え!こー(ECO?)ライフ コラム フォトギャラリー

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<1993年> 「結婚して酪農を始めました」



結婚式&ウェディングパーティーはこんな風になりました

ふたりのまきばのものがたり− いーちゃん編




<1994年>  

自然とともに




<1995年>                   

植林しよう

もーちゃん、生活いきいきぜいたくの巻

いーちゃんは大工好き

別寒辺牛湿原とともに




<1996年>      

いーちゃんの建築はなかなかのもの!?

私達は何がなんでも原子力発電に反対します!




<1997年>      

うちは毎年にぎやかでーす♪

いーちゃんの大工仕事は本格的

我が家の信念 テーマ 「もの」




<1998年>      

採って食べる、育てて食べるたのしみ

その他依頼原稿一覧




<1999年>      

適当のすすめ

いーちゃんの暇ん?・生活習慣病予防にご協力を♪




<2000年>      

シンプルライフ




<2001年>      

流行に御用心




<2002年>      

私の農村ライフの楽しみ方

結婚つれづれ

買うか作るかどちらがお得?




<2003年>      

ビーちゃん3号うちに居そこねる

苦労を感じて感謝する心




<2004年>      

毎年毎年にぎやかな我が家 ♪




<2005年>ふぁみりー通信13号に掲載      

もとをとった溶接機?

1995年から使用の布ナプキン

できるだけ我が家で循環

冬の料理はストーブまかせ。

     

台所は実験室!?

便利なちょこっと大工屋さん

REDUCE、REUSEに力を入れて、RECYCLEも取り入れて




<2006年>ふぁみりー通信14号に掲載      

 地域内 脱 ガソリン 自転車ライフのすすめ

脱 灯油ストーブ

 お金をかけずに作ったこんなもの ―ごみと思うか、宝と思うかー<生活編>




<2007年>ふぁみりー通信15号に掲載      

年中早寝早起き 太陽光と暮らす

古着でパッチワーク

転ばぬ先のあて?

     

今年も健全。廃材利用のいーちゃんの製作

世界に1冊の絵本作り 〜上製本が家庭でできる驚き〜




<2008年>ふぁみりー通信16号に掲載      

鶏襲撃事件の犯人は??

梅干10キロ。味噌20キロ。

薪ストーブ3年目!

     

ひつじのまりちゃんの毛は温かい

楽しみな年に一度の家族旅行




<2009年>ふぁみりー通信17号に掲載      

我が家にも新型インフルエンザ・・?

まりちゃんはえらい!&子どもたちの思い出が詰まった人形作り

抹茶のおいしさにはまる・・。

勉強は、自分が必要と思うことをやりたいだけ・・。




<20010年>ふぁみりー通信18号に掲載      

長い冬を楽しむ

野の花を添えて




<2011年>ふぁみりー通信19号に掲載      

ファーム存続の危機 ほか

マーブルな夫婦になりたい?

最高のホスピタリティをもった、プロ級の緩和ケア・終末期のケアの実現に向けて

<2012年>ふぁみりー通信20号に掲載    

クリスマスお便り終了にしま〜す(*^_^*)

年に1度の家族旅行

家族旅行  
   







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え!こー(ECO?)ライフ コラム

<1993年>

「結婚して酪農を始めました」 1993年12月ふぁみりー通信1号より

結婚式&ウェディングパーティーはこんな風になりました−
1993年10月9日

いーちゃんは帯広に友人が多いこと、もーちゃんは札幌に友人が多いこと、2人とも本州から家族&友人が来ることから、帯広&池田で、70人規模という北海道人にしては、こじんまりと行いました。

♪♪ ウェディングパーティーは池田町営「まきばの家」本館貸切にて。オールナイトで。

香苗チーフによる会場設営、慶子&敬子さんによるウエディングケーキ製作、おさななじみの手作りのウエディングドレス&智子さん作ブーケなど、手作りで。
 

進行は天使に仮装した賢二&理江さんによるコメディータッチの進行で、わいわいと。

 ゲーム進行は作業療法士ふーさんにより進行、賞品150個余りは、ひろふぁみりー産かぼちゃ、なかまさん作板はがき、香代ちゃん作タンポポケーキ&クッキー、文さん・由美子ちゃん・真由ちゃん作クッキー、牧ちゃん作イラスト入り石、フィリピンの共同作業所産せっけん&タオル、きりたっぷ湿原センター産昆布菓子などで。

 北海道新聞社勤務の正寿さんが結婚写真集、利恵ちゃんがビデオ製作、プレゼントしていただきました。

引き出物はCD絵本「ゆめのたね」(中途失明後の作品) エム・ナマエ作・絵。「これから先は、2人の夢を1つにして、皆さんからの期待と励ましの声を肥料にして“ゆめのたね”を大切に育てていきたいと思っています」とイラストとともに直筆で記入して

ふたりのまきばのものがたり− いーちゃん編

 何をまちがえてか、北海道に、それもこんな道東に来てしまって、すっかり田舎もんになってしまった(もともと大阪の田舎もんですけど)。

 「うし」のすばらしい所って知ってる? うしはねぇ人間の食べることのできへん草を食べて、それをおいしい牛乳にしてくれて肉にもなる。道東みたいに人間の食べられる作物が育てへんところにはもってこいやで。

 なぁ、いぬ飼ったことある? 都会ではいろいろなものが買えるけど、飼うって事は本当ないもんね。飼う、買う、カウ? やっぱうし(COW)飼ってみな。

 昔小学校で校外学習ってあったでしょう。僕は、パン工場見にいったんやけど、あんときパンって、こうやってできるんかって、えらい感動したことを覚えてる。何かを作るってことは、その頃から僕の中に住みついたんかなぁ。

 うしってさぁ、でっかい身体して1日中食べて寝て、ボーっとして、ほんまあほちゃうかって。でも人生いや牛生ああやって生きたいなぁ。仕事って何でもいいやん。でも選ぶとき給与が高いとか、休みが多いとか、カッコイイとかで決めたくないよな。

 これからは目を輝かせて酪農するぞぉ! 酪農を目指すわけ? そりゃもちろん日本国民のため、より安全で、よりおいしくて、より安い牛乳を提供するため、そう、日本の酪農をしょって立っていこうとする気もちですよ、ハハハ・・、そんなわけないか。ハッハ。

 <1994年>

 うちでは、動物(うし、ひつじ、ちゃぼ、いぬ、うま)を飼っていて、牛舎には、ネコやネズミやスズメやハトが住みついています。また、キツネやリスやエゾシカや野鳥(オオジシギ、セグロセキレイ、ベニマシコ、ウソ、カケス、ハクチョウ、タンチョウ、サギなど)などに会うことができます。酪農をしていく上で、いつまでもこの自然環境と共存しながら営農したいと思っています

<1995年>

 春には山菜、夏から秋にかけては自分の土地で家庭菜園もできる、この土地も家族のような気がします。ただ少し風が強いかなぁ。そこで少しずつ家周りに木(カラマツ・アカエゾマツ・シラカバ・サクラ・オンコなど・・近所の方&友人から幼苗を分けていただきました)を植えています。

 今年は糸のこを購入し、近所の方から使わなくなった工具をたくさん譲っていただいたりして、家の入り口にちょっとした看板を立ててみたり、家の中のあちこちに棚を作ってくれたり、牛舎周りに必要な小屋を建てたり・・。

 泊まる人も多く、部屋が足りなくなるので、来年は“ゲストハウス”を建ててくれるとか・・♪ 請う御期待♪♪ ただし寝袋必要とか注意書きがつくかも・・。

もーちゃんも糸のこなどを使ってペン立てなどの木工をしてペイントして手土産にしてます。

  私達が暮らす地域は別寒辺牛湿原と隣り合わせ。湿原の中を流れる別寒辺牛川の下流にはカキの漁場がある所。おまけに上下水道はなく、台所を出たらすぐ海とも言えます。最近はカキの稚貝が減りつつあり、漁師さんが山に木を植えに来ているそうです。先代の人が森を切り開いてきた酪農家としては、湿原や海の環境を壊さないよう配慮していきたいものです。

 我が家でも少しずつ木を植えていく事、家の中ではできるだけ石鹸を使い、合成洗剤は使わないなど、少し気をつけています。

<1996年>

春の大雪の朝、ドーンという音で目覚めたときには、もともと建っていた小屋が1つ崩れていて大ショック・・。夏には、うちに酪農実習に来た“がっちゃん”“みずほちゃん”を引きずりこんで、くぎ抜きやトタンはがしに始まり3ヶ月をかけての解体作業。秋に入って穴を1m掘り、古電柱を建て、屋根をはりはじめ・・高い所で作業をするのは大変で、いつ完成するものやら・・。半分こわごわ、半分楽しんでやっているいーちゃんです。おかげでゲストハウスの構想は冬眠中。

