≪メッセージの要旨≫   2017年  1月  1日   新年礼拝


         聖書 : ルカによる福音書      13章  6〜 9節

         説教 : 『 忍耐して待つ 』      高塚 郁男 牧師


1.あけましておめでとうございます。
  新しい年が今日から始まります。
  皆さんはどういう思いで2017年を迎えられたでしょうか。
  今年をどんな年にしたいと思いますか?
  夢は?望は?
  ちょっと質問を変えて、
  「もし、今日が人生最後の日だとしたら・・・。あなたなら何をしますか」
  と聞かれたら何と答えますか?
  ルターは
  「もし明日世界が終わるとしても、私は今日リンゴの木を植えるだろう」
  という有名な言葉を残したと言われています。
  果たして、この言葉はルターが言ったかどうか疑問視する人もかなりいますが、
  誰が言ったにせよ、新しい年が始まる日にふさわしい意味深い言葉だと思います。
  これは信仰とは何かをしっかり理解した人の素晴らしいことばです。

2.今年の新年に与えられた福音書はイエスが「たとえ」で話をしています。
  恐らくブドウ園を持っている主人だろうと思いますが、ブドウ園にイチジクの木を植えました。
  次の年も、その次の年も、実がなっているか探しに来ましたが見つかりませんでした。
  そこで園丁に
  「もう3年も実がならないから切ってしまいなさい」
  と命じますが、園丁は
  「今年もこのままにしておいてください。 
    木の周りを掘って、肥しをやってみます。
    そうすれば、来年は実がなるかもしれません。 
    それでもだめなら切ってしまいましょう」
  と忍耐強く待つことを提案します。
  これが、新年に与えられた福音書のテキストです。
  ここから私たちは何を学ぶでしょうか。

3.3日前、29日に頼まれて良く知った人の一年目の記念会で話をしてきました。
  93歳で昨年12月29日に亡くなった方です。
  そのご婦人の生き方は一つの手本になるような生き方をしています。
  私も長年良く知っていましたので 
  「人の為に生きたキリストの証人」 
  と題して話しました。
  彼女は若い時から教会の婦人会の中心で教会の食事作りだけでなく、
  教会学校の先生、はたまた地域の為にボランティアをしたり、障碍者の施設に行って料理や陶芸などを教え、
  休むことなく主の為に働き続けた人でした。
  晩年こそ認知症を患い、物事があまり分からなくなっていましたが、
  人の為に自分を犠牲に仕えたご婦人でした。
  自分の為に生きるのではなく、人の為に生きていた人でした。

4.私はクリスマスの時に
  「命が一番大切だと思う人は、死を迎えると怖くて怖くて夜も眠れなくなる」
  と言う話をしました。
  命にとって死は敵ですから、
  命が最も大切だと思っている人は、死に負けまいと必死に死と戦います。
  死に負けてしまえばすべては終わりですから死と必死に戦い、滅ぼさなければなりません。
  しかし、
  人は誰でも必ず死にますから、いずれは死に負け、死に勝つことはありません。
  そのような人がはっきり死を宣告されると死が怖くて夜も眠れなくなります。
  あせります。 
  死にたくありません。
  しかし、反対に、
  人はいずれ死ぬのだからと死んだ後も神様に任せようと思える人は死を超越して考えることが出来ます。
  たとえ死を宣告されても焦ることなく、残された日々を一生懸命生きます。
  そのような人こそ、
  命も死も神様に任せるしっかりした信仰を持った人です。
  信仰者はたとえ死が宣告されても平然と死に向かって残された日を送ることが出来ます。
  それと同じように信仰者は、たとえ自分の命を犠牲にしても人の為に尽くすことが出来る信仰を持つことが出来ます。
  日々を豊かに送ることが出来ます。

5.「もし明日世界が終わるとしても、私は今日リンゴの木を植えるだろう」
  と答えるとが出来る人も、これと同じような素晴らしい強い信仰を持った人です。
  何故なら、
  明日世界が終わるとしても、何をしよう、これをしよう、と自分のことに煩うのではなく
  リンゴに目を向け、全てを主に任せて、自分以外のことに関心を寄せて生きています。
  自分の命に少しも執着していません。
  このような生き方はどこから来るのでしょうか?
  それは、
  自分が自分で生きている、自分は自分のことで一生懸命生きるんだと言うがむしゃらな生き方をしていません。
  自分の命も、自分の体も、財産も
  与えられているので自分のものではない、
  自分は生きているのではなく生かされているのだと言う受け身的な生き方をしています。
  「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)
  とパウロが言う生き方をしています。
  このような人は、世がどのようになろうとも超然として生きていられます。
  イエスは
  「あなた方がわたしを選んだのではない、わたしがあなた方を選んだ」(ヨハネ15:16)
  というイエスの教えに生きている人です。
  こういう人は心の豊かな生き方が出来ます。

6.私たちは自分のことにもっと無頓着になってもいいのではないでしょうか。
  あまり自分のことに執着してしまうと苦しいです。
  あれもしなければならない、これも今日中にしなければならないと思って生きていると、
  いつも追いかけられ、追い回されています。
  神様に任せることです。
  自分のことを神様に任せてしまえば楽です。
  自分の命を死も。
  そうすれば生きているのが楽しくなりますし、人生が気楽です。豊かな人生を送れます。

7.「3年待っても実がならないからイチジクの木を切ってしまえ」
  ではなく、
  「もう一年待ちましょう」
  とゆったりした気持ちで過ごせるように今年はしたいものです。
  私たちの命は主が与えてくれたものですから、
  必要あれば、そんなに簡単に主は私たちの命を奪うことはしません。
  命さえも主に任せておけば主が何とかしてくれます。
  今年は
  「明日のことまで思い悩むな。
    明日のことは明日自らが思い悩む。
    その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6:34)

  とゆったりした生き方をしましょう。

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