≪メッセージの要旨≫  2016年  5月 1日   復活後第5主日礼拝


         聖書 : ヨハネによる福音書   14章 23〜29節

         説教 : 『 心を騒がせるな 』   高塚 郁男 牧師


 聖書をより分かり易く理解するために−1−:

1)聖書を読むこと。
 日本語で読むこと。
 しかも何度も日曜日に与えられた聖書のテキストを読むこと。
 出来れば、日曜日に与えられたテキスト (そのテキストのことを普通は「日課」と言います) だけでなく、
 日課 (今日の福音書の日課は ヨハネによる福音書の14章23節から29節 のように言います) だけでなく、
 その日課を含んでいる 「福音書」 を初めの1章から21章まで読むと、聖書の流れが実に良く分かります。
 前回もお話ししましたように、聖書は日本語で誰でも読めますから、誰にでも読め、理解出来るわけですから難しい筈がありません。
   (私は長年、聖書を分かり易く解き明かすことに力を注いできました。)

2)今日のテキストは イエスの最後の言葉、イエスが十字架に就けられる直前の言葉 であることが分かります。
  いわば、イエスの別れの言葉であり、後世に残すべき大切な言葉です。
  遺言です。
  遺言は誰が書いた あるいは話した遺言でも 重要な内容を含んでいます。
  軽く見てはいけません。
  ましてや救い主イエス。 キリストの遺言です。
  なお更 重要な内容 を含んでいます。
  イエスの言葉は遺言に限らず どの教えも、どの説教も 大事な意味を持っていますが、
  今日はその中でも 遺言 ですから 特別に重要な意味を持っています。

3)イエスは十字架に就けられ殺されることを、弟子たちに面と向かって話しました。
  しかも一度だけではありません。
  しかし弟子たちは イエスが何を言っているのか 理解出来ません。
  彼らには イエスが殺されることなど 何度言われても信じることが出来ません。
  イエスが そう言えば言うほど動揺するだけ です。
  心を騒がせます。
  ですから 「心を騒がせるな」 と言われます(ヨハネ14章1節)。
  この言葉は 27節 にも出ています。
  ここでは 「心を騒がせるな」 と言った後で 「おびえるな」 とも言っています。
  恐らく、イエスが殺されることが本当なら、弟子たちも、
  自分たちがイエスの弟子であることが人々に知れてしまえば、自分たちも捕らえられ殺されてしまうと思ったのでしょう。
  だから「おびえ」たのではないかと思います。

4)弟子たちの動揺、おびえを知ってイエスはそれをなだめようとします。
  彼らに 「平和を与える」 と勇気づけます。
   「平和」 とは平らな状態のことを言います。
  争いがないことです。
  戦争などがない、心に乱れがないことです。
  手話でも同じ動作をします。
  手のひらを下に向け、手を前に出し、左から右に向かって水平に動か平らな状態を表します。
  心が騒ぐことなく心は平穏で平らで、動揺することがないのが平和です。

5)イエスが弟子たちの前からいなくなる、これは弟子たちにとっては一大事です。
  不安の大きな材料です。
  しかし、イエスは弟子たちの前から去らなければなりません。
  去ること、十字架上で殺されることは、実は 栄光の道 なのです。
  何故なら 父なる神のみ元に行くこと だからです。
  これが イエスの進むべき道 です。
  単に苦しみ、十字架につけられ、殺されるのではありません。
  天に昇られ、父なる神のみ元に行くため通らなければなりません。
  それが 父なる神のご計画 です。
  神の御計画が実行とされることは 神の栄光の時 です。
  栄光を得るために 弟子たちの前から去るのです。

6)イエスは弟子たちの前から去り、いなくなりますが、イエスからすれば 父なる神様のみ元に行くこと です。
  イエスが去るのは、闇の中に消えていくのではありません。
  父なる神様のみ元に行く栄光の時 です。
  弟子たちはこの 栄光の時を理解出来ないから不安 であり 心を騒がせています。
  弟子たちにとって イエスが去ることしか見えませんから 不安で、悲しみで、心は動揺し、騒ぎます。

7)イエスは弟子たちのために自分がいなくなるので、自分に代わる、彼らを力づける方を彼らに遣わしてくれるように神にお願いします。
  それが 「弁護者」 です(26節)。
  ヨハネによる福音書14章15節以下に 
  「わたしは父にお願いしよう。
    父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
    この方は、真理の霊である」 とイエスが言われました。
  イエスに代わる力ある方が 「別の弁護者」 です。

8)弟子たちが 「平和を得る」 ためにイエスが神にお願いしたのは 「別の弁護者」 であり 「真理の霊」 のことです。
  (このことについては第3日曜日にも4日曜日にも触れます)
  このお方は弟子たちの不安を取り除き、心の騒ぎ和らげ、平和を与えてくれます。
  今私たちが日常の生活で不安を持ち、また心を動揺させることがあるなら、
  私たちも父なる神に 別の弁護者である 聖霊 を私たちのところに遣わして下さい と祈ることが大切です。
  この方は 私たちに力を与えて下さる方 ですから、私たちに 平和な心 を与えてくれます。

9) 「真理の霊」 は正直分かりにくい、実体がつかめません。
  旧約聖書には イスエルの人たちがエジプトを脱出するときに、追って来るエジプト軍を阻止しようとモーセに手を上げさせると、
  「主は 夜もすがら激しい東風もって海を押し返されたので 海は乾いた地に変わり、水は分かれた」(出エジプト記14章21節)
  とあります。
  この風が 「霊」 です。
  霊 は 自然も風も 変えることが出来る力です。
  私たちをも変えることが出来る力です。
  この「霊」なる力によって 心を騒がせることなく、どのような状況でも平和を得たいものです。

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