≪メッセージの要旨≫  2017年  9月 3日   聖霊降臨後第13主日


      
聖書 : マタイによる福音書     14章 22〜33節

      
説教 :  『 揺るがない信仰 』    高塚 郁男 牧師



1.今年はルターの宗教改革500年目に当たる特別な年です。
  私たちルーテル教会の会員にとっては極めて記念すべき年です。
  1517年10月31日にルターが
  「免罪符」についての大胆な発言を『95か条の提題』としてヴィッテンヴェルグ教会の入り口に貼り付けたことが口火になり、
  当時の教会の誤りを糺さなければならないという動きが各地に急激に起こりました。
  あまりルターについて話す機会がなかったので、
  今日の福音書のテキストを土台にして、今日の説教はルターのことについてお話します。
  ポイントは二つあります。
  一つは、神のご計画は私たちの常識を超えるものであること、
  二つ目は、聖書の言葉を神の言葉と信じるなら、神は一層強い愛をもって逆境に遇う人を守られることをお話しします。


2.1501年、ルターはエルフルト大学に入学します。
  大学は父の住むところからかなり離れていましたが、
  エルフルト大学は当時ヨーロッパでも有数な大学でしたので、父もルターもそこに決めました。
  1502年には学士の位を受け、1505年には修士号を取り、更に博士号の学位を得るために大学に残ります。
  3つの選択肢がありました。
  法学にするか医学にするか神学にするかです。
  父の強い希望もあり、法学コースに進み将来は弁護士になることが特に父の強い希望でした。
  法学部の新学期が始まるまで1か月間、深く物思いに耽っていたようです。
  理由は定かではありませんが、
  それまで寮で同室だった親友のヒエロニムス・ブンツが試験中に急性肋膜炎で死ぬという出来事がありました。
  親友の死に、ルターはどうして自分でなく彼が死んだのか、真剣に死の問題を考えていたようで、それが原因で沈んでいたようです。
   正に、そんな折、6月20日に父の住むマンスフェルトに帰省し、30日頃エルフルト大学に戻ろうと急いでいる時のことでした。
  大学がすぐそこまでの所に差し掛かった時、激しい雨に遭います。
  避難する暇もなく、あっという間に目の前に雷が落ち、動転します。
  助けを求めて旧約聖書にあるアンナの祈りを唱えます。
  アンナの祈りはサムエル記上2章1節から10節にあります。
  ルターは助けを求めてアンナの祈りを諳んじました。
  その時、意外にも、彼は咄嗟に「修道士になります」と誓います。
  エルフルト大学でエリートの道に進む筈のルターは、一転、大学とは反対の右に曲がり、修道院に入ることになりました。
  父親の怒りは大変なものでしたが、ルターの誓願は覆えりませんでした。
   神のご計画は私たちにはわかりません。
  しかし、必要あれば、神は人の反対があろうが、その人の決心を変えてしまいます。
  私たちがどんなに決断していても、神はそれを翻して神のご計画を実行されます。
  不思議です。
  神さまのご計画は私たちの常識を超えています。


3.修道院に入り1507年司祭に叙任されたルターは
  1512年に神学博士の学位を授かり神学・聖書の研究に没頭します。
  1512〜13年に最初の聖書を大学で教え詩編の講義を担当します。
  ルターは詩編6編1節など
  「主よ、怒ってわたしを責めないでください。 憤って懲らしめないでください」 と言う言葉に衝撃を受けます。
  ルターは神が怒るのは神との関係が壊れているからで、
  それが「神の怒り」となって現れ、「神の怒り」から解放されるには難行苦行をして、神から赦されなければならないと理解しました。
  そのため、彼は誰よりも修道院で朝早く起き、祈り、掃除をし、また祈るといった自分を徹底的に痛めつけ難行苦行しました。
  しかし、難行苦行をすればするほど、神は自分から遠ざかってしまうと感じ、部屋の中で何度も気絶するほどでした。
   1515年、ルターは「ローマ人の手紙」、そして翌年1516年には「ガラテヤ人への手紙」の聖書講義をします。
  ロマ書1章17節やガラテヤ書には「信仰によって義とされる」(ガラテヤ2:15以下)ことが中心に記されており、
  ルターは人が難行苦行によって救われるのではなく、
  信仰によって救われる、これは神の一方的な恵みによるもので、決して人間の努力や何か良いことをしたから救われるのではない
  との確信に至ります。
  信仰のみが救いに導くとの確信を得ます。
   もともと「免罪符」は
  1096年、エルサレムがイスラム教に奪われたのを取り返そうとする聖地奪回の為の第1回十字軍の応募の時に発行されました。
  十字軍の聖地奪還運動は200年後の1291年に終結します。
  しかし、「免罪符」の販売はその後も続き、「免罪符」によって人の罪は赦されると説教され続けていました。
  免罪符をお金を出して買えば一部の罪は赦される、あるいはそれ以上のお金を出せばもっと罪は赦されるとエスカレートし、
  罪はお金次第で赦される傾向が強くなり、多くの人は免罪符を求めて、罪の赦しをお金で求めるようになります。


4.ルターは罪の赦しをお金次第で買うことが出来ることに強く反対し、
  遂に1517年10月31日、日曜日にヴィッテンブルグの教会の門に「95か条の提題」として貼り付けました。
  教会の門にこのような提題を貼るのは当時の慣習でした。
  神学論争をするときに教会の門に貼りだし、論争には大学の教授など自由に参加できる、良く行われていた普通のことでした。
  ルターの「95か条の提題」は大半が免罪符についての誤りを指摘するものでした。
  反響は非常に大きく、あっという間に町中に広がりました。
  それだけ民衆も、罪の赦しがお金で買えることに、たとえ教会の教えとは言え疑問に持っていたことは事実です。
  ルターに同調する教会も司祭も神学者も現れました。
  しかし、教会は面白くありません。
  ルターを1521年に破門にするだけでなく、ヴォルムスの国会にかけ、ルターが著した書物の撤回を要求します。
  ルターは自分の書物は聖書の言葉によっているので撤回しないと、
  「私はここ(聖書)に立つ。 神よ、私を助けたまえ」 と身の危険を顧みず答えます。
  信仰により救いの確信を得ていたルターに怖いものはありません。
  どんな力にも屈することなく、揺るぐことなく、信仰の確信に立ち、前進するのみです。


5.テキストのように信仰を疑うと人は沈んでしまします。
  しかし、いかなることがあっても揺るがない信仰があれば、海の上を歩くことが出来る奇跡を起こすことも出来ます。

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