≪メッセージの要旨≫  2016年  11月 6日   全聖徒主日礼拝


         聖書 : ヨハネによる福音書    16章 25〜33節

         説教 : 『 新天・新地の幸い 』    高塚 郁男 牧師


《要約》
牧師の定年を迎えた後も、お葬式の司式を司ることがあります。
お式のあと火葬場に出向き、
御遺体を荼毘に付し、お骨になって戻ってくる間の約1時間ほどの待ち時間、
ご遺族の方、親戚の方からよく聞かれることがあります。
「キリスト教はお盆や法要はしないのですか?」
「キリスト教は先祖を大事にしませんね。」
こうした質問に、私は決まってこう応えます。
「キリスト教ほど、故人を大切にする宗教は他にありません。」

毎週の礼拝は、父なる神のもとに逝った故人と今生きている私たちが礼拝をする、ということが本心です。
神さまとおられる方と一緒に礼拝をしているのです。
ともかく、このように1年に1度は必ず教会でお写真を前にして、その人のことを思いながら礼拝をします。
教会によっては、聖壇の両側に亡くなった方の名前を刻んでいるところもあります。
私も自分の身内のものと一緒に、法要の時だけでなく、
毎年毎年故人のことを思いこのような形で少なくともお写真を前にして、いっしょに礼拝をしているのです。
神と共にいる…神さまの守りの中で永遠の命を得ている…いつまでも死なない…
神は過去も今もこれからもずっと一緒におられる。
私たちの命、人生とは、生きている限りだけでなく、死なない神さまと共にいる…
永遠に故人は生きておられるのです。
今この場所で礼拝をして、神さまを信じる人には永遠の命が与えられると信じでいるのです。

そのことが今日の福音書の日課に書かれています。

【ヨハネによる福音書16章25〜33節】
「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。
  もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。
  その日には、あなたがたは私の名によって願うことになる。
  わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。
  父ご自身が、あなたがたを愛しておられるのである。
  あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。
  わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」
弟子たちは言った。
「今は、はっきりとお話になり、少しもたとえを用いられません。
  あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。
  これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」
イエスはお答えになった。
「今ようやく、信じるようになったのか。
  だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。
  いや、既に来ている。
  しかし、わたしはひとりではない。
  父が、共にいてくださるからだ。
  これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。
  あなたがたには世で苦難がある。
  しかし、勇気を出しなさい。
  わたしは既に世に勝っている。」


キリスト教というのは、今、信じる…「今」が大切なんです。
永遠の命は死んでから得られるものではないのです。
イエスさまが神さまから遣わされて、また神さまのもとに行く、
この教会に、そのことを信じて今年のクリスマスに洗礼を受ける若者がいます。
信じるところから永遠の命が始まるのです。

マザー・テレサが「列福」式を迎え(今年9月4日)、
(東京では10月に映画館でマザー・テレサの映画上映会がありました)
改めてマザー・テレサのなさったこと、言われたことを思い出します。
弱者…貧しい人のために尽くし、本当に聖人にふさわしい方だったと思います。

「この世の中の飢餓とは…食べ物が無いことが飢餓なのではない、
  一番大きな飢餓は、人間の心の中に愛と感謝の気持ちが無いことが一番大きな飢餓なのです。」

1979年にノーベル平和賞を与えられていますが、
「平和というのは微笑みから始まる」…と言っています。
人間の顔から微笑みがなくなると…怒りが起こる、争いが起こる、戦いが起こる。
一番小さな小さな家族、家庭の中でも言えると思います。

「あなたはあなたのままで良い。」
マザー・テレサの言葉で私が好きな言葉です。
問題があってもわがままでもいい、そのあなたを神さまが認めてくれるのだから
『あなたはあなたのままでいい』のです。
変えようと思っても私たちは変えられないことが多いと思います。
そのままでいいんです。
言葉だけをとると意味は通じないかと思いますが、
様々な状況の中で、いろいろな状況があったから言えた言葉とは思いますが、すばらしい言葉だと思います。

全聖徒の日は11月1日と定められています。
私たちは11月の第1日曜日を全聖徒の日として礼拝を守っています。
現在でもカトリック教会では日曜日でなくても11月1日にミサを行い、聖人の日に祈っています。。
聖公会は11月1日を聖人の日、その次の日の11月2日を全聖徒の日としています。
信仰を持って生きて来た方々を特別に覚えようと、
あらゆる宗派で「全聖徒の日」として、神さまのもとにいる人々のために祈っているのです。
クリスマス、イースターと共に、何百年にもわたって受け継がれてきたキリスト教の習慣です。

ご遺族の方、今日は礼拝に連なって下さって嬉しく思いますし、感謝を持っています。
これからもできることでしたら教会に来ていただいて、
亡くなられた方だけでなく、今を生きている私たちのために一緒にお祈りいたしましょう。

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