岡山の地名  調査:佐藤信、小池千代吉



   字 地 名 読 み 現 状 概 況 備 考
       
01六供風窓かざまど岡山バス停後ろ下の田谷になっていて西風が吹くとここは強風になるため。 
02 清水尻しみずじり山林現在水飲み場街道だった頃飲み水が補給できる最後の場所
03 宮畑みやばたけ現在一部杉林、他は柿園以前は神社所有田畑
04 二枚田にまいだ柿園他杉、柿、畑、他岡山より湯山谷に通じる山越えの塔や崎に出る手前の山中にある二枚の田
05 鬼苅おにかり山林旧菱田地区、俗称蛇場見地区の田と山裾の協会の山の名前 俗称蟒蛇、蛇場見地区にある。由来不明。
06 大平おおひら伊波手より梢西方の位置にある。山の平らなところの意と思われる。
07 伊波手(岩堆)いわで岡山の山の頂上付近井岡の遠賀神社はここから天長二年に現在地に遷座したと言われる。又は岩の堆積した山の名のことではないか。
08 北山きたやま愛光園の裏山の一帯岡山からは明らかに南方に位置しているが、北山と言うには何か理由があると思われるが、由来不明。
09 入りこ田いりこだ山崎山東に当たる入込田山中に入り込んだ田を謂ったものと思う。
10 高山たかやま 現在は平地以前は24〜5m位で富士山に似た形で変わった色の土質で草も生えないハゲ山であったが由来は不明。
11 輪の内わのうち鍋づるの様な道路に包まれていて内は田、苗代であった。輪の半経に似ている所から謂い伝わってきたものと思われる。
12 墓の腰はかのこし田畑賢太郎の裏の畑賢太郎の裏山にあった旧墓地の周囲の田畑のこと。
13 棒使場ぼうつかいば雑木林半内、勘助、半兵衛3軒の分に入る武士の槍の練習場で棒の先にに布を付け練習した場所と謂われている。
14 御着場おつけば  
15 長谷川田はせがわだ  
16 潟田かただ原野  
17 人取橋ひととりばし岡山と森片の境界にかかっている橋 
18 与左ヱ門山よざゑもんやま宅地  
19 若林わかばやし柿園観音堂より登り杉林が切れた所よりの柿園若い雑木の生い茂った場所で若い林から出た地名と思われる今も地主はそう呼んでいる。
20 搭矢崎とうやさき雑木林森片の方向に尖った山林 
21 宮跡みやあと杉林岩台頂上部稍東側遠賀神社(岡神社)の屋敷跡、在社当時は岡の権現とよばれていたらしい。現在部落所有林。
22 矢島 貯水場 貯水場・ポンプ庫
       
23千刈地蔵田じぞうだ半兵衛所有の田と思われる井岡より岩台の権現様に通ずる道路の中間にあった地蔵様の付近の田と謂われている。
24 六輪むつわ琴堰より地蔵田までの間にあった半左ヱ門の田由来不明
25 砂端すなばた下堰落としの排水路の孫十郎武治伝太郎の田の所砂のある丘で舟の出入りした所とか謂われている。
26 御百刈おひゃっかり砂端の北にあり現在は松子所有田井岡分との堺 
27 釈迦院田しゃかいんだ千刈7番地勘助の後ろ200m位六供は六っつの寺のことか、その寺の一部ではないかと思われる
29 水落しみずおとし千刈22番地落ち水場のことと思われる竝(なみ)の坊(二つの坊のことか)と屋敷跡と思われる接点のところにあった。周辺からは墓石が沢山出た。
30 波の坊なみのまち 波の坊、波は涛、瀾とあり、波は水涌き流也といわれ、水落しもそれに関連あると思われる。
31 幣束田へいそくでん千刈10番地上から贈られた田か、または閉塞日とも謂い千刈と大谷地の堺にあり川か湖の最後の地のことか?
32 闕内もんない千刈11番地閉塞田との並び闕はカケともいい塞のことである。従って塞のことである従って塞の内にあるとの意か
33 越仲田えっちゅうだ千刈16番地ある物を越して遠くの方にある田のことではないか
34 鉞柱田 千刈16番地鉞で柱を削る場所
35 馬の馬場うまのばば六供地区の山の裾 
36 七面田しちめんた 由来不明
37 馬垣(掻き)うまかき高山の西北下層土が良質で馬で作業(代掻等)が早くからできた場所とか、掻きを垣と書くと不明になる。
38 前谷地まえやち井岡山裏から砂端まで続く凹地千刈では一番の湿地帯で牛馬の利用が遅れた田である。
39 上新田じょうしんだ 由来不明
40 京(境)田きょうだ勘助所有田由来不明
       
41大谷地加田かだ倉脇堰と井岡排水路との合流点より下流の所由来不明
42 紅柳べにやなぎ大谷地49番地、彦作と武治の所有柳の木が一本あったそうで、紅の意味は不明
43 黒餅くろもち140番地、前谷地の凹地の一番下に当たる糯米を作付けした時水浸しになった米で餅をついたら黒い餅になった。
44 夏切なつきり130番地、井岡下清水間の一種道路の下夏の間に排水路のゴミ揚げをしてガヂギ(大きな水草)を退治したことによる。
45 入込いりこみ36番地、大谷地で搭野崎の下に当る山中に入り込んだ田から謂い伝えられた。
46 門内もんない 揚げの一種でその下流は排水路
47 蛇見場じゃみば元の菱田今も菱が出ることがありそれを空気にさらすと今でも芽がでるとか
48 神田かみだ十一面観音様の田耕作している家で毎年十七夜祭りに餅を観音様に供えオゴフとして参加者に配った、今はなし。
49 割っぱ割わっぱわり勘助、半左ヱ門、多郎助の所有田わっぱ分とも謂われるように夫々分配した田で、その後実測して3人で分配して耕作している。
50 色田いろでん 人の滅多に通らない所で、休憩時に夫婦で楽しく遊んだ所の田とか。
51 血取場ちとりば豊治の柿畑一帯馬の血を取った場所と謂われているが、何のために馬の血を取ったか
52 三百刈さんびゃくかり山崎山の際の湿田地帯山崎山の西に当たる田で奥の方の小さい方を三百刈と呼んでいる。
53 八百刈はっぴゃくかり同上上記の場所で広い田を八百刈と呼んでいる。