14,881s出ていますし、受精卵はかなり売っています。それとパフイの孫で2万s牛のアイリス(父ノマド)はこれから採卵を予定しています。
 今、うちで1番アマンダに近いというか、能力もタイプもともに期待できたのがノマドによるアイリスです。初産84点、2産目87点で、次のお産で90点貰えるかなと期待していました。ところが昨年の春、横の牛に乳頭を踏まれて根元から切れたので、ジャージャー漏れているのをバケツで受けながら最後まで検定を受けたんです。そんな乳頭になってしまったので、次を産ますわけにもいかないし、採卵に回そうと思っているんです。牛はすごく良いのでとても残念です。
 彼女のシヤルネスによる2才83点の娘も初産を搾り終わるのがいますが、授精所から指定交配が来ています。



YKT・テツチエ・シヤルル・ET(87)は1,000ポンド突破7回、
生涯乳量は9乳期M133,322s

 2万s泌乳を支えるには確かな体型が必要であろう。アマンダがショウリングで活躍したように、ファミリーからはアマンダの叔母ルーシーが91年の全道で24〜27月1等賞2席、その後もアエラス、スターシアがショウリングの華として活躍している。


〜アマンダ以外に体審でEXになった牛は3頭いますね。
 娘はマツチヨマンの娘キヤロルが90点、他はシヤルルの娘シエリルが90点、そしてグルーブのチヤンピオンによる孫娘スターシアが昨年の春に92点になっています。
 全道共進会にはアマンダの妹アルグロのダーハムによる孫娘アエラスが03年に未経産で出場、翌年の2才ジュニア、そして4才で2等賞に入賞しているし、08年から2年続けてスターシアが2等賞に入っています。 春の道BWではスターシアが08年4才2位。10月のウインターフェアではアエラスが04年に2才ジュニア1位・準インターミディエイトチャンピオン、06年にも4才クラスで1位になっています。昨年はスターシアにちょっとだけ全共の夢をかけていたんです。結果として年末にようやく付けたので、残念ながら今年は間に合いません。



シヤルルの娘YKT・テツチエ・シエリルは90点、
および年検M2万s2回突破


〜高能力で、しかも好体型を維持するには飼養管理もかなり気を遣いますね。
 

 牛のことには常に気を付けていますが、1番は餌ですね。特にどんな粗飼料を採るかということには神経を使っています。それに失敗したら1年が終わりだと思ってるので。それが1番気を遣うところだし、人任せにすることは出来ません。確かに規模も大きくなると手間もかかるし、仕方ないことかも知れないですが、そこが1番酪農としては大事にしたいところだと思う。
 だから若牛の時に、質の良い繊維質を食わせて、どれだけ骨格を作るかにかかっていると思うんです。親になればフリーストールで飼おうが繋ぎで飼おうが、若牛時にしっかりとした体を作れば対応できます。
 乳牛は本来、子牛に飲まるだけの乳が出ればいいのに、何十倍も搾るわけでしょ。生き物としてとんでもないストレスがかかっていますよね。そのストレスがかかった状態で、尚かつ長い間牛舎で毎年毎年働いてもらわないといけないわけでしょう。じゃあそこで、どれだけ耐えうるような、ベースになる骨格を作れるのかと言ったら、やはり若牛の時に作るしかないんだよね。だから若牛にはそれなりに拘りを持って管理をしないといけないから、全て自分のところで育てています。特に繊維質を大量に食べさせ、腹を作るということが大切ですね。これは皆さんが言うことだと思いますが、大事な基本ですから。従って、そのための質の良い餌をどうやって作るかというところが重要になってきます。その上に遺伝的な部分を乗せて搾っていくわけですから。この下積みがなければ、テツチエのようにいくら遺伝的なものを積んでみても、充分な能力を発揮できないと思いますよ。
 私は牛を飼うために経営しているわけではなく、生活していくために牛を飼っているんです。牛に飼われるような生活になっちゃうと本末転倒で、そういうことはしたくありません。当然それだけ出るような牛なら5回、6回と餌をやったら良いと思うんですが、うちの労働力と施設では1日中配合や餌をやっているわけにはいかないのです。だから、そうしなきゃ飼えないような牛は要らないんです。1日3回給餌で充分に能力を発揮してくれる牛じゃないと飼えないんですよ。
 牛群平均で11,000〜12,000s搾っていると、よく餌はTMRですか?と聞かれます。だから昔からの分離給餌だよって答えています。でも、このファミリーの泣き所でもある乳脂肪率の低さはこの分離給餌に一因があることは分かっているんです。配合を日に3回ドカン、ドカンとまとめてやるんだから、乳は出るかも知れないけれど、どうしてもアシドーシスになりやすいですね。本当は回数を増やし、TMRみたいにしてやれば、もっともっと良いのかも知れないけれど、今の施設と環境では出来ないのでね。



