2018年 12月 16日 待降節第3主日
聖書 : ルカによる福音書 1章 25〜38節
説教 : 『 信じて受け止めること 』 後藤 由起 牧師
天使はマリアに、彼女がこれから男の子を生むことを告げます。
ヨセフと婚約していたマリアは、当時の法律ではもう結婚したと同様に見なされていました。
そのマリアが婚約者以外の子どもを生むとなると、周囲の目が厳しいことは明らかです。
マリアにとって、考えてもいなかった出来事が突然襲ってきたのです。
私たちにもまた、突然、思いがけない試練が起こることがあります。
そして私たちは、その受け止められない出来事をどう受け止めるのかということで苦しみます。
聖書が告げるクリスマスの出来事とは、そんな思いがけない出来事がやってくる私たちに、
しかしなおも神様はともにおられる、という出来事です。
マリアは言います。
どうして、そんなことがありえましょうか。
突然やってくるいろいろな出来事を前に、私たちが思うことは「どうして」ということです。
私たちの日常は「どうしてこんなことが?」の繰り返しではないでしょうか。
そしてその問いは、答えがわからない時の方が多かったりします。
ではマリアは、実際にこの後どうなったのでしょうか。
ここでは「恵まれた方」といわれていますが、
私たちが普段、「あの人は恵まれている」というときのような、
安定した生活であるとか、そういうものは一切マリアに約束されていません。
実際、ヨセフは一度は婚約を破棄しようとします。
その後も、旅先で泊る場所もないまま家畜小屋でイエス様が生まれたり、
イエス様の命が狙われてエジプトに逃げたりという危機に見舞われます。
私たちにもそういうときがあります。
人から見捨てられたような時、受け入れがたいことが起こった時。
クリスマスというのは、マリアという特別な少女に起こった特別な物語ではありません。
これはごく普通の、私たち自身に重なる出来事です。
私たちがクリスマスを迎えるということは、
「どうして?」と問い続けながら、
私たちもマリアとともに一つひとつの出来事を過ごしているときでもあるのです。
しかし天使ガブリエルはそんなマリアに、
「おめでとう、恵まれた方。 主があなたと共におられる。」
と告げます。
「聖霊があなたに下り、いと高き方の力があなたを包む。」
どうしてこんなことが?どうして私が?といいたくなるようなことばかり、
でもそんな日常にも、神様が共にいてくださる。
これがクリスマスの本当の意味です。
私たちのうちからは、試練を受け止める力は出てこないかもしれません。
けれども私たちとともにおられるイエス様が、この試練のときをともに生きてくださいます。
だから私たちは安心してイエス様を信じて歩みます。
だから「恐れることはない」、これこそが聖書の告げるクリスマスのメッセージです。
クリスマスというのは、神と共に生きることを始めるという出来事です。
マリアだって、いつも平安でいたわけではありません。
その生涯は苦難の連続で、ついには十字架で処刑される我が子を見守ることになります。
マリアはそんな毎日を、一日一日生きていきます。
ただ「主が共にいてくださる」ことを信じて、彼女は神様から力をいただいて生きたのです。
ですからクリスマスを迎えようとしている今日、
私たちに問われているのは、自分に
「おめでとう、恵まれた方。 主があなたと共におられる。」
この言葉が語られていることを信じることです。
マリアはこう答えました。
「わたしは主のはしためです。 お言葉通り、この身になりますように」
聖書は今日私たちに、安心してこの言葉を言っていいのだ、と教えているのです。
突然やってくる出来事や試練、
しかしそれが神様の「お言葉通りになりますように」ということは、
つまりそこにも神様の力が確かに働いているということです。
このアドベントの日々、神はわたしと共におられる。
このことを信じる一週間といたしましょう。
イエス・キリストに信頼して、
そのご計画通りに「この身になりますように」と告白しつつ、クリスマスを迎えましょう。