≪メッセージの要旨≫  2016年  9月 4日   聖霊降臨後第16主日礼拝


         聖書 : ルカによる福音書    14章 25〜33節

         説教 : 『 一切を捨てる 』     高塚 郁男 牧師

1.テキストの要約:

  1)今日のテキストの見出しに「弟子の条件」と書かれています。
    イエス様の弟子になるにはどうすればいいか、私たちが今日学ぶことはこれです。
    「弟子」と書かれていますが、イエス様の12人の弟子に限らず、「私たち」のことと思って下さい。
    私たちがイエス様の弟子になるにはどうすればいいか学びましょう。

  2)イエス様の弟子になるには
    「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではない。
      自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない」
    と言っています。
    言葉としてはさほど難しくありませんが、
    日本語として少しおかしな表現がありますので、その一言だけ最初に説明しておきます。
    それは
    「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではない」
    と言われている 「憎まないなら」 と言う訳語です。
    「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎んではいけません。」
    これはテキストの最後に 「同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば」(14:33) と書かれている
    「捨てないならば」 の 「捨てる」 と言う意味です。
    「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら」 でなく、
    「捨てないなら、・・・」 と訳すと日本語としてはっきりします。

  3)「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを捨てるなら」
    イエスの弟子になることが出来ると言うのですが、何と厳しい命令でしょうか。
    厳しいどころか、常識的には殆ど不可能な命令です。
    しかし、これをそのまま実行している人たちが今でもいます。
    カトリックの修道士、神父さんたち、修道女たちはこれらのことをそのまま実行しています。
    修道院に入り、神父さんや修道女になるには、
    自分の親、兄弟、姉妹たちを捨て、自分の命もイエス様の為に捧さげなければなりません。
    また彼らが属する修道会の命令であれば、
    何も持たず、それこそ親、兄弟、国を捨て、無一文で外国であろうがどこへでも行かなければなりません。
    多くの人は、外国で一生を過ごし、外国で命を捧げます。今でも彼らはそうしています。

  4)私は今東京市ヶ谷にある「援助修道会」と言う建物を借りてカウンセリングの勉強会をしていますが、
    そこにいる修道女さんたちの穏やかな顔を見ていると、本当に癒されます。
    何もかも、一切を捨てて主の為に生きている人たちはこうも違うものかと驚かされます。
    一切を捨てて主の弟子になると、これ程までに穏やかに、何の苦労もなく、静かに、平安な生活が送れるものかと感心します。

  5)私はアメリカでの働きを終え、日本に帰る時にハワイに寄りました。
    休むためではありません。 モロカイ島に行くためです。
    モロカイ島のことを知る日本人は多くありません。
    その島に、一方は海、一方は絶壁で、
    ミュールと言う小ロバに乗ってしかたどり着くことが出来ないカラウパパ半島があります。
    1800年代後半からハンセン病患者が隔離され、ハワイやアメリカ本土から船で送られた場所です。
    今でもハンセン病と診断された患者が300人ほど住んでいます。
    半島には彼らが住む小さな家とシスターたちが患者を世話している診療所と、教会がいくつか、
    お土産屋さんを兼ねたお店が一件だけありました。
    自らハンセン病で49歳の生涯を終えたダミアン神父のことを知りたくて私はそこに行きました。

  6)ダミアン神父はベルギー出身で23歳の時、
    兄が行く筈のハワイに、兄が病死をしたため、代わりに宣教師としてハワイに行きました。
    1800年後半、ハワイはハンセン病が広がり、彼の教会の信者もハンセン病に罹りモロカイ島に隔離されることになります。
    彼は志願して、隔離された患者の為にもミサが必要と反対を押し切ってモロカイ島に住み着きます。
    33歳の時です。
    どこも悪くないダミアン神父は患者たちからはまったく相手にされずそっぽを向かれます。
    それでも彼は彼らの為に小屋を造り、洗濯を手伝い、手足を洗ってあげ病気の世話をし続けました。
    次第に患者たち受け入れられ、一緒にミサをする人も増えました。
    16年経った時、お湯を沸かした時、熱湯が彼の足の上にこぼれました。
    しかし、熱いと感じません。  彼もハンセン病に罹ったのです。
    彼を心配するハンセン病患者に、
    「心配しないでいい。
      私の体に病気が入り込んだとしても、神様が復活の日に別の体を下さる。
      私はうれしい。
      これで私もあなたたちの痛み、苦しみに近づくことが出来た。
      あなたたちの兄弟になれた」
    と喜びました。

  7)ダミアン神父は全てを捨ててベルギーからハワイ、そしてカウラパパ島に行って、
    うつらなくてよい筈のハンセン病になり、本当の喜びを得たのでした。
    私たちではなかなか体験でかない慰め、平安、喜びを、
    一切を捨て、ハンセン病になって自分の命を失うことによってダミアン神父は得ることが出来たのです。
    私たちが目指すのも、なかなか出来るものではありませんが、
    苦しみ、悲しみ、絶望の底を体験したとしても、また一切を失ったとしても、
    実はその時に、真の喜び、平安、いやす、救いが与えられるなら、これこそ究極の喜びではないでしょうか。
    失うことは辛いことです。
    しかし、たとえ一切を失っても、その時、本当の慰め、いやし、平安、喜びが与えられるなら、
    これこそ最高の喜びです。

(次回9月18日は日本のハンセン病の父の話をします。)

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