昨年秋に一族7頭目のM2万s突破牛となった
YKT・テツチエ・アイリス(87)



アマンダに続く高得点を得たYKT・テツチエ・スターシア(92)

 2万sとともに注目されるのは、アマンダの娘4頭が生涯乳量10万sを突破しているということである。アマンダは8乳期でM215,218s、娘シヤルルは9乳期M133,322s、ビビアンは6乳期M120,868s、グルーブは5乳期M118,514s、そしてパフイが6乳期M116,761sと、どの2万s牛も1乳期に止まらず、生涯生産性においてもずば抜けた高さを見せつけている。


〜1乳期の2万sに止まらず、生涯乳量でも10万sを超える牛が何頭も出ていますね。

 確かにアマンダやその娘たちは10万sを超える生涯能力を見せてくれています。でも、アマンダを凌ぐような強さのある牛がいないんです。これからはそれが課題だなと思っています。
 もちろんグルーブはものすごい乳が出ました。やはり乳を出し過ぎちゃう能力を持った牛は、食べるのが追いつかないですから。本当に暑い夏で、肩の後ろまで削げてきて、死ぬんじゃないかと思いました。肩で息をするんですから。それでも乳を出し続ける。そんなグルーブが死んだのは、06年9月です。子宮捻転だったので、牛を転がしたんですが、その時に腰をやったんですね。子も出したし、その時は立ち上がったんですが、腰の痺れがそのまま残ってて、段々腰が折れていって、最後立たなくなっちゃった。全道に行く前の日だったかな、泣く泣く屠場に出したのを覚えています。今後はアマンダのような強さを求めていきたいですね。

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(4)全国で活躍するテツチエの血

 アマンダの魅力に惹かれる酪農家は多く、その血液を求める声も多くなった。娘や孫娘たちはその声に答えるために全国各地へと旅立ち、基礎牛としてしっかり根を張っている。
 中でも、一番の広がりを見せているのは2000年に熊本県合志市・ドリーム21が導入したYKT・テツチエ・セシル・ETである。彼女は3桁に迫る広がりを見せるまでに繁栄しており、さらにJP4H53432・ドリームサマー・ジヤステイスという種雄牛を輩出している。
 他にアマンダの直接の娘では山梨県北杜市・内田牧場のメサイアは85点。埼玉県SDBQシンジケートのリリーナは87点。宮崎県高原町・石山牧場のイザヘラも87点。そして最後の娘ゴールド・ジユリアンが青森県六ヶ所村・佐藤牧場へ。
 また、アマンダの娘グルーブの孫娘が広島県・藤本卓牧場へ、そしてビビアンの娘は静岡県富士宮市・小林牧場へ。この他にも道内、道外を問わず、各地に嫁入りしていったテツチエは、基幹牛としての役割を確実に果たしている。テツチエ物語第4回は、各地で活躍するテツチエ所有者に話を伺った。


