≪メッセージの要旨≫  2018年   3月 25日   受難主日 


        
聖書 : マルコによる福音書     15章 33〜41節

        
説教 :  『 神の沈黙 』     高塚 郁男 牧師



1.イエス・キリストは十字架の上で7つの言葉を発したと言われています。
  死の間際に語られた言葉です。 どれも大変重みがあります。
  「十字架上の7つの言葉」は次の通りです。

  1)「父よ、彼らをお赦しください。 自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)。
  2)「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)。
  3)「婦人よ、御覧なさい。 あなたの子です。 見なさい。 あなたの母です」(ヨハネ19:26〜27)。
  4)「わが神、わが神、何故わたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34、マタイ27:46)。
  5)「乾く」(ヨハネ19:28)。
  6)「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)。
  7)「父よ、私の霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)。

  今日、「受難主日」に与えられたテキストの中に 上の4番目の
  「わが神、わが神、何故わたしをお見捨てになったのですか」という表現が出ています。
  この言葉の真意は何か、また、それは私たちにとってどのような意味があるのか一緒に考えてみましょう。


2.1)「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」=「わが神、わが神、何故わたしをお見捨てになったのですか
    と言う文章は聖書の中でも謎に満ちています。
    父なる神が独り子イエス・キリストを見捨てる筈がありません。
    しかし、子であるイエス・キリストははっきり「見捨てられた」と言っています。
    この「見捨てる」と言う言葉は強い言葉で “完全に見捨てる” “徹底的に捨てる” と言う言葉です。
    イエスからすると、ご自分の父なる神が、余程の罪を犯したのならともかく、
    罪もない自分を捨ててしまったと言うのですから、理解し難い叫び声としか聞こえません。

  2)神は人間をご自分に似せて創造されました。
    しかし、人間は神から離れ、神に刃向かい、神を敵に回して生き続けました。
    時に神はモーセを遣わし、また預言者たちを送り、何度も人間が神に立ち帰るよう試みました。
    にも拘わらず、人間は神に背を向け続け、罪を悔い改めることはしませんでした。
    これが人間の歴史です。

  3)神は、止む無く人間の罪を自分の責任として、
    ご自分の独り子を世に遣わし、十字架に付け、殺すことによって、人間の罪を赦そうとしました。
    イエスの十字架上での死、それに続く復活の出来事を
    神が人間を赦す業として受け止める人には、その人を赦すという、神のご計画です。

  3)今、イエスは人間を赦す神のご計画として十字架上にいます。
    そこで息を振り絞って
    「わが神、わが神、何故わたしをお見捨てになられたのですか」と叫び声を発します。
    イエスからすれば自分は完全に見捨てられたことになります。

  4)しかし、ここから私たち人間にとって救いのドラマが始まります。
    イエスの悲痛な叫び、
    しかも、神がそれに何も答えない沈黙の中に、新しい歴史が始まることを知らなければなりません。
    神の独り子イエス・キリストの死がなければ、私たち人間の赦しはありません。
    十字架上で息を引き取ったイエス・キリストを私たちが救い主と信じる信仰がないなら、
    私たち人間には救いがありません。


3.1)人間は罪の限りを尽くし、神から見捨てられて当たり前です。
    人間が自分で自分を救うことは出来ません。
    徹底的に罪の中で生きている人間は徹底的に神から見捨てられて当然です。
    人間は日々苦しみます。 悩みます。 
    絶望の淵にしばしば立たざるを得ません。 平安な時は殆どありません。
    嘆き、沈み、助けもなく孤独の中で生きています。
    それは、
    私たちはイエスの叫びの中に、私たちの叫びを読み取り、そこに、救いの始まりがあることを知らなければなりません。

  2)イエスも十字架の上で絶望と闘っています。
    イエスの苦しみと私たちの苦しみが違う点は、私たちは自らの罪の結果苦しみます。
    イエスは罪を犯していませんので、イエス自身の何かが原因して苦しんでいるのではありません。
    イエスの苦しみ、闘いは私たち人間の為です。
    私たちを救うために父なる神から与えられた苦しみです。
    神から離れた人間を救うために
    イエスは受けないで済む苦しみを受け、父なる神から見捨てられたのです。


4.1)イエスは神から見放され絶望の中から「わが神、わが神」と叫びました。
    神は沈黙し何も答えません。
    私たち人間は自分が苦しみ・悲しみ・悩む時に「わが神、わが神」と叫ぶでしょうか。
    多くの人は叫びません。

  2)イエスの十字架の死から新しい歴史が始まります。
    イエスの死は死で終わらず復活するのですから、死から生に向かう希望の十字架です。
    そのことをしっかり受け止め、
    十字架で亡くなったイエス・キリストは私にとって救い主という信仰を持てる人間になりましょう。
    大病をした時から新しい自分が始まる信仰を持ちたいものです。


5.「わが神、わが神」との叫びは絶望の叫びです。
  しかし、それでも尚、イエスは「わが・神」と自分の父なる神へ呼びかけています。
  父なる神から離れません。
  神が答えず、沈黙してもイエスは神を信頼し続けます。
  私たちも、たとえ崖っぷちに立たされても、突き放されても「わが神、わが神」と神を呼びましょう。
  神以外に救いはないのですから。

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