≪メッセージの要旨≫  2017年  6月  4日   聖霊降臨祭


        
聖書 : ヨハネによる福音書     7章 37〜39節

        
説教 :  『 喜びの源泉 』      高塚 郁男 牧師


1. マルチン・ルターは今で言うカトリック教徒でした。
  またカトリック教会の聖書学者として指導的な役割を持っていました。
  しかし、彼が聖書の教えを知れば知るほど、当時のカトリック教会の教えに疑問を持ち始め、
  結果的に宗教改革の道を歩みます。

2. 時代的には逆ですが、
  イエス・キリストはユダヤ教の教え(律法)に精通していましたし、ユダヤ教の指導的な役割を果たしていました。
  イエスは律法を知れば知るほどユダヤ教のラビとは違った方法で、違った内容で説教しました。
  だからこそ群衆はイエスの説教に耳を傾け、イエスに従いました。
  イエスのユダヤ教に対する宗教改革です。
  今日のテキストを見るとイエスが大胆に当時のユダヤ教に対して改革をしようとしていたことが良く分かります。

3. それがいつ行われたか?
  ルターが日曜日に信徒が大勢教会に来る日に教会の扉に95か条を貼ったように、
  イエスも大勢の人がいる「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、立ち上がって大声」(7:37)で説教しました。
  「祭り」は10節の前の小見出しを見ると「仮庵祭」です。
  「過ごしの祭」の7週後に行われる「祭」で「収穫感謝祭」のことです。
  7週後ですから50日目でギリシャ語でペンテコステです。
  ユダヤ人にとっては3大祭の一つでエジプトを脱出したことを覚える「過ぎ越しの祭り」に並ぶ重要な祭です。
  しかもその「終わり」ですから最高潮の時です。
  大勢の人が集まっています。
  その場で、イエスは「立ち上がって」話し始めます。
  「立ち上がる」ことは異常です。
  ユダヤ教のラビたちが説教する時は「座って」します。
  ラビたちは教えたり説教する時は「座る」のが普通です。
  イエスもそうしていました。

  次の頁を見て下さい。
  8章2節に
  「朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、ご自分の所にやってきたので、座って教え始められた
  とあります。
  これがユダヤ人の教師が話す姿勢です。
  何故ユダヤ教の教師が「座って」話すか?
  訳があります。
  聖書は彼らにとって神の言葉ですし、律法が書かれていますから、聖書を聞くときは人々は立ち上ります。
  しかし、聖書以外のことになると、たとえ教師であるラビが話す時でも「座って」いました。

4. 私は神学校の時から色々な教会に行って説教を聞くのが好きでしたし、
  特に有名な説教家や神学者の説教はあちらこちら聞きに行き勉強しました。
  今でも有名ですが 東京の銀座教会には当時渡辺善太という名うての神学者で説教家がいました。
  渡辺先生は高齢ということもあったでしょうが「座って」説教をしてのが印象に残っています。
  渡辺先生は旧約聖書の研究家ですから、ラビは座って説教していることを知っておられたのではないかと思います。

5. イエス様が「立って」、しかも大声で話し始めたので周囲に緊張が走りました。
  周囲が緊張して聞き耳を立てると、
  「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人のうちから生きた水が川となって流れ出るようになる」(7:38)
  と宣言します。
  「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」、
  この言葉を聞いて人々はイエスを「本当の預言者だ」と言う人もいましたが、
  ラビの姿とあまりにも違い、威厳に満ちた教え方に反感を持つ人もいたのでしょう。
  「イエスを捕らえようと思う者もい」ました(7:44)。
  周囲は間違いなく騒然としたに違いありません。
  ラビたちの説教には少しの感動も覚えなかった群衆たちは、イエスが
  「渇いている人はだれでも、私のところに来て飲みなさい。
     わたしを信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる

  と宣言されたのを聞いて感激しました。

6. 人々は飢えていました。渇いていました。
  癒される言葉が聞きたかったのです。
  生きる力、喜びの源泉をどんなに求めても与えられませんでした。
  久しぶりに聞いた、いや生まれて初めて聞いた力強い言葉に感激しました。
  生きた水、しかも川となって流れ出る程の勢いで人を生かす言葉が
  イエスの口をついて出た時に群衆は感激し喜びに満たされました。

7. 「聖書に書いてある通り」。
  聖書のどこでしょうか?
  詩編78編15節と16節
  「荒野では岩を開き、深淵のように豊かな水を飲ませてくださった。
     岩から流れを引き出されたので、水は大河のように流れ下った
」 とあります。
  ユダヤ人はいつもエジプトからの脱出の出来事、荒野で40年間暮らし、飲む水もなかった時に
  「岩を砕き、豊かな水を飲ませた」 出来事を一時も忘れません。
  イエスが
  「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる
  と言われた時、震えて喜びを覚えました。
  まさに、イエス・キリストの言葉は渇くことがない命の水です。
  命の源泉です。
  イエスの言葉は今日でも命の源です。
  誰でもイエスの言葉に聞き入り、命の水を飲みましょう。

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