≪メッセージの要旨≫  2018年   8月 5日   平和の主日 


        
聖書 : ミカ書            4章  1〜 5節

        
説教 :  『 もはや戦うことを学ばず 』     後藤 由起 牧師 



 聖書が教える平和とは一体どういうことでしょうか。
ヘブライ語で平和は 「シャローム」 という言葉です。
しかし、このシャロームという言葉は、実はとても広い意味を持っている言葉です。
たとえば、「平穏で幸せな暮らし」 「安心」 「穏やか」 「繁栄」 「無事」 「和解」 などという意味があります。
さらにシャロームには動詞があり、「成就する」 「完成する」 「全うする」 「成し遂げる」 という意味になります。
つまり、「平和」 とは単に争いがないだけの状態ではなく、
一人ひとりに与えられた命をそれぞれが安心して全うする、ということなのです。


 しかし人間の歴史は、与えられた命が戦争によって奪われ、暴力や搾取によって危機にさらされることの繰り返しです。
そんな中、ミカ書には
彼らは剣を打ちなおして鋤とし、槍を打ちなおして鎌とする。
    国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。

という言葉があります。
かつてイスラエルは外国との戦争に負け、人々はとらえられて捕虜となり、国は荒れ果て焼け野原となりました。
しかしながら、ようやく捕虜となった人々が解放され、戦後の復興が始まります。
しかしこのころ、人々は大きな過ちを繰り返そうとしていました。
それは、せっかく復興してきた戦後のイスラエルが、
戦前のような国を再建しようと自分の国だけの利益を追い求め、狭い民族主義に陥ろうとしていたからです。
そんなときに預言者たちは立ち上がります。
イスラエルの人々は、経済やインフラは立て直したかもしれません。
しかし、何にもまして聖書が示すイスラエルの再建とは、罪を悔い改めて人々が真実の神に立ち返ることでした。
神が打ち立てる究極のシャロームは、
すべての武器を、人を殺すための道具から生きるための道具に造り替えてしまうという方法で成し遂げられます。
この世界が罪から救われることこそ、シャロームへの第一歩だからです。


 そしてこのシャロームへの一歩は、イエス様によって現実に踏み出されました。
エフェソの信徒への手紙にはこのようにあります。

実に、キリストこそわたしたちの平和であります。
   二つのものを一つにし、
   ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。
   こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
   十字架を通して、両者をひとつの体として和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

神の子であるイエス・キリストが十字架にかかられたのは、
人間がどうしても克服することのできない憎しみや欲望という罪を背負い、身代わりに処刑されるためでした。
聖書は、人間の世界からどうして戦争がなくならないのか、その原因を鋭く示しています。
それは敵意と欲望という罪です。
それを克服することのできるのはただ一つ、イエス・キリストの十字架による罪の赦しのみです。
イエス様が十字架にかけられたとき、人々はイエス様をののしりました。
けれどもイエス様がそこで語られたのは、自分を十字架にかけてののしっている人々のために
神様、彼らをおゆるしください
という祈りの言葉でした。
その祈りを聞いて、イエス様を十字架にかけた実行犯であるローマの兵士が、
「本当に、この人は神の子だ」
と、心を入れ替える出来事が起こりました。
敵であったローマの兵士が、武器を捨てて回心するという出来事が起こったのです。
かつて預言者が語った、
「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」
という言葉は、イエス様の祈りから実現していきます。
シャロームが始まっていくのです。


 罪を悔い改め、国のため、世界のため、指導者のため、
そして今この時もテロや暴力、命の危険に晒されている人々のために祈ること。
現代の人々を取り巻くヘイト感情、さらには私たちの心のうちにある武器、身近な人につい向けられてしまう言葉の剣、槍、
それをイエス様に打ち直していただいて、平和の道具として用いていただくこと。
そこから平和は始まっていきます。
イエス様は人々に、
安心していきなさい
という祝福をよくされました。
これこそ、シャロームのうちに行きなさい、
つまり、神があなたの命を全うさせてくださるように、という祈りです。
私たちはイエス様に結ばれた者として、この平和の実現のために働く者です。
それは家庭や職場といった、身近なところからも始まるものです。
キリストの十字架が、私たちの敵意と欲望、その罪を打ち砕くところからシャロームが始まっていくことを信じて、
周りの人々のため、日本のため、世界のため、全ての人々のために祈りつつ歩んで参りましょう。


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