≪メッセージの要旨≫  2016年  6月 5日   聖霊降臨後第3主日礼拝


         聖書 : ルカによる福音書       6章 37〜49節

         説教 : 『 信仰とは 』       高塚 郁男 牧師


今日のテキスト理解のために:

1.イエス弟子たちを選ぶ ⇒ 6章12節〜16節

2.イエス病人をいやす  ⇒   17節〜19節

3.イエスの説教     ⇒   20節〜49節
  1)貧しい人は幸いなり  ⇒     20節〜26節
  2)敵を愛しなさい    ⇒     27節〜36節
  3)人を裁くな      ⇒     37節〜42節
  4)実によって木を知る  ⇒     43節〜45節
  5)家と土台       ⇒     46節〜49節


説教:今日の説教のキーワード⇒「偽善者よ」 ⇔ 信仰者よ

 1.ガリラヤの湖のほとりを歩いていたイエスは漁師のシモンと兄弟アンデレが網を繕っているのを見て
   「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ1:17)と声をかけました。
   ここでもイエスの方から声をかけています。
   私たちから何かを求めてイエスが答えるのではなく、いつもイエスの方から私たちに声をかけています。
   これが聖書の神がすることです。  まず覚えておきましょう。

 2.イエスが彼らを以前から知っていたかどうかは何の記述もありませんから何とも言えませんが、
   イエスは 「わたしについて来なさい」 と声をかけます。
   この言葉は極めて大胆な言葉です。
   まったく知らない人、初対面の人に向かって言える言葉ではありません。
   ただ事実としてイエスは 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」 と言います。
   すると、 「二人はすぐに網を捨てて従」(マルコ1:18) います。
   兄弟シモンとアンデレがイエスに従った直後、もう一組の兄弟ヤコブとヨハネにもイエスは同じ言葉をかけます。
   この二人もイエスに従います。

 3.イエスの言葉に4人の漁師たちは魚を獲る網を捨て、職業を捨て、親を捨て、故郷を捨ててイエスに従いました。
   考えることが出来ない程大きな変化がイエスのたった一言でおこりました。
   どうして 「わたしについて来なさい」 という一言で
   4人の漁師たちの人生が変わるほど大きな出来事が、しかも一瞬の内に起こったのでしょうか。
   不思議です。  理解出来ません。
   ただ言えることは、イエスが彼らに 「わたしについて来なさい」 と言うと、彼らはイエスに従ったことです。

 4.イエスの言葉には力があります。
   彼らは考え抜いてイエスに従ったのではありません。
   何日もかけて決心したのでもありません。
   「わたしについて来なさい」 の一言で躊躇することなく従ったのです。
   この一言に彼らを変える力があったのです。
   この一言が彼らを導いたのです。
   イエスの言葉には神の力が満ちています。
   だからこそ彼らは変わりイエスに従いました。

 5.イエスの言葉にただ従うことが信仰です。
   イエスの言葉に屈服することが信仰です。
   信仰とは一瞬の内に起こる劇的な変化です。
   あれやこれやと考えた末にやっと決心して出来上がるものではありません。
   信仰は私たちの決断によって起こるのではありません。
   イエスの招きに咄嗟に応えることが信仰です。
   咄嗟に与えられますから、私たちから見れば劇的な変化です。
   信仰は準備が整った時に与えられるのではなく、劇的な、咄嗟の中で起こる変化です。
   しかもそれはイエスによって導かれ、引き起こされます。

 6.私たちもこのような劇的な体験をすることが出来るのでしょうか。
   なかなか出来ません。
   それが今日のテキストでイエスがたとえながら教えています。
   私たちはあまりにも自分を正当化しようとします。
   人を見て人の欠点にはすぐ気づきますが、自分の欠点を認めようとしません。
   イエスは 
   「あなたがたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
      自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、
      『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。」 と戒めています。
   私たちはあまりにも自分勝手です。
   自分の考えに固執しようとします。
   自分の正当性を執拗以上に誇張しようとします。
   自分の価値観を変えようとしません。  自分が一番と思っています。
   これでは劇的な信仰など体験出来ません。

 7.劇的な信仰を体験するには、イエスを自分の中に受け入れることです。
   自分の考え、自分が思っていることが一番大事である、という考えを捨て、イエスを自分の中に住まわせることが大事です。
   私にとって最も大事なことは自分ではなくイエスであることをしっかりと知ることです。
   イエスを受け入れることが信仰です。
   自分の価値観、自分が一番大事に思っている自分を捨て、
   自分の中にイエスの教えをしっかり持つことによって劇的な信仰は与えられます。

 8.それが可能になるにはやはり祈りが必要です。
   イエスは12人の弟子たちを選ぶとき、「祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。
   朝になると弟子たちを呼び集め、その中から12人を選んで使徒と名付けられた」と記されています(6章12節)。
   私たちもイエスに倣う必要があります。
   何をするにしても祈ることが大切です。
   そのとき、「良い木は良い実を結ぶことが出来」(43節〜45節) と言うイエスの比喩が何を語ろうとしているか分かります。
   祈るとき、私たちは正しい決断を生むことができます。
   また 「岩の上に土台を置いて家を建てた」(46節〜49節)人 になれます。

 9.信仰とはイエスの言葉、神の言葉に従うことです。
   信仰には準備はいりません。
   考えに考え抜いて決断する必要もありません。
   イエスの言葉をただ受け入れることだけです。
   受け入れ、祈るとき、私たちは劇的な新しい、喜びに満ちた生き方が与えられます。
   それらを得るために私たちは礼拝に来て、み言葉を聞き、イエスの一言を信じて、イエスに従って生きるようにしましょう。

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