≪メッセージの要旨≫ 2016年 7月 10日 聖霊降臨後第7主日礼拝
聖書 : ルカによる福音書 9章 18〜26節
説教 : 『 神も苦しむ 』 高塚 郁男 牧師
説教:
1.復活の預言
1)死んだ人が、しかも死んでから数日も経ってから息を取り戻した話を聞いたことがあります。
私の祖父は神主で、今でも何人かの従弟たちは神主をしています。
叔父は自分が村で葬儀をした男性が二日後に土に埋められる前に蘇った話をしてくれたことがありました。
このような話は万が一つの出来事でしょうが、全くない訳ではないと思います。
2)達磨さんの話をしましょう。
達磨大師は位の高い僧侶で、弟子たちもたくさんいました。
弟子の中でも目にかけていた一人に宗雲という人がいました。
彼はインドに行き修業を積み中国に帰る途中、山の中で師の達磨大師に会います。
達磨大師は手に草履片方だけを持って宗雲の方に向かって来ます。
言葉を交わし宗雲は故郷に戻ります。
彼は山中で達磨大師に会い、インドに向かって行ったと故郷の僧侶たち話します。
それを聞いた仲間たちは、達磨大師は数年前に亡くなり、自分たちで葬ったと言いながら墓に行き調べると、
達磨大師の姿はなく、片方の草履だけがあったと言います。
高僧達磨大師は蘇ったのです。
3)達磨大師とイエスは二人とも優れた宗教指導者です。
二人とも死に墓に葬られ、二人とも蘇っています。
しかし、徹底的な違いがあります。イエスの死と蘇りは偶然な出来事ではありません。
自分で預言し、それがその通り実現しています。
預言しながら復活しなければ嘘になり、イエスはたわごとを言ったことになります。
しかし、イエスは自分が苦しみを受け、死に、三日目に蘇ると9度も預言し、その通りになっています。
達磨大師は全く預言していないし、
宗雲が山の中で会った達磨大師は蘇った達磨大師だったとしても、それは偶然なことです。
4)自分は死んで三日目に甦ると預言し、その通りになるとは、
イエスが神の子であり、神の御計画を告げたのです。
この預言がなかったら聖書は書かれませんでした。
キリスト教も起こりませんでした。
聖書の中でももっとも大事な話が今日の預言と言えます。
5)この預言の中で、もう一つ忘れてはならないことがあります。
「人の子は必ず多くの苦しみを受け・・・」(7:22)とイエスが言っています。
イエスが語ることは神のご計画をそのまま語るのですから、
この苦しみを受けるのはイエスですが、実は神が苦しむことになります。
罪の中で生きている人間を救う為に神はイエスを苦しませ、ご自分も苦しんでいるのです。
罪の中であえぐ私たちを立ち上がらせるために神も共に苦しんでいることを忘れてはなりません。
そのために私たちはただ静かに祈り、頭を垂れ、神への思いを忘れてはなりません。