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〈熊本県合志市 ドリーム21〉
 
シンジケートのメンバーで基礎牛の導入を検討した際に、当時の乳量日本記録で、かつ93点の高得点を併せ持つアマンダのファミリーから、ということになりました。しかし、当時のアマンダの一族はほとんど杉浦牧場から他に出ていなかったので、十勝授精所の山口氏に仲介していただきました。杉浦氏もセルシアスのET娘が2頭いるので、1頭なら譲って良いという意向でした。2頭とも乳用性に富んだ、素晴らしい骨格の牛でしたから、選びかねていましたが、1頭の牛と目が合い、「自分を連れて行って」と訴えていたような気がして選んだのです。その牛がセシルでした。
 11年経った現在、メンバー9名の牧場で経産牛40頭、未経産牛37頭にまで増えました。今も続々と分娩を控えています。
 セシルは3産10検でM12,972s、02年のNTP+1366で40位に入り、メンバーの意気も上がりました。
 セシルから生産された牛たちは、それぞれの牛群で素晴らしい活躍を見せています。各メンバーにとっても、アマンダの血を引く娘牛だ、というだけで充分期待に足る存在なのです。
 中でもモーテイーで誕生した孫娘モーテイー・シエリー・ETは07年の熊本県共進会で4才級首席に輝き、メンバーの一つの目標であった「共進会で勝つ」という夢を叶えてくれました。彼女は能力でも3才の年検でM18,385sと高い遺伝力を見せています。
 さらにモーテイー・シエリーの兄妹牛ジヤステイス・ETが09年公表の種雄牛評価成績で第25番目で登場し、供用されたことですね。これにはメンバー一同感激しました。自分たちの手で種雄牛が作れたんですからね。
 今一番期待している孫娘はテツチエ・ルデイー・ET(父ダーハム・ルデイー、母の父チヤンピオン)です。初産時にはオール九州BWショウで2席、昨年5月に2産目を分娩、87点を貰いました。今年の全共に分娩が間に合うか微妙ですが、期待しています。
 セシルの娘牛、孫娘たちが各メンバーの牛群レベルを押し上げており、改めてテツチエの血液の持つ底力に驚かされています。




ドリーム21が導入したYKT・テツチエ・セシル・ET 84点
(熊本県合志市 衛藤彰一牧場)


セシルのモーテイーによる孫娘
ドリーム・テツチエ・モーテイー・シエリー・ET 89点
(熊本県合志市 松野克紀牧場)


セシルのダーハム・ルデイーによる孫娘
ドリーム・テツチエ・ルデイー・ET 87点
(熊本県合志市 衛藤彰一牧場)


セシルのボルトンによる孫娘
ドリーム・テツチエ・シルキー・ボルトン・ET 2才-82点
(熊本県合志市 後藤龍璽牧場)


〈山梨県北杜市・内田繁雄牧場〉
 酪農家の仲間を集い北杜デイリークラブを結成し、基礎牛となる雌牛を探していたところ、日本一の乳量を誇るアマンダに目を付けました。メサイアはアマンダのチヤンピオンによる娘で、杉浦さんも期待していたはずですが、自分たちの意志に賛同して、快く譲っていただきました。
 実際に搾ってみると、よく身を削ってでも乳を出すと表現しますが、まさにその通りの牛で、自分たちの粗飼料では栄養価が不足していると思いますが、2産目はM15,000sも出してくれました。娘もストーマテイツクによるET娘3頭とゴールドウイン1頭を得ています。今後はメサイアの体調を見て採卵するか、受胎させようか悩んでいますが、何としても増やしてゆきたいと思っています。
 〈宮崎県高原町・石山宗行牧場〉
 以前から日本一の生涯乳量を誇るアマンダ、一族で多くの2万s牛を輩出しており、体型的にも魅力があるテツチエの血液を手に入れたいと思っていました。十勝の優牝セールに出ていたグルーブの娘を購入するつもりで行ったのですが、購入できず、直接杉浦牧場に立ち寄ったら、アマンダのダーハムによる娘イザヘラがちょうど1才でした。何とかお願いして導入できました。
 イザヘラは未経産時から採卵し、初産82点、2産目4才で87点を貰っています。160pくらいの体高と長さがあり、肋の張りも良いと思います。能力も初産M1万s以上と満足のいくものです。ショウには何かあったら心配なので使えませんでした。その代わりボルトンによる娘を昨年のオール九州BWショウに持って行き、第3部5位の成績でした。彼女もイザヘラ同様に体高があり、何よりも食欲旺盛です。5月には初産分娩を控えていて、どんな働きを見せてくれるか楽しみです。また、イザヘラは採卵にも順調に応えてくれています。
 口蹄疫に火山の爆発と宮崎県は踏んだり蹴ったりですが、この牛たちに夢を託して頑張ってゆこうと思います。




