≪メッセージの要旨≫  2018年   6月 17日   聖霊降臨後第4主日 


        
聖書 : マルコによる福音書     2章 18〜22節

        
説教 :  『 新しいぶどう酒は新しい革袋に 』   後藤 由起 牧師


 日常の中でいろいろな不安に苛まれたり、ままならないことに悩まされるのが私たちです。
そんな私たちが、神を信じて生きるとはどういう生き方でしょうか。
今朝イエス様は私たちに、二つの約束をしてくださっています。
一つはイエス様がどんな時にも私たちとともにおられるということ、
そして二つ目は、私たちを日々力づけ、新しくしてくださるということです。


 古いユダヤ教では、
いろいろな細かい規則を守ることが神様を信じるということだと考えられていました。
その一つが断食です。
宗教的な指導者であったファリサイ派と呼ばれる人々は、
神に近づくために週に二回、月曜日と木曜日に断食を行い、人々の尊敬を集めていました。
しかしイエス様は、
「花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。」 
と言われました。
ファリサイ派の人々にとって断食は、神に近づくための修行でした。
しかしながら聖書が告げていることは、もうすでに神は来られたのだということです。
人が神様に近づくのではなく、神様のほうから私たちのところにやってこられました。
それがイエス・キリストです。
聖書では神の国がしばしば婚宴に例えられます。
私たちがどんな状態にあっても、
神様はいつもともにいてくださること、
神様としっかりと結びつけられていることのたとえとして、イエス様は
「花婿が一緒にいる」
と言われました。
これが、今日、イエス様が私たちにしてくださった約束です。


 そしてイエス様を信じるとは、
これまでのように自分が「主」なのではなく、イエス様を「主」としてお迎えすることです。
それは、時には自分の願いと違う結果であったとしても、イエス様を信頼してお委ねすることです。
イエス様は、ご自分が主として来られたことを新しいぶどう酒にたとえておられます。
新しいぶどう酒を固くなって伸縮しない古い革袋に入れてしまうと、
発酵によって革袋は張り裂けてしまうのだそうです。
私たちの日々の生活の中で、つい自分を「主」とする古い思いが頭をもたげてきそうになりますが、
イエス様を主として迎えた私たちは、新しい革袋としていつも新しくされます。
それは聖霊が心の内に住んでくださることを信じ、
イエス様の力が及んでいることを信じて、そのご計画に委ねることです。
そして大切なことは、
この新しい革袋は、イエス様が用意してくださるものだということです。
私たちが洗礼を受けた時からイエス様が着せてくださった新しい衣、
イエス様という花婿が作ってくださった衣です。


コリントの信徒への第一の手紙6章にはこう書かれています。

知らないのですか。
あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、
あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。


 新しい革袋である私たちはこのような生き方に招かれています。
十字架の後、復活されたイエス様は、決して私たちから奪い取られることはありません。
どんなときもイエス様がともにいてくださること、
そして日々、御手の中で新しくされる約束を信じ、
恐れや不安、あるいは怒りや嫉妬が自分を支配しそうな時こそ、
主であり花婿であるイエス様に頼り、委ね、今週を過ごしていきましょう。

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