≪メッセージの要旨≫  2018年   11月 4日   全聖徒主日 


        
聖書 : コリントの信徒への手紙T    15章 50〜58節

        
説教 :  『 労苦は無駄にならない 』   後藤 由起 牧師


 先に天に召された方々について、
そして残された私たちが今なお地上の生活をするにあたって、聖書は何を教えているのでしょうか。
今朝の第二の日課であるコリントの信徒への手紙には、こう書かれています。

 主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、
       あなたがたは知っているはずです。


 この聖書の言葉は、自分自身も苦労と苦難の連続であったパウロという人が書いた言葉です。
パウロはこんなふうにはじめています。

 兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。
 肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。


今のわたしたちの体は、いつまでも続くということは決してありません。
いつかは地上の人生の終わりがきます。
ですから、そのままでは私たちは救いが完成する、ということはありません。
しかし私たちは、普段そのことを忘れてしまいます。
この地上の人生で、大きな試練なく生きることが幸せであり救いであるかのように受け取ってしまいがちです。
ですからそこに、なにか試練や悲しみが起これば、どうしてこんなことが起こるのか、と思ってしまいます。
実際、もし人間が死で終わってしまうのなら、この世界は報われないことだらけです。
けれども聖書は、人間は死で終わるのではない、
ましてや、亡くなった方々が暗い冷たいところで孤独でいるのでもないといいます。
その先があるのです。

 わたしはあなたがたに神秘を告げます。
 わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。
 わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。
 ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
 この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。


朽ちていく存在である私たちの体は、今とは異なる状態に変えられます。
それがいつかは私たちにはわかりません。
神様がお決めになるときです。
そのとき、この言葉が実現します。

 「死は勝利にのみ込まれた。
     死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
     死よ、お前のとげはどこにあるのか。」


これはわたしたちにとって未だ未来の出来事です。
ですから、私たちにはまだ苦しいことも、死で分かたれることもあります。
しかし、
必ず将来こうなるのだ、ということを聖書は約束しています。
そのことを今、地上にありながら信じているのがわたしたちクリスチャンです。

 そしてその根拠は、神の子主イエス・キリストが十字架で亡くなり、そこから復活されたということです。
イエス様が十字架で、
すべての罪と悪、そして死のとげに対して勝利されたことは、すでに起こった動かしがたい事実です。
ですから私たちに与えられた将来の希望も、この事実にしっかりと基づいています。
必ず神様の前で、先に召された方々となつかしくお会いする日が来ます。

 では、どのようにしてこの未来を見ながら今を生きることができるのでしょうか。
聖書は二つのことを勧めています。

 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、
     動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。
 主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。


 ひとつ目、罪や死の力、またこの世の出来事に動かされないでしっかりと信仰に立つことです。

 そして二つ目は、主のわざに励みなさいということです。
今、与えられていることをキリストのためにすることです。
私たちの毎日の繰り返し、生活のすべてのことはイエス様にむすばれているのです。
それらは決して無駄になることはありません。

 今なおしばらく、
地上の人生を歩むわたしたちがたとえ悩みの日々にあったとしても
「動かされないようにしっかりと立ち、主の業に常に励むこと」。
やがて時が来て私たちが地上を去るとき、
罪を赦されたものとして神様の前に進み出て、顔と顔を合わせて懐かしい方々にお会いすることになります。
その日まで、
残された私たちは聖書が勧めるとおり、動かされないようにしっかりと信仰に立ち、
日常の中で主の業に励んで行きたいのです。
兄弟姉妹たちが遺された信仰を受け継いで、復活と永遠の神の国を信じて、歩んでまいりましょう。

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