≪メッセージの要旨≫ 2016年 5月 22日 三位一体主日礼拝
聖書 : ヨハネによる福音書 16章 12〜15節
説教 : 『 人を造り変える力 = 神の力 = 聖霊 』 高塚 郁男 牧師
聖書理解のコツ−3−:
1.聖書を読む:
1)日曜日の福音書のテキストを読む
2)福音書のテキストは、日曜日のテキストだけでなく、
出来ればテキストの福音書を初めから終わりまで全部、一週間の内に読むことを奨める。
2.一日に一度は聖書を思い起こす。
3.祈る
1)祈りを毎日の日課とすると生活が変わる。
自分の為に実行してみてください。
上の3つのことをすると聖書が生きる力になります。
ここ数週間のテキストのまとめ:
T】殺される前のイエス
1.イエスは生前、弟子たちに何度も自分が殺されることを予告する。
2.弟子たちはイエスが殺されることを理解出来ない。
1)何故なら、イエスに全てを賭け、イエスに従ったのに、そのイエスが殺されることなどある筈がない。
救い主が殺されることはない、と思っていたのでイエスが自分の死を予告されたことは理解できなかった。
3.イエスは自分が殺され、弟子たちの前からいなくなるので、父なる神に自分に代 わって別の弁護者を遣わして、
弟子たちと一緒にいられる「別の弁護者」を遣わして欲しいとお願いする。
U】捕らえられ、十字架に就けられる:
1.イエスは捕らえられ、十字架に就けられ死ぬ。(紀元30年)
2.予告通り三日目に甦る。
3.甦ったイエスは墓に来た婦人たちや途方に暮れる弟子たちに会う。
4.そして天に昇る(イエスの昇天)
V】ペンテコステ(聖霊が現れる)
1.イエスがいなくなった弟子たちは祈りに集中する。
2.イエスが復活してから50日目(ペンテコステ)に弟子たちの前で起こり得ない不思議なことが起こる。
3.しかし、弟子たちは何が起きたか分からない。しかし、それはイエスが、生前父なる神にお願いした「別の弁護者」であった。
4.それは風のような激しいうねりであり音であり、また、火の炎のような舌のようなものだった。
表現のしようがない存在だった。
5.弟子たちはその不思議な現象を巻き起こした「別の弁護者」によって立ち上がる力を与えられ、
自分を殺すかも知れない人たちの前で勇躍、イエスを救い主として宣べ伝え始めた。
それが「聖霊」である。
聖霊は弱いペトロ初め他の弟子たちを立ち上がらせ、力強い人間に作り変えた。
「霊」はこのように人を変える力となった。
本日の説教:
1.「聖霊」は弱いペトロ立を奮い立たせ、今までになかった強いペトロに作り変えた。
「聖霊」はイエス・キリストを信じる人に「力」となっていつも寄り添い、近くにおられ、その人を導く。
ではこの「聖霊」はどのようにして私たちに寄り添い、力となり、生きる力になるのだろうか。
2.遠藤周作のことを少し話したい。
彼の人生は幅が広く、書いた小説も数多く、簡単には話すことは出来ない。
彼はイエス・キリストの生涯に大変興味を持っていた。
孤里庵先生として知られ、おどけた小説も書いているが、真剣にキリスト教信仰に立ち向かっている。
中学2年の時にカトリック教会で洗礼を受けるが、彼は果たして日本人が西洋の宗教キリスト教を本当に理解出来るだろうか模索した。
その疑問が彼の小説を特徴付けている。
3.彼は、自分にとってイエス・キリストはどういう存在かを知るために何回かイスラエルに行き、「死海のほとり」を歩く。
イスラエルに留学していた学生を通訳として雇い、ひたすら、何回も、多分6回か7回、イスラエルに行き死海を歩く。
イエスのことは余り理解出来なかったが、一つ確実なことを彼は体験した。
それは、イエス・キリストはいつも自分の傍らに寄り添っていてくれる存在であることが分かった。
どんなにぐーたら″であっても、どんなに弱い自分であっても、
いや、むしろ弱ければ弱いほど、イエスは自分と一緒にいてくれる人であることが分かった。
イエスが自分の傍らに寄り添って、弱い自分を支えてくれる、というのが遠藤周作が得た解答だった。
自分は弱いからイエス・キリストは自分を強くしてくれる、というのが彼のイエス理解である。
4.私は今まで10回もイスラエルに行っている。
大部分は一人で行っている。
日本に戻って来る直前に一度行ったが、アメリカにいた間も殆ど行ってないから、
大半は1975年から1987年の12年の間に集中していた。
遠藤周作が一人で何回も死海のほとりを一人で歩き回ったことは後で知ったが、
私が一人でユダの砂漠やガリラヤの湖を歩いたのは、
私にとってイエス・キリストはどういうお方かを確信するためであった。
私も遠藤と同じように、イエスは私と共にいてくれるお方というのが私の確信だった。
今も変わらない。
イエスは私たちの傍らにおられ、私たちを奮い立たせてくださる神である。