アマンダのチヤンピオンによる娘
YKT・テツチエ・メサイア・ET 85点
(山梨県北杜市 内田繁雄牧場)


〈青森県六ヶ所村・佐藤輝美牧場〉

 杉浦牧場からはテツチエとそれ以外の牛も導入しています。息子の順一を実習させるために連れて行った時、3ヵ月のジユリアンを見て、気に入りました。アマンダの最後の娘でしたが何とか分けてもらいました。ハラにゴールドウインを付けてもらい、導入しましたが、初産でM12,000sほど出ています。娘のゴールドウインも母と同じく胸幅のある牛に育っています。
 実習した息子ともよく言うのですが、テツチエは乳房に触ればすぐ分かるんです。搾り切りが良く、搾乳時間も他の牛の半分ほどで済みますよ。


〈広島県庄原市・藤本 卓牧場〉
 杉浦牧場には父子2代で研修させていただきました。その縁でグルーブのゴールドウインによる孫娘ラモーヌ・ETを06年の暮れに導入しました。08年の中国地区BWショウでは2才ジュニア3位に入賞、2才で84点、5才で88点貰いました。昨年は県BWショウで経産グランドチャンピオンになりました。乳量も1万sペースで出ています。まだ娘がいないので3産目の今は採卵して何とか娘をとりたいと思っています。



グルーブのゴールドウインによる孫娘
YKT・テツチエ・ラモーヌ・ET 2才-84点
(広島県庄原市 藤本 卓牧場)


〈静岡県富士宮市・小林秀男牧場〉

 自分は杉浦牧場がスーパーカウを持っている牧場だとか、日本記録牛を何頭も出している牧場とは知らずにお世話になりました。アマンダもグルーブも元気な時でしたが、最初のテツチエの印象は兎に角「よく食べるな〜」というものです。他の牛より餌を多くあげてもすぐに足りなくなりました。実習を終える際には、どうしてもこの一族の娘が欲しかったのと、自分の牧場で採卵して増やしたく、10〜14ヵ月の育成牛を探していたのですが、ちょうど自分が搾乳を任されていたビビアンの娘アネツトがいましたので導入させてもらいました。
 彼女は04年の静岡県共進会で18〜20月クラス1位、経産になってからは86点、4才10検でM14,444s搾っています。タイタニツクによる娘はM13,271s、チヤンピオンによる娘もM12,200sと続いています。

 道内で活躍する娘も何頭かピックアップしてみよう。帯広市・小出牧場にはパフイのスクリーチによる娘YKT・テツチエ・ダイアナ・ETが85点、3産目M14,978s、シバーによる娘や孫娘など10頭以上が活躍している。また、グルーブにミスター・サムによる娘YKT・テツチエ・カトリーヌ・ETは富良野市・磯江牧場で85点、2産M14,079sで、両牛とも高インデックスを示している。
 さて、次回は最終回となりますが、テツチエ・ファミリーをNTPというインデックスの側面から見てみようと思います。


