≪メッセージの要旨≫  2018年   4月 15日   復活後第2主日 


        
聖書 : ヨハネによる福音書     21章  1〜14節

        
説教 :  『 立て直すとき 』     後藤 由起 牧師


 先が見えない毎日に疲れてしまった時、人生の節目を迎えた時、自分の弱さや罪に苛まれる時。
私たちが自分自身を立て直したい、という時があります。
聖書は今日、復活されたイエス様に出会った弟子たちを通して、そんな私たちに救いの言葉を伝えています。


 今日の聖書の箇所には、わずか7人になってしまったイエス様の弟子たちがでてきます。
彼らは故郷に帰り、元の漁師に戻っていました。
まるで十字架と復活の出来事なんかなかったかのように、
イエス様に出会う以前の生活に戻ってしまったのです。
私たちもまた、神様を信じているといいながらも、
信仰があってもなくても全く変わらないような毎日を送ってしまうことはないでしょうか。
さらに彼らが漁に出たら出たで、一晩たっても何もとれません。
何をやってもうまくいかない時があるものです。
しかし今朝、聖書が教えていることは、
そんな時イエス様のほうから私たちのそばに立ち、導きを与えてくださるということです。

 ここで弟子たちが
イエス様の「舟の右側に網を打ちなさい」という言葉通りにすると、イエス様の奇跡が起こります。
私たちが自分を立て直していく時、
聖書が教えているその第一歩は、弟子たちはイエス様の言葉にすぐに従った、ということです。
ここにいる彼らはもともとプロの漁師です。
一晩何も取れなかったのに、いまさら網を打ったところで無駄だと反論してももっともです。
それでも彼らは自分の限られた知識や思いを超えてイエス様に従いました。
その時、イエス様の力が働きます。

 さらに岸には
「炭火が起こしてあった」
と書かれています。
この炭火は、イエス様の裁判の夜、ペテロが
「自分はイエスなど知らない」
と言った時に炭火にあたっていたことを思い起こさせるものです。
イエス様は今、その過ちを赦すために来られます。
炭火の上に魚があり、食卓が整えられています。
これはゆるしのしるしです。
どこまでも弱く罪びとの弟子たちを、
「子たちよ」
と呼んでどこまでもゆるすイエス様です。
この罪人の私のためにイエス様は食卓を整えてくださいます。

 復活されたイエス様がもうそばにおられ、
共にいてくださることを信じ、
イエス様に従っていくこと。
そしてイエス様のゆるしがあることを信じること。
これが私たちの踏み出す一歩です。
どんなに私たちがボロボロに疲れていても罪深くても、
イエス様のおられるところに夜明けがあり、
「さあ、来て、朝の食事をしなさい」
とイエス様が呼んでくださる招きの声が、私たちの教会にはあります。


 実はこの箇所でもう一つ、大切なことがあります。
7節に出てくる「イエスの愛しておられたあの弟子」が、「主だ」と気づきます。
ヨハネによる福音書に何度も出てくるこの名もなき不思議な弟子、
しかしイエス様に愛されている重要な弟子、
これこそ今ここにいるあなたのことなのだと、聖書は語っています。
今、福音のメッセージを聞いているこの私が、
イエス様が生きておられ、私のままならない日常のただ中におられ、
イエス様が確かにここに立ってくださりその力が及んでいることを信じ、
「主だ」
と気づき、イエス様の弟子としてまた一歩、歩みだしていくのです。


 この招きは、私たちの教会にもなされています。
地上の教会は神の国を目指してまだ完成途上にありますから、いろいろな現実にも直面します。
でもそんな私たちが、
ペトロたちのように伝道から離れてしまいそうになる時、イエス様は
「網を打ちなさい」
と言われます。
ここでペトロたちが引き上げた153匹の魚は、世界中のすべての人を現しています。
弱く力のない弟子たちが何度も自分たちを立て直し、世界中に出かけていったように、
私たちの教会も今、
神様の言葉をすべての人に伝えていくよう招かれています。
どんな状況にあったとしても、私たちは立ち上がっていくことができること。
この教会にはイエス様の赦しがあり、
主の食卓への招きがあります。
イエス様に愛されている弟子である私たちは、主のみわざに信頼して、今週も歩んでまいりましょう。


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