≪メッセージの要旨≫  2016年  8月 7日   聖霊降臨後第12主日礼拝


         聖書 : コヘレトの言葉       2章 18〜26節
             ルカによる福音書     12章 13〜21節


       説教 : 『 賢く生きる 』    高塚 郁男 牧師

福音書のテキストを理解する為に:

1.今日の第1の日課に
  「一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。 これまた実に空しいことだ」(2:23)という言葉があります。
  本当にそういう気がします。
 私たちの一生は悩みに満ち、心はいつも痛んでいるような気がします。

2.旧約聖書の「コヘレトの言葉」
  (コヘレトとは「集会を開く」という言葉から派生した言葉で、「集会で語った伝道者の言葉」という意味で、
     現代で言うなら、さしずめ「礼拝で語られた説教」を書物にしたものだと思います)は、
 人がやることは「全ては空しい、何事も空しい、何をしても空しさばかり」と悲観的です。
 「空しい」とは「蒸気」のことです。
 熱く舞い上がり、すぐなくなってしまうところから「空しい」となったのでしょう。

3.人がやることは「全ては空しい、何事も空しい、何をしても空しい」のだから、神をしっかり見なさいと、コヘレトは教えています。
 神を信じて生きるとき、「神は、善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる」(2:26)のです。

4.第2の日課「コロサイ書」の著者パウロは
  「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、
     日々新たにされて、真の知識に達するのです」(3:9〜10)と言います。
 私たちの一生は、苦しみ、悩み、心の痛む日々なのですが、
 神を信じる時、今在る古い私たちは神を信じて生きる時に、神は私たちを「新しい人」に造り変えて下さるとパウロは奨励しています。

5.「新しい人」になるとは、神の前に豊かにされることです。
 地上のものに心を奪われるのではなく、
 上のもの=神を信じて生き、天上のものを土台として生きることが神の前で豊かにされることです。


説教:

1. 福音書のテキストは
  「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください」と言う言葉で始まっています。
 遺産相続でもめている人がイエスにどう解決したらよいか尋ねています。
 私たちの周りでも良く聞く話です。

2.イエス様の答えは単純明快です。
  「私は裁判官でもなければ調停人でもないのだから、遺産相続の問題は自分たちで解決しなさい」と、答えています。
 イエスは、他人ごとのように、この問いに真摯に答えていないような気もします。
 しかし、イエスは遺産相続という個々の具体的な問題について答えていませんが、
 金銭や財産についてどのように生きたら良いか基本的な姿勢を教えています。
  「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。
     有り余るほどの物を持っていても、人の命は財産によってどうすることも出来ないからである」。
 金銭や財産のことに関してイエスは「貪欲」であってはならない。
 お金に対して私たちは執着してはならないと教えます。
 更に、そのことを一つのたとえで説明しています。

3.イエスは、一人の金持ちを登場させます。
  「ある金持ちの畑が豊作だった。
     金持ちは『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。
     『こうしよう。
      (私の)倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに(私の)穀物や(私の)財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ』」(16:18)
 とあります。
 括弧の(私の)という言葉は聖書にはありませんが、ギリシャ語の聖書には(私の)という言葉が書かれています。
 と言うことはこの金持ちはいつも、(私の、私の)と、自分のことを中心に考えていることになります。
 取れた作物は(私の)もので、他人のものではない、倉も自分のもので、他人には関係ないと言っています。
 この金持ちの関心は自分です。
 取れた穀物を人に分け与える気持ちは毛頭ありません。
 自分の財産のことばかり考え、自分の財産を他者に分け与えることは考えません。

4.イエスはこのような自分独りよがりの金持ちをはっきりと「愚かな者」と呼んでいます。
 人のことを考えない人は、そればかりか、上のもの、天のもの、神のことなど頭の中にありません。
 そこが問題です。

5.私たちの本当の喜びは何でしょう?
 毎日の日常生活もしっかりしたいし、毎日を楽しみ、喜びを持って生きたいです。
 そのためには財産も必要になります。
 イエスは
  「今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意したものは、いったいだれのものになるのか」(12:26)と言っています。
 せっかくため込んだ財産は自分が死んだら誰のものになるのか。

6.私たちは生きている間、殆ど、財産・名誉・学歴・地位・業績のことであくせくしています。
 それらはいづれ無くなってしまします。
 空しいものです。
 コヘレトの言葉のように、人がやることは「全ては空しい、何事も空しい、何をしても空しさばかり」です。

7.それなら、私たちは何に望みを置いたら良いのでしょうか。
 財産・名誉・学歴・地位・業績も、蒸気のように舞い上がりますがすぐなくなってしまいます。
 そのようなものに意味を見出すのではなく、
 いつまでも存続するもの、「神の前で豊かに」なるものを身に着ける必要があります。
 それはイエス・キリストを信じ、キリストに包まれて生きることです。
 これこそ朽ちない最高のものです。
 これを探し求めることが賢く生きることになり、「神の前で豊かに生きる」ことになり、
 それが最も賢いものを手に入れたことになります。

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