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(5)高インデックス・ファミリーとして一時代を築く

  最終回は「テツチエ」をインデックスの面から改めて確認してみよう。
 アマンダは98年のNTPで33位で登場、最高位は17位。99年にはエオリアが28位、シヤルルが00年27位で登場した。グルーブは00年に16位で登場し、01年から06年まで10位以内をキープした。02年、03年の成績では第2位まで順位を上げたが、ビクトリア・ルメイ・ドーンからトップの座を奪うことは出来なかった。
 02年にはパフイ10位、ビビアン63位、03年はアローネ(父アーロン×母シヤルル)76位、キユーテイ(コンビンサー×エオリア)36位、オードリイ(ウインチエスター×アマンダ)34位、エンジエル(コンビンサー×エオリア)が95位で登場している。続いて05年にはスクロールが16位、ドナ(スクリーチ×パフイ)46位、ジエナ(ジエスロ×パフイ)64位、09年にアイリスが83位に顔を出している。
 杉浦牧場以外では熊本県・ドリーム21のセシルが02年に40位、05年には帯広市・小出牧場に移ったダイアナが45位、そしてドリーム21のミルキー(ダツチ・ボーイ×セシル)が87位で登場した。
 ドリーム21からはその後シルキー(BW・マーシヤル×セシル)が06年に80位、07年にはモーテイー・シエリー(モーテイー×メモリー)が74位、メリー・クリスマス(タイタニツク×シエリー)が65位で登場、08年にはメリー・クリスマス35位、モーテイー・シエリー65位、シルキー・タイタニツク(タイタニツク×シルキー)74位と、本家杉浦牧場を上回る成績を納めている。
 他に群馬県・矢内孝久牧場のヒロイン(モーテイー×パフイの孫)が06年84位、同じく06年に岩手県盛岡市・改良センター岩手牧場のセリシン・スカーフ(スクリーチ×パフイ)が45位で登場している。
 一方テツチエから生み出された種雄牛の活躍を見てみると、最も早く後代検定で誕生したのが03年に新規牛として登場したJP2H51540・テツチエ・ルドルフ(ルドルフ×アマンダ、ABS所有)である。07年にはグルーブのR・マーシヤルによる息牛JP5H52569・テツチエ・ゼノンが8位で、同じくシヤルルのハーシエルによる息牛JP0H52543・シルフイードが16位で新規登場した。09年にはドリーム21が生産したJP4H53432・ドリームサマー・ジヤステイスが25位で登場、自分たちの手で種雄牛を生み出したいという夢を叶えた。


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グルーブの息牛で07年にNTP第8位で登場した
JP5H52569・テツチエ・ゼノン



ドリーム・21の生産で09年25位で登場した
JP4H53432・ドリームサマー・ジヤステイス


〜アマンダなどの交配を考える際、授精所の指定交配も多かったでしょうね。

 
アマンダの若いころはあまり深く考えないで選んでいました。本来ダーハムなんかは真っ先に使っていないといけないのに、一番最後でした。授精所の指定交配も多かったので、私の本意じゃない部分も少しあったように思います。一族のインデックスが一気に上がって、その数字に踊らされてしまい、自由が利かなくなったところもあります。
 周りもすごく評価してくれて、03年アマンダにマツチヨマンの娘で初めてセールに出したら、思わぬ高値が付いたりしました。それはとても有り難いことでした。セシルなども熊本のドリーム21が高く買ってくれました。それも色々な牛をピックアップした中でアマンダを選んでくれたわけで、しかも向こうでものすごく増えていて、きちんと活躍してくれているのがとても嬉しいですね。



〜輸入受精卵も色々と入れていますが、比べても引けをとらないでしょ。
 
 
アマンダがいるのだから、他の血液は要らないだろう、ってよく言われましたが、アマンダだけに拘るつもりもないし、新しい血も入れなくてはと思います。それで毎年輸入受精卵は買うようにしていますが、アマンダを凌ぐような牛は中々出ませんね。上士幌町の小椋さんたちのエリザベスのように輸入したものが活躍し、大きく広がっている牛もいますが、私はまだそのような牛に巡り合っていません。


〜インデックスを意識した遺伝子の導入だったからですか。
 
 
インデックスに拘るのは当時としては決して間違いではなかったと思うんですが、もう少し広い視野で種雄牛を選んだ方が良かったのかなと思います。当時は能力に偏っていて、今の牛全般に言えることなんだろうけど、強さがなくなってきていると思います。
 今は世界も日本も長命、連産性を重視する風潮に戻ってきていますよね。長命性や繁殖性をいかに数字に組み込もうかってやっているでしょ。
 アマンダを凌ぐような牛を作らなきゃと思うんだけど、決して3万s出るような牛ではないと私は思っています。記録をもっと伸ばすのではなく、牛本来の姿としてアマンダを凌ぐような牛を作ってゆきたいな、といつも思っているんです。
 娘4頭が生涯乳量で10万sを超えているというのは、自分の中では満足しています。生涯でいくら搾る、ってことが一番経営にはプラスになっているはずなんですから。テツチエ・ファミリーはグルーブの29,000sだったり、色んな記録を生み出してくれましたが、今でも一番自分の中で自信になって、誇れるものはアマンダの生涯乳量です。21万sを乳代に換算するとすごい数字になるように、1頭の牛から生涯に乳代をいくら稼げるのかが重要ですから。牛を高く売ったとかは別の話です。



