≪メッセージの要旨≫ 2017年 7月 16日 聖霊降臨後第6主日
聖書 : マタイによる福音書 10章 16〜33節
説教 : 『 恐れず進む 』 高塚 郁男 牧師
1.イエスは弟子たちの中から12人を選び、彼らに特別な権威を与えました。
「権能」とは「汚れた霊に対する権能」(マタイ10:1)で、
「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやす」力のことです。
2.選ばれた弟子たちの数は12人でした。
「12」はイスラエルの世界では極めて重要な数です。
弟子の数が12人いたから重要なのではなく、イエスが生まれるより1200年以上も前からこの数字は特別な数字でした。
イスラエルの歴史はアブラハム、イサク、ヤコブと続きます。
ヤコブの子供は12人いました。
イスラエルが食糧難だった頃彼らはエジプに民族移動します。
エジプトで厚遇されますが、次第に煙たがられ、モーセの指導の下エジプトから脱出します。
再び元の地カナンに戻り、その土地を12分割し、各部族が一つの地域を与えられ、独立しながら12部族連合体として存続します。
「12」という数字はイスラエルの国が12部族連合によって形作られた大切な日であり、
神から遣わされたモーセによって救い出されたことを思い起こす「救いの数」です。
3.イエスが弟子たちを選び、色々な場所に派遣し、神の恵みを伝えに行かせたとき、
イエスは彼らに「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやす」力を与えました。
悪霊が追い出され、病気が癒されることは人々にとって大きな恵みです。
これこそ人々にとっては素晴らしい良き知らせ・福音です。
イエスは弟子たちにこの権能を与え、病気や悪霊に苦しんでいる人たちに神の恵みを与え、励ましました。
この福音を待っている人たちがどんなに多かったか、福音書の記事を見てすぐわかります。
イエスが山の上で説教した後(山の上の説教は5章からから7章に記されています)8章からすぐ病気を癒す記事が続いて登場します。
「重い皮膚病を患っている人を癒す」(8:1〜4)、「百人隊長の僕をいやす」(8:5〜13)、「多くの病人をいやす」(8:14〜18)、
「悪霊に取りつかれたガダラの人をいやす」(8:28〜34)、「中風の人をいやす」(9:1〜8)、
「指導者の娘とイエスの服に触れる女」(9:18〜26)、「二人の盲人をいやす」(9〜31)、「口のきけない人をいやす」(9:32〜34)。
多くの人々が病気に苦しみ、悪霊と闘っていました。
弟子たちは彼らの病をいやし悪霊を追い出す力を与えられましたので、多くの人たちは弟子たちの周りに押し寄せ、癒しを求めました。
4.反面、弟子たちの言葉や弟子たちが悪霊を追い出し病気を癒すのを見て許せない、彼らを捕らえ、鞭打ち、殺そうとする人たちもいました。
イエスは「わたしがあなた方を遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。」(10:16)と言います。
いつの時代でも、どこの国でも、キリスト教がその国に新しく入ろうとすると地元の人との争い、また迫害が起こります。
そのことを知っておられるイエスは弟子たちに前もって語っています(10:16から31)。
5.日本の歴史を少し見てみましょう。
日本に最初に宣教師が来られたのは1549年、スペインからで、フランシスコ・ザビエルでした。
鹿児島薩摩半島に上陸してわずか2年3か月の日本滞在の伝道でした。
その間、彼の伝道への意欲と気迫は驚く結果をもたらしています。
僅か2年3か月で20万人の人がクリスチャンになりました。
一地域の大名がクリスチャンになると、その村の住人が全員キリスト教徒になることもあり、人数は急激に増えました。
状況は違うと言え、また比較することはできませんが、
数字だけをみると、ルーテル教会は130年以上もかけて、今、6千人位の会員数ですので、20万人とは驚く数です。
ザビエルは日本を去りますが、後を継いだイエズス会の宣教師たちの働きも大きく、
織田信長がキリスト教を1568年に公認し、滋賀県に建てた安土桃山城の天守閣にはセミナリオ、今のセミナリー、
つまりキリスト教の神学校を設置した位ですから日本全土がクリスチャンになるのは時間の問題と思われました。
豊臣秀吉が天下を取り、彼はしばらくキリスト教に寛容でしたが、
天下をキリスト教に取られるのではないかとの猜疑心も大きく、ついにバテレン追放令を1587年に出しました。
キリスト教弾圧・迫害の歴史が始まります。
次いで徳川家康が天下を取り、弾圧・迫害は一層強まり、今でもよく知られた隠れキリシタンの歴史が続きます。
6.今日の福音書のテキスト「マタイによる福音書」10章28節に“魂を殺すことのできない者を恐れるな”と言う言葉があります。
この言葉を題名にした小冊子があます。
これは、豊臣秀吉、徳川家康のキリスト教弾圧が急速に進み、各地で多くの殉教者が出ましたが、
当時殺された殉教者が聖人に列福されるようにと法王に願うために書かれた記録です。
長崎の26聖人にしろ、クリスチャン殉教の歴史は京都から始まり、どんなに残酷だったかがこの小冊子に記しています。
その中に、リチャード・コックスというイギリスの貿易商人で、平戸にあったイギリス商館長を務め、
在日中に記した詳細な「イギリス商館長日記」に、
“私は京都にいたとき、信仰を棄てないという理由で55名のキリシタンが殺されるのを見ました。
彼らの中には母親の腕に抱かれた小さな子どもたちもいました。
母親たちは、「主イエスズよ、この子供たちの魂を受けてください」と叫んでいました” と言う一文があります。
その後も55名がどのように十字架につけられ火あぶりの刑で殺されたかが綴られています。
“夕暮れ、晩歌の時間に、ロドリゲスによると、ついに刑執行人たちが薪に人を付けた。
火炎と煙が立ち上がると幼児たちが泣き始めたので、母親たちは、その頭を撫でて子供を慰めようと努めた。
この時にもテクラ橋本が皆の注目を集めた。
娘カタリーナは隣の十字架から煙で母を見ることが出来ないと叫んだので、テクラがそのために心配しないようにと答えた。
イエズス、マリアと繰り返し、間もなく天国で再び会うだろうと促した。
そのようにマリアと叫んで勇気ある母は亡くなった。
死んだ後にもなお、その腕は固く小さなルチアの体を抱いていた。”
7.イエスの弟子たちが各地に派遣されますが、それは「狼の群れの中に羊を送り込むようなもの」です。
弾圧、迫害は大きいけれど、
「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(10:28〜29)
とイエスが言われるように、体も魂も支配する神を恐れ、この世の苦しみは神によっていつまでも守られることを知り、
私たちも、この世の苦しみ、病との闘いに負けてはなりません。
体だけではなく魂までも支配される神が私たちの道を守ってくれます。
この方に全てをまかせて、この世の悪の力に恐れず進みましょう。