≪メッセージの要旨≫  2018年   2月 4日   顕現節第5主日


        
聖書 : マルコによる福音書     1章 29〜39節

        
説教 :  『 イエスの目的 』     高塚 郁男 牧師


1.
 1)聖書が書かれた時代
   新約聖書を書いた人たちは命を懸けていました。
   彼らがキリストのことを書いていたことが分れば、恐らく当局者は彼らを捕らえ、
   相当ひどい罰を与えるか、事情によっては命までも取られた時代でした。
   キリスト教そのものに対して一般的には強い非難は受けていなかったようですが、
   ローマ帝国からすればキリスト教は天下を取りかねない力を持つことになり、厳しい取り締まりの対象でした。
   信者たちは隠れながら密かに礼拝を守っていました。その数は想像以上に多くいました。

 2)隠れながらの礼拝
   ローマなどにはカタコンベと言う地下墓地があります。
   もともとは墓地でしたが、地下に大規模な墓地もかなりありました。
   それを礼拝の場所としてクリスチャンが利用しました。
   地下ですから声は外に漏れません。
   格好の場所です。
   カタコンベはキリスト教の迫害が強かったローマだけでなく地中海沿岸の国、またヨーロッパでも発掘されています。
   エルサレムの近くからも見つかっています。
   それも相当大きなものです。
   イエス・キリストが葬られた近くにあります。
   地下墓地は道が縦横に走っており、その道を合計すると何十キロにも及ぶものも珍しくありません。
   地下道の高さは2メートル以上もあり、人が楽に立って歩けるものです。
   そういう場所で信仰者は隠れながら礼拝を守り続けました。
   地下で秘かに礼拝をする彼らは地上とは全く違った雰囲気で、強い信仰心を培うには最高の場所でした。

 3)一番最初に書かれた新約聖書
   パウロは紀元後52〜53年ごろ『第T・第2テサロニケへの手紙』を書いています。
   これが新約聖書最古のものです。
   イエス・キリストが十字架に付けられ息を引き取り、復活してから20程経ってからのことです。
   その後、パウロは何通もの手紙を色々な場所にある集会に送り、57年頃逮捕されています。
   その頃、最初の福音書『マルコによる福音書』が書かれています。
   危険な時代です。
   聖書を書くのも命を張った業と言えます。


2.編集者の目的
 1)福音書の著者マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネたちも自分たちの、これだけは後世に伝え残そうと必死に福音書を書きあげました。
   それぞれの福音者は彼らの命を懸けた遺言です。
   福音書を書いた人たちは、イエス・キリストについて読んだり聞いたりしたことを編集して書き上げました。
   ですからそれぞれの著者のことを、専門家たちは著者とは言わず編集者と言っています。
   福音書は編集されていますから、それぞれの編集者は意図をもって書いています。

 2)十字架と罪からの赦し
   4人の編集者はこぞって福音書を書くのに一つの中心を持っていました。
   イエスが来られたのは人の罪が赦されるのはイエス・キリストを信じることである。
   その赦しのために
   “イエス・キリストは自分を茨の道、十字架にかかられ、三日目に甦ること、
      これは神がなさることで、この神の業を信じ、神から遣わされたイエスを救い主と信じること以外にない”
   ことを人々に伝え遺すことでした。
   編集者が目に付けた共通の視点はイエス・キリストの十字架による神の赦しでした。

3)『マルコによる福音書』の目的
   4人の編集者たちにはすべて共通な視点があっただけではなく、それぞれ別の視点もありました。
   イエス・キリストが人々を赦すためには何をされたか、
   イエス・キリストが救い主として人々から注目されたのは何かをそれぞれの編集者の目から書き上げることでした。
   マルコの場合、それは福音書を読めば、恐らく、私たちにもかなり容易に分るテーマでした。
   マルコは主イエス・キリストが伝道を始められ、村々を巡り歩きまわった何をされたか次々に語っています。
   彼は聖書に書かれた小見出しをみると圧倒的に病気を治す記事がおおいことに気づきます。
   先週のテキストは@「汚れた霊に取りつかれた男をいやす」でした。
   今日のテキストはA「多くの病人をいやす」です。
   それに続く話はB「巡回して宣教する」、
   C「重い皮膚病を患っている人をいやす」、
   更にD「中風の人をいやす」、
   ・・・E「手の萎えた人をいや」、
   ・・・F「悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす」。
   G「ヤイロの娘とイエスの服に触る女」などと続きます。


3.病人をいやす
 1)2,000年以上も前のことですから一度大きな病気にかかると癒す術は殆どなかった筈です。
   そのような中でイエス・キリストは人々が苦しんでいる病気を癒す神の人イエス・キリストに焦点を当てました。
   マルコが意図して後世に伝えたかったイエス像は、病気を癒す救い主の登場だったと言えます。
   今日、私たちは体の病もさることながら心の病からの救いも必要です。
   経済が進めば進むほど、経済的について行けない人もどんどん出ています。
   その人たちの中には自らを死に追いやる人もいます。

 2)私たちに与えられた使命
   今の時代、病気にかかったら医学の力に頼ることは賢い選択です。
   それがベストだと思います。
   今週もノーベル生理学・医学賞受賞者の山中伸弥教授の講演会に行ってきました。
   iPS細胞により正体不明の病気のメカニズムがわかるようになり、
   それに伴って薬の開発、今まで手のつけられないような病の治療が出来るようになったという講演会を聞き感動しました。
   素晴らしいもので驚くものでした。
   しかし、私たちには医学がどんどん進んでいる時代に生きていますが、
   それでもまだ医学的にも完治出来ない問題があります。
   その一つに心の問題があります。
   心の病です。
   それを癒してくれるのは救い主イエス・キリストの自分の命を捧げて人を救おうとされた神の愛、
   それを実際にこの世で実行されたイエスの愛以外にない筈です。
   この愛を知っている私たちは人々に知らせなければなりません。
   今の時代、聖書の目的は一層神の愛、主イエス・キリストの十字架の尊さです。

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