〜日本では牛の寿命が短くなっています。改良の弱点でもありますね。
 
 
例えば同じ14,000s泌乳しても以前と今とでは体が違うんです。全体に弱くなっていて、支えるベースが貧弱になっている牛が多くいる印象です。だから次のお産、次のお産って追えないんです。車で言うとエンジンはデカいの積んで、ボディは小さくなっているから、ボディにガタが来るのが早いのかなって気がします。一見、燃費は良さそうだけれど、耐久性という部分ではちょっと不足です。


〜求めるものが日々変わってきますね。
  

 10年前に良いと言ったものと、今では違うこともあります。血統だって変わってきていますよね。
 ショウっていうのは、昔から理想というのがはっきりしていて、時代とともに良いと言われる牛が変わるのではなく、より洗練されてきていると思います。一方数字で良いというものの方が、どんどん変わってきている気がします。だから、自分たち生産者が追いついていっていないような気がするのです。それを一番強く感じたのが、NTPなどの成績の計算方法が変わった時に、ガラッと順位が入れ替わったでしょ。これは大変なことになるなと思いました。
 当時、年間15頭くらいは雄契約があって、それが全部雄を産むわけではないので、多くの雌も生まれました。しかし、子どもが生まれる時には種雄牛の成績が下がってしまった例もあります。雄を取るくらい優秀だと判断して指定交配しているのだから、生まれたのが雌牛であっても当然そういう評価があってもいいでしょうが、価値が下がりますよね。
 気を付けないといけないのは、種牛を作るためとなると、そういう弊害が多くなってしまうので、自分たちは酪農家だから雌を取るという意識でやっていないと駄目ですね。



〜今後テツチエのどの部分を改良すべきでしょうか。
 

 肢蹄じゃないかな。脚が弱いかもしれない。蹄とかも。アマンダ自体も、チーフ・マークの一番の欠点と言われる肢蹄はEXじゃないので。87点くらだったかな。それでも17才まで生き、これだけ搾ったんですからね。



〜アマンダは尚さんにとって良い教材でしたね。
 
 
今ほど深く考えてないから、何を付けたらショウに勝てるかなって誕生した牛でした。若い人はみんなそうでしょう。そういう時って必要だと思うんです。牛に夢中になることって必要なんですよ。その時に色々勉強も出来るし、共進会で色々な話を聞いて、何に何を付けて、母は何だって聞いて、なるほどなということをやらないと。それが色んなことのベースになってくるので。本当に勉強させてもらった牛です。その牛とともに経営もきちんと出来た気もするし。
 実は、自分にとって1番思い入れのある牛はカウントなんです。この牛には色々教えてもらいました。大学卒業してショウに引き始めて、ずっと成牛まで、10才近い高齢で私を千葉全共に連れて行ってくれましたからね。後にも先にも絶対売らないと思ったのはこの牛だけですから。アマンダは買いたいという話があった時は迷いましたからね。しかし、お金じゃないと思った牛でした。



〜杉浦牧場を超有名にしたのは、間違いなくアマンダですね。
 
 
それは間違いありません。だからこの牛に会えたことも、運が良かったのだと思っています。こういう牛に出会ったことで色んなことを教えられ、学ばせてもらったと思っています。今ではアマンダは杉浦牧場の代名詞みたいに言われていますからね。
 牧場の看板が入り口に立ててありますが、両面にアマンダとカウントが描かれています。これからどんな牛が出ても、他の牛が取って替わることはありません。


アマンダの看板の前で、杉浦牧場の皆さん