≪メッセージの要旨≫  2018年   5月 6日   復活後第5主日 


        
聖書 : ヨハネによる福音書     15章 11〜17節

        
説教 :  『 愛に迷ったら 』     後藤 由起 牧師 


わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
  これがわたしの掟である。


 これが今朝、教会に集まってきた私たちにイエス様が教えておられる言葉です。
しかしこれほど難しい言葉も他にないのではないでしょうか。
家族や職場の同僚、身近な人と過ごす自分の日常を少し振り返っただけでも、
「愛し合う」ということの難しさが身に沁みるのが私たちの現実です。
私たちは皆、不完全であり罪人であるからです。

 では今日お読みした聖書はなんと教えているでしょうか。
ヨハネの手紙T 4章7節には、「愛は神から出る」とあります。
私たちのうちからはどんなに頑張っても愛は出て来ません。
それゆえに疲れますし報われない思いをします。
しかし愛は神様から出るものです。
だからイエス様は、私たちにこう招いておられます。

私の愛にとどまりなさい。(15章9節)

私につながっていなさい。 私もあなたがたにつながっている。(15章4節)

私のうちからは喜びや愛はとても出てこないけれども、神様から出る愛を私たちはいただきます。
さらにイエス様は、
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」 
と言われました。
イエス様が示された愛とは、私たちの罪を身代わりに背負って十字架にかかられることでした。
聖書はそのことをこう書いています。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、
  私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。
  ここに愛があります。 
(ヨハネの手紙T 4章10節)

私たちがどんなに罪深くても、目の前の人を愛せなくても、
私のために十字架で与えられた罪の赦しは揺るぎません。
さらに4章4節にはこう書かれています。

あなたがたのうちにおられる方は、世にいるものよりも強い。

わたしたちのうちに、復活したイエス様が生きておられます。
私たちの心に聖霊を与えてくださっています。
私のうちからは愛は出てこない、醜い心の罪びとです。
しかし私のうちには聖霊がいてくださって、愛を与えてくださいます。
私たちは安心して、その力に委ねれば良いのです。

 数年前に、マザーテレサが色々な人に送った手紙をまとめた
『マザーテレサ、来てわたしの光になりなさい』 という本が出版されまして、すごい反響なのだそうです。
なぜかというと、これまでのマザーのイメージを覆すからです。
マザーというと、
行動力にあふれ貧しい人々のためにインドで死を待つ人の家を設立した聖人というイメージを抱きますが、
実際は罪と信仰への葛藤に苦しみ続けていたという記録です。
ここには彼女の内面の心の闇が赤裸々に書かれています。
彼女はその闇から抜け出そうとしますができません。
あるとき神父に告白します。
すると神父は、マザーの抱えている闇の深さにこう言ったそうです。
「この試練に対するただ一つの答えは、
    神に対する完全な委託と、イエスとの一致のうちに暗闇を受諾することです。」

 私たちは人間の力では自分の心の暗闇を抜け出すことはできません。
もうそのまま、心の闇を持ったままで、今の自分を丸ごと神様におまかせするしかありません。
しかしそれでマザーはふっきれます。
それまで、なんとかして闇から抜けださなければと思い、自分の闇の部分を否定しようとしていたけれども、
もうそのままでイエス様につながっていることを知ります。
まず、そんな私を受け止めてくださっている神様の愛があります。
イエス様の愛にとどまっているから、
互いに愛し合いなさい」 
という言葉を聞き、マザーは働き続けることができたのです。

イエス様は、
あなたがたがわたしを選んだのではない。 わたしがあなたがたを選んだ」 
とおっしゃいました。
それは、どんなに私たちがイエス様の言葉に従えない者だとしても、
イエス様はわたしたちを決して見捨てることはないということです。
さらに、イエス様に結ばれている人には、二つの約束が書かれています。
一つは、今の一日一日の積み重ねは、必ず豊かな実を結ぶということです。
二つ目は、私たちがイエス様を通して祈る祈りは、イエス様が聞いてくださることです。
あきらめることと祈ってあとは神にゆだねることの違いは、そこに希望があることです。

キリストに結ばれている人は、必ず実を結ぶこと、そして祈りはきかれていることを信じ、
互いに愛し合いなさい」 
というイエス様の言葉を覚えつつ、この一週間を過ごしてまいりましょう。

過去の音声メッセージに戻る