ついつい知人の手伝いからはじめたチェルノブイリの保養里親運動ですが、毎回資金集めのバザーをやりながら(学校の行事のときや、フリーマーケットに出店したり)、この活動を通して少しでも原子力反対を訴え、チェルノブイリの過ちを2度と繰り返さないようにと願っています

 この夏には、少しの間、チェルノブイリの子達と交流し、学校にも行かせてもらい、この保養を通して放射能のない空気をいっぱい吸わせてあげられれば・・と思ったものです。

 今年もたくさんの物を提供していただきありがとうございました(スパシーバ!)。また、みんなで年間1%の節電を実現し原子力発電所をやめましょう♪

<1997年>

 いーちゃんはそのまた昔、自分の家を建ててくれている大工さんを見て、大工さんになりたい・・と思ったそうな。そして北海道で大きな除雪車を運転する姿をみて、これまたやってみたいと思ったそうな。帯広畜産大学に入学して以来、やりたいやりたいと思っていた酪農家についになり、冬になると自分でトラクターで除雪をし、そして当初よりコツコツしていた大工仕事も年々作るものが大きくなってきているこの頃。

 去年のクリマスイブには実習生のがっちゃんと共に乾草舎(乾草が120個きっちり入り、トラクターなどで、どこからでもスムーズに出入りでき、機械庫としても使える自慢の一品らしく、クリスマスから新年にかけて、毎日彼女でも見つめているように眺めていましたよ)を完成させました。

 これに気を良くしたいーちゃんは今度は「家」を建ててみたいと言い出しました。去年訪ねた清福さん宅で、清福さんが建てた家を見て、“建てれるよー”と言われて、すっかりその気になったいーちゃんは、この春以来、その「家」らしきものに取り組んでいます。もちろん酪農の仕事の合い間をぬって手作業で。何でも5年以上はかかるらしい・・。

 「家」になるか、ならぬか、請う御期待。我が家に毎年泊りがけで牛の仕事をやりたいと来ているあきちゃんからは、“その「家」がもし完成したとしても私は今立ってる家のほうで寝るからね”とも言われて、あまり信用がありませんが。

 何はともあれ、今までやりたいと思っていたことが次々実現できる、この生活がとても気に入っているみたいです。

その1
ものを無駄にせず、捨てるものはできるだけ少なく。拾えるものは、拾ってきて有効活用する。

その2
必要以上にものを持ちすぎない。

その3
作れるものは自分で作る。

<1998年>

 毎年、雪解けの4月頃より何となくソワソワ。福寿草が顔を出しフキノトウが出てくると、もうじっとしていられなくなります。大好きなギョウジャニンニクが出てくるから。それから次々と山菜が取れます。何も遠くまで出かけていかなくとも、わが農場内のそれぞれの場所に顔を出すので、ダニ防衛策とクマよけ(カウベルを鳴らしながら等)だけきちんとすれば、採るのは比較的簡単。タラの芽やコゴミなどは、牛舎帰りに5分ほどあれば、とって帰ることができ、てんぷらや和え物にしていただける。

 5月を過ぎると、今度は家庭菜園の準備。3月頃から家の中で苗作りをし、ビニールハウスを補修し、畑の土をおこして霜に注意しながら種をまき、苗を移植します。今年は6月に入ってもカッコウが鳴かず(カッコウが鳴いたら大丈夫という)、本州では梅雨明けせず、道内の8月は雨ばかりの日照不足で、家庭菜園にとってはベストコンディションではありませんでしたが、それでも家族で食べるには、あり余るくらいの収穫をもたらしてくれました。

 毎年夏になると、誰かがぼやき始めます。また春菊、またきゅうり、またレタス・・と。味付けや料理法を変えても春菊は春菊じゃあないかと。保存性の低い野菜ほど嫌われる運命にあります。それでも7月から10月の間の4ヶ月は、まったく野菜を購入しなくても暮らしていけるのだからこんな有難いことはないと思うのですが・・・。おまけに形は少々悪くても、無農薬有機栽培だし・・と作り手のもーちゃんは訴えるのです。

 秋になると、越冬野菜の収穫をしながら、霜のおりる日を指折り数え、3回目の霜がおりる頃、山ぶどう探しに散策します。去年の山ぶどうは豊作でしたが、今年は少ない。その代わりに木の実は豊作で、どんぐりの実を拾ってはあちこちにまき、リース用のマツボックリを大量に拾いました。また、シメジも、家のすぐ前の同じ場所から毎年出てきます。そうして越冬野菜をむろに入れ、漬物を漬けると今年の家庭菜園も終了です。

 今年は11月に入ってから、すっぽりと雪におおわれ、冬らしい冬を迎えています。

その他依頼原稿一覧>

緑むせる創造 −私の新規就農への道シリーズ  19981999 7回連載
(1回45005000文字+写真2〜3枚)

雑誌「スピナッツ」シープステーション、ミニコミ誌「イプ」 苫小牧自然を守る会報など

<1999年>

適当のすすめ」
北方農業1999年10月号「五風十雨」に掲載

 「となりの山田くん」映画初日は、ちょっとがっかりするくらい空いていました。子どもには難しく、ちょっと人気がないらしい。けれど35歳夫婦の私達には大ウケ。テーマは「適当」。今の時代もっと「適当」が求められてもいいのでは・・とのこと。そこで・・。

<適当に酪農家>

 適当に酪農やっています、なんて言うと、消費者から怒られるかも知れません。しかし、今の酪農界は、人も牛も働きすぎて、抵抗力(自己回復力)が弱くなってしまっている様にも感じます。私達はまず“自分が毎日飲みたい牛乳”を生産し、その牛乳は、人も牛も適当に働ける環境の中で生み出したいと思っています。

<適当に手作り>

 私は家庭菜園や料理・お菓子作りやチーズ・味噌作り・木工や糸紡ぎやあれこれ作るのが好きです。ですが、あくまでもできるだけで義務感からではありません。時間や精神的にゆとりが無い時は、逆に買った物でもよいと思っています。

<適当に掃除>

 散らかっていることは嫌いですが、あまり“ピカピカ”を望むと洗剤を使いすぎて環境汚染につながったり、そこに住む人の抵抗力を落としたりしてしまうと思っています。だから掃除も丸〜く(!?)適当に。

<適当に家庭菜園>

 まず、雑草取りは野菜が雑草に負けない程度、風通しを良くする程度にして、全部採らないことにしています(実は雑草とりが追いつかない)。でも、その方が害虫が発生した時の被害が少ないかも? また、豊作の作物をありがたくいただき、少しぐらい虫にかじられても文句を言わず、場合によっては虫とも野菜を分け合う精神を持つこと。これが我が家の無農薬有機栽培を気軽にするコツ。

<適当に環境保護>

 沖縄の離島に住む人々は、そこで取れるものの3分の1を人が採り、3分の1は他の生きもののためにそのまま残し、3分の1は自然(神)のために、やはり残しておくという生き方が身についているらしいです。私達も3分の1運動を心がけよう♪

<適当に子育て>

  いい加減な親と言われるかも知れませんが、子育てこそ適当にと。“虐待”とか“キレル”とかは適当と言わないと思うのです。そして1番大切なエッセンスは“愛情”でしょう。でもかく言う私も、ついやりすぎて反省したり、また、やり足らなくて後悔したり。


 もーちゃんは10年前、地域医療に燃えて(?)北海道にやって来ました。ところが、今は酪農家の主婦で、地域医療なんて言える事はほとんどしていません。生き方が変わったようで、実はあんまり変わっていません。私は今でも多くのいのちとふれ合って生きているからです。「となりの山田くん」のクライマックス「ケセラセラ」に共感、最後に紹介したいと思います。

 ケ セラ セラ なるようになる 未来は見えない お楽しみ 

<2000年>

シンプルライフ」
北方農業2000年7月号「五風十雨」に掲載

 結婚した7年前、それぞれが10年近く1人暮らしをしていたときの家財を合わせ、2人での生活をスタートさせました。つまり、家財の中で、つきあいの長いものには17年になるものもあります。

 ところで、ここ数年、次々と家電製品の調子が悪くなっています。変な音の出はじめた冷蔵庫、回らなくなった洗濯機、不完全燃焼をはじめたガスコンロ、スイッチをONにしても作動しない掃除機、突然映らなくなったTVなどなど。そこで、販売元に問い合わせてみると、10年も経過している物は、部品もないし修理もしかねますとのこと・・。

 競争社会の現代においては、新型への移行が次々と進み、直すよりは買いかえる時代になっているようです。そこで、どうせ捨てるならと、説明書の“内部の分解は業者の人に依頼するように云々”と書かれてあるのを無視して、いーちゃんがあれこれいじり始める。その結果、洗濯機と掃除機は電気の配線を、ごちゃごちゃいじっているうちに生き返り、冷蔵庫とガスコンロは新しいものに買いかえ、TVは、今使わないという14インチの物をもらってきました。

