≪メッセージの要旨≫ 2019年 10月 6日 聖霊降臨後第17主日
聖書 : ルカによる福音書 17章 1〜10節
説教 : 『 楽しく愉快に闘おう 』 木下 海龍 牧師
5節に使徒たちが
『わたしどもの信仰を増してください』 と願ったときに、イエスは言われた
「『もしあなた方にからし種一粒ほどの信仰があれば、
この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。』」
人をつまずかせないことの難しさ、人を赦すことの難しさに当面して、
イエスの弟子らしくそれができるためには今ある信仰をさらに増し加えてください、
そうすればそれが可能になりますからとイエスに願った場面です。
そうした弟子たちの要望に対して、
信仰とはその量の問題ではなく、質そのものの問題だと諭されたのであります。
今日の私の主眼は後半の7節から10節に関心がありました。
それで最初に思い浮かんだ説教題は「感謝を期待する心」にしましたが、二日後に変えました。
それには私の9月20日の一つの体験があったからです。(後で触れます)
時に我々は自分がすべきことを実行しながら、その事への賞賛やねぎらいを期待する気持ちがあります。
挨拶の領域にとどめるのであればお互いに気持ちがよいでしょう。
他方、
その仕事への動機づけが自己中心的なものであればあるほど賞賛への期待が大きくなるのではないでしょうか。
教会の現状を憂い、危機感を持って、活動しながら良い働きをしていると評価されて、
自分の名声が世界にとどろかすことを、内心、最終目標にしている牧師さんもいないわけではありません。
その活動実験を眺めておりますが、そういう人は概ね、
自己への賛美や自分の企画に心底賞賛と忠実に従ってくることを露骨に表わす傾向が見えます。
「自分に従わず、己の考えにこだわって自己主張するならば、私に嫌われますよ。それでもいいのですか!?」
と言われた、と・・・。私にまで聞こえてくることもあります。
日々の仕事や務めそのものにではなく、その先の賞賛と労わりに重心があるとするならば・・・。
すなわち、その行動自体に本人が喜びを見出さないのでいる弟子たちの様子や態度から
イエスはこの譬え(メタファー)を言っているのではないでしょうか。
祭司や律法学者をはじめ自分は尊敬されるべきであり、
世間的に認められた仕事をしているのだと自任している人の中にはしばしば見受けられる傾向ではないでしょうか。
それで、今日のメタファーから、日常のすべての行動・行為は
「楽しく陽気にできている」のであるならば、それ自体の中には、賞賛や労いへの期待は毛頭にもなく、
その勤め事態の中で多く諸々の賜物や喜びを得ていることに満足できているはずです。
去る9月20日(金)17時に「FridysForFuture」「地球の未来のために今、行動をおこそう!」のマーチに参加しました。
若い人を中心に三三五五に集まり最終的には2000人前後だったのではないでしょうか。
時代の潮目の変化が到来するのを感じました。
今のところ、アメリカのトランプ大統領は
気候温暖化の危機を煽るのは迷信だと共和党の保守派層に気を使って取り合っていませんが、
大統領選を目前にして気候温暖化側に舵を向き変えるのではないかと期待しています。
私自身は60年安保に参加して敗北を体験した者としては、
あの時と同じようなデモの仕方では政治の方向は変わらないと思っております。
残念ですが香港のデモは中国側の警察によってつぶされ、敗北すると思います。
60年安保闘争戦術と似ているからです。
今回のスエ―デンの16歳の少女グレタ・トウーンベリが気候変動への危機感から、
昨年の8月から国会前に一人で座り込みを始めた行動から始まって、
現在では全世界の若者たちを中心にしてデモ行進が始まってきております。
実際に参加してみてとても楽しいマーチでした。
これはいけると思いましたネ。
もう一つ日本政界の潮目が変わると思うのは山本太郎さんの出現です。
彼自身は落選しましたが、
ここのところ毎日の街宣演説の盛況は一般人の政治への関心を掘り起こした結果、
次の選挙では投票に行く人が増えて、安部政権の数は半分に減るでしょう。
「楽しく陽気に実践する」にはそれなりの工夫と普段の心がけが大切だと思います。
それが継続する実践であればあるほどに工夫と続ける克己心や集中心がもとめられると思います。
私自身の挫折や体験から眺めて、その通りだなあと思った文書の一部を紹介したいと思います。
坂本陽明著「聖ヒルデガルドの医療と信仰・キリスト教信仰とは何か」
国際霊性研究所2017年6月より引用
著者が大原冨枝の「婉という女」の時代小説を取り上げた中での文書の一部です。
『神が、婉の内的欲求を喚起させ、創造させて、望みを存続させたのです。
神が婉にviriditas(生命力)を賦与されたと云えるのです。
「みなさん自分の心の中に、すさみ(荒み)、憂鬱、が起こったことに気付いたなら、
その流れに乗らないように工夫し、気力を保たせ・充実させておかなければなりません。
打ち込む(集中する)ものをもつこと、
心身の健康維持をよく管理すること、
運動・体を動かすようにすること、
閉じこもらないようにいつも自分の気持ちをオープンにさわやかに保たせておくことが、大切なのです。
そして、刺激を受ける環境に自分を置くこと、
限られた中にあっても人との心の交流を持ち続けること、
これらは、憂鬱・荒み・破滅に身をまかせないために、不可欠なのです。
(中略)孤独は、畢竟(とどのつまり)、否定的な思いに自分を追い込んでいくことになるのです。
これに対し、神からの霊の気(ヒルデガルトの云うviriditas)が入ると、
明るさ、やる気、挑戦する心、冒険する心、カバーする心、
前向き、積極的、道が開かれると思える心、暖かい心、成功できると思える心、
苦しみも乗り越えられると思える心、やり直そう・立ち直れると思える心、
オープンな心、晴れやかな心、喜び、慰め、平和な心、安らかな心、
幸福感、物事を善意・楽観的に受け止める心、
満足する気持ち、慰め、無罪の心、愛の心、許しの心、
充実感、自信、自己肯定の心、物事を肯定する心、感謝する心が起こります。」
p132−133 ガラテヤ5:22−26
今この時に、すべき務めの真っただ中で神からの生命力をいただきましょう。
そうすれば、晴れやかで陽気な心と体で生きて行けます。
それはイエスの命があなたを生きている、からです。