≪メッセージの要旨≫  2018年   2月 11日   変容主日


        
聖書 : マルコによる福音書     9章  2〜 9節

        
説教 :  『 イエスを理解できるか? 』     高塚 郁男 牧師


1.先週、私は、新約聖書がどういう時代に書かれたかを歴史的な状況を踏まえて話をしました。
  次いで、2,000年も前に書かれた聖書の言葉が、
  今、この時代に生きる私たちにどのような意味があるのかをテキストを通して説教しました。
  今日も、聖書をより理解するために、
  テキストに「6」という数字と「高い山」と言う表現が出ていますので、
  聖書における数字と地理についてまず話したいと思います。
  そして、2,000年以上も前に起きたイエスの姿が変わるという出来事が、
  2,000年以上も経った今、私たちにどのような意味があるのか説教します。


2.
1)「6」という数字
  聖書では「7」という数字は完全数です。
  全てを現わし完成することを意味します。
  天・地・地下、東・西・南・北 で 上下左右 全ての方位を示し、
  これをすべて加えると「7」になり、全世界を現わします。
  方位だけではありません。
  創世記2章に
  「天地万物は完成された。
     第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、
     第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった
」(創世記2:1〜2)
  とあります。
  神は「6」日間で世を創造され、「7日」目には満足され自分の創造をを完全なものとして休まれました。
  「六」はそれに一つ足りない数字ですから不完全です。
  今日のテキストの初めに「六日の後」(マルコ9:2)とありますか「7日目」のことです。
  イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れてイエスの完全な姿を現わそうとします。
  しかし、3人の弟子たちはそれを理解出来ず、的外れのことを言います。
  神が示された完全な姿を弟子たちも私たちも十分理解出来ません。
  ですから、私たちは悩み、苦しみ、争い、闘いを起こします。
  「7」の完全な時に、イエスの姿が変わる変容を十分理解すればそういうことは起こりません。

2)「高い山=ヘルモン山?」
  「高い山」としか記されていません。
  具体的な山の名前が書かれていません。
  イスラエルにはヘルモン山(「聖なる山」という意味)があります。
  これは日本の富士山のように
  昔から人々に愛され、頂きには殆ど一年中雪に蓋われており、聖なる山とか神の山と呼ばれています。
  雪が少しづつ解けて流れ出す水はガリラヤ湖に流れ込み、
  湖の上流のヨルダン川にはきれいな冷たい水が音を立てて流れています。
  テキストに出てくる「高い山」が
  この2,800メートル以上もあるヘルモン山のことを指していると思っても不思議ではありません。
  しかし、イエスは活動拠点はガリラヤ湖周辺、特に西側カフェルナウムでしたから、
  そこからヘルモン山まで直線距離にして60キロ以上も離れていますから遠すぎます。
  しかも殆ど一年中頂きが雪で覆われているような高い山を簡単には登れません。

3)タボル山
  イエスが育ったナザレから
  東南に約10キロ、ガリラヤ湖の南端から西南に約20キロ位のところにタボル山があります。
  600メートル弱の高さで歩いて登ることは出来ます。
  私も歩いて頂上まで行きました。
  バスで頂上近くまで上がることが出来ますが、
  意外にも日本からの聖地旅行者はそこまで行くことは多くありません。
  新約聖書にタボル山という名前は出ていませんからあまり行かないのでしょう。
  今ではギリシャ正教会やカトリック教会が別々に会堂を建てています。
  そこに入って、イエスがペトロ、ヤコブ、ヨハネを前にしてモーセとエリアと出会ったのかと思うと
  感傷的な気持ちになり、不思議な経験をしたことがあります。
  タボル山は周辺が平野で
  現在は一面が広々とした畑ですので、タボル山だけが異様に高く聳えるような「高い山」に見えます。
  イエスが3人を連れて上った「高い山」は600メートル弱ですがタボル山と見ることは充分可能です。
  伝統的にはイエスの姿が変わる変容の山と言われています。


3.イエスは誰?
  3人の弟子たちがイエスに連れられて山上に辿り着いた途端、イエスの姿が変わりました。
  見たことがない程白く輝くイエスの服に驚いた彼らはどうして良いか分かりません。
  しかも、イエスは850年以上も前のエリアと2,300年以上も前のモーセと3人で話をしています。
  時代的に考えられない光景です。
  エリアは旧約時代イスラエルの北王国初期の偉大な預言者です。
  モーセはイスラエル民族がエジプトで苦しんでいた時に現れた宗教的な偉大な指導者です。
  3人の弟子たちがこの二人を知るすべはありません。
  しかし、イスラエルを代表するエリアとモーセのことは話には聞いていたでしょうから、
  3人の弟子たちがエリヤとモーセを時代的には数百年も隔たりがある二人を咄嗟に思い出してはおかしくありません。
  彼らはどうしたら良いか分からず、イエスを含めて3人のために小屋を作ろうと言い出します。
  モーセ・エリア・イエスの3人が同時代に住む筈はありません。
  3人の弟子たちは何をしたら良いのか、
  イエスのことすら誰だか分からなくなって、そのような突拍子もないことを言ったとしか思いません。
  私たちもイエスのことを誰だかはっきり分からないととんでもない間違いを起こします。


4.イエスは神の子
1)3人の弟子たちが「非常に恐れ」(マルコ9:6)何をしていいのか分からない時に
  「雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子、これに聞け』」(マルコ9:7)。
  どこかで聞いた言葉です。
  そうです、これはイエスが洗礼を受けた時に天から聞こえてきた言葉と同じです。
  そこでイエスは神の子として、神から力を頂き、神の力を与えられ、伝道を開始し始めます。

2)神は生きている
  モーセ・エリア・イエス、全く違った時代の3人がペトロ・ヤコブ・ヨハネの前で「語り合っていた」(9:4)のは、
  神は時代を超え、旧約時代の神はイエスの時代の神であり、また、今私たちの神でもあります。
  神は生きています。
  神の子イエス・キリストも生きています。
  私たちの中でイエスは生きています。
  そのことが分る時、
  私たちは聖書の一貫性が明らかになり、神は時代を越え、絶えず信仰の中で生きています。
  イエスの存在を理解し、
  イエスが誰であるか分る時、
  私たちも自分からは出来ない力を得ることが出来ます。
  イエスが神の子であることをしっかりとした強い信仰で確信しましょう。

過去の音声メッセージに戻る