〜 Egypt 〜

●2000年10月 エジプト旅行記

第一日目 真夜中のカイロ

  やっとカイロに着いた。もう真夜中だった。東京を午後に発ってから、アムステルダムのスキポール空港を経由してトータルで18時間くらいかかったろうか。一睡もしていないので、まさに長い一日だった。しかしこれでもモスクワ経由便よりはまだ短いらしい。旅行代理店でチケットを買ったときに、オランダ経由よりも1万円くらい安いアエロフロート便も勧められたが、モスクワでのトランジットで8時間待つと聞いてやめた。スキポールでも5時間は待ったのだが、少なくともスキポールには2時間はつぶせるだけの店やカフェがある。代理店の人の話だと、何もないモスクワ空港での8時間は地獄だそうだ。旅行日程に制限があったこともあり、エジプトでの時間を少しでも多くするためにも僕達はやや高いKLMのチケットを買った。

  今までも何回か海外旅行はしたことはあるが、イスラム圏であり、しかも地理的にはアフリカになるエジプトへの旅は非常に新鮮味があった。その興奮と期待感は飛行機の窓から夜のエジプトの大地を初めて見たときにピークに達した。砂漠の中の砂漠と同じ色の街。ところどころにあるモスクはグリーンの灯りでライトアップされている。今まで見てきたどこの国の風景とも全く異質だった。子供の頃から地図で見てきたエジプトに来たんだ!という思いが、僕の頭に眠気を寄せ付けなかった。しかし、この24時間後に早くも僕は日本に帰りたくなっていた。日本人のエジプト旅行記には必ず書かれるくだりなのだが、いわゆる日本的な常識が全く通 用しない悪夢のような世界に来てしまった、というカルチャー・ショックに襲われたのだ。しかもかなりタチの悪い。これでも全く無防備だったわけじゃない。エジプトを旅行したことのある人の話は少しは本などで読んでいたし、ぼったくりや置き引きなどの犯罪、そして日本人旅行者の旅先での人情ふれあい願望を完膚無きまでに打ち砕くウソの数々などは東南アジアでの旅行で多少なりとも経験していた。しかし、エジプトでのそれは想像以上のものだったし、長旅で疲れた身体にはキツイ洗礼だった。

  まず入国審査官の横柄な態度にカチンと来た。あきらかに見下すようにジロジロ見た後に、彼はパスポートを投げて寄こした。こういうのは海外ではままあることなのだろうが、初めての国で最初にコミュニケーションをする人間から投げつけられる敵意に気が萎えるのを感じた。そして入管を無事パスしてトイレに入って用をたすと、クシャクシャのティッシュを一枚差し出すオッサンがいる。ハンカチを持ってるからと断ってトイレから出ようとすると、お金を要求する。さっそく来たなと思ったがが、とりあえあず無視。食い下がらなかったので、意外とあっさりしてるんだなと思ったが、後から思えば一回で引き下がったのはこの空港トイレのオッサンだけだった。

  何も準備をしないで到着ロビーを出てしまうとタクシーの客引きにもみくちゃにされ、相場もわからず法外な運賃を取られた挙げ句に運ちゃんの紹介する怪しげなホテルに連れて行かれる、という注意を本で読んでいたので。まず空港を出る前にロビーのベンチに座り、ガイドブックを広げ今晩のホテルを決める。安いホテルは何処も怪しそうだが、とりあえずホテルを決めておけば運ちゃんに付け入る隙を与えずに済むだろう。それに空港から市街へのタクシー料金相場も調べた。心を決めてロビーを出ると早速客引きが寄ってきた。しかし真夜中だったせいか意外と客引きの数は少なかった。値段を聞くと案の定、相場の4倍くらいの値を言ってくる。高いと言って他の運ちゃんに聞いてみるが、やはり高い値段を言ってくる。値切ろうと相場の値段を言うが、そんな金じゃ少なすぎるという顔をして首を振る。これは演技で、じゃあいいよと立ち去れば追ってきてディスカウントするだろうと思って歩き出したが、アレ?誰も追ってこない。ガイドブックが間違っていて、ホントにこの金額じゃ安すぎるのか?と一瞬不安がよぎる。しかし誰も追ってこないので、ついにタクシー乗り場を過ぎてしまった。これは困った。なにしろ真夜中だからバスもないし、空港の周りは真っ暗な空き地で流しのタクシーを拾えそうにはない。かといってタクシー乗り場にのこのこ戻ったのでは、足下を見られてボラれるのは目に見えている。強気にスタスタ歩いては来たが、どうしようか不安になってきた。そんな僕達の不安を見越したかのように、どこからともなく一人のエジプト人が声をかけてきた。そいつが言うには正規のタクシーじゃないから、もっと安くしてやるという。値段を聞くとガイドブックの相場よりは高いが、ロビー前に並ぶタクシーの値段よりは安かった。真夜中に見知らぬ 異国の地で取り残された不安も手伝って、その値段でオーケーしてしまった。空港駐車場のそいつの車まで行ってみれば、なんてことはない到着ロビー前に並んでたタクシーと全く一緒だ。もしかしたらこうやって旅行者を不安にさせて、頃合いを見てまた声をかけるのが奴等の手なのかも知れない。とはいえもう後の祭りだ。僕達はあらかじめ決めておいたホテルの名を運転手に告げ、タクシーの後部座席に身体を沈めた。運ちゃんは予想通 り他のホテルを勧めるが、疲れがどっと出て無愛想になった僕達を見て、あきらめたようだった。

  真夜中のカイロの街はひっそりしていた。とても一国の首都とは思えない静かさだ。まだ日中の喧噪を知らない僕は、イスラムの国はこうなのかな、とぼんやり考えていた。やがてタクシーは止まり、運ちゃんが「ここがロータス・ホテルだ」と言って僕達を降ろした。普通 の街中のビルが並ぶ通りだが、ホテルらしき建物はまったく見えなかった。一抹の不安を覚えたが、運ちゃんの指し示す建物の入り口の暗闇へと歩みを進めた。とてもホテルには見えない、日本なら廃ビルといっても通 りそうな薄暗いビルだ。小さな看板に「LOTUS HOTEL」とあった。ホッとしたのもつかの間、どうやらフロントは上の階らしいのだがエレベータがまったく来ない。動いている気配もない。 ムムムと思っているところにガードマンらしきお兄さんが暗がりからヌッと現れ、「あっちの階段で行け」と教えてくれた。階段を上ること7階分、やっとフロントに辿り着くことができた。フロントで料金の交渉をしたが、こんな時間だし足下を見られて、ガイドに載っていた値段より少し高い値段で押し切られてしまった。いやなら他のホテルに行きな的な態度をされると、長旅で疲れ切っている僕達には辛い。奴らは深夜着の日本人旅行者の扱いには慣れているのかも知れない。

  料金を払い、部屋の鍵をもらったところで、ロビーのソファに座っていた革ジャンを着たエジプト人がやおら僕達に話しかけてきた。チェックインを済ませて少し気分的に余裕が出ていたので、宿泊客かと思って少し話をしてみようと思った。「明日の予定は決まってるのか?」と聞いてきても、ただの社交辞令的な会話かと思い「いいや、まだだ」と答えてしまったのだが、これが大失敗だった。そいつは実はタクシー運転手で、その10分後には俺らは翌日の市内観光の運転手兼ガイドを頼む契約をしてしまっていた。ガイドの料金やどうやって市内を回るか全く考えていなかった僕らは、疲れもあってまんまとそいつの口車に乗ってしまったのだ。そいつの名前はアフマドだった。一日貸し切りで一人25米ドル。日本の感覚で言えば格安だし、ガイドブック情報から考えてもそう法外な値段でもなさそうだったので、お願いすることにしたのだが、まさかあんなにも色々な落とし穴があるとは思ってもいなかった。翌日僕達が体験することになったのは、カイロで観光客相手に行われるボッタクリのオンパレードだったのだ。しかし明日自らに降りかかる運命をまだ知らない僕達は疲れもあって、話もそこそこにスプリングの怪しいベッドにもぐり込んだ。とにかく僕は今エジプトにいるんだから・・という興奮と心地よさは、明日への不安を頭の隅に追いやっていた。

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