≪メッセージの要旨≫  2019年   4月 21日   復活祭 (イースター)     


        
聖書 : ヨハネによる福音書    20章  1〜18節

        
説教 :  『 我は主を見たり 』    木下 海龍 牧師


20章1節〜18節には、「イエス」の表記は9回あり、「主」は2回表記されている。
前者は記述において、後者はマグダラの・マリアの言葉の中で使われておりますが、ギリシャ語の原文では、
主(クリオン)の語はマグダラのマリアの使徒たちへの報告の中で一回だけ表記されております。
この「主」の表記の仕方にヨハネ福音記者とヨハネの教会の主張と信仰告白を顕わしていると言えましょう。
ヨハネ福音書が最終的にこの福音書の形にまとめられた時期は、
キリスト教徒たちが正統的なユダヤ教の立場からは異端である宣言されて
シナゴーグから完全に追放された時期に重なっていたからです。
当時のキリスト者の群れはユダヤ教の一つのセクトとして
ユダヤ教とその社会にとどまることを熱望していたのですがその望みはここで閉ざされてしまったのです。
その時期はおそらく紀元90年代後半から110年の間ではなかったかと推察しております。
それで、正統的なユダヤ教からは異端とされたのだけれども、
キリスト者たちは旧訳聖書が強調しているあの「主」の導きだ受けとめ、信じ従っているのだと表明しているのです。

【口語訳】ヨハ 20:18 マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、
自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。
【新共同訳】ヨハ 20:18 マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、
「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
【文語訳】
「我は主を見たり」と告げ、また云々の事を言い給ひしと告げたり。
更にヨハネ福音書は以下の強調をします。
【新共同訳】ヨハ 13:19 事の起こる前に、今、言っておく。
事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。
13:20 はっきり言っておく。
わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、
わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
この主に従っているキリスト者をあなた方は追放しているのですよ!!
 という抗議の意思が込めれております。
【新共同訳】出 3:14 神はモーセに、
「わたしはある。 わたしはあるという者だ」と言われ、また、
「イスラエルの人々にこう言うがよい。 
   『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

「私はある」と言う方がイスラエルの民が根拠にしている「神」を指す表現なのです。
それをヨハネ福音書はあえて強調して使っております。
「主を見ました」「わたしはある」がその表現であり告白なのです。
ヤハーウエがモーゼを遣わしたように
この主が我々に新しい使命を与えておられるのだと弁明しているのです。
その背景にはヤムニヤ会議による宣告と深い関係があったのです。注1

注1
紀元90年からヤムニヤ会議の議論と宣告によって、
当時のキリスト教はユダヤ教から異端として排斥されます。
その結果ユダヤ教の一つのセクトとして残ろうとしたのだけれども、決定的な決別になってしまいます。
その結果、
当時の初期キリスト教は地中海沿岸の地方に精力的に伝道活動を展開することになってゆきます。
第一次ユダヤ戦争によって、エルサレムは破壊され、壮麗なエルサレム神殿は焼け落ちた。
このことはユダヤ教の歴史において大きなターニングポイントとなる。
これにより、ユダヤ教の神殿祭儀とユダヤ王朝に価値を置くサドカイ派は存在意義を失い、
一方シナゴーグの活動を中心とするファリサイ派が民族的アイデンティティを担うことになる。
エルサレムの陥落から逃れたユダヤ教の(主にファリサイ派の)指導者たちは、ローマ帝国当局の許可を得て、
エルサレム西部の町ヤブネ(ヤムニア)にユダヤ教の研究学校を設け、
ユダヤ暦を計算し、トーラーの研究を続けることでユダヤ教の伝統と先祖からの文化的遺産を絶やすまいとしていた。
ヤムニア会議とはいわゆる現代的な意味での会議ではない。
それは、このユダヤ教学校によった学者たちが長い時間をかけて議論し、
聖書(ヘブライ語聖書)の正典(マソラ本文)を定義していったプロセスを指している。
この時代、すでにキリスト者はユダヤ教の一分派という枠を超えて、地中海世界へ飛躍しようとしていた。
しかし、この会議によってキリスト者はシナゴーグからの追放が決定的となった。
当時のキリスト教徒たちが主要なテキストにしていた七十人訳聖書についても議論され、
その中のある文書はヘブライ語にルーツを持つものでないため、正統なものではないという結論に至った。
こうしてヘブライ語聖書の正典が確認された。
旧約聖書の外典という時、この会議で除外された文書群をさす。
この会議はキリスト教とユダヤ教を完全に分けることになった会議であったとも言えましょう。


マグダラのマリア一人の「主を見た」の証言は、その後まもなく、
「弟子たちは、主を見て喜んだ。」と「我」一人から「弟子たち」へと伝播いたします。(ヨハネ20:20)
このようにして復活のイエス自らが弟子たちの眼前に現れて大きな喜びを起こして行かれました。
当時の教会は、ユダヤ教指導者から禁止されていた「イエスは復活した」との証言を固守し、
正統的でないと言われた七十人訳聖書を根拠として、
穢れた土地と見なされたギリシャ地中海地方を伝道して生きゆく地盤にしていったのです。


さて我々はどの地点で「復活のイエスを見ました」と言えるのでしょうか。
この肉眼で復活のイエスを見たとの体験は至難の境涯でありましょう。
他方
「主から言われたことを伝えた。」
とか口語訳
「イエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。」
とマグダラのマリアの事例から、
我々がこれはイエスから託された使命であると受け取って実践して生きるとするならば、
これは復活したイエスが自分に現れて告げられた。と受け摂ってもよいのではないでしょうか。
それは必ず喜びを伴った伝言を私の手に握らせるものだと確信しております。
その伝言をしかるべき人に渡し伝える旅路が我々の人生だとも言えるのではないでしょうか。
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