 ちなみに掃除機の動かなかった1週間、久しぶりにホウキとチリトリを持って家中の掃除をしましたが、コードを引っぱり回して、けっこう重い掃除機を持ち歩くより身軽に早くでき、隅の方や狭いすき間などでは、ホウキの方が上手であるなと、改めて思いました。それ以来我が家では、身軽な上に電気代のかからないホウキとチリトリの方が、だんぜん出番が多くなりました。

 最近は便利そうな物が次々と登場し、我が家でも1つまた1つとそういう物の利用が増え、気がついたら家中が家電製品だらけになっていますが、具合が悪くなると、自分の手に負いかね不便でもあります。たまに停電したりしてもお手上げ状態。

 そこで我が家では、流行の少々あとからついていくことに。そして、できるだけ仕組みが簡単、できるだけ人力利用型のものも見直しています。ちなみに、ほとんど毎日使っている足踏み式糸紡ぎ車(ニュージーランド、アシュフォード製)は、たまに油をさしたりネジをしめたりする程度の手入れで、1994年以来健在です。

 すっかり家電製品づくめの現在、昔は当たり前に使われていた物の方が、珍しがられる世の中になりましたが、本当に良い物は、昔から脈々と使われ続けている物なのでは?と感じるこの頃。だんだん生活をシンプルにしていきたいなと思っています。   

2001年>

「流行に御用心」

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北方農業2001年4月号「五風十雨」に掲載

 最近の流行を見ていると、ころころとよく変わります。物資に限りがある現実に合っているとは思いにくいのです。

 “たまごっち”や“ルーズソックス”が流行ると、街中いや田舎の果てまで、若者は“ルーズソックス”をはき“たまごっち”を手にする。そんな若者の心を読むかのように、毎年いくつかの目玉商品が出回る。そして何年か経った今、“たまごっち”も“ルーズソックス”も見かけなくなりました。たんすの肥やしになったのだろうか、捨てられたのだろうかと貧乏性のもーちゃんは心配します。

 みんなが右を向けば右、左を向けば左の世の中のような・・・。あるとき大騒ぎしても時が経てば話題にものぼらない事は、大人の世界にも多くあるように思います。人間は知らず知らずの間に多くのメディアに操られているのかもしれない・・・。見るもの聞くものが多すぎて、自分の感性が鈍ってきてはいないだろうか・・。

 最近の食品業界では、遺伝子組み換え食品が騒がれていて、非遺伝子組み換え原料使用という大きな表示が目立っています。牛乳に目を向けると、牛に給与する配合飼料(以下、配合と略す)の主なものは、とうきび等で、これが組み換えである可能性があり、非遺伝子組み換え配合を導入する農家も出てきました。私達は手に入りにくいなどの理由から普通に出回っている遺伝子組み換えかもしれない配合を使用していますが、放牧を軸に、配合飼料を給与しない昔ながらの牛乳に少しでも近づけたいと思い努力しています(本来、牛は草食動物であるのですから・・・)。

 牛の配合は、輸入の物が、ほぼ100パーセントであり、ポストハーベストされている事を考えると、非遺伝子組み換え配合を大量に食べている牛と、牧草中心で、遺伝子組み換えかもしれない配合を、ほんの少し食べている牛と、どちらのほうが安全かは一概に言えないように思います。

 除草剤耐性の遺伝子組み換え食品が良い物だとは思いにくいですが、他にも危険な物は氾濫しています。現在の流通システムでいくと、すべての面で安全な物が存在するのでしょうか・・・。安全・安全が、ある面だけを強調した片寄ったセールスになっていることもあるように思います。

 そんな中、一番大切なことは生産者の責任と姿勢だと思います。私達は、まず生産者として自分が飲みたいと思える牛乳を生産していきたいと思います。そして、あまり1つの事にとらわれすぎずにトータルに全体のバランスを見ていくことを心がけて、日々牛とともに暮らしていきたいと思います。

2002年>

「私の農村ライフの楽しみ方」
北方農業2002年1月号掲載

<転機を良い方へ考える>

もーちゃんは、昭和38年にサラリーマン家庭に生まれ京都で育ち、都会の便利さを享受し、雑踏の中での生活をさしていやとも思わず成人しましたので、ずっと都会暮らしを続けていてもおかしくはなかったと思います。そして医療に興味があったもーちゃんは自立の道として看護婦になり、大病院で働いていました。

 ある時、北海道を旅して、たまたまある酪農家のお世話になり、その人柄と風土が気に入って何度か訪れる中、北海道全体が医療過疎であると実感しました。そこで僻地医療を志して12年前に渡道し、助産婦と保健婦の免許も取り、発想のきっかけとなった酪農家のある町で保健婦として新たな1歩を踏み出しました。

 ところがその地でいーちゃん(昭和38年生まれの大阪育ちで帯広畜産大学卒業後、酪農家を目指して酪農ヘルパーをしていました)と出会い、いーちゃんの熱意に根負けして厚岸町で新規就農する形となり、これは私にとっては大きな転機でした。ですが、思い返してみると最初に北海道に心を向けたきっかけは酪農家であり風土であったので志はちょっと横に置いて逆に酪農家としてできる事、やりたい事を思いっきり楽しむのも良いかもしれないと考えました

<都会と農村と>

 もーちゃんはどちらかと言うと物事を良い方に考えるタイプかもしれないと思います。人によっては物事の悪い面の方が見えやすいタイプの人もいるでしょう。ですが都会暮らしに嫌気がさして北海道の農村にやって来たとか、サラリーマン生活に嫌気がさして自営業である酪農家を目指している・・という人に会うとちょっと心配になったりもします。しばらくたって今度は北海道の農村や酪農に光が見出せなくなったと都会へ戻って行った人もいるからです。

 何が嫌なのかではなく、何がやりたいのかという事を中心に考える事が、楽しみを見出す原動力になるのではないでしょうか。もし農村に育ち、あれがない、これがないと嘆く人がいるなら1度、都会生活にドップリつかってみてはどうでしょうか。その時はじめて農村にしかないものが見えてくるのかもしれないですよね。

 そして勿論、相性もあるでしょう。私は都会で28年間、農村で10年間すごしてきましたが、両方の良い所と悪い所を改めて感じています。

 農村は確かに買物には不便で、家族が入院でもすれば大変な事になります。ですが、1時間もドライブすれば都会の空気を吸えますし、今はヘルパーを利用して旅行する事もできます。生きもの相手なので、たびたび家を空ける事はできませんが、幸い我家には年中たずねてきてくれる友人がいます。

 又、何も買物しなくても菜園からは野菜が採れ、自家用の卵と牛乳と牛肉は年中あり、友人との物々交換で新鮮な魚介類も手に入ります。そして酪農家だからこそという、やりたい事・楽しい事が様々あるのです。

<酪農という仕事も楽しむ> 

 私達は新規就農でしたので、まず楽しく仕事をするために、どんな酪農形態にしてゆくか、というテーマがありました。

 道東の冷涼な気候では人間の食べる作物が育ちにくく、そういう所でも丈夫に育つ牧草を食べて牛乳にしてくれる牛を飼う酪農が盛んであると思っています。私達はこの事を原点に、この地に合った酪農とはどんな酪農なのかを自然と向き合って考えながら、5月から10月までは終日放牧(牛舎に帰ってくるのは、乳搾りの時だけで、後は外で自由に過させるという飼養形態)し、春に分娩させ(自然界での牛は春に分娩する)乳量のピークを放牧に合わせています。

 今は多頭飼育主流ですが、私達は49ヘクタールの草地で30頭の搾乳牛と10頭ちょっとの育成牛を飼う事で、お腹いっぱい牧草を食べさせ、購入飼料や化学肥料をできるだけ減らしています。

 年間1頭乳量は5500kgぐらい(平均は8000kgぐらい)ですが、牛は長生きで今年8産目(平成16年現在、導入牛で12産した牛がいます)になる導入牛15頭が元気で、平均産次数は6産(平均は2産とちょっと)を越えて現在も記録更新中です。それらのおかげでコストは低く、所得率は50%前後(平均は20%から25%ぐらい)です。

 今は酪農情報も沢山ありますが、私達は何より“自分の牛を見て考える”事を基本にし“大切な事は自分の牛が教えてくれる”と思っています。

 又、酪農を楽しむために、まず経済を安定させる事に努力しています。農協にしっぽをつかまれている様では、気の小さな私達は自分の酪農を実践しにくいと思っているから。又、補助金や子牛の販売代金など先行き不透明なものはあてにしていないつもりです(私達は新規就農者リース事業でずいぶん補助の恩恵を受けましたが)。

 そして人間は腹8分目でゆとりをもって働く様に心がけ、そうする事で酪農を楽しみ、さらに後述のように酪農生活を楽しんでいます。土・草・牛をじっくり見ながら、どちらかと言うと昔ながらのやり方で牛を育て、その牛から牛乳を搾って飲みたいというのが私達の思いです。

<私達の酪農生活のスタンス>

 私達は、酪農家になったからこそできる事で、やりたい事は何かという事を中心に生活の楽しみを見出しています。そして、様々な生きもの(羊・馬・にわとり・ウコッケイ・犬や自家用肉牛等)を飼い、愛称で呼び、生き死を共にする中で、いろいろ教えられながら共働生活をしています(ちなみに牛以外の生きものは皆もらいものです)。

 また、自然相手の生活ですから、晴れた日には外仕事(家庭菜園や山菜採り等も含む)をし、厳冬期や雨の日は趣味(物作りやおしゃべりや読書等)や休養にあてています。

 さらに、私達の衣食住生活に役立ちそうな物を作る事が趣味で、土が豊かで土地が安いからこそできる家庭菜園や、自分たちが口にする食品作り(乳製品加工や牛肉加工をはじめ、パンや味噌や漬物や時には燻製等)、生活用品としての靴下等の羊毛加工や、廃材(もともと物を捨てない主義で必要・不必要にかかわらず捨てずにとってあるので)も大いに利用しての大工仕事や木工など。

 そして、この時の姿勢のポイントは、あまりお金をかけない事と商売にしない事。そうする事で気軽に楽しむ事ができ、家族の生活は豊かにする事ができます。作りすぎた時はプレゼントにしたり物々交換したりします。

 又、生活に使う道具はできるだけ仕組みが簡単で、できるだけ人力利用の物を見直し(愛用品は例えば紡毛車やコーヒーミルや鰹節削り器など)、できるだけ長いつきあいにしたいと思っています。

 更に無駄を少なく、リユーズをうまく取り入れ生活したい。羊を例にとると、毎年4〜6sとれる羊毛はおしりの毛まで全部使います。

 もーちゃんが最も力を入れているのは厳冬期の長ぐつ生活の友である靴下作り(暖かくて蒸れない上、チェビオットの羊毛は洗濯機で普通に洗っても縮んだりしません)で、びっしり履いていると穴があくので編み直します。そして穴があいた部分のプチプチ切れた短い糸は敷物などの織物としてリユーズします。

 羊毛をを染色する材料は身の回りの草木や菜園の残り物で、染色に使う鍋は泥まみれで転がっていたバケット(牛乳を搾る入れ物で昔は沢山使っていたが今は使われずに在ったもの)で、これがすごく分厚いステンレスで沢山染色でき、そしてむらにならない様にかき回す棒は海の流木、糸を巻き取るカセは古い水道管で作った物という具合です。

 羊も歳をとり毛がボサボサしてきましたけれども、寿命が続く限り共に暮らしながら、この羊毛をどんな風に使おうか考えていきたいと思っています。

 なお私達は、友人とその家族や実習生や子ども達など年中いろいろな人と生活を共にしています。その上、突然やって来る友人や近所の年配の方や子ども達もいて、その人々は酪農に関する人ばかりではありません。そういう立場の違う人と生活を共にする中で、その人たちの感性にハッとさせられ新たな発想につながっていくように思います。ただ心の底から笑いあえるのも楽しいものです。

 今年は6月〜9月には常に2〜3人同居していて、中でも神戸のナショナルスクールに通う在日米人中学生の2人との3週間の共同生活は驚きの連続でした。私達にとって当たり前の事が彼らにとっては異質であり、毎日の暮らしの中で、こうでなければならない事等そう多くないのではと思いました。彼らは好き嫌い、やりたい・やりたくないという事をストレートに表現します。自分をしっかり表現できるのです。

 こんな小さな地域に住んでいることもあり、どちらかというと波風たてずにと同調モードの私達にとってカルチャーショックでしたし、こんな人からの刺激は貴重でした。うちは原則、取材お断りですが、それはその日にもしかしたら来るかも知れない友人との語らいを大切にしたいという気もちがあるからで? まあ1日わがままにマイペースに使いたいというのが本音です?

 不特定多数の人とのつきあいよりも1人1人とのつきあいを大切にしたいなぁと思っているもーちゃんも原稿依頼だけは、こういう形で農の良さを表現するのもいいかなぁと思いできる範囲で受けていますが、最近は何か所からも依頼があり、今も3つの原稿の締め切りを目前にしています。私は作家じゃなくて農民だぞとつぶやいているこの頃です。

<自然の恵みをいただきますという心>

 私達は生活する中で、土からは野菜や花や山菜や草木などを、ニワトリ達からは卵を、牛からは牛乳を、羊からは羊毛をいただき、そして自家肉用のびーちゃんは私達の食べる牛肉になってくれています。その成長の中では、どれも無駄にすることはできないですし、とてもなついていたびーちゃんを食べる時の気もちはひとしおです

 買ってきた物ではなく、育ててきたからこそ、こういう気もちにさせてくれる気がします。生きものたちは、物に感謝し物を大切にする気もちを教えてくれると思うのです。

 又、山菜取りや染色の為の草木の採集をする時に最も注意することは節度ある採り方です(もっとも染色に使うよもぎ等はどこにでもあり節度ある採り方とかいう次元ではありませんが)。

 皆が欲しがるタラの芽は時に敷地内にあるものまでボキボキ折られている事がありショックです。自分の土地ではないですが、林道の山ぶどうの木等がひっぱられ折られているのを見ても心が痛みます。

 これらは節度ある採り方をしないと姿を消してしまうかもしれないし、そういう事をする人々はいのちの豊かさ・大切さを感じる機会に恵まれていないのであろうかなどと考え込んでしまいます。

 農家であればいのちを大切にするかといえばそうでもないですね。経済動物と割り切りすぎるといのちは軽くなってくるように思います。だから私達は今日も家族である生きもの達を愛称で呼び、今までどうもありがとうと感謝する気もちを持っていたいと思っています。

<感動する心>

 生まれるという瞬間は一般の人にとって、かなり感動的なのか、牛が今晩生まれるかもしれないと言うと、ほとんどのうちの同居人は夜中でも起こして欲しいといいます。又、病気になってしまうと心配ですし、死んでしまうと非常にショックです。具合の悪い生きものがいると同居人みなが心配してくれます。

 生きものの生き死には家族の心を動かし時にハラハラし時に感動します。この思いはゲームで生きものを育てても得られないのではないでしょうか。ですから私達は家族と共にこの思いを大切にしたいと思います。

 ところで酪農家ならではのチーズ作りでは、牛乳にレンネットという凝乳酵素を入れた後、ピーンと固まる様を見て非常に感動しました。今年は藍の種をもらって育て、こんな寒い所でも育つんだぁと感心し、羊毛を生葉染めしてみて、緑の羊毛が空気にふれて空色に変わる瞬間にとても感動しました。

 私達が初めて何かに取り組むとき、本当にうまくいくのだろうかとハラハラドキドキし、その行程でとても感動する事があります。ですからこれからもやりたいと思ったことにはチャレンジしてみたいと思います。その中にはきっと感動が隠れているから。

<できない事を嘆くよりもできることにチャレンジしよう>

 もーちゃんはかつて僻地医療に燃えて(?)北海道にやって来ましたが、志半ばで方向転換しました。幸い今でも医療福祉の分野にほんのちょっと関わっています。酪農生活に支障がでない程度で、まあどちらかというと趣味の範囲に近いのですけれど。ですが、全く関わっていなかったとしても、その物の見方は牛や家族の健康の見方につながっているように思いますし、今でも多くのいのちとふれあっています。

 話は変わりますが、私達はながく子どもができませんでした。このあたりでは子どもの存在は重要で、子どもはまだかい?というのが挨拶言葉でもあり、子どもがいないとある意味肩身が狭いとも言えます。ですが、その境遇のおかげで子どもができない人の気もちや痛みはわかるようになりました?さらに、今では9人の子どもを授かり様々な子育てを経験させてもらっています。

 これから歳をとっていくにつれ、年々できない事は増えていくでしょう。ですが、いつになってもできない事を嘆くよりもできる事の中でやりたい事をしていきたい。それが私達の人生の楽しみ方です。

結婚つれづれ」
北方農業2002年7月号「五風十雨」に掲載

 私達は本州(北海道の人は内地と言いますが)からの移住組ですが、冠婚葬祭をはじめ内地とは勝手が違い移住当初には少々とまどいました。

 たとえば結婚披露宴では内地と違う点として、会費制が9割をこえ、新郎新婦の上司や友人が発起人となり、親類や友人知人で会費を出し合って2人を祝う形で、式次第や席次等が記載された「しおり」が領収書を兼ねて渡され、席順では両親・親類は客として上座に、発起人は上司であっても末席となり、出席者が数百人と多いこと等があります。

 一方で内地では招待制が原則(遠方からの交通費や宿泊費等も含めた)で、結婚する2人の両家が主催となるため親類は末席となります。

 この披露宴を行うためには、お互いの気持の他に500万円程度のお金が必要で、両家の親が負担したり、何年かつきあいながら働いて貯金してから結婚したり、入籍だけの地味婚にしたり。

 披露宴を行う場合、出席者は近親の親類と上司の一部で多くても100人程度です。また、引き出物もそれなりの物で招待者はそれ相応のお金を御祝儀として包みます(この金額の判断が難しい)。

 こうした結婚の形式の違いは、戦後「冠婚葬祭の簡素化」が推し進められた中、他府県からの入植者でなる北海道だけで抵抗なく定着したからだといわれています。

 北海道式は会費制という気軽さがよいとは思いましたが、少々人数が多すぎはしないか・・・と思っていた私達の結婚披露宴は会費制の少人数制でしてみました

 池田町の「まきばの家」を全館貸しきって1泊がかりで近親の親類と親友(70人程度)で行ったのです。

 ちょっと進行も変わっていましたが、出席した人々は私達の結婚の証人として(?)、以来、私たち夫婦の友人としてつきあいを深めています。まぁ言い換えれば単なる酒盛り仲間でもありますが。

 しかし、私達夫婦が危機に陥ったなら、間に割って入ってきそうな予感が安心感になっていて、時には思う存分夫婦喧嘩をしたり(もっとも最近では子どもの手前とか、ケンカする元気も少し足りなくなり不満は小出しにして大事に至らないよう知恵を働かせるようになりつつありますが・・・)。

 また、中途失明者でもある絵本作家エム・ナマエさんの失明後の絵本「ゆめのたね」を引き出物にし『これからは2人の夢を1つにし、その夢のたねを大切に育てていきたいと思います』なんてサインして1人1人に手渡しました。

 形はともあれ結婚の結果、新しい家族が生まれ、私達も多くの家族つきあい(農村の家族つきあいは、なかなか濃厚でもあります)をし、また、子どもを通して様々な事情の家族にふれながら、改めて「結婚とは?」と哲学しているこの頃でもあります。   

買うか作るかどちらがお得?」
北方農業2002年12月号に掲載

 もーちゃんが家庭菜園に精を出す姿を見て、いーちゃんは“野菜を買ったほうが安いんじゃない?”と横やりを入れてきます。家庭用耕運機、ビニールハウス一式、保温のためのマルチビニール等の購入品やら野菜の種代も含め、けっこうお金を使っていると言うのです。

 しかし、ともーちゃんは思います。素人ではありますが、一応、堆肥と緑肥だけの有機農法でもあります。収量にバラツキはありますが、何がしかの越冬野菜も確保でき、春まで、ゆっくりと味わう事ができるのです。

 そして3月頃より種をまき、芽が出た、伸びた、花が咲いたと、子どもと共に変化を楽しみ収穫します。1粒の種から、いかに成長していくかを季節感と共に実感し、おいしく食べる方法を考えます。毎年、でき具合も違うのでワクワクと楽しみで、不ぞろいでもかえって愛着がもてたり。

 育て方や気候の影響により、うまくいかない事もあり失敗もします。最近よくある体験牧場では、うまくできるようにセッティングされていて、失敗することが少ないように思います。ですが、失敗を経験する事が、本当の意味での学びになると思うのです。

 また、できの悪い野菜や虫に食われすぎた野菜も、我が家の動物達(牛・馬・ひつじ・にわとりなど)は喜んで食べて、なついてくれます。家庭菜園がなければ、さぞかし、さびしいだろうなどと思ったりします。

 そして何より、もーちゃんは作ることが大好きです。好きだから楽しめますし、作る過程で様々なアイデアが浮かんできます。ですからもーちゃんにとって家庭菜園は割が合うと思っています。

 私達は10年前に酪農家として新規就農しました。牛乳を生産する、この仕事をけっこう楽しんでやっています。牛を飼って乳を搾る過程で、さまざまな考えをめぐらせ、牛乳を買うだけでは知り得なかった様々な事を知りました。

 酪農家のちょっとしたゆとりの時間を利用して、にわとりを飼っては卵をひらい(この卵をひらうという事を子どもはけっこう楽しみにしています)、ひつじをもらって羊毛の加工を始めました。

 ひつじと暮らし、毛を刈り、洗い、染め、紡ぎ、織り、フェルトにし、又、様々な事を知りました。糸やフェルトを買っていた頃には考えもしなかった事を。柄を考え糸から作ったセーターは世界で1着でもあり、ちょっと自慢できます。

 今は物が豊かで買い物もなかなか楽しいと思います。ですが、物が多すぎるゆえ、それがどのようにして作られ、売られるまでになったかについて、いちいち考えをめぐらせない事も多いのではないでしょうか・・・。しかし、作る事を生活の中に取り入れれば取り入れるほど、他の物がどのようにして作られているかについて気になりはじめる性分のもーちゃんです。

 また、むかし使われていた生活道具などにも興味は広がり、今日も何かを作りつつ生活しています。作る事により金銭的に節約することも目的ではありますが、作る過程に、お得な事が様々あるのです♪   

ビーちゃん3号うちに居そこねる  ふぁみりー通信10号に掲載

 この春、BSEの影響で肉牛価格が低迷していた中、どうせ安くしか売れないんだったら、いっぺん和牛とホルスタインのあいの子(F1)を残してみよう! とF1メスの1頭をうちで飼うことにしたのです(そのころF1メス仔牛の相場が1万円前後)。ところがこの冬に入り、F1の値段が急上昇している動向をみて、やっぱりうちで食べるにはもったいないから売ろう! と先日売ってしまいました。中途半端に肥育しないで育てているヤツは高く売れない・・とのことでしたが、129000円でした(その週に出したうちのF1メス仔牛は116000円)。

 なんだか牛の相場って上がったり下がったり・・。うちでは牛乳を売る方を安定財源、牛を売ったお金をボーナスと思っています。そのほうが相場に一喜一憂しなくていいので。

<2003年>

苦労を感じて感謝する心」
北方農業2003年10月号「五風十雨」に掲載

   今の世の中、生活は便利で物も豊富にあり、選ぶ楽しみもあります。それらの物が生まれるには、多くの人々の苦労があるのでしょうけれど、普段生活している中では、身近にその苦労を感じにくいこともあって、それらの苦労に感謝して、その物を大切にする・・という気もちが薄れてきている様に感じます。

 また、現代社会では、人々は外に働きに出る事が主流になり、子どもが親の働きぶりを身近に見ながら成長していく事も少なくなりました。

 物を見て、それらができるまでの苦労に心をはせる事が難しくなったように、家で過ごす親の姿を見て、働いている親の姿に思いをはせる事も又、難しくなっているのかもしれないですね。

その点、私達酪農家をはじめ農業者は、子どものそばで働くことができ、子どもたちは、親の働く姿(楽しい事・つらい事・うれしい事・悲しい事・苦しい事・疲れている事などなど)とその毎日の中での出来事(気候風土の影響、動物の生死やなついてくる様子など)を感じつつ成長していけるという、ある意味恵まれた環境にあると思います。

 だからこそ、日々の仕事の積み重ねの中から生み出すもの作り(生活費としての牛乳・家庭菜園・大工仕事・羊毛加工など)を楽しみながら、大切に取り組んでいきたい・・・。

 又、小学校高学年位から、どこの家庭の子も、仕事の手伝いを多かれ少なかれする事が多いと思いますけれど、共に仕事をする中で、親の働く姿から、良い意味でも悪い意味でも色々な事を感じていると思います。

 さらに個人的には、(乳)幼児期の雑念なく物を見つめる感受性はすごいなぁ・・と感じていて、本人が望めばできるだけこの時期の子どもから仕事に連れて行きたい(どちらかと言うと邪魔になる事の方が多いですが)と思っています。そして日々の生活を通して、働く事・もの作りをする事など様々な事を、言葉だけでなく豊かな五感に訴えかけていきたいのです。その事が、(生)物に感謝し大切にする事ができるようになるきっかけ作りになるのではないかと、子育てを通して思っています。

 また、仕事を通して、良い事ばかりではないけれど悪い事ばかりでもない事、努力すればよい方向に向かう事もあるという事を、自らを通して示していきたい。

 余談ではありますが、家庭が仕事場でもあるという事では、子どもは子どもなりに、親が手の届くところにいながら、じゃまにならない様に気を使っている面も垣間見られますので、時には仕事しながら家事をしながらではなく、子どもとだけ向き合っている時間を、一日のうちほんの少しでもいいから持ちたいと思っています。
                

<2004年>ふぁみりー通信12号より

毎年毎年にぎやかな我が家 ♪

  友人・知人家族の来訪、実習生、子どもの滞在などなど、やっぱり年末までにぎやかでした。フランスから実習に来たありさちゃん(フランス生まれ・育ちの16歳の日本人)いわく、我が家は働きすぎ〜とのことですが・・。うちが働きすぎなら他の農家は・・・??

 家庭菜園を囲むようにいーちゃんが廃材などで作ってくれた「公園」のおかげで、子どもがいても、けっこう菜園仕事もはかどり、おまけに今年は近年にないあたたかさで、できもよく(にんじん200kg、ジャガイモ250kg、かぼちゃ約100個、キャベツ・レタスは収穫期ノルマ1日2個などなど・・約20種)、豆も作ればよかったなぁ・・という感じで、まだまだ毎日、メインディッシュは野菜〜の日々です。

子どもといっしょにイチゴやトマトをつまみながら、たまごをひろい、犬と遊んで充電し、また公園であそんで・・という毎日。収穫作業のときにだけ現れる正志夫婦などもいましたが、コロッケやカレーに加工して返してくれるあたりがにくいネ。

ちなみに公園には12月現在、ターザンロープ、滑り台、シーソー、ブランコ、鉄棒2種、バスケットゴール2種(幼児用と小学生以上用)、砂場、プール、動く馬のオブジェ、ミニバレー・バトミントン兼用コート、飛行機の風向計、ベンチ2種ですが、今後もまだまだ増える予定です〜。私達がいなくても、子連れで遠慮せずに遊んで、野菜収穫していってくださいナ 

<2005年>

もとをとった溶接機?   ふぁみりー通信13号に掲載

酪農をはじめて5年ほど経った頃、溶接機があったら便利だろうな〜・・といいつつ、もとがとれるか・・と長らく悩んだ末に購入・・。牛の草置き場を作ったり・・とそれなりに使っていたのですが、本領発揮は、ここ数年充実しているうちの公園の鉄廃材利用の大型遊具。入植当時からある敷地内の鉄廃材などをフルに利用し・・。そんな我が家を見ていた昭二さんからは今年、トラックいっぱいの鉄廃材をプレゼントしていただき・・。まだまだ遊具が作れそう♪

1995年から使用の布ナプキン  ふぁみりー通信13号に掲載

男の方が読むと「は?」という感じでしょうか・・。毎月の月経のたび、もーちゃんの場合、綿ネルの生地で作った布のナプキンを使っています。1995年に作ったものを今でも使っているので、かなりのコスト安。しかもごみが出ないし、むれないし。試してみたいという方には詳しい方法お知らせします〜♪ ちなみにもーちゃんは10年前、苫小牧のやよいさんから布ナプキンをプレゼントしていただいたことがきっかけで使いはじめました〜。

☆ できるだけ我が家で循環  ふぁみりー通信13号に掲載

牛を飼って出る糞尿は牧草地と家庭菜園に還元。家庭菜園は、糞尿と前年の家庭菜園残りの緑肥だけで栽培。農薬も使わないので虫にやられることもありますが、虫つきの野菜は鶏やひつじの好物。私達は、たとえばキャベツの外皮や芯などもいただきますが、くずが出たときには、これも、我が家の動物達に分配します。こういうわけで、あまり多くでない生ごみも牛の堆肥に混ぜてまた畑に戻します。

冬の料理はストーブまかせ。 ふぁみりー通信13号に掲載

 北海道では11月になると朝晩は氷点下。12月からはほぼ1日中氷点下。という日も出てくるし春は遅いので5月くらいまではストーブは欠かせません。そこで、ストーブをつけると同時に、料理も進行。

 我が家では、土鍋で作る煮豆(基本的に味付けせず豆の風味のみ)が種類日替わりで乾燥豆で毎日2カップずつ。豆は戻さず、3倍量の水を入れて、土鍋のふたをして、ストーブの上においておくだけ。ストーブが切れても土鍋の効果で保温調理。黒豆もふっくらつやつやに仕上がります。

 砂糖を入れないので家族4人で2カップが1日でちょうどなくなります。味噌にする乾燥大豆4キロも特大鍋でストーブの上で煮ます。ちなみに豆はひろふぁみりーと我が家の羊毛加工品などと物々交換おでんやカレーや煮魚やチャーシューなどの鍋料理はこれまた土鍋利用。ぬれた新聞紙とアルミ箔でくるんだ芋もストーブに置いておくだけでおいしい焼き芋になります〜。

台所は実験室!?  ふぁみりー通信13号に掲載

我が家の場合、うちでとれる野菜や季節ごとに物々交換のようにいただく食材をいかに無駄なく飽きることなく料理するか・・がメインテーマ。つまり、料理を考えて食材をそろえるのではなく、食材を見て料理を考えるということ・・。

 だいたいがもーちゃんは、料理の本を斜めに読んで、面倒なところはなるべくはぶこうとする方で・・。というわけで毎日、台所が実験室。オリジナルレシピも増えました〜。誰かいるときには、ヘルシーで簡単オリジナルレシピを披露するのが楽しみ。 

便利なちょこっと大工屋さん ふぁみりー通信13号に掲載

 生活していると、あ〜ここがもうちょっとこうだったらなぁ〜と思うこともたびたび。そこで、あ〜ここがこうだったらなぁ・・といーちゃんにつぶやきます。そうするとあれこれ考え、ちょっと棚やかぎをつけてくれたりしてくれるわけ(これはいーちゃんの気の乗り方と緊急度に応じて、できあがるまでの期間には差がありますが〜)。ストーブがつかない、何かが動かない・・というときにも出動。これでけっこうリフォーム代と修理代を節約しているはず。一家にひとり、大工ちょこっとできる人は便利です〜♪ うちは夫婦でやる事が違うので、夫婦1セットで分業しあうと大変便利です。

REDUCE、REUSEに力を入れて、RECYCLEも取り入れて ふぁみりー通信13号に掲載

 REDUCE(リデュース=いらないものは買わない)、REUSE(リユース=再利用する・・ビールはビンで、ひつじの毛は編みなおし切れた糸は織物や詰め物に、廃物利用、循環させるなど)、RECYCLE(リサイクル=再生利用する)

おさるがアルミの缶、車椅子になるからちょうだい〜と言うのですが、そもそも我が家ではアルミ缶なるものを基本的に買わないのです・・。ちなみに我が家でジュースといえば、シソか山ぶどうのこと・・。うちに来てシソジュースのピンクにつられて飲んでみて、しかめっ面をする子(きっと想像した味と大きく違ったんだろうなぁ)の多いこと・・。うちの子はこれしかないからニコニコ大好きになるけれど。

 <2006年> 

☆ 地域内 脱 ガソリン 自転車ライフのすすめ  ふぁみりー通信14号 掲載分

ガソリン単価はこのところうなぎのぼりに価格高騰。3歳のかーきちが補助輪なしで自転車に乗れるようになった3月、かーきち用、もーちゃん用に自転車を購入。保育所通園(片道3・3キロ)、地域の用事は自転車で足すことに。車と違い、鳥の鳴き声がよく聴こえ、鳥や木の実など周りの風景がよく見えることに気がつきました。また、子どもの目線で楽しさ倍増。吹く風が心地よく、親子でいろいろ会話しながら、ときどき止まって、道端の雑草などを見たりさわったり。1回保育所に自転車で行ったら、環境に40円の貯金?? これぞスローライフ!? ゆとりのある人は、近所だけでも、自転車ライフしてみませんか? ただ、3歳の子の自転車運転は名物にはなりましたが、恐ろしい存在でもあるようで、追い抜いていく車は、対向車線まで大きく迂回して・・。皆さん心配かけてごめんなさい。ところが6月末から、通園路で頻繁にヒグマの親子が目撃されるようになり、学校がスクールバス対応となりやむなく中止に・・。結局、1〜2週間ごとに目撃情報があり、10月にはうちの放牧地の裏手でクマの人身事故も発生し、せっかくの自転車は敷地内だけ・・。クマに出会うとやっぱり危ないのでしょうか・・。

☆ 脱 灯油ストーブ  ふぁみりー通信14号 掲載分

 2003年、古い住宅を手壊ししてもらって大量の廃材が出て、去年、台風で何本か木が倒れ、今年、台風並みの低気圧で、牛舎の壁も破壊したのですが(釧路根室地方では屋根が飛ばされるなどかなりの被害がありました)、木も10本以上倒れ、「よし!」と、薪ストーブを購入。灯油価格も高騰の折、薪ストーブも、各種沢山あって迷うほどでしたが、ホーマック安売りの29800円の鋳物にしました。まきが割れない! 火がつきにくい! 煙突から変な音が! え?こんなに木が要るの? ・・小さなトラブルを乗り越えつつ、今日も、薪だけでやっています。パチパチという音と、暖かい火の明かりが、なんとも気持ちよく・・。薪割りはいーちゃんとかーきちと自作薪割機。糸紡ぎ・編み物・家事をしながら火加減をし、ストーブの上で料理をするのはもーちゃん。電気ボットもやめ、ガスを使うのは揚げ物、炒め物ぐらい。

お金をかけずに作ったこんなもの  ―ごみと思うか、宝と思うかー>ふぁみりー通信14号 掲載分

<生活編>

幼児練習用自転車・・幼児車のペダルと車輪はずして、給餌車前後輪 0円・・ペダルをはずして、まずは遊びながらバランスのとり方をこれで覚えます。

ゴミ箱・・廃材、サイディング(増築に伴い出た廃材)、トタン(増築トタンの残材)、残ペンキ、トールペイント剤 500円・・子どもと絵を描きました
羊毛染色なべ・・バケットミルカーのバケット 0
紡毛保管場所・・廃材、竹ボーキの柄 0
かせ・・水道管 0
かせくり機・・廃材 0
ぴょんぴょんゲーム・・残階段材 丸棒 160
散髪・・かーきち、いーちゃんはもーちゃんがパチパチ 0円 
物干し・・廃材 0
子ども用踏み台・・まな板 0
チーズ用具・・タッパ、アルミ板、釣り糸、塩ビ管、すのこ、衣装ケース、コンパネ、さらし 3000円程度
羊毛品・・防寒くつした、くつ敷き、セーター、ベスト、マフラー、手袋などは、すべてひつじの毛を刈って、洗って、草木で染めて、紡いで、フェルトにして うちのひつじかもらい物のひつじの毛で  0円
ドアで手をはさむ防止ビニール・・破れた給水ホース 0円
子どもの台所進入防止戸・・廃材 0円
Tパズル・・廃ダンボール、厚紙 0円

<2007年>   ふぁみりー通信15号に掲載ほか

☆ 年中早寝早起き 太陽光と暮らす

酪農家はだいたいが早寝早起きで、我が家の場合は、朝の作業は子どもが寝ている間にすませて、夜は8時くらいにみんな一緒に寝る・・というパターンでした。が、なぜか、かーきちは陽が昇ると「朝だ!」と起きてくるタチ。北海道の夏の日の出は早く3時くらいになると空が明るくなるので「朝だ!」と起き、「明るいけどまだ夜だよ」と説明して寝かしつけるものの、4時過ぎに夫婦して起き出そうとすると「かーきちも牛舎に行く!」と又起き、「小さい子にはまだ早すぎるから寝ようね」と背中をトントンしていると又眠り・・。

ところが3歳を過ぎた頃から、寝たかと見えてもすぐ起きておさるをたたき起こし、激しいねぼけ姉弟バトルになり、インターホンからの叫び声を聞いたもーちゃんが家に帰って仲裁する・・日々の連続に。そこで発想転換。みんなで4時半起床に切り替え、一生のうちでこんな朝晩牛舎を手伝う経験もそうなかろう・・と共働生活しています? テレビはだいたい録画に・・。

1回搾乳の期間(12月〜1月の約2か月間)だけ夜10時ころまで起きています。

☆ 古着でパッチワーク

パッチワークというと、まず古着などをある一定のサイズに切りそろえそれからチクチク縫う・・というイメージで、まめさが足りないもーちゃんは手を出さずにいました。ところが子ども用を中心にシミがついておさがりにも出せないけれど柄がそれなりにかわいくて雑巾にするのももったいないし・・。

かーきちお気に入りのアンパンマンの服を中心にすえて回りもお気に入りだった服に靴下に帽子に手袋やついでにいろいろはずしておいたボタンやチャックまでつけて遊び感覚で開け閉めできるようにしてひざ掛けを作ってあげたところよろこんでくれました。ついでに、アンパンマンの服で、保育所のカバンをつくったら、喜んでもっていってくれました。また、おさるお気に入りのトレーナーをリフォームして裁縫セットに・・などなど・・。

家族全員まりちゃんの羊毛を紡いで編んだ靴下を愛用していますが難点はすぐ穴が開くこと。そこで転ばぬ先の・・で出来上がった靴下にあらかじめジーンズ古着のあてをしてみんなに配布。これで穴が開くまでの期間を相当に延長できるようになりました。同じく、穴の開いたジャージにもあてをして使っていますが、自分でズボンをつくるときなどにも、あらかじめ、おしゃれに?「あて」をしておくこともあります。

☆ 今年も健全。廃材利用のいーちゃんの製作

私達夫婦は絵本が大好き。でももっぱら買う専門。表紙がしっかりと厚い絵本は上製本と言うそうですが、そんな絵本でも自分で作る事ができるよ・・と町の図書館職員の方から親切丁寧な指導を受け、自分ながら驚くような立派な絵本が完成しました。  「売っているような立派な絵本が自分でも作れるんだ〜」と感動した瞬間でした。おさるも挑戦。立派に仕上がりましたので、子どもでも大丈夫。おかげで世界に1冊の絵本シリーズ作りという楽しみが増えました

ちなみに、こどもに贈った絵本「ふたりのおかあさんからあなたへのおくりもの」がいろいろあって出版されています。

→注文はこちらまでss7.inet-osaka.or.jp/~fureai/index.html

今年に入ってから、産んでいるはずの鶏の卵が一個もなく、その上、1〜2ヶ月に一羽ずつ鶏が変死し・・。それで監視を強化したところ、卵泥棒&鶏襲撃の犯人はなんと「クマネズミ」・・・。ネズミ捕りを仕掛けたりしたのですが、あいかわらずの状況が続き、3羽目の鶏がやられたときに、近所の、五郎さんに相談して鶏&ウコッケイをあずかってもらうことに・・。でもクマネズミを避けるような鶏舎の改築は難しく、当分鶏の飼育を断念することに・・。

ちなみに五郎さんちも、そのあと、きつねの襲撃を受け鶏やウコッケイが全滅し、預かっていたわが家のニワトリ達だけが別飼いにしていて無傷だったため、繁殖させて助かったとか・・。外敵の多い農場で鶏を飼うのはなかなか難しい・・。

うちが薪ストーブを使い始めると、近所の方から、うちの敷地に倒れている木があるから持って行っていいよ・・と声をかけていただく事が多くなり(わざわざ運んでくださった秀喜さんどうも〜)、おかげさまで薪に使う木に困らない暮らしです。夏のあいだに薪用に加工してくれたいーちゃん、かーきちのおかげで、灯油なしで家はぽかぽかあったかしあわせです〜。

まりちゃんも歳で多少毛がぱさぱさしてきましたが、靴下にするととっても温かい。今年も30足ほど作りました。もちろん、転ばぬ先の・・で、あらかじめ古着であてをして。

酪農家をしている私達も、酪農ヘルパーをお願いし、家族旅行を楽しめる時代ですが、わが家の場合、2月〜10月の利用は難しく(2月からは牛の出産ラッシュ、5月からは放牧期)いつも11月下旬に申し込んで、1〜2日とって家族旅行をする・・というのがわが家の恒例。普段、遠出できない子ども達にとって年に一度の楽しみです。

長い冬を楽しむ

居間を増築してどーんと広くし、中央に我が家2台目の薪ストーブを据え(ホンマの時計型ストーブは1万円ちょっとで相当優秀です。いーちゃんとかーきちが薪割り担当)、その上で、鍋がコトコト煮え、鉄瓶(「松風」と言われる風流な音が大好き)の湯でコーヒー(ミル当番はかーこ&かーきち)やお茶や抹茶をいただき、遊び、読書し、テレビを見、もーちゃんはおしゃべりしながら料理し、味噌作りや漬け物やおやつなど加工をし、糸を紡ぎ、靴下などを編み、着物をほどいては縫い・・これからの長い冬の暮らしを楽しんでいます。

近年、何人かの友人も逝き、いのちは無限ではないと、改めて考えさせられ、1日1日大切に送りたいなとすごすこの頃・・。

自然が好きだったもーちゃんの父&祖父・友人の遺影に花を添えたいな・と、5月から10月まで、いろいろな野の花を生けてみた。花もちのよい「オオバナノエンレイソウ」はもーちゃんの好きな花ですが、家族で人気があったのは「シモツケ科」「カタバミ科」「スミレ科」の花など。「花は野にあるように」「小さい花は根つきでな」「食卓の花は亭主に正面を向けて感謝するもんよ」などと貞子ばーばが教えてくれ、家に生けると花の細かい姿や変化もよくわかり、そのうち、子どもが学校帰りや、外に行ったついでに「これじいちゃんとこにどう?」と持ってきてくれて一緒に花の名前を調べたり・・。北海道には本州では見かけない野の花が多く、かわいい・・と実感した1年でもありました。

30年ぶりに訪れた父が育った田舎町、野上の家と周辺は全く変わらず住む人だけが年をとり、20年ぶりに訪れた私が育ったほどほどの都会、長岡京周辺は浦島太郎の気分・・というぐらい変化していて時代の流れを感じました・・。変わっていくものと、変わらないもの・・変わらないものに心を寄せることも多いこの頃です・・。

もーちゃんは医療職に長く身を置きながら、コンビニ受診のような現代の医療状況などに少々疑問を持っており、けっこうな病院嫌い。よほどでなければ病院に行かないし、子どももよほどのことがなければ病院に連れて行かない。

けれど先天性股関節脱臼からくる両側変形性股関節症と幼いころから同居し、臼蓋変形の程度が大きいので運動は色付け程度(見学の勧め)、手術は手遅れにならない早いうちに・・と言われ続けながらも、運動が大好きで外っ子でした。小学生の頃はポートボールやアタックナンバーワンごっこに熱中し父とともにテニスし、その腕力・体力で砲丸投げ・中距離走・テニスで京都府下大会に出場、九大体育会テニス部は1部リーグに所属し、全国を遠征し、社会人になってからも関西社会人大会で優勝したり、職場仲間と登山でアルプスなどを縦走したり・・と。しかもこれだけ運動しながら毎年のレントゲン所見に大きな変化はなく、しかも骨の変形を最小限に食い止めるコツをその都度教えていただいたのは実は病院。

ところがかーこが2歳になるころから、おんぶやだっこするとどうにも足の調子が悪く、鎮痛剤を常用し改善していたのですが、今年3月頃より、痛みのために夜眠れなくなり、整形を受診したところ、これ以上の鎮痛剤の常用よりは、手術を受けるか生活レベルを下げるか・・と言われ、ファーム存続の危機!に・・。

何とかならないかと珍しく3日連続でリハに通った。なるだけ重力をかけずに筋力は強化・・など、正志理学療法士さんから様々なことを教わり思い切って効かない薬をやめてみた。そうすると今まで薬で抑えられていた痛みが次々出てきて困った私は、6月にもう一度リハを訪ね、O理学療法士さんから、痛みのために硬直している筋の緊張をとるメニューなどいろいろ教わり実践した。そうして半年、3月から私を悩ませつづけた痛みからはずいぶん解放され、治療リハビリテーションの意味を実感し、いざというとき、プロの人は心強いなと感じた。一方で一時期杖が離せなくなった私を心配し、あちこちの方が、いろいろな医療情報を教えてくれ・・。病院嫌いだからこそアンテナを高くし、もしも・・の備えだけはしておきたいなと思っているので皆さんに感謝・・。

長年続けたテニスで全国を回り身についたことは、どんなに苦しくても、最後の最後まで絶対にあきらめないこと・・。あと、一点で負けてしまう、というところから、我慢して我慢して、相手にすきを与えず相手をよく見て、状況を好転させるために、粘り続け、個人で、団体で、逆転勝利した経験が何度もあった・・。そして勝てたのはチームみんなの応援があったから・・。そして、苦しくても顔色一つ変えずに頑張り続け、最後の勝負がついたとき、勝ったものも負けたものも泣いたりガッツポーズをしたり一気に喜怒哀楽を表現し、お互いの健闘をたたえあう・・。そんなスポーツ精神も大好きだったな。

もーちゃんの父が入院した北楡病院(札幌市)は父と家族の希望をよく聞いてくれた。激痛をこらえる父に代わり、モルヒネを積極的に使ってほしいとお願いするもーちゃんの希望を聞き、最後まで意識は失わないようにコントロールしてくれた。また、延命処置よりも家族の時間を・・という希望も全面的に受け入れて、血液病の最先端でありながら、面会制限をせず、宿泊室を提供していただき・・。意識が途切れ、呼吸が浅くなった時も、最後の脈が停止するまで、医療者は入室を遠慮してくれた。おかげで父は安らかに旅立った。

この界隈でも、最後の時に、息ができることに感謝しながら旅立てるような最高のホスピタリティをもった、プロ級の緩和ケア・終末期のケアの実現に向けて何かできることはないかな・・と思うこのごろ。そして、できれば、私達は、住み慣れた自宅で最期の時を過ごしたい。そして、葬儀も、結婚式と同じく平服であいさつ言葉は抜きにして、みんなのメッセージと家族が好きな曲と写真に囲まれて、自宅で、野のものに囲まれて、行ってほしい・・。

震災の今年、我が家では、子どもがブーブー言うのもかまわず、さらなる節電&捨てない暮らし&代々伝わる物たちが、タンスの肥やしにならぬようにひっぱり出す暮らしに励んでいます。廃ガスボンベから薪ストーブをつくり、祖父の筆と墨と和紙で手紙を書き、祖父の着物を着て歩き、糸にできないベリー羊毛をフェルトにして小物を作り、または、フェルト化した原毛でざぶとんを織り、はきふるした靴下をほどいた切れやすい糸でマットを作り、子どもの古着でざぶとん&ふとんカバーを作り、祖母が着物を縫った時に残した1pほどからの端布や、洗い張りした布のうち虫が食ったりしみがついたりしているものを使ってパッチワークをして日用品を作り親族に配り・・。

昔、京都芸大に進学したらどうかと言われたときに、「芸術では食べていけそうもない」と思い選ばなかった道だけど、このころになり、いつか京都に1か月ほど泊まり込みして、京都に古くから伝わる芸術に触れ、食べたい・・などと。今は、後悔しないため、ここでできるすべてを吸収すべし。

震災の今年、鎌田實著「希望 −命のメッセージー」(写真エッセイ集で印税は被災地のために使われるそうです)を皆さんに紹介します。中に六花亭のチョコも紹介されています。気が向いたら、買って読んで、六花亭のチョコも食べてみてください。 おいしいよ。そして、出不精な私たちに代わって、どうぞ、我が家に遊びに来てください。



「結婚しました」の案内から数えて今年で20号。来年で結婚&就農20年。
今までクリスマスに我が家のニュースとしてお便りをお届けしていましたが、
だんだん年をとって作業能率の低下を感じているこのごろです。

つきましては、この号を最後に、年賀状にシフトしたいと考えています。
ホームページの方は夫婦の体力と知力が続く限り、細々と更新したいです。

物心ついたころからテニスをはじめスポーツに没頭し、友人と遊びほうけ、
日記をつける習慣が全くなかったもーちゃんですが、
日事記録をいーちゃんより任命され、続けることもうすぐ20年。
その記録によると、
1994年は、我が家でランチや宿泊をする人がいなかった日がなんとゼロ。
毎日が宴会の日々。
子育てに忙しくなってからしばらくも、誰かがひっきりなしにランチし泊まり・・。
新婚生活抜きで過ごしてきましたので、今後はだんだん新婚生活に?!☆>゜))彡

今年は初めて1株だけ育てたスイカが6キロ2玉、5キロ2玉ほか大玉だけで6個と大豊作。
ジャガイモも豊作。にんじん、かぼちゃは並。一方キャベツなど葉物は虫にやられほぼ全滅。
玉ねぎは小玉ばかり。
畑も世の中もいいことばかりではなく、すでに世の流行には、ついて行けませんが、
便利なことは子どもたちなど若い人たちから教わりつつ、
「なにかいいことないかな〜」とアンテナピコピコ生きていきたいです〜。

すでに師走。12月30日は餅つきなど正月準備。31日はお節料理づくり。そして、
年越しそば&麻雀(素父の大学時代からの愛用品)。元旦は日の出ドライブ&初詣&温泉。
3が日はお節料理を食べて牛舎以外は遊びまくる・・が我が家恒例です。


酪農家の我が家では、毎年11月に行く、年に一度の家族旅行を、子どもたちはとっても楽しみにしています。おさるが高校に入り、初の連休旅行(今までは学校を休んで平日に行っていました(^○^))。今年96歳になる貞子ばーばとの時間を過ごし、人込みをぬって、子どもリクエストの京都食べ歩き(錦市場、高島屋地下街&レストラン街、都路里ほか)&海遊館&白浜アドベンチャーワールド(8月生まれの優浜ちゃんほか9頭のパンダが超かわいい&サファリパークのキリンさん、釧路市動物園にかしてほしい〜と思うほど友好的)&久しぶりの神戸屋パン&バームクーヘン&モノレールから万博公園&太陽の塔を見たり〜&釧路プリンスホテルのおもてなしもなかなか・・でした?
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