≪メッセージの要旨≫   2015年  6月 21日   聖霊降臨後第4主日


          聖書 : コリントの信徒への手紙Ⅱ  4章  7~18節
               マルコによる福音書     2章 23~28節


          説教 : 『 宝が土の器に 』  説教 : 明比 輝代彦 牧師


 7節に、「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」
とあります。
宝とは、何を意味しているのでしょうか。
ギリシャ語で θησαυρός [セーサウロス] という語です。
価値ある事物の保管場所を意味し、その中に保管されている物(宝)を指しています。

 イエスさまの「山上の説教」の中に、
「地上に宝を積まないで、天に宝を積みなさい。」
という教えがよく知られています。
宝の保管場所が、地上では、虫に食われたり、さびつくかもしれないし、盗まれるかもしれないから、
安全な天に宝を詰め、という教えです。

 コリントの信徒への手紙Ⅱ4章では、宝とは、「福音」を意味しています。
3節と4節で使われている「福音」は ευαγγέλιον [ユウアンゲリオン] という語で、
文字通り「良い知らせ」 good news です。
もともと、「戦勝の知らせ」や、「新しい王の即位」、「皇帝の布告」を意味していました。

新約聖書では、端的に、「救い主イエスさま誕生の知らせ」が福音であり、
救い主イエスさまが、ご自分の命によって全人類の罪を贖ってくださり、
私たちに真の救いをもたらしてくださったことが福音
です。

 福音という宝が、「土の器」に納められているとパウロは書いています。
古代中東世界では、どの家庭でも、ごくありふれた器が「土の器」でした。
修理可能な金属製の器とか、ガラスの器とは違って、土器は安価で壊れやすいものでした。
高価な福音を心に受けとめる信仰者の私たちは、「土の器」にすぎない存在です。
日本語でも、人間をさして「器」と表現することがあります。
「大器晩成」
(鐘のような大きな器は簡単には出来あがらない。
 人も、大人物は、才能の表れるのはおそいが、徐々に大成するものである。)とか、
「大臣の器を備えた人」などと言います。

 高価な宝を納める、価値のない「土の器」にすぎない私たちが、
イエスさまを救い主(キリスト)と信じる信仰によって、私たちは新しく造り変えられます。
造り主なる神さまの目には、
「土の器」である私たち一人ひとりは、「無くてならない」大切な存在であり、愛してやまない存在なのです。

「わたしの目には、あなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節)
と記されている通りです。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。」(新改訳)

 「土の器」に「宝」が納められることによって人生に大転換が起きます。
「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方にくれても失望せず、
 虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」
(9節)のです。

 どんな迫害や困難に直面しても復活の主が共にいてくださり、
パウロ自身も復活させてくださっているという強い信仰に立っていますので、
パウロは、「落胆しません。」とくり返し述べています。(1節と16節)
パウロの宣教活動を非難し、妨害する人々がいたにもかかわらず、
失望、落胆を克服しているパウロの姿が示されています。

◇ 16節で、「外なる人」と「内なる人」対比されています。
   「外なる人」 = 衰えていく。
   「内なる人」 = 日々、新たにされていく。

◇ 現代訳 : 私たちの肉体はだんだん衰えていっても、
          私たちのうちにある本当の自分は、日ごとに新しくされ、若やいでいく。

 イエスさまを信じる信仰によって、
パウロの「外なる人」(肉体)は、キリストの十字架刑を自分も担うことによって歩んで
います。
キリストと同じく、苦しみを受けることによって「外なる人」は滅びます。
しかし、パウロの「内なる人」は、日々新たにされていきます。
イエス・キリストの復活を通して与えられた「栄光を受ける」希望ゆえに、パウロは支えられ、強められているのです。


◇ 18節で、「見えるもの」と「見えないもの」対比されています。
   「見えるもの」 = 過ぎ去る
   「見えないもの」 = 永遠に存続する。

◇ リビング・バイブル訳 : ですから、私たちは、いま見えるもの、
                   すなわち、身の回りの苦しみには目をとめません。
                   むしろ、今は見えない、天にある喜びを望み見ているのです。
                   苦しみはやがて消えさります。
                   しかし、その喜びは、永遠に続くのです。

 2015年8月15日は、日本の敗戦から70年にあたります。
多くのマスコミが、70年を節目とした特集をしています。
戦後70年の談話を、阿部総理がどう発表するかが注目されています。
第二次世界大戦の歴史をどう見て、これからの日本の方向をどう定めるのか、
私たちの国は大きな岐路に立って
います。
二度と戦争をくり返さないために、私たちはキリスト者として、どうあるべきか問われています。

イエスさまが尊い命を犠牲にして実現してくださった、真の和解と平和に生かされて、
隣国をはじめ、あらゆる国々の人々とも平和に共存する道を、歩んでいきたい
ものです。

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