≪メッセージの要旨≫  2017年  5月 21日   復活後第5主日


        
聖書 : ヨハネによる福音書    14章 15〜21節

        
説教 :  『 安心しなさい 』     高塚 郁男 牧師


1) .ご自分が十字架につけられ、弟子たちや自分を慕ってくれた人たちと別れが近づくにつれ、
   イエス様はどんな言葉を彼らに遺したのでしょうか。
   人間で言えば遺言です。
   大事な言葉です。
   遺言によっては人を喜ばすことがあるでしょうし、また、人を落胆させることも私たちの世界では良くあることを聞いています。
   果たして、イエス様の遺言はどんな言葉だったのでしょうか。
   来週の聖書日課はまさしくイエス様の「決別の祈り」が与えられていますから、今日は一つ前の日曜日です。
   「決別の祈り」の前にイエス様の遺言がどんな言葉だったか学びましょう。


2) 弟子たちやイエス様についてくる人たちは、イエス様が殺されることを知っていましたから、不安で仕方ありませんでした。
   ですからイエス様は彼らを安心させる言葉を与えました。
   彼らを安心させる一番の方法は、イエスが殺されないことをはっきり言ってくれれば安心した筈です。
   それは不可能なです。
   イエスは殺されなければなりません。
   殺され十字架につけられることが神様の御計画です。
   十字架の死を避けることは出来ません。
   イエスは父なる神にお願いします。
   「わたしは父にお願いしよう。
      父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」
(14:16)
   と父なる神様にお願いします。
   弟子たちはイエス様と一緒にいられたから毎日安心していました。
   すべてをイエス様に任せてイエス様の後をついて行き、話を聞いていました。
   イエス様と一緒にいることが彼らにとって喜びであり安心でした。
   しかし、もうそれが出来ません。
   では何がイエスの弟子たちやイエスに従って来た人たちにとってベストな遺言の言葉なのでしょうか。
   それはイエスに代わって、イエスのようにいつも彼らのそばにいて彼らを励まし、力を与えてくれるお方の存在です。
   そのようなお方が彼らに与えられることをイエス様は父なる神にお願いしました。


3) イエス様の願いはいつまでも「永遠に彼らと一緒にいてくださる」お方が彼らに与えられることです。
   イエス亡き後、イエスに変わって、イエスと同じようにいつも彼らと一緒にいてくれるお方が彼らには必要でした。
   しかもそのお方は永遠に一緒にいて下さるお方です。
   イエスは「別の弁護者」(14:16)とも言っています。


4) 「別の弁護者」。
   「弁護者」の意味は「そばに呼ばれたお方」です。
   父なる神から呼ばれ、不安の中で苦しむ人、病で悶々として暮らしている人、
   人間関係で苦労している人たち、親との会話も出来ず家を飛び出した人たち、友だちに愛されることなく学校に行けなくなった人たち、
   生活に苦しむ人たち等々、
   そのような人たちと一緒にいて下さる方を父なる神が呼び出し、そのような人たちの傍に寄り添ってくれる人を、
   自分がいなくなった後、この世に送って下さいとイエスは祈り願いました。
   しかも、苦しんでいる時期だけでなく、いつまでも永遠に傍にいて下さる方を遣わして下さいと願っています。


5) 更に、この「弁護者」の言葉にはカウンセラーという意味があります。
   私はこの言葉の意味に特別の関心を寄せています。
   主イエス・キリストが、ご自分がこの世を去るにあたって父なる神にカウンセラーを遣わして下さいとお願いしています。
   しかも、「別の弁護者を遣わしてください」と言っています。
   「別の」とは主イエス・キリストがこの世から去り、いなくなるので、別の、つまり、イエスに代わる別のという意味です。
   イエス・キリストはカウンセラーでもあり、イエスと同じような別のカウンセラーを遣わして下さいとイエスは父なる神に願っています。


6) カウンセラーは相談にのって相手に答えを示す相談役と思いがちですが違います。
   答えを出し指示する人ではありません。
   相談に来られた人の話をよく聞いてあげる人です。
   自分の方からこうしなさい、あゝしなさい″と指示するのではなく、傍にいて、寄り添って聞いてあげる人です。
   ですから、イエス・キリストも意外にも、聞かれても答えず黙っていることがしばしばありました。


7) 私たちは言葉を多く聞くよりも、いつまでも、どこでも寄り添って、傍にいるだけでもいいから傍にいてくれる人の存在が必要です。
   人間は弱いものです。
   独りではなかなか生きられません。
   大人も子どももそうです。
   いつも愛しているよ、と言いながら何でも話せる夫婦を世間は素晴らしい中のいい夫婦といいます。
   しかし、私は、かえって必要以外は殆ど口を効かなくても何も話さず、
   そこにいてくれるだけでいいから一緒にいる存在が大切だと思います。
   あまり語らない方がいいのです。
   子どもだってそうです。
   寝ていた子どもが急に眼を覚ました時、キョロキョロとしてお母さん・お父さんを探します。
   親の姿がないと泣きだします。
   しかし、親がが傍にいると、それだけで安心したように、またすやすやと寝続ける姿は良く見かけます。
   大人にロ子どもにしろ、傍にいてくれる人が必要です。


8) 主イエス・キリストはご自分が弟子たちから去る直前、弟子たちが不安がるのを知って、
   「私は別のカウンセラーを遣わしてくださいと父なる神にお願いしよう」 と約束してくれました。
   主イエス・キリストが約束して下さいました。
   聖書はその方を「真理の霊」と言っています。
   「真理の霊」であれ「別の弁護者」であれ、
   それは主イエス・キリストが神であり、神のこであり、
   いつも私たちと一緒にいて下さる方、どのような時にも私の傍らに寄り添って下さる方。
   その方がいることを私たちが確実に信じ、その方が傍にいるだけで安心できる方が必要です。
   イエス様は「別の弁護者」「真理の霊」を送って下さいと今日も父なる神に、しかも、私たちの為に、願い続けておられます。
   ですから、私たちは安心して、任せきって主イエス・キリストを信じ切って生きられます。
   主イエスは今も私たちに「安心しなさい」と言っておられます。

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