等活地獄
(等活地獄(とうかつ)
等活地獄とは、此れ閻浮提の地の下、一千由旬にあり。此の地獄は縦広斉等にして一万由旬なり。此の中の罪人はたがいに害心を抱く。模したまたま相見れば、犬と猿との会えるがごとし。各々鉄の爪をもて互いにつかみさく。血肉既に尽きぬれば、唯骨のみあり。或は極卒手に鉄杖を取りて頭より足にいたるまで皆打ちくだく。身体くだけて沙のごとし。或は利刀をもて分々に肉をさく。然れども又蘇り蘇りするなり。-顕謗法鈔-
寿命
此の地獄の寿命は、人間の昼夜五十年をもて、第一四王天の一日一夜として、四王天の天人の寿命五百歳なり。-顕謗法鈔-
そこにいる衆生の悪業にも上中下の差別があるため、活地獄中の命をまた上中下の差別がある。五百歳を経たず、中間に死ぬ者もいる。業の多少・軽重に応じて、活地獄の一処だけで受けるか、或いは二処か、三処か、四処か、五処か、六処か・・・このように乃至は十六処まで悪業が尽きてしまうまで苦痛を受けることになる。
等活地獄に堕ちるのは
此の地獄の業因をいわば、ものの命をたつもの、此の地獄に堕つ。螻蟻蚊虻等の小虫を殺せる者も懺悔なければ必ず地獄に堕つべし。譬えばはり(針)なれども水の上におけば沈まざることなきが如し。又懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば、後の懺悔には此の罪きえがたし。譬えば盗みをして獄に入りぬる者の、しばらく経て後に御免を蒙って獄を出れども、又重ねて盗みをして獄に入りぬれば出許され難きが如し。 されば当世の日本国の人は上一人より下万民に至るまで、此の地獄を免るる人は一人も有り難かるべし。何に持戒のおぼえをとれる持律の僧たりとも、蟻虱なんどを殺さず、蚊虻を誤たざるべきか。況んや其の外、山野の鳥鹿、江海の魚鱗を日々に殺す者をや。何に況んや、牛馬人等を殺す者をや。-顕謗法鈔-
殺生の業にも上中下がある。それに応じて地獄の受苦もまた上中下がある。問:彼の地獄の業で何が上にあたるか。答:善人を殺したり、受戒人を殺したり、若しは善を行う人を殺したりすること。他にも殺生心が有って衆生を想像し、其の命根を断じようと欲する。此の業が究竟しても悔やむ心を生じない。他者に向かって殺を讃じて説く。こうして増長する。また他者を殺すことを教える。殺を勧めて随喜する。殺生を讃歎する。殺の使いとなる。これらの痴人は自分で作り、他者にも教える。そして罪業が成就し、命終して活地獄